第6話

灰色の不機嫌な空。まだ冷たい風と絶え間なく揺れるエノコログサ。

 遠く雲の隙間から光が見えて、公園の紫陽花につたう露の玉が透き通った。そんな通学路を少し進んで、河原の堤防を歩く少年が二人。康平は傘を手元で回し弄ぶ。俺はビニール傘の向こう側の景色を見ていた。

 自転車は学校に置いてきた。康平と帰るときは彼に合わせて歩いて帰るようにしている。

 そんな雨上がりの放課後と言いたいところだけれど、ついぞ雨が止むことはなかった。寧ろ、午前中より強くなっている。

 それは俺が雨男だからかもしれない。

 隣町の雨がすっかり止んでいるというのにどうして天の神様は、俺を見殺しにするのだろう。神様がいたとして罪なき人を救わぬ存在などロクな奴じゃないと思った。

 これからは初詣の賽銭額を一円にしてやろうと、どうでもいい復讐を目論んでいると康平がにやにやとしながら話しかけてきた。

「おい、四ノ宮。いつの間に口説いたんだ? 水臭いなあ、お前って奴は」

 康平が磯ヶ谷のことを言っているのはすぐに分かった。とは言え、康平が俺なんかの人間関係に興味を持つなど意外だった。だって彼は俺と違い、運動が出来てそこそこ頭も良くて、顔立ちも中々に美形なのだ。

 才色兼備の彼は当然、恋愛方面でも優れた成績を残している。

 だからこそ、実際恋をしたとしても彼には相談しないだろうな。

「磯ヶ谷はそんなんじゃないよ。康平の方こそ、また彼女と別れたんだって?」

 優れた成績という表現は親友として彼の尊厳を守ってあげようとした優しさだ。

「何で知ってんだよっ!? でもまあ、クラスであれだけ騒がれたら嫌でも耳に入るか。なんつーか、顔がタイプじゃなかった」

 それは酷過ぎるだろ。

「冗談だ、本当は胸が小さいのが嫌でな」

 それは最低過ぎんだろうが!?

「……趣味が合わなかった、それだけだ」

 それは、いや、それでいいんだった。

「康平がそう言うなら仕方ない」

 俺は康平と話すとき大抵心の中で返事をして、外側で肯定の言葉を口にする。親友である彼を出来るだけ否定したくないという思いからだ。

 つまりこれは優しさだ。

 自分に優しくしてくれる人を否定しないし、傷つけたくないと思うのは当然だ。本当は嫌なことがあっても親友のためなら我慢できる。

 我慢してから自分の話をするようにしている。

「なあ康平?」

「おう、どうした四ノ宮」

「実は今日、磯ヶ谷と考えてたんだけど」

「本当に出来てんのか、あいつと。そりゃ美人だし、好きになるのも分かるが――」

「四ノ宮くーん!」

 康平が何か言おうとしてそれを後から入った声が遮った。彼はその人物を見て慌てて視線を逸らしたあたり良からぬことを言おうとしていたのだろう。

 多分、彼女に関する噂とか冗談を言おうとしていたんだ。

「磯ヶ谷、あ、悪いな。また小説ノート忘れてたか俺」

「ちゃんと持ち帰らなきゃ駄目だよ。続き読めなくなっちゃうからね」

 短い呼吸で疲労感を惜しみなく露わにした表情で磯ヶ谷は言った。

「磯ヶ谷、変な事言っていいか?」

「うん? なに?」

「お前に忘れ物届けてもらったら申し訳ない気分になるよ」

 彼女、普通の人以上に申し訳なさそうな顔をするものだから俺は悪いことをしている気分になってしまったのだ。

「悪いことしてるからその気持ちは当然だと思うけど、私間違ってるのかな?」

 俺が何か適当な返答を考えていると、隣にいた康平がいきなり腕を掴んで前に歩き出した。黙ったまま、何も言わない彼についていくと次第に磯ヶ谷が小さくなっていった。

 小さくなっていったと言うのは置いてけぼりにしたという意味だ。

 我ながら今日は脳内描写が冴えていると思いつつ、立ち止まった康平に問いかけた。問いかけようとしてただならぬ形相の彼に言葉を呑んだ。

 すると康平が落ち着いた声で一度謝って来て、それから理由を話してくれた。

「これは磯ヶ谷夏空海の悪い噂なんだけどよ」

 やっぱり、噂だった。

 けれど。

「中学時代に友達を自殺に追い込んだらしい」

「え?」

「この噂の酷いところはその後で、友達の両親に笑顔で謝罪したってことだ」

 悪い冗談を康平は言った。

 噂は噂、話半分に聞こうと俺は決めている。

 自分で見たものしか信じないようにしているんだ。

 そんなだからいじめられたのだろうけれど、そんなだから穂乃果が助けてくれた。

 穂乃果と同じ感じがする彼女はきっと、良い人なのだ。

「どう思う?」

康平はこの手の話が好きなのか、やたらと雰囲気を作りたがる。

 怪談小説に出て来そうな剣呑な話し方だった。

「噂とは言え、酷い話だな」

 適当な相槌を打って、それから暫くは他の変な話をして康平と別れた。


 家に帰って日が暮れると先程の雨はどこかへ消えてしまった。本当に神様は俺のことを嫌いなんだと陳腐なことを思ったが、そんなことどうでもよくなるくらい今日は最低の日だった。

 父親が帰って来て暫くすると母親の金切り声が聞こえて来た。初のカミングアウトになるのだけれど、俺には中学生の妹がいる。お兄ちゃん大好きっ子みたいな小説の中の妹ではなくて、不登校のもっと残酷な女の子だ。どうやら今日は妹を進学させるかさせないかで揉めていたらしい。

 まあ、たまにあることだ。だけど僅かに憂鬱にはなる。

 悲しい時は夜更かししちゃいけないと、くるくるパーマの心理カウンセラーの先生が言っていた。アフロだったか、カールだったかは覚えてない。二年も前の話なので許せ。


――八時半、だから今日は早く寝ることにした。眠る前にメモ帳から幸せとは結婚することというのを消した。結婚しても幸せじゃない夫婦もいるからだ。


――九時、携帯の振動で目が覚めた。


――ああ、デジャブだ。

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