第4話 ちょっと色々鈍感過ぎるよ



 しかしまぁ、とりあえず騒がしい襲来者は去った。

 辺りには、お気に入りの静けさが再び戻ってくる。


 

 息を吐いて、視線を再び自身の本へと落とした。


 続きを読もうと文章を指でスラリとなぞりながら、しかし私は思わず思い出し笑いを人してしまう。

 するとイアンが雰囲気で気付いたのか、「どうしたのか」と尋ねてきた。


「いえ、あんなに残っていたのに1人で全部食べちゃうなんて、そんなにお腹が減っていたのかなと思って」


 ふふふっと笑いながらそう言えば、イアンに呆れた様なジト目を向けられた。


 何故だろう。

 そう思っていると、彼はこれまた全く隠す気の無い呆れを含んだ声で告げる。


「君があげるの嫌そうだったから、早く全部食べたんじゃないか」

「えっ、そうなの?!」

 

 まさかの私の為だった。

 そう知って、驚いたままにそう聞き返す。

 するとイアンは少し不服そうな顔になって「何で僕がそんな嘘つかなきゃならないんだ」と軽く口を尖らせた。


 たしかにその通りである。


「君、意外と負けず嫌いでしょ。だからああいう言い方をされたら断固として拒否するのは目に見えて分かっていたし、見てた感じ向こうは向こうで全く引く気がなかったみたいだし。なら争いの種を無くすしかないじゃないか」


 そんな風にツラツラと説明する彼に、私は「今日は珍しく口数が多いな」なんて不謹慎な事を思いながら苦笑した。

 苦笑したのは、彼があまりにも私の心をお見通しだったからである。



 ぶっちゃけ別にクッキーの一二枚、あげても良かったのだ。


 全部持っていかれると口寂しくなってしまうからちょっと困ってしまうけど、だからといってそこまで狭量なつもりもない。

 素直に「一枚くれないか」と言ってくれれば、きっとすぐにあげただろう。


 だけど。


(あの偉そうな態度や言葉が、どうしても私にソレを許容させなかった)


 そんな風に、振り返る。



 さっさと渡してしまえば、すぐに静けさが戻ってきただろう。

 それが分かっていて、尚嫌だった。

 ここで負けてはいけない気がした。

 

 そんな私の心の機微を例えば一言で言い表すとしたら、それは確かに『負けず嫌い』という言葉なのかもしれない。

 



 見透かされて、ちょっと嬉しいやら恥ずかしいやら。

 そんなむず痒さを押し流すために、イアンに向かってヘラッと笑った。


 すると彼は、一体何を思ったのか。

 手に持った本にサッと視線を戻した後、ペラリとページを捲り始める。



 一枚、二枚、三枚。

 何枚も捲られるページは、明らかに読書が出来ていない。


 どうしたのかと思って表情を確認しようにも、本に目を落とす彼の顔は長い前髪のせいで影になっていてよく見えない。

 ちょっとだけ耳が赤い気がするが、もしかしたら光の加減による気のせいかもしれない。





 少しの間彼を観察したのだが、結局分かったのは「別に機嫌を損ねてしまったという訳ではないらしい」という事だった。


(まぁ、怒ったりしてるんじゃないなら良いか)


 結局私はそう結論付けて、再び膝の上の本に目を落とす。

 

 そうして心地よい静けさが戻ってきた空間で読書を再開し、幾らか読んで時間が経った後。

 私は不意に一つ疑問を思い出して、ポツリと呟いた。


「あれ? そういえば、何で私の名前知ってたんだろ……?」


 ここを去る時、殿下は置きセリフで私の名前をフルネームで言っていた。

 しかし私は、今まで一度も殿下自身と直接会話をした事が無い。

 勿論王族への謁見で名前を述べた事はあるが、それだって数回だけだし、あちらは1日に沢山の貴族と会話するのだ。

 何の接点も無い一子爵家の三女の名など、覚えている筈がない。


 

 ならば、一体何故。



 そんな風に呟けば、イアンがバッと顔を上げた。


 まるで信じられないものでも見でもしたかの様な顔でこちらを凝視してくる彼に「一体どうしたのか」と首を傾げる。

 すると彼は、何か説明しにくい事でもあるかの様に「あー、えーっと」と頬を掻いた。


「……多分、全員の顔と名前を覚えてるんだよ。王太子だし」

 

 そう言われ、私は「なるほど」と納得し、同時に感心の念も抱いた。


「凄いのですね、殿下は。……しかし大変そうです」


 だって、そうでなくとも彼は補修の常連になるくらい頭が悪いのだ。

 それなのに、この国の貴族全員の顔と名前を全部覚えているなんて。

 そうなるまでには、一体どれほどの努力をしたのだろう。



 私は彼を、今の今まで横柄でバカで最低限の礼儀も知らない人間だと思っていた。


「私、ほんの少しだけ彼の事を見直しました。まぁだからといって出来れば2度と関わり合いにはなりたくないですが」


 そんな風に呟くと、イアンがポツリと小さく言った。


「……ちょっと色々鈍感過ぎるよ。全員の名前なんてアレが知ってる筈無いじゃない」


 聞こえなかった。


「ん?」


 聞き返す事で言外に再度言葉を要求すれば「何でもないよ」と彼は言う。

 そんな彼に「まぁ良いか」と思いながら、私はまた本の世界へと戻るのだった。



 ~~Fin.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る