喫茶店、紅茶とお菓子と男の娘。

@Kitune13

喫茶店、少女と紅茶と男の娘

 喫茶店の朝は早い、まずは店内の見回りから仕事は始まる。


 朝八時に開く店のスケジュールに遅れないように六時には店に入り、机周りを入念にチェックするのだ。前日に店内の掃除は無論終えている、終えているのだが、見落としているゴミや埃が残っていれば快適とは言えない。


 少々神経質とも言えるぐらいの確認を終えて、用意しておいた布巾で机を拭けば朝陽がキラキラと映る。


 椅子の配置を整えて、全ての席にカトラリーが十分な量あるかどうかを確認して、足りなかったフォークとスプーンを補充。紙布巾を補充しておいて、カウンターに置いたメニューをきっちりと。


 特にそこまでやる意味はないのだろうけれど、喫茶店として、お客さんの休憩場所として快適なようにしたいのだ。

 喫茶店ではだべるべきだと思っているし、ゆっくりと流れる時間を感じながら本を読むのもいい。芳しいコーヒーや紅茶の香りは最高のお供だし、小腹が空いたのなら軽食を頼むのも一興だろう。それはきっと最高の贅沢ではないだろうか。


 そんな止まり木のような休憩場所である喫茶店として、できるだけ綺麗に整え終えて、掃除道具などを整理整頓片付け店のドアを開く。


 爽やかな風が商店街を突き抜けて、顔に赤い髪が掛かる、手で払いのけて店の窓を見る。

 腰まで伸びた緋色の艶やかな髪の毛に、いっそ不健康なほどの白い肌、澄み渡る青空のような碧眼が見返してくる。

 口元に指を当てて、口角をあげる、笑顔の練習を一度してから、よしっと気合を入れる。

 後二十センチぐらいは身長が欲しいな、と思う。


 百五十センチでは少々男として身長が低い部類に含まれるのではないのだろうか、と。

 毎朝クヨクヨと気にすることをまあ、しょうがないとため息をついて『CLOSED』と書かれた小洒落た木の板を裏返せば、『OPEN』という単語となって開店を知らせる。


 朝早くから照りつける太陽、空を仰げば夏空の雲ひとつない快晴が広がっていた。


「今日も冷房つけなきゃダメそうだなぁ......」


 七月下旬、少年少女が夏休み前の活気に溢れて駆け回る時期。朝早くから鳴く蝉の声が景気よく響いている。


 店に入り、冷房のスイッチをポチッと押してカウンターへと戻る。

 ごうごうと少し怪しい音を鳴らして冷房は動き出し、冷たい風を吐き出し始める。店は至って静かで客の気配は無い、いつも通りの様子に安堵とともにあまりの繁盛ぶりにため息を吐いた。


 文句を言ってもしょうがないので、カウンターの下から休憩用の椅子を取り出して、ポケットの中から小説を出す。ここ最近のマイブームはシャーロックホームズ、推理ものは適度に頭を支えてどきどきと興奮しながら読める。


 常連さんがくる昼ごろまでひどく閑散としている店の中は、あまりにも暇すぎる。


 あいも変わらず殺される被害者と見つけて泣き叫ぶ人物A、お決まりの定石に沿って物語は進む。はて、シャーロックホームズにこのような展開があっただろうかと思い今一度表紙を見てみると、名探偵ゴルゴール14という少年漫画のノベライズ版だった。そりゃあ違う訳だと思い、本を開き直す。


 年齢不詳の殺し屋が敵の罠に嵌り毒薬を飲まされる話だ、目が覚めた時には幼女となっていて、たまたま出会った警官にアドバイスをしながら事件解決に導く話だ。

 倉庫の奥に置いてあったのを見て読もうと思ったんだった、完全に忘れていた。


 被害者がお決まりのセリフを言う、殺人犯とは一緒にいられない、こんなところ出て行ってやる。と。


 チャリンチャリーン......

