高校デビューはほどほどに

28号(八巻にのは)

高校デビューはほどほどに



 入学式の前日、私は長くてもっさりしていた髪をバッサリ切った。

 明るい茶色に染めて、眼鏡をコンタクトに変えて、お姉ちゃんをまねて制服のスカートを1センチだけ切った。

 中学の時はオタク女子の本性をみじんも隠さずに生きてきたけれど、イメチェンを敢行したのは長い片思いを終わらせるためだった。


 同じオタ友で幼馴染みの雅人まさとに、私はずっと想いを寄せていた。


 隣の家に住む雅人とは、幼稚園から中学校まで同じという長い付き合いだ。

 性別の違いはあれど好きになるものがいつも一緒で、特に特撮とゲームが二人して大好きだった。

 中学を卒業するまでは毎週土曜の夜は雅人の家に泊まり、日曜の朝一緒にテレビを見るのが週末のルーティーンだったくらいだ。

 後楽園のヒーローショーにも通い、いい年してソフビ人形をコレクションしている所まで似ていた。


 それでもさすがに高校は別になるかと思ったが、頭の良い雅人はあえてランクを落としてまで私と同じ高校を受験し、テストも合格発表の時も一緒だった。


 合格発表の日、二人の番号が並んでいるのを見つけた時は嬉しかった。

 物静かな雅人の代わって私が二倍喜ぶと、彼は「三年間よろしく」と笑ってくれた。

 その笑顔がなんだかいつも以上にかっこよく見えて、だから高校に入ったら今度こそ彼に告白しようと決めたのだ。


 雅人はいつも瓶底眼鏡をかけていて、髪も中途半端な長さでボサボサだからさえない印象が強い。

 けれどのその下の顔がかなりのイケメンであることを、私は知っている。

 それまでは私だけの秘密だったけれど、いつそれが露見するとも限らない。

 だから周りが彼の魅力に気づく前に、恋人になってやるのだと私はずるいことを考えていた。

 

 そして満を持して迎えた高校デビューの日、私は意気揚々と学校へ向かった。

 ほんとは一緒に行こうと雅人に誘われていたけれど、バッチリ決めた姿を見慣れた玄関先で晒すのは味気ない。

 だから高校の教室で、バーンとお披露目しようと私は意気込んでいた。


 ――だがそれが、完全に裏目に出た。


「ジュエルボーイで読モやってるマサトくんだよね!? おねがい、私と付き合って!」


 雅人と同じクラスであることに浮かれながら教室に入った途端、待っていたのはあまりに衝撃的な光景である。

 あのもさっとした雅人は本来のイケメンっぷりを惜しげもなく披露しており、挙げ句の果てに可愛い女子たち取り囲まれている。

 私の精一杯のおしゃれもかすむ、本物の可愛い女子たちである。

 登校初日から、次々告白されまくっている雅人はもはや私の知る雅人ではなかった。

 告白をそつなく断っているし、中学時代のもっさり男子はもはやどこにもいない。



 私の高校デビューは、それを上回る雅人の高校デビューによって完全にかすんだ。

 そして彼に告白し、晴れて彼氏彼女になるという計画はあえなく砕かれたのであった。




【高校デビューはほどほどに】




 デビューに失敗した高校生活は、あまりに味気なく……そしてあっという間に過ぎていった。

 気がつけばもう3年の冬は目前で、受験さえもぬるっと終わっていた。AO入試万歳である。


 そんなこんなで世の高校生が苦心するイベントはさくっと通り越したのに、私はまだ雅人に告白できていない。



 というより、ここ3年は殆ど会話さえしていなかった。

 高校デビューにより学校随一のイケメンと呼ばれるようになった雅人は、今やすっかり高嶺の花。

 幼馴染みといえども安易に話しかけられない存在となってしまっている。


 一年の時はまだ少し仲良く出来たが、彼を取り囲む女子の壁は高かった。

 そして、漫画のような嫌がらせもされた。

 上履きに画鋲が入っているのを見た時は、呆れを通り越して感動したほどである。


 そんな状況に心優しい雅人は心を痛め「学校では話すのはやめる」と言いだしたのだ。

 それにうっかり同意したせいで、私たちの距離は恐ろしい勢いで離れてしまった。


 それでも最初は携帯などでやりとりをしていたが、いつの間にか読モなどというリア充になっていた雅人は、そのまま本物のモデルにステップアップしてしまい放課後や休日は仕事で潰れる日々である。

