第15話 不審な事故

カーテンの隙間から眩しい光が差し込んでいた。いつもなら、きちんと閉めているのに…。この部屋は分厚い遮光カーテンで全ての光を遮ることが出来るようになっていた。これは、叔父さんの案だった。

「よく眠れるように…。快眠が大事だよ。」って笑ってったっけな。

この部屋は、いつも薄暗かった。防音設備も行き届いていて、じっと蹲っていると、暗い森の中にいるような気分になる。

ここは、元々は私の寝室だったが、母の病気が悪化している時は一人で閉じこもるためにだけ使っていた。気分の浮き沈みを抑えるためには丁度良かったのだろう。

そう、大声を挙げても、物を投げつけて壊してしまっても、外には響かないから…。

母は常に何かに怯えていた。

今思えば、思い出したくない記憶と戦っていたのかもしれない。

自分が塗り替えた幸せな記憶と、辛く当たられた本当の記憶と…。


窓の外は、昨夜の大雨とは打って変わり、心が晴れ渡るような快晴だった。

カーテンを開けて、ベランダの外に出て、大きくの伸びをするついでに深呼吸をした。都会の排気ガスの匂いと微かに甘い匂いがする。どこかで花が咲いているのだろう。くちなしの花の香だろうか。


昨夜のおじいちゃんの声が耳の奥に蘇って来た。

「……零ちゃんの叔父さんが赤ちゃんを抱いてやって来たんだ。

この子を妹の涼子と息子の健太さんの娘として育てて欲しい…と。」


考えても現実から目を逸らすことはできない。

気を取り直して、部屋に戻り、エアコンをつける。

そして、携帯電話の電源を切ってベッドに潜り込んで寝てしまっていたことを思い出した。

どうせ、私に連絡してくる人なんていないだろうけど…。

いやいや、おじいちゃんはあれから電話してくれていたかもしれない。

心配かけちゃったかな。でも話したくなかったし。


携帯電話ってさ、電源入れてからの数秒が長いんだよね。

うーん。数秒だから長くないのだけど、待てないって言うか…。

誰に話すでもなく、独り言をブツブツ言ってしまった。

あ。画面が出てきた。暗証番号を入れて…。


「ピンポーン!」


マンション入り口で押していると知らせるインターフォンが鳴った。

誰だろう。携帯の時計は9時34分を示していた。宅急便は頼んでないし…。


インターフォンカメラに映る顔と交互に携帯電話の画面を見ると恐ろしい数の着信が目に映った。

え?


「朝早くからすみません。××署のものです。

田中零さんの御宅ですか?ちょっと田中誠さんの件で伺いました。」


「はい、直ぐ開けます。」


田中誠…?あー、おじいちゃんの名前だ。名前を聞いてもピンとこないのは、私の中でおじいちゃんは「おじいちゃん」が名前になっているから。ちょっと苦笑してしまった。

待ち時間に携帯電話の着信履歴をざっと確認する。

固定電話なのに下3桁に110番が付いている番号が数回あった。恐らくこれが、××署のものだろう。それにしても、警察の固定電話ってなんで下3桁が110なのか…。

あれ?舞ちゃんの自宅からも着信がある。ん-?


程なくして、お巡りさん達は玄関まで辿り着いたようで、再度玄関のインターフォン用の音が鳴った。

ドアを開けると、警察官の制服を着た男性が2名、ご丁寧に警察手帳を見せながら身分を明かしてくれた。


急に心臓がドキドキしてきた。


「田中零さんでお間違いないですか?

実はですね、昨晩、○○町にある田中誠さんの御宅が火事になりまして…。

大雨でしたので、周囲の家への延焼はなかったのですが、焼け落ちた家から男性のご遺体が見つかりまして…。

田中誠さんとも連絡が取れず、緊急連絡先の田中零さんのご携帯に連絡しても繋がらなかったので、町内の連絡先に記載されていた田中零さんのご自宅に伺ったのです。

確認のため、ご遺体の安置所まで一緒に来て頂きたいのですが。」


事務的な口調で淡々と話す内容に、心が追い付いていかない。


「ちょっと待ってください。昨日おじいちゃんの家に行って話したばっかりで…。

その時は元気に生きてたし。何かの間違いじゃないですか?

え?火事?え?うそでしょ?いや。まさか…。

本当に○○町ですか?田中誠って家は、他には無いですか?

いやいやいや…。うそでしょ?」


戸惑う私の態度をじっと観察するかのように冷静に頷きながら警察官たちは、事務的に事をすすめていった。動揺する私をなだめすかして、準備をさせパトカーで遺体安置所に連れて行き、遺体と対面させたのだ。

恐らく、急な火事などの死の場合、どこの家族も似たような行動をするのだろうか。

ほんの少しの慰めの言葉と誘導…本当に手際が良かった。


有無を言わさない誘導の先の遺体安置所には、肉が煤けて焦げた匂いが充満していた。

人を乗せて運ぶストレッチャーには、白い布が全体を包み込みこむような形で覆いかぶされていた。


「確認頂けますか?」


そっと白い布を少しだけめくると、焼け焦げたおじいちゃんの顔が見えた。


「田中誠さんでお間違いないですか?」


「おじいちゃ…」声を掛ける間もなく、吐き気が急に来た。

朝から何も食べていなかったからか、苦く酸っぱいものが口いっぱいに広がったが、辛うじてティッシュで受け止めきれる程度だった。

付いてきていた警察官が、すかさずビニール袋を手渡した。


「ご愁傷様です。恐らく検死をすることになるかと思います。田中誠さんのご自宅にも調査が入りますので、ご承知ください。

落ち着かれましたら、署でお話しを伺いたいのですが。」


頷く私を女性の警察官が遺体安置所から殺風景な部屋に案内してくれた。

気分を落ち着かせるためだろう。


◇◇◇


この後のことは。あまり覚えていない。

昨日のことを色々聞かれたが、私がおじいちゃんの家に寄って帰宅したのを近所の人が見ていたらしく、しつこく聞かれることもなかった。

おじいちゃん家からはタクシーの乗って帰ったことも、その後全く外出せず、自宅に引きこもって寝てしまっていたことも深く追求されなかった。

恐らくタクシー会社に連絡を取ったり、このマンションの防犯カメラでも確認したのだろう。無駄にセキュリティがしっかりしていて、お高いマンションだからこその恩恵かもしれない。


おじいちゃんの寝たばこが原因の失火だろうという見解だった。

寝たばこだけならば軽いボヤで済んでいたはずが、お酒を飲んでうっかり寝てしまい、近くにあったオイルライターに火が移ってしまったらしい。

おじいちゃんの寝室が一番焼けていたようだ。

でも、何故寝たばこなのに、おじいちゃんの顔の火傷はひどくなかったのだろう。

それに…。

たばこが好きなおじいちゃんではあったけど、部屋に臭いが移るのが嫌で台所の換気扇の元でしか吸わなかったのに…。

オイルライターなんで持っていたかしら?たばこの火なんて百円ライターで十分だと言っていたのに…。

だけど、おじいちゃんが誰かに殺されるなんて考えられない。

あんなに優しい人が誰かに恨まれるなんで想像できない。


ぐるぐると思い悩んでも答えは見つからなかった。









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