 絶妙なタイミングで鈴の音が響いて、小説と奇跡のシンクロナイズを果たす。風鈴を置いた覚えはない、と、いうことは鈴の音の出所は空耳か店の入り口かの二つになる。冷房で冷え始めた室内にもわっとした生暖かい空気が流れ込んできて、夏の到来を知らせる。


 鼻腔をくすぐる甘い香りにふと顔を上げれば少女の姿が目に映った。恐る恐ると言った様子で、店のドアを開き、キョロキョロとあたりを見回している。


 齢は私と同じぐらいで、おそらく高校生ぐらい。整った顔立ちに見慣れない豪奢な銀髪。処女雪のように曇りない美しい肌は陽の光で一層白く見える。店の中を見回す茶色の目はくっきりとしていて可愛らしい。


 どうやら初めて入る店にどうすればいいかわからないようで、店に入るか入らないかという状態で止まっている。


 果てどうしたものかと思う。下手に声をかけるというのもどうかと思う、ああいう客はごくたまに結構いて、少々かなり挙動不審となってしまうのだ。お客様は神様ではないけれど、もてなす相手なのだ、おもてなしするお客様が当惑している、どうしよう。


 パチリと目が合う、身長が低いせいで、カウンター越しに私の顔が見えていなかったのか驚いたらしい。


「お人形さんみたい......」


 耳の奥からぎゅっとなるような綺麗な声が聞こえて、思わず感嘆の声を漏らしそうになる。けれど状況は改善された、ふと慌てて彼女は自分の口を閉じてごめんなさいと言いそうになる。会話の糸口を潰してなるものかと、精一杯の笑顔を浮かべて一言。


「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」


「はっはい!」


 キョロキョロともう一度店内を見回して、どうしたものかと数秒迷った後遂にドアが閉じる。しっかりと店の内装を見て、彼女は息を呑んで立ち止まる。


 無理もない、この喫茶店はなんちゃって西洋風喫茶店ではなく、本格派なのだ、知らないけれど。まぁ、内装には凝ってるし、こうやってキラキラと両眼を輝かせて見てもらえるのは嬉しいものだ。


 本をそっと引き出しにしまい、カウンターに置いたメニューを持って、彼女へと近づく。はっと我に帰った様子であたふたと慌て始めた彼女は、視界に入ったカウンター席にポトリと座った。


 メニューを彼女の前に置いて。


「注文が決まったら呼んでください」


「あっ......はっはい!」


「ごゆっくりー」


 珍しいこともあるのだな、と思う。

 喫茶店といえど、いや喫茶店だからこそなのだけれど、朝一番で客が入ってくるのは珍しい。午前中はフラフラと時間を潰して、閑散とした店内をどうしたものかと見るのが日課なのだ。


 年齢的に、高校生ぐらいだろうか。

 顔つきと身長、雰囲気はそれぐらい、私と同じぐらいで、華奢で可愛らしい西洋人形のようであった。時刻は八時半、もし自分の考えが正しいのであれば、彼女は学生らしく制服の一つでも着て高校に行く時間ではないだろうか。


 彼女の服装は私服、そう言って差し支えない若草色のワンピースにふわりと広がる濃緑色のロングスカート。外国人然とした銀髪が華やかで、やはり美人だなぁと心の中でこぼす。


 と、考えたところで学校に行ってるかどうとか、同年代の自分が言えた話ではないか、と思い考えを止める。


 蝉の鳴き声が店の外から鳴り響いて、独特な音を反響させる、朝早くに通学する学生や、会社に向かう社会人たちが店の外を歩いて行くのが見える。


 ぽちゃり、と水道から水滴が一つこぼれてシンクを濡らす。


 あっあのーと弱々しい声が聞こえて、はい、なんでしょうと一言。

 彼女はメニューを指さして。


「イングリッシュブレークファースト?とやらを一つ貰えますか」


「アイスとホットの二つがありますが、どちらを」


「じゃあアイスで」


「ご注文は以上でしょうか?」


「はいっ!」


 ビクッと震えてあたふたと慌てている。

 まるで見知らぬ土地に放り出された子犬のようだな、と思った。こうやってみていると、不安げに垂れる尻尾にクゥーンと垂れた両耳が見えそうだった。


 あまりこうやって脅かすのも可哀想だろう、やはり今は距離感を保ち、一喫茶店店員として紅茶を入れることとしよう。


 アイスティーもホットティーも最初にやることは等しく同じで、お湯を沸かすところからだ。コンロのノブを回し火を灯して、二杯分の水が入った小鍋を乗せる。ティーパックからお茶を淹れても、結局のところ些細な違いかもしれないけれど、少々本格的にやった方が絵面的にも良いだろう。


 戸棚から綺麗に清掃し磨いておいたティーポットを取り出してカウンターの上に置く。

 少し待っていると、沸々と熱しられた小鍋の中で、五円玉ほどの大きさの泡が所狭しと飛び出し始める。陽気なリズムでぽこぽこと湧き上がってくる泡が合図で、そっと何も入っていないティーポットに入れてポットを温める。