 

 そして趣味でやっていたゲーム実況のほうも見事垢バレし再生数が爆増。

 元々は彼がプレイし私が編集担当だったが、金になると思ったモデル事務所が「今後はうちが主導でやる」と言いだし私は無事お役御免となった。


 もしこれが少女漫画とかなら、オタク趣味をしるのは幼馴染みの私だけ……!! 的な展開となるはずなのに、現実は厳しい。

 ゲームやアニメ好きという点も「可愛い」と好意的にとられ、すでに周知されている。

 私の雅人は、みんなの雅人になってしまったのだ。


 こうなるともう、私の居場所はない。

 二人だけの秘密なんてもはやないし、むしろインスタやティックトックに疎いせいで、他のクラスメイトの方が雅人の近況に詳しい有様だ。

 私に出来る関わり合い方といえば、ピンタレストでこっそり雅人の画像を保存するくらいである。


 そんな日々が続けば心はささくれ、行き場を失った恋は干からびていく。

 それでも、完全に枯れてしまわないのがたちが悪い。


 雅人のゲーム実況を見れば、ホラーゲームをこわごわ遊ぶ姿を笑いながら編集した時のことを思いだしてしまうし、SNS越しに微笑む雅人を見れば幼い頃から自分に向けてくれた優しい顔を思い出してしまう。

 そうやって、枯らすべき恋心にうっかり水をあげてしまうから、育つことのない思いだけがしつこく根を張り続けるのだ。


 そして雅人は、今も時々思い出したように連絡をよこす。

 もちろん色気のある内容は皆無で、大抵はアニメやゲームの話題である。

 幼い頃からそうしてきたように、無邪気な感想なんかを突然メッセンジャーアプリで送りつけてくる。

 こちらも昔と同じノリで返信するが、忙しい彼とのラリーはかつてのようには繋がらない。

 大抵私の言葉で途切れて、既読の二文字がついたまま、途絶えた会話画面を延々みつめることになる。

 それが辛いのに、また突然飛んでくるボールに喜んでしまう自分は、駄犬も良いところだった。


 そうやって細々と、いつ切れてもいいやりとりだけが私たちを繋いでいた。

 しかしそれも、そろそろ仕舞いだろう。


 噂では、雅人は俳優業に進出するらしく、私が好きな2.5次元の舞台に出るという話も聞こえてくる。

 それも推しのキャラだった。

 推しが推しをやる。これが雅人でなかったら喜びに咽び泣きながら、バイト代をつぎ込んでチケットを取りまくっていただろう。


 でもたぶん私はきっと舞台には行かない。

 見たら最後、私はこの初恋を完全に断って彼のファンにならなければならない。


 それだけは御免だと思うくらいに、私はまだ彼が好きなのだ。



◇◇◇      ◇◇◇



 秋を過ぎて、気がつけばクリスマスが目前に迫っている。

 むろん、雅人との関係が改善する兆しはない。


 テレビをつければ、雅人はどこかの商業施設のイルミネーションの点灯式にお呼ばれして「クリスマスの予定ですか? 仕事ですよもちろん」なんて笑顔で応えている。


 でもそう言いながら、仕事できっと可愛い子たちと過ごすに違いない。

 その間、私は受験中に見れなかったアニメを配信サイトで一気見しながら、冬コミの買い物リストを仕上げていた。


 半年ほど前から両親は仕事で海外にいるし、姉も一人暮らしを始めてしまったため、完全なるぼっちクリスマスである。

 寂しくないと言えば嘘になるが、一緒に過ごしてくれる友達はいない。

 うっかりリア充ルックで高校デビューしてしまったせいで、オタクの友達が出来ずこの三年間はほぼほぼボッチちだ。

 学校に行けば話す友達はいるが、ことごとく趣味が合わないので長い休みの間はまず会わない。


 昔なら、年末はいつも隣に雅人がいた。

 冬コミの日も始発から連行し、壁サークルにも問答無用で並ばせた。

 しかし今そんなことをしたら、大問題である。頼む勇気ももはやない。

 

