第9話

お節介、という言葉がとてもよく似合う人物を今までに二人知っている。それは穂乃果と康平のことで、それから今日一人増えて磯ヶ谷も。皆、不必要に他人の事情に踏み入ってくるものだから普通は面倒臭いと思われてしまうかもしれない。

ただまあ、俺の場合は不快に思うというよりくすぐったく感じる。

懐かしくてくすぐったいのだ。

校門を自転車を押し引いて出た。蝉の鳴き声がする方向へは近づかないように歩いているけれど、全方位から聞こえるのだから無駄だろう。

そんなアブラゼミの奇襲を警戒しつつ、俺と康平は学校を出て暫く歩き続けた。

その間ずっと康平は俺と磯ヶ谷の関係を疑ってきたけれど、どういう感情の変化があったのか頑張れと言ってその話は終わった。土曜日に彼女と出かける予定が入った話をすればまたいじりは続いたのかもしれないけれど、黙っておいた。

 康平も磯ヶ谷の噂をそこまで信じているわけではないらしい。

 暫く歩いて、あまり良い思い出のない交差点の横断歩道で立ち止まった。俺は信号機が赤だったから立ち止まったのだけれど、康平はそういうわけでもなさそうだ。

 向こう側の横断歩道の先を寂しそうに見つめていた。

 時空が歪んでいるみたいに陽炎が揺れている、あの嫌な場所を。

 何か気の利いたことを言ってあげよう。

「もうすぐ命日だけど康平、穂乃果の両親へ渡すのとお供え用の花束いつ買いに行こうか」

 どんな時でも人と話している時に笑顔を作る康平は俺と違って演技が上手だ。

「ん? ああ、そういやもうすぐ穂乃果の命日だったな」

 康平は思い出したように言ったけれど、それが嘘だということを知っている。ここでトラックに跳ねられて遠くまで飛ばされた穂乃果を一番に抱きしめていたのは彼だ。傘を放り出して走った彼は青ざめた形相で、何を言っているのか分からないくらい叫んでいた。