 紅茶を淹れるときはポットを前もって温めるのが定石だ、適度に温まるまでは早く、紅茶の茶葉を取り出すまでに熱々に仕上がっているのだ。


 喫茶店というのは雰囲気が最も大切だが飲み物の味が三番目に大切とおじさんは語った、二番目に大切なのは椅子だそうだ。誰だろうとこういう淹れ方をしようと思えばできる、けれどやらないのはそれ相応の理由がある。本格的に入れようと思えばかなりの手間がかかる、それでいて味の変化は大きいわけではない。


 例えば量販品の茶葉をしっかりとした店の茶葉に変えれば五十から百への違いが現れてわかるだろう。けれどそこからがまさに修羅の道であり、百を百十にするには五十から百にする努力の五倍が必要になったりする。それからさらに百五十を目指すとなれば何十倍もの努力が必要で、誰も彼もがティーパックにお湯ドボドボに落ち着く。


 ここは喫茶店ーーロマンと雰囲気を求める場所。そこでティーパックにお湯を入れただけのものが出てこれば興醒め甚だしい。夏の日のマンホールのように暖まったポットの中からお湯を捨て、茶葉を詰めた古風の缶を開く。


 ふんわりと柔らかな甘い香りが漂って、うっとりとしてしまう。採算の取れないような良い茶葉を使っているせいで、店の利益は火の車。けれどこの少々お高い茶葉は、ダージリン、アッサム、セイロン、ケニアの4種類の茶葉をブレンドした贅沢な逸品で、渋みが少なくほんのりと甘い香りがまさに絶品。


 香りを楽しむだけで終わってしまってもしょうがない、甘い香りに心をときめかせながらティースプーンで茶葉の山へとその一歩を踏み出して一掬い。艶やかで上品な色合いの茶葉をそっと暖まったティーポットに入れて、また一掬い。二杯の茶葉を入れたティーポットへと、今か今かと茶葉との出会いを待ち侘びるお湯をそっと、それでいて勢いよく入れれば溢れんばかりの香りがあたりに漏れ出す。


 そこでアイスティーを淹れるのだと思い出し、ホットティーを作る際の半分の熱湯を。


 こんなものが合法で良いのだろうか、もう少しだけこの芳しい甘い香りを味わいたいーーけれど心を鬼にして、そっと蓋をティーポットに乗せた。紅茶を淹れる際に最も重要な作業である蒸らし、透明な液体が少しずつ琥珀色へとその姿を変えていく。宝石のように美しいその液体の中で踊るのは茶葉、ジャンピングと呼ばれる状態で、味わい深い紅茶へと、その姿を変える喜びを表現するように下へ上へと茶葉が舞う。


「ティーパックじゃないと、こうやってなるんですね!踊ってるみたい......」


「まさにその通り、まるで踊ってるみたいだから本場イギリスの人もこの状態にジャンピングって名前をつけたらしいよ、諸説あるらしい」


 カウンター席でふわりふわりと舞う茶葉を目を輝かせながら彼女は身を乗り出す。そっと、作業をする目の前の席へと招けば、彼女はそそくさと席を動いて荷物を膝へ。まるで宝物を見るかのよう口元を緩めたのをみてどこか嬉しくなる、そうだろうそうだろう紅茶はいいものだろう。


 そして無駄に仰々しくここで取り出すのは全く同じ形のティーポット。


「何に使うんですか?」


 ちゃごしを道具が入った引き出しからさっと取り出して、左手でしっかりと握る。


「これは今からこうするんだ」


 右手でトパーズのように深く、味わい深い色へと変わった紅茶の入ったポットをとり、茶越しを通して、もう一つのポットに紅茶を移していく。

 ここでシュガーポットからグラニュー糖を取り出して、ゆっくりと溶かしていく。

 紅茶と砂糖の甘い香りが鼻を突き抜けて多幸感が心を満たす。


 丁寧に移し替え終えると同時に、冷凍庫の中で先日作っておいた大きい氷をグラスへと四個ほど落とす。そしてすかさず勢いよく、氷にぶつけるようにして紅茶をこぼせばからんからんと氷がグラスに当たる気持ちのいい音が響き出す。


「こうやって氷に直接当てて、一気に冷やすと香りが逃げず紅茶元来の香りが楽しめるんだ。どうぞ」


「はい!ありがとうございます!」


 大きめのカップ、ストローを挿して出すとキラキラと本当に楽しそうに両目を輝かせる。あまりに嬉しそうで、思わず笑みがこぼれてしまう、なんというか和むというか。彼女は両手で大きめのグラスを持ってストローに柔らかな口をつけ、お茶を啜る。口に含み、喉がその液体を飲み込むと同時に彼女はグラスを置いて、間の抜けた顔で。


