喫茶店、二人

 今日の仕事を終えて、店の片付けをしながらふと思う。


「それにしても朝一番でお客さんが来るなんて珍しかったな......」


 ただでさえこの店は閑散としていて、いつ潰れるのかと心配されるような場所だった。


 客が入っていないことの方が珍しくて、ふとドアを開ければ本を読む私の姿以外見えないほどだ。けれど今日は少し違う、ほんの少しだが違った、お客さん、それも同級生、高校生の女子が店に来たのだ。


 綺麗な銀髪だったなぁと、思いながら床に落ちていたメレンゲの破片をちりとりで掃いてゴミ箱に入れる。


 学校でもおそらくモテるのだろう、顔もよく整っていたし、性格も悪い方ではなかったように見える。本来学校の時間に店にきたのが印象的で、今日一日強く記憶に残っていた。


 椅子を正していると、五時のチャイムの聴き慣れた音楽が近くの公園から聞こえて、ふと外を見る。笑い声が聞こえた、陽気な声で、心底楽しそうだった。店の大窓、外がよく見えるそこから商店街を歩く同級生の姿が見えた。


 自分が通っていた高校で、紺色の制服と赤いリボンがよく目立つ服装だった。

 男女で仲睦まじく歩く彼ら彼女らは肉屋のおばちゃんのところで買ったのか、コロッケを二人で食べている。窓に手を当てて、なぜか目が離せなくて、その光景は両目にしっかりと焼き付いていく。


 夕日に照らされる中、二人はやれ、期末テストが大変だとか、宿題が多いよね、とか、甲子園目指して頑張れとか、くだらない会話を尊ぶように幸せそうに話している。


 窓、光に照らされて自分の姿が映る。


 ドアの隙間から入り込んだ風が長い赤い髪を揺らして顔にかかる、窓に映った碧眼は夕陽の茜色と同化してまさしく空のようだ。少女然とした顔、幼さの残る顔に小柄な体。それらを見て思うのは、もしこれが他人を見ているのであれば美少女と言って差し支えないだろう、だ。


 それは間違いなく自分の容姿であった、日本人離れした碧眼、赤い地毛、病的なまでに白い肌から覗く血管、少し高い鼻。


 どこからどう見ても少女な容姿。


 私、高橋鏡花にはとある悩みがあった。

 それは具体性に満ちたもので、ふと鏡や窓を見やれば腑に落ちるものである。


 自分の容姿はまず間違いなく少女然としたものだった、もし自分が女性であれば、喜ぶべき特徴に満ちた顔は男からすれば違和感に変わる。夕陽に照らされてより一層赤く見える髪を握りしめて、腕に巻きつけたゴムで留める。


 先程の生徒らが着ている服を見て、自分は行っていた高校と内心で表現した。

 間違いではない、今の自分は不登校で、一年生の終盤から学校に通わずに喫茶店で紅茶を淹れている。


 祖父が海外で口説き落とした祖母、彼女の遺伝か何かで完全に日本人らしくない容姿になってしまった、結果的に世間一般で言う虐めというものを体験して、心の底から弱りきったところで両親が事故に巻き込まれて他界。


 心を病んで、自暴自棄になっていたときに叔父に引き取られて喫茶店へ。

 今は色々あってこうして喫茶店で働いてはいるが、あまり店から離れて外に出歩くことはできない。


 こうして髪の毛を伸ばして、女性らしい格好をしているのも、別の何かになりたかったからだ。


 前に住んでいた家は既に引き払って誰か別の人が住んでいることだろう、高校にも行っていないし、教師も今自分がどこに住んでいるかも知らない。


 そもそもいまだに自分が高校生なのかすらわからない。人生でいうところの八方塞がりの状態で、店からもほとんど出られない、ある意味での引きこもりでしかない。


 半年の間、私はーー俺は一度たりともこの商店街を出ていなかった。

 出ようとは思った、けれど出れなかった、吐き気がした、足がすくんだ、だからこそ安全な喫茶店で紅茶を淹れている。


 いつかでなくちゃいけないのはわかっているけれど、それが恐ろしくてしょうがなくて、一歩踏み出すことができなかった。


 だからこそ今日もこうして髪を結いて、店を掃除して、道行く学生の姿を視界に止めて足を止めている。







 帰り道、人生初めての買い食いとやらと、喫茶店を体験して、商店街を出る頃にはすっかり夕焼けが茜色の空を描いていた。写真を撮ろうとスマホを取り出して上を仰げば通知が一つ目に留まる。


 どうやら組の人がお迎えに来てくれるようで、やれ病み上がりに外に出歩くなとか、一人で行動しないで若いのでも連れて行けとか。


 過保護にも程があるなぁと思う、私は年齢で言えば高校生だし、きっと、頑張れば夏休みに入る前に高校に入学できるはずだ。


 高校生女子にもなれば外に出歩いて、買い食いぐらいするだろうに、それに。


「ねぇねぇあの人ヤクザって言うんでしょー!」


 と、小学生ぐらいの子供が大きな声で母親に言った。


「こらっ!指を指しちゃダメよ、行くわよ」


 と、小学生の少年の母が子供の手を引いて逃げるように歩いて行った。


 少年が指さした方向を見れば黒塗りの高級車が数台停まっており、それを避けるように道行く人々は顔を逸らしてわざわざ回り道をして商店街へと入っていく。

 特に目立っていたのは額に傷のある男で、タバコを口に咥えてキョロキョロとあたりを見回している、服装は黒塗りのスーツで少なくともカタギには見えないなぁと思う。


 呆れたため息を吐くと、私の姿に気づいたのか男はにこやかな笑顔でこちらに駆け足で寄ってきた、タバコくさい。


「臭いです」


「お嬢!また屋敷を勝手に抜け出して、組長にどやされるのは俺らなんすよ!」


「わかってますけど、私もう高校生だから大丈夫です!」


「と言ってもうちの島を荒らすバカがお嬢にちょっかいかけるかもしれないでしょう!組長だって気をつけろって言ってたでしょ!」


「もう子供じゃないので大丈夫です、過保護なんですよ」


「お嬢ぉ〜!」


 そう、これが問題だ、道行く人々が意外そうな顔であれやこれやとこそこそ話を始めている。視線が集まるのも無理がないと思う、悪目立ちしているし、何よりこの男ーー鬼瓦の声が大きいし顔が怖いせいで完全に怯えられている。