「きっと、一人で列に並びながらエア雅人の妄想とかしちゃうんだろうな……」


 思わず独り言をこぼし、私は頭を抱えた。

 寂しい。実に寂しくて痛い。

 私は一体いつから夢女子になってしまったのかと呆れながら、私はスマホを投げ出した。


 これが夢小説なら、寂しい私の元に雅人が来てくれて「クリスマスは一緒に過ごそう」とか言ってくれるに違いない。

 でも小説ではないので、そんな超展開はない。

 その後のクリスマスイブも、クリスマス当日も、都合の良い妄想が膨らんでは消えるだけで寂しい日々に終わりはなかった。

 もちろんコミケに一緒に並ぶという夢も、夢のままだった。



◇◇◇      ◇◇◇



 そして、本当に何もないまま年が明けた。

 初詣にも行かず、コンビニで買いためたカップ麺だけで三が日を過ごした私は、鬱々とした気持ちでこたつの住人になっていた。気がつけばもう、三日の夜である。


 さすがに寂しくて誰かに連絡しようと思ったが、周りは入試を控えてピリピリしている。

 ただでさえAOでうっかり合格しやがってと言う空気が流れているのに、さらに周りを刺激するわけにはいかない。


 仕方なくアニメを見て、それから雅人のゲーム配信を見た。

 モデル仲間と桃太郎電鉄、いわゆる桃鉄と呼ばれるボードゲーム形式のゲームをやるのを見て、昔は私とやったのにと拗ねた気持ちになる。


 それでも久々に聞く雅人の笑い声につられ、どうせ暇ならばとゲームをつける。

 自分も桃鉄をやろうと思ったが、雅人とは違い対戦相手は全員コンピューターだ。どこまでも切ないと思いつつ始めるかどうか迷っていると、不意に画面の端に見慣れたアイコンがともる。


 MASATO0429というアカウント名に、うっかり胸が跳ねた。

 

 目につくたびドキドキしてしまうのは、名前の後ろについた四つの数字が私の誕生日だからである。

 自分の誕生日のアカウントは取られていたからと、私の日付を勝手につけたのが確か最初だった。


 逆に私は、彼の誕生日を末尾につけている。

 最初は仕返しのつもりだったけれど、新しいアカウントを作るたびにつけるその数字は、途中から願掛けにかわった。

 

 この番号を、仕返しだなんて言い訳をせず使える関係になれるようにと、ずっと願っていた。

 そのときの気持ちがムクムクと顔を出し、私は慌ててゲーム画面を閉じようとする。


 なのに次の瞬間、私の誕生日を末尾につけたアイコンが一緒にゲームをしようと誘ってくる。

 先ほど配信は終わったようだが、もうしばらくプライベートで遊ぶつもりなのだろう。

 さっきの配信メンバーは雅人も入れて三人だったから、もしかしたら数あわせかもしれない。

 たまたま丁度良い奴がいたから誘った、くらいの認識に違いない。

 そう言い聞かせなければ平常心を保てないくらい動揺していると、今度はスマホが小さく震える。



『あけおめ。桃鉄やろ』



 メッセンジャーアプリを通して届いた短い言葉に、なんだか気が抜ける。

 普段はあまり喋らない雅人は、ラインもいつも素っ気ない。

 だから私も、昔と同じように振る舞おうと決めて、お年玉付きスタンプでOKサインを送る。


 コントローラーを持ち直して雅人からの招待に応じると、意外にもプレイヤーは二人きりだった。

 ホストである雅人はそこにコンピューターを入れて、勝手に設定を決めていく。


 軽く遊ぶ程度かと思ったら、プレイ年数はあろうことか100年になっていた。

 とてもではないが、1日で終わる時間ではない。

 昔は良く長々遊んだが、彼にそんな時間はないはずだった。


 もしかしたら、設定ミスかも知れない。

 でもそれを指摘することが、どうしても出来ない。

 ゲームの中の百年は現実より短いけれど、それでも長い年月を一緒に遊べたらと思う気持ちに勝てなかった。


 だから小さな桃色の電車に恋心を潜ませて、私はサイコロを振る。

 いきなり六が出た。幸先の良いスタートだ。

 私は、昔から双六系のゲームに強い。


 一方雅人は一からのスタートである。

 配信でもそうだが、逆に彼はとにかく運がないのだ。


『今日は、借金300億いかなきゃいいね』


 そんな一言をおくると、ゴリラが拗ねているスタンプが飛んできた。

 かつて私がプレゼントとして送ったスタンプだったと気づいて喜んでしまう自分に苦笑しながら、私はサイコロを振った。

 