 心からの叫びだったろう。

 放心状態だった俺が聞き取れたのは精々、

――穂乃果、目を開けてくれ穂乃果。

 それくらいだ。

 雨の日にこの交差点を通ると嫌でも思い出してしまう。幸い今日は晴れだった。

「なあ四ノ宮、もしもあいつが幽霊になって俺たちのこと見ていたら何言うんだろうな」

「何言うんだろう……」

 いつも通りの調子だと思う、穂乃果なら。

 そう答えたかったけれど、胸が張り裂けそうに痛くて言えなかった。

「あいつ、案外死んだことに気付いてなくて未だに卒業式がどうとか同じ高校に行くとか言ってそうじゃね?」

「そうかも、でも想像もつかないや」

 先のことしか見ていない気分屋で思いたったらすぐに行動する穂乃果。

 そういう記憶の中の彼女から、もしかしたらという想像が出来る康平を羨ましく思う。

 現実の彼女も似たようなことを言っていたけれど、それが俺にとって如何に凄惨な光景だったのかを彼は知らない。

 ああ、胸が痛い。

「康平」

「なんだ? 改まって」

 信号が赤から青に変わって俺たちは歩き始めた。横断歩道を渡り、河原の堤防に続く階段を降りるまでの間に俺は少し踏み込んだことを聞いた。

「康平が穂乃果の幽霊に会ったらどうする?」

 康平は空を見つめ暫く黙って考えていた。

 彼が話し始めたのは堤防の上を少し歩いてからだった。

「四ノ宮は知らないかもしれないけどよ」

「おう」

「俺は穂乃果のことが好きだった、だからもう一度会えたら」

 知っていたし、次の言葉も何となく予想ができた。

 世界は残酷だった。

「後悔しないようにちゃんと伝えるわ」

 どうしてあの日、彼女に会えたのが俺だったんだ。

 俺なんかじゃなくて康平だったら良かったのに。

 神様の気まぐれだとか、粋な計らいだったのならそれは大きな間違いだろう。本当に神様がいるのだとしたら、やりきれない思いを抱えている康平の方が穂乃果に会うべきだ。

 そうして彼は報われて前に進むべき人間なんだ。

 それくらいの幸せを与えてくれたっていいはずじゃないか。

 俺は康平に何も言えなかった。自分で聞いておいて、返ってきた言葉の重さに押しつぶされそうになっていた。

「まあ、そんなこと考えても無駄だけどよっ!」

 康平は力強く笑った。自分の気持ちをなかったことにするみたいに。

 いずれにせよ、賽銭箱には一円たりとも納めてやるもんか。

「いやーそれにしても、四ノ宮の初恋が磯ヶ谷になるなんて意外だったなあ」

 またその話かよ、俺は苦笑しつつ話題を康平に合わせることにした。

 康平には話題がなくなると同じ話を掘り返す癖がある。そういう理由で俺たちの会話は滅多に途絶えることがない。

「んで、一か月近くも毎日話しているみたいだがどうよ? 急展開はあった?」

「んーあった」

 これでも聞いて元気出せ、康平。

 そう思ってやっぱり話すことにした。

「明日、磯ヶ谷と朝から出掛ける約束をした」

「え、マジで!? マジでマジで!?」

 康平は目を丸くして口も大きく開いたまま固まった。小説の登場人物がするような典型的な驚き方だった。

 こういう顔をしたときの康平は結構面倒臭いけれど、今日は我慢して合わせてやろう。友人として助けられた分、俺も彼の力になってあげたいという気持ちはあるからな。

「てか磯ヶ谷のどういう所を好きになったわけ? あいつ全然笑わねえし、何考えてるのか分からないし、噂を鵜呑みしてるわけじゃねえけど良いところなんか思いつかないぜ?」

「別に好きになったとかそういうんじゃないけど、強いて言うなら小説読んでくれる所とか」

 「とか」と言ってしまった。そういう言い方をするときは前もって台詞を考えておくべきだけれど、康平が怒涛の勢いで聞いてきたものだから張り合ってしまった。

 まずいなあ。

 とりあえず今日磯ヶ谷と話した時のことを思い出す。

「俺のこと怒ってくれたんだよ」

 うん、まずいことを言ってしまった。穂乃果みたいにって付け加えれば誤解されなかったのかもしれないがもう遅い。

 康平の表情からは既に興奮や笑みが失われている。

 一度深呼吸して彼は遠くの方に視線をやった。

「四ノ宮には同い年の女子に冷たくあしらわれたい願望があったのか。そりゃ通りで磯ヶ谷が適任ってわけだ……中学からの付き合いでも知らないことあるんだな」

 確かに彼女の表情は氷のように冷たかったりするけれど、話し方は普通だ。寧ろ、知的さと優しさを両立させている良い人の部類に入る。

 だからいくら康平とは言え、勘違いを正してやらねば。

 そう密かに決心したところで聞き覚えのある、というかつい先ほどまで話していた彼女の声がした。

「四ノ宮くーん! スマホ忘れてるよー!」

 俺たちのところまで走って来た磯ヶ谷はだらだらと汗を流していた。こんな猛暑だというのにご苦労なことだ。

 いや、悪いのは俺なんだけど。

「俺としたことがうっかりしてたな」

「うん、四ノ宮くん。本当にうっかりし過ぎだよ、明日どうやって連絡とるつもりだったのかなあ」

「悪かったな、磯ヶ谷」

「いいけど、カッターシャツのボタンを開け過ぎるのは少し格好悪いよ。うん、これで良くなった」

「どこの夫婦だよっ、お前ら」

 真顔で忘れ物を届けてくれた女子と冴えない男子のどこに夫婦要素があったのか知らないが、康平はにやにやしながらそう言った。そして彼は磯ヶ谷の名前を呼んだ。

 少し驚いたことに磯ヶ谷は珍しく表情に笑顔を作って答えていた。

「な、なに早瀬くん?」

 彼はその表情を見て何を思ったのか、お辞儀なんかして言った。

「うちの四ノ宮をよろしく頼みます」

「え、えっと?」

 突然の意味不明な発言に磯ヶ谷は動揺しつつ、表情からは徐々に笑顔が失われていく。

 ついに普段通りの冷たい表情になって言った。

「よく分からないけど、うん、よく分からないね」

 答えはよく分からないそうだ。そりゃそうだ。

 けれど、俺は二人を外側から見ていて懐かしい気持ちになった。一年前も三人で意味の分からない会話に花を咲かせていたんだと、ノスタルジックな気分を思い出す。

 穂乃果なら乗りにまかせて分かったと答えそうだけど。

「四ノ宮くん?」

「ああ、いや、何でもないよ」

 ぼーっとしていた。

 磯ヶ谷と康平が話している姿を眺めていて、それが存外楽しかったせいだ。

 それでもその楽しさも、穂乃果との記憶と比べてしまう。比べて、やっぱり微妙に形が違うと気付いてしまうのだ。

 磯ヶ谷を無理に当て嵌めるのはやめよう。

 やっぱり穂乃果の代わりなんかいない。

 もう二度とあの日々は帰って来ないんだ。

――この頃の俺はふとした瞬間に過去の記憶が足枷となって、自分の気持ちを否定するようになっていた。

 昔の記憶や思いを失いたくないのかもしれない。煮え切らない状態だった。

 幸せとは失って初めて気づくものだ。

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