「美味しい......!」


「そりゃあよかった」


 ここまで喜んでもらえると淹れた甲斐があったというものだ。さてここからが、家で淹れるには少々億劫になる理由だ。洗い物が多い、一人分を入れるだけでも洗い物が結構出る、これを家でやるのは主婦の奥様方や、社会人の方々には面倒なのだ。


 だからこそ喫茶店というのが存在しているのではないだろうかと、ふと思う。というか、外食というものがそもそもそういうものだろう、一人暮らしで油物をするのは面倒だから、弁当屋などで買って食べる、豪奢な料理は味が出せないから、高い店で食う。調理に時間のかかるものを、代行してやってもらう、しかもそれがうまいとくるのだから外食というのはまさに人類の文化の極みだろう。


 感傷に耽りながら洗い物をし終えると、彼女は半分ほどアイスティーを飲み終えていた。

 回収し忘れていたメニューを持って、真っ直ぐと彼女はチーズケーキを指さした。


「このチーズケーキ、ひとついただいても?」


「ああ......すみません今切らしてます」


 申し訳ない、そんな気持ちでいっぱいになった。

 メニューにチーズケーキと苺タルト、それにメレンゲは載っている、載っているのだけれど、一度たりとも注文されたことがないのだ。

 商店街のど真ん中といえど、人気の少ない喫茶店に来るのはちょっと変わった常連さんばかりだ。


 彼らの頼むものは紅茶ばかりだし、菓子類を頼むときはメレンゲしか頼まない。


 なぜメレンゲがあるかって?甘いもの、紅茶に甘いものが合うのだからいけない、さくりと一口齧れば口の中にふんわりとした甘みが広がって幸せな気持ちになれる。

 メレンゲというのは神の創作物だと力説したい、と、トリップしてしまった。


 彼女はやはり露骨に落ち込んだ様子で、そうですか......とつぶやいて、その下の苺タルトを指さして。

 チラリ、私のなんともいえない、申し訳なさそうな、そんな顔を見てさらに指を下へ。

 そこに残った最後のデザート、メレンゲへと指さしてやはりチラリと私の顔を見る。


「申し訳ない、チーズケーキと苺タルトを頼む人がいないもんだったから」


「大丈夫です、このメレンゲをください」


「少々お待ちください」


 本当に申し訳ない、やはり少しぐらいは作っておくべきなのだろう。

 その点自分がなぜメレンゲを作り置きしているのかといえば、何を隠そうメレンゲが好きだからだ。

 作る工程も好きだし、あの甘い風味も好きだ、口の中で溶ける感覚は絶品。

 苦い人生もメレンゲさえあれば甘く溶けてしまいそうで、やめられない。


 それに何より油分がほとんど使われていないに等しいので作り置きしておくのに向いている。

 しっかりと乾燥させているため、日持ちするし、何より味が落ちることはない。


 メレンゲが詰まった夢の宝箱、冷蔵庫の中から、少なくとも私には宝箱に見える瓶からメレンゲを五つ取り出して、菓子用の小さな皿へと乗せて彼女の元に戻る、するとどこか焦っているようだった。


「嘘......時計って本当に電池切れするんだ.......」


「そりゃあ電池ですから、いつか切れますよ」


「そっその、今何時かわかりますか?」


「今ですか?」


 えっと、と頬を掻いて店の端に、ちょうど、彼女の背の方に設置されたオンボロ時計を見やれば九時十二分というのが見えた。


「九時十二分ですね、何か用事ですか?」


「はい!お母さんと待ち合わせしているんです、すみませんこれお代です、あっあとメレンゲ.......」


 チラリチラリと時計とメレンゲの間を視線が忙しなく行き来する。

 よくわかる、そうメレンゲは美味しいのだから、急いでいても無視することはできないだろう。


「紙袋に入れますか?」


「それでお願いします!」


「かしこまりました」


 几帳面にピッタリとした金額で出されたお代を受け取りレジに放り込む。


「レシートは?」


「いりません、ありがとうございました!本当に美味しかったです!」


 メレンゲの入った紙袋を持って少女はパタパタと音が聞こえてきそうな歩き方で店のドアを開いて、ふと振り返り。


「また来てもいいですか?」


「喫茶店ですから、好きな時にどうぞ」


「また来ます!」


 にっこりと微笑むと、やはり急いでいるのを思い出したのか、ドアを閉じてどこかへと歩いていった。

 嵐のようにすぎて行った彼女がいなくなった後の店はやけに静かに感じられた。


 さて、そろそろ常連さんがくる時間だろう、準備を初めておこうと思い私は厨房に入った。

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