◇◇◇      ◇◇◇



 だらだらとゲームを続け、ふと外を見るとあたりはすっかり明るくなっていた。

 100年はやはり長く、まだ折り返しにも到達していない。

 でも雅人は2回ほど100億超えの借金をし、その都度ゲームのシステムに返済を肩代わりしてもらっていた。

 借金245億円を仙人に返済される様子にひとしきり笑ったあと、窓の外を見た私は現実へと帰ってくる。


 そろそろ、潮時かも知れない。


『ねえ、寝なくて大丈夫?』


 スマホで尋ねると、僅か間の後『ねようか』という短いメッセージが帰ってくる。


 文字を打つのが辛くて、OKサインを出すスタンプを返すとホストである雅人がゲームを切った。


『また、続きやろう』


 そんな言葉にもOKスタンプを押して、私はゲームを切る。

 賑やかなBGMが消えてしまうと、部屋はしんと静まりかえっていた。


 返事もなくなり、またひとりぼっちになる。

 途端に寂しさが押し寄せてきて、私は慌ててゲームを立ち上げなおした。

 何かしていないと、泣いてしまいそうだったのだ。


 もう一度桃鉄を立ち上げて、今度は一人でプレイを始める。

 コンピューター相手でも私の運はつきなくて、出目も良ければ資産もどんどん上がっていく。

 あっという間に億万長者になり、高い物件も次々買い占められるのに、私の気持ちは凪いだままだ。


「雅人と一緒じゃないと、楽しくないよ……」


 胸の中にしまうべきだった言葉と共に涙がこぼれたのは、小さな列車が四国へとさしかかった時だった。

 思えば、鮮烈の高校デビューの日から、今まで私は一度も泣いたことがなかった。

 なのになぜ、こんな愉快なBGMが鳴り響いているタイミングで泣けてしまうのかとぼんやり思っていると、突然ガンッと言う音がすぐ横で響く。

 驚いて音の方を見ると、窓に張り付くように立っている雅人と目が合った。

 私たちの家の間には小さな庭と低いフェンスしかなくて、昔はよく雅人が庭からやってきた。

 それももう二度とないと思っていたのに、あろうことか号泣中に彼と見つめ合うことになる。

 彼は私の顔を見るなり、手にしたスマホを持ち上げた。

 雅人の指がスライドした瞬間、私のスマホ画面に『開けろ』という文字が表示される。

 その文字も雅人も現実感がまるでなくて、私はぼんやりした頭で返事を打った。


『鍵、開いたままだよ』

「馬鹿! 不用心すぎるだろ!」


 窓が開くなり、開口一番に怒られた。

 雅人にしては珍しい大きな声で怒られて戸惑っていると、最後にあった時よりもっと垢抜けた顔が目の前に迫る。


「なんで、泣いてんの」


 短い問いかけに、私はただただ言葉に詰まる。

 雅人がいなくて寂しかったからだと、言ってしまえればここまで初恋を拗らせていない。

 高校デビューの前までは彼に何でも言えたし、簡単に想いが届くと思っていたはずなのに、この三年で私はすっかり臆病になっていた。

 だから本音は言葉に出来ず、馬鹿げた嘘ばかりがこぼれ出す。


「……キ、キングボンビーが、ついて、借金が……」

「ついてないし、借金ないだろ」


 秒でばれてしまい、私は言葉にならないうめき声をこぼす。

 なぜゲーム画面を切っておかなかったのかと、思わず悔やんだ。


「ねえ、なんで?」


 私の側に座り込み、雅人がじっと見つめてくる。

 昔は長い前髪と眼鏡で隠れていた目が、今はとてもまぶしい。

 だからこそ、私は本音を口に出来ない。

 

