第14話 祖父の告白
21歳の誕生日には帰宅するように…とメールが入っていたのは、夏休み前だった。
祖父は、産婦人科を開業する医師であり、私の尊敬する人の一人でもある。
70歳をとうに過ぎているにも関わらず、メールやチャットを使いこなし、医学の研究を探求する優しいおじいちゃんだと思っている。
私が0歳から7歳までと10歳から18歳までの15年間、守り続けてくれた人だ。
…だけど、何とも言えない違和感があるのも確かだった。
歳を兼ねるごとに、言い知れない何となくだけど確かな心の距離が生まれてしまったように感じていた。
だからこそ、全寮制の大学に進学したのだけどね…。
大学に進学してからは、誕生日やお正月などの季節のイベントでメールのやり取りをする程度…、地元に戻るときには母が残してくれたマンションにひっそりと隠れるように寝泊まりをしていた。
年寄りだから話が合わないって、そういう感じじゃない、多分…。
◇◇◇
久し振りの祖父の家の前に来て、心の底から驚いた。
淡いピンクの花を咲かしていた大きなモクレンの木や深紅の可愛い花をつけていた枝垂れ梅、白と赤の花をつける山茶花の樹木だけでなく四季ごとに咲く花の全てが庭から無くなっていたからだ。
恐らく除草剤も撒かれたのだろう、植物の全てが茶色くなって枯れ果て、掘り起こされた土はむき出しのまま放置されていた。
ゴクリと苦い唾を飲み込み、私は祖父の家のチャイムを鳴らした。
ジジジ-っと私の顔を映す玄関のインターフォンカメラの音…。
「いらっしゃい、今開けるよ。」
聞きなれた祖父の声にホッと肩を撫で下ろし、私は深呼吸をした。
何故こんなに緊張しているんだろう。
二人分の麦茶をダイニングテーブルの上にコトンと置くと祖父は所在なさげに自分の手を見つめた。
部屋は片付いてはいるが、所々に埃が溜まっている。
キッチンはあまり使っていないのだろうか、シンクの隅にはカビが生えていた。
私が居た頃のこの家には観葉植物が沢山あり、清々しい空気に包まれていたように感じていたのに、今は植物が入っていた鉢さえ見当たらない。
祖父は、意を決したように立ち上がると、大事なものを入れるリビングの引き出しからビニール袋を取り出し、私の目の前にそっと置いた。
これは…。
ビニール袋に入っていたのは、4年前に亡くなった叔父さん、つまり母の兄の奥さんの指に残っていた指輪だった。
何度も見たから覚えている。
あの事故の時に唯一残った、二人の遺品…。
あの時警察から、この指輪の持ち主が本当に叔父さんの奥さんだったのか聞かれ、私は何度も確認作業をさせられた。
16歳だった私から言わせれば、叔父さんの奥さんの結婚指輪をまじまじと見ることなんて無かったわけだし、そもそも外した内側なんて絶対見ないじゃない?
この時に初めて奥さんの名前が『奈々』さんだってことも知った訳だし…。
いや、多分の叔父さんの奥さんの名前は聞いていたのかもしれないけど、叔母さんって寡黙な人だったし、私が話しかけても微笑むだけで、いつだって隣にいた叔父さんがいろいろ喋ってくるから…。
当時の私は、そんな事をいろいろ考えながら、恐らく叔母さんの指輪だと思うって答えた。指輪の形は覚えていたからね。
この指輪には、蔦の葉が描かれ、葉にはダイヤモンドが散りばめられていた。指を動かすとキラキラと光る指輪が綺麗だったからだ。珍しい模様だとも思っていた。
この指輪の内側には、『Tto77』と彫られていた。
叔母さんの名前の『奈々』を『77』て言い換えるジョークが叔父さんらしい…って思ったんだ。
「これをお前に、零ちゃんに返そうって思って呼んだんだよ。」
「返す?」
「ああ、これは21歳になる零ちゃんに渡すよう頼まれたものなんだよ。
そして、全てを話す時期が来たんだ。零ちゃん、落ち着いて聞いて欲しい…。」
おじいちゃんは、目の前にあった麦茶を一口飲むと、大きな溜息をついた。
「どこから話せばいいのだろう。
まず、零ちゃんが父親と思っていた私の息子の話から始めよう。
