第10話
土曜日、午前零時になっていた。
俺は被っていた毛布から出て一息にカーテンを開けた。それからすぐに月明かりが部屋を照らした。空はとても良く澄んでいて雲一つない、こんなときは満天の星空を拝める。
それがこの田舎町の唯一の良いところだろう。
窓を開けて網戸に虫よけスプレーをかけた。
網戸をすり抜けて来る小さな虫も気にしなくてよくなったはずだ。
「着信は……ない」
念のため、そう思ってスマホを確認するのは最近の日課みたいなものだ。まあ、眠りの浅い俺は電話なんか掛かってきたら一発で目を覚ますだろうけど。
念のため、だ。
昨日学校で磯ヶ谷に話した規則正しい生活は細々とした部分をカットしたものだ。正確に言えば夜十一時に眠り、多少ばらつきがあるものの大体一時間後には目が覚める。
目が覚めて、洗面所で顔を洗いリビングでコップにお茶を注いで部屋に戻る。
一番時間が掛かるのは部屋に戻って本を選ぶことだろう。今日は悲しい物語を読むことにした。読む本を決めるのにはちょっとした判断基準があり、今の自分に聞いてみるという過程を挟む。
判断基準と言ってもこだわりだとかそういう小難しいものではない。
悲しい気分なら悲しい物語を。
優しい気分なら優しい物語を。
今の気持ちを大切にしたいというただそれだけの理由である。
「あれ、あー磯ヶ谷が持っていったのか」
読もうとしていた本は「人間失格」だったのだけれど、午前中に隣のクラスメートが没収していったままだったのを思い出した。
今日は何を読もうか、考えても思いつかなかったので哲学書を読むことにした。死とは何かについて勉強したところで幽霊のことはまるっきり分からないだろうけれど、そんなことは関係ない。
ここまで来て深夜を過ごす準備は完了だ。
まさに備えあれば患いなし。
俺はベッドに座って、本を読み始めた。一時間くらい経って休憩をとろうと思ったそのとき。
――スマホが鳴った、着信だ。
今度は冷静に画面を確認したのだけれど、結果は肩の力を抜くことになった。
「康平か」
「四ノ宮、悪いな……何か眠れなくてよ」
彼女に電話しろよ、などという空気の読めないことは言わないでおいた。
康平が俺に電話を掛けて来るときは、明るく振舞うのに疲れたときなのではないだろうか。俺が小説を書くように、彼は似た境遇の人物と話すことで息抜きをしているように思えた。きっと、そう。
「俺も眠れなかったから、気にすんな」
「さては、いやらしいことでもしていたな?」
「切っていいっすか?」
そんな馬鹿な会話と趣味や最近あった出来事なんかを一時間ほど続けて、少しの沈黙があって康平が聞いてきた。
「もしかしてゲームしてんの?」
「してないよ、多分妹の音」
引きこもりの妹はどうも昼夜逆転しているようで、夜になると隣の部屋からゲーム音が聞こえてくる。その音をスマホのマイクが拾っていたようだ。
それがきっかけで話題は俺の妹になった。
「学校へは行ってるのか?」
「行ってないみたい、両親が毎朝起こしに来るけど全然って感じ」
「うーん、そうか」
「学校に行きたくないって気持ちは俺にも分かるけど、行かなきゃ家族に迷惑が掛かる。毎朝、母親か父親が怒鳴るもんだからこっちも疲れるんだ」
「……何か可哀想じゃね?」
「俺? それとも両親?」
「違う、妹の方」
「何で?」
俺が迷わず聞くと、康平は暫く考えていた。こういう時は大抵、良いことを話すので俺も黙って彼の言葉を待っていた。
「味方がいないんだよ」
「味方って?」
「四ノ宮には俺や穂乃果がいたけど、妹ちゃんにはそれがいない。その上、家族から学校へ行けって言われたらそりゃ行きたくなくなるだろ」
「言われてみたら、そうかもな」
「あと、妹ちゃん自身も学校に行かなきゃいけないって気持ちはあると思うぜ。だって罪悪感の沸かない人間なんかいないだろ」
学校に行かないと罪なのか。
「皆は知らない内に言ってしまってるのかもしれないな、その罪悪感を消してしまうようなことを」
康平が言うのだからそうなのかもしれないと思った。けれど、妹が引きこもって家でくつろいでいるのを知っていたので鵜呑みには出来なかった。
その後は何を話していたのか憶えていない。多分、本当にどうでもいいことを話していたのだろう。
「じゃあ、明日頑張れ……もう今日だがなっ!」
康平はそう言い残して電話を切った。
とても気さくで良い友人を持ったことを幸福に思う。
幸せとは良き友に恵まれることだ。
メモを取って改めて幸せの定義を見返してみると案外たくさん書いてあった。
未来の俺はこれをどうやって物語に組み込んでいくつもりなのだろうか。
考えて頭が痛くなったので今日は寝た。
「おはよー四ノ宮くん」
あーあ、三時間しか寝てない。
女子からの電話で目が覚めたのは良かったけれど、寧ろそんなシチュエーションに憧れていた時期もあったけれど、人はどうも誰が起こしてくれたなんて関係ないらしい。
俺は睡眠欲に負けて速攻で電話を切ってしまった。
アラームと勘違いしたって伝えよう。
だってまだ、待ち合わせの三時間前だし大丈夫。
お願いしたのは俺だけど大丈夫、磯ヶ谷だし。
「アラームじゃないよ、四ノ宮くん」
もう一度かけ直してくるのはさすがに予想外だった。
――とうとう観念した俺は部屋のカーテンを開けて朝の光を全身に受けたのだった。
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