 無論それと普通に話しているお嬢ーー組長の孫娘たる私も奇異の目で見られている。


 何台も並ぶ黒塗りの高級車にぎゃーすぎゃーすと騒ぐ黒スーツ、明らかにやばいですと言っているようなものだ。これだから若いのを連れてけと言われても嫌なのだ、顔が怖いし、うるさいし喧嘩っ早い、悪い奴らではないが一緒に出歩きたくない。


「それにしてもお嬢、随分と楽しそうですね、何かありましたか?」


「......初めて喫茶店に行ったんです。店主の女の人も良い人でお茶も美味しくて、本当に楽しかった」


「そりゃあよかった、ずっと病気で辛そうにしてたんで楽しそうで嬉しいっす。さあお嬢、親父が待ってるんで帰りますよ」


 ああ悪いやつじゃない、本当に慈しむ顔でこう言うことをいう愛すべき馬鹿だ。


 そっと鬼瓦は後部座席のドアを開ける。フカフカの上等なシートに座ってシートベルトをカチリと鳴らして閉める。


「そういえば喫茶店ってあれっすかね、あの小洒落た店、しょんべんくさいガキどもがキャーキャー言ってる場所でしょ?」


「鬼瓦、多分それタピオカショップと間違えてます。喫茶店はお洒落な場所で紅茶を片手に優雅に時間を過ごす場所なんです」


 懐、肩掛け鞄の中から紙袋いっぱいに詰まったメレンゲを取り出して一つ口に放る。しゅわしゅわと溶け行く独特の舌触りとともに、甘みが下の先を刺激する。ふんわりとひろがるやさしい甘みを飲み込んで、また一つ放り込む、そうすると幸せ成分が引き継がれてさらに幸せになれる。


 人はきっと甘いお菓子を食べるために生まれてきたのだろう。


 助手席に座る鬼瓦はあたりを警戒しながらピリピリとしている、きっと砂糖が足りないのだろう。私からの精一杯の優しさを込めてメレンゲを渋々一つ取り出して、助手席に差し出す。


「鬼瓦、一個どうぞ」


「?なんすかこれ?ヤクですかい?」


「これはメレンゲってお菓子です、何でもかんでもそう言うものに結びつけないでください」


「すみませんお嬢、なにぶんそう言うのに疎いもんで」


 ヒョイっとつまみあげて口に放り込むと、おぉ......と鬼瓦は感嘆の声を漏らす。そうだろうそうだろう甘いものは素晴らしいだろう。


「美味しいですよね」


「こりゃあ案外行けますね、酒があったらつまみにちょうどよさそうっす」


 やっぱり酒に行くか、この飲兵衛め。

 心の中で悪態をついて、はぁ、と深くため息を吐く。


 私、大島翔子オオシマショウコには一つの悩みがあった。


 大島組と呼ばれる世間一般で言うヤクザ、その組長の孫娘がこの私だ。

 子供の頃から病気がちで、あまりヤクザヤクザした側面は見てこなかったが無事に闘病終了。家に帰ってみればお嬢と呼ばれ、頭を下げられる日々、食事はお刺身か肉ばっかりだし、洋食なんて出てきた試しはない。


 ある飲み物は酒か酒か酒、結果的に自分で買ってきたペットボトルのお茶が唯一の飲み物。


 堅苦しいヤクザの、それも割と古い家の孫娘となれば立場は雁字搦めで息が詰まりそうだ。


 ヤクザとしか話したことがないせいで、同級生とかのカタギの人との話し方はわからないし緊張する。癌治療を終えて高校に行けるようになったのは良いのだけれどろくに話せる自信がない。


 そんな悩みを抱えて人生初の喫茶店に入ってみたのだが......。


「店の人、可愛かったな......」


 お人形さんみたいだった、外国人みたいで、赤い髪に白い肌、碧眼なんて初めて見た。ナチョラルな色合いからして地毛だろうし、物腰も落ち着いた優しい雰囲気の人で心が安らいだ。


 またきて良いかと聞いたら、もちろんと答えていた。


 もっとお話ししたいなぁと思う。カタギの人との交友関係が少ないものだから、普通のお話ができる相手は貴重なのだ。もしも、もしもだけれど彼女が心の許せるような人になれば私の『秘密』も相談できるかもしれない。


 窓を見たら、驚くほど緩みきった笑顔を浮かべる自分の顔が見えた。


 それをミラーで見たのか何か、鬼瓦はニヤリと笑って。


「お嬢本当に良いことがあったようで嬉しいっす。組長も話を聞いたら喜びますよ」


 ......ああ、そうだ、自分は今日屋敷を抜け出したのだ。

 おじいちゃんも心配しているだろうし、何があったかぐらいの説明はしなくては行けないだろう。


 めんどくさいなぁと思うと同時に、人生で初めて早く明日にならないかなと心の底から思ったのであった。

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