息子、健太は女遊びが激しい男だった。いろいろな女性と遊び歩く最低な奴だった。何度注意しても止めず、子どもが出来たら私に中絶を頼むような馬鹿な子だったよ。
零ちゃんのお母さんのそんな女性の一人だった。
でも、君のお母さんは、どうしてもお腹の子どもを産みたいって言ってね…。
中絶が可能な時期を何とか逃げて過ごして、大きくなったお腹を抱えてこの家に来たんだよ。
そう、あの日健太は、俺の子じゃないって、涼子さんのお腹を散々蹴り上げて、飛び出して行ってしまった。
そして、交通事故を起こし、あっけなく死んでしまった。
残された私達夫婦は、慌ててしまったよ。
涼子さんの子どもは、健太の暴力による胎内死亡…。
馬鹿息子は交通事故で亡くなっただけでなく、殺人の罪まで背負ってしまった。
涼子さんは、ショックで精神的に参り、現実を受け入れることも出来ない状態になってしまっていた。
そんな時に、零ちゃんの叔父さんが赤ちゃんを抱いてやって来たんだ。
この子を妹の涼子と息子の健太さんの娘として育てて欲しい…と。
私達夫婦はね、それまで慎ましいながらも誠実に生きてきたんだ。
息子の健太の育て方は間違ったしまったかもしれないが、世間様に殺人者の息子がいると後ろ指をさされるような、そんな後世は嫌だったんだよ。
精神に異常を来たしていた涼子さんは、零ちゃんを自分が産んだ子だと思い込み、すぐに母乳をあげ始め、零ちゃんはすくすくと大きくなっていった。
私達夫婦は、涼子さんの死産さえ誰にも知られなければ、健太が死んだあとも孫を可愛がるいい祖父母になれたんだ。
それで、全て丸く収まると思っていたんだ。
零ちゃんは素直でいい子に育った。
涼子さんの精神的な病気も、何とか落ち着き平穏な生活が過ごすことが出来ていた。二人がこの家を出るまでは…。
零ちゃんとお母さんが二人で生活を始めるようになってから、急に涼子さんのお兄さんが、あんたたちの生活に干渉を始めた。
覚えているだろうか?この家に泊まるに来るよりも、叔父さんの家に行く方の回数が多かったことを…。
零ちゃんが小さい頃は、叔父さんの家へのお泊りが月に1回程度であったのが、年を重ねるごとに多くなり、零ちゃんは私の知らないことを覚えて帰ってくるようになっていった。
生物学など、医学を知っている私以上の知識を学び、得意げに話す零ちゃんが時に恐ろしくもあり、疑問にも感じた。
涼子さんのお兄さんは一体何者なのか。
零ちゃんは誰の子なのか…。
幸いにも私は産婦人科医であり、遺伝子の研究も出来る位置にある。
零ちゃんのDNAを採取し、涼子さんのDNAと比較することで二人の血縁関係を調べたんだ。
そして、分かったこと…。
涼子さんが亡くなってから、私はお兄さんと会って話したよ。
そう、零ちゃんのことを話し合ったんだ。
お兄さんが事故に巻き込まれるだろう予測は、ご本人が一番理解していた。
亡くなったあと、どうすればいいかも私に託してくれたんだ。
零ちゃん、君が21歳になったら、この指輪を渡して欲しいと頼まれていたんだ。
零ちゃんは、叔父さんと一緒に過ごした『森』でこの指輪をつけて欲しい。
亡くなる前の叔父さんからの遺言だよ。
そして、この通帳を渡すね。
これは、零ちゃんの叔父さんの遺産だ。
零ちゃんの好きなように使えばいい。
零ちゃん、21歳のお誕生日、おめでとう。
零ちゃんのこれからに幸多かれと願うよ。」
おじいちゃんの話が終わってから、どこをどうやって母のマンションまで行き着いたのか覚えていない。
私の名義の通帳には、信じられない位の金額が記載されていた。
おじいちゃんの孫じゃなかった…。
お母さんの子どもじゃなかった…。
何がどうなっているのか、何も感じられない、考えられない、考えたくない…。
その日の明け方、消防車のサイレンが聞こえた気がした。
私の携帯電話のバイブルが何度も震える。
今は誰の声も聴きたくない…。
携帯の電源を落として、私は深く眠った。
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