「私だって、泣きたい時……あるし……」

「たしかに、沙羅さらは昔から泣き虫だった」

「そう、だよ……。だから……泣いてても、普通だよ……」


 目を擦りながら言うと「そっか」と小さな声が帰ってくる。

 でも彼の顔は納得してはいないようだ。


 一度私から遠ざかったものの、開けたままの窓を閉めるとまたすぐ隣に戻ってくる。


「じゃあ、泣いてる間は俺が代わりにサイコロふってやるよ」


 私の隣に腰を下ろし、勝手にコントローラーを奪われた。

 肩が触れあうほどの距離は、雅人の定位置だ。

 そして大きな身体をだらしなく傾け、私の肩の上にそっと頭をのせる。

 すると以前と同じ、馴染みのあるシャンプーの香りが鼻をくすぐる。


 それにドキドキしかけたが、「あ」という間の抜けた声が緊張をほぐす。

 気がつけば、雅人がさっそく私の所持金を限りなくゼロまで減らしていた。


「……11億もあったのに……」

「10倍の赤マス止まって、殆ど没収された」

「相変わらず、雅人は持ってるね」

「沙羅は運が良すぎる。さっきも圧勝だったし」

「雅人が弱すぎるからだよ」


 喋るうちに涙が引っ込み、段々とおかしさがこみ上げてくる。

 ドキドキが安心感に変わり、気がつけば私も昔のようにそっと雅人の頭にそっと頬を寄せていた。


「俺たち、足したら丁度良いのかも」

「なら、一回ずつ操作交代してみる?」


 良いねと笑う声が響き、コントローラーを渡された。


 

 それから三年、私と雅人は一緒に列車で旅に出た。

 北は北海道から南は沖縄まで、サイコロ任せの旅行は楽しかった。

 とはいえ、結局途中からは借金地獄だったけれど。


「雅人の運のなさ、強すぎる」

「でも二位だよ。俺最下位以外初めて取った」

「それ、喜ぶところじゃないから」

「いや、めっちゃ嬉しい。だって二位だぞ、二位」


 僅かに身体を起こし、私に向けた笑顔は本物だった。そして以前と、何も変わっていなかった。


「二位になるために、わざわざ家まで押しかけてきたの?」

「本当は三位でも良かった。ただもう少し……今度は隣で、ゲームしたかった」


 隣と言うには近い距離に、雅人の顔がある。

 それをいつまでも見つめていたいと思っていはずなのに、なぜだかそこで私はふと目を閉じてしまった。

 そうしなければと、自然と思ったのだ。


 そしてまぶたが降りると、柔らかなものが唇に重なる。

 それが何かわからない、なんて言うような初心なキャラではない。


「……あと、借金なしでゴールできたら、付き合ってって言おうと思ってた」


 そっと目を開けると、雅人は真っ赤な顔をしていた。

 それを見ていたら驚きとおかしさがこみ上げてきて、私は笑ってしまった。


「告白の台詞として、それはどうかと思う」

「でもカッコつけても、言えなくなるだけだから」


 そこでもう一度キスをされ、今度は私が真っ赤になる番だった。


「沙羅に好かれたくて三年間カッコつけ続けたけど、結局何も上手くいかなかった……。だから俺は、これでいい」

「今の本当……?」

「そうだよ。沙羅は面食いだから頑張ったのに、全然会えないし、喋れないし、すごいつらかった」


 拗ねたような声が愛おしくて、床に置かれた雅人の手をぎゅっと握る。

 最後に繋いだ時より大きくて骨張った手にドキッとしたけど、今放したらせっかく繋がかけた想いが切れてしまいそうで、ぐっとこらえる。


「私も、辛かった」

「本当に?」

「なんで疑うのよ」

「だって沙羅は、平気に見えたから」

「平気だったら、泣いてない」

「もしかして、ずっと泣いてた?」

「いや、泣いたのはさっきがはじめてだけど」

「じゃあやっぱり平気じゃないか」


 拗ねた声で言いながら、雅人が頬に触れてくる。


「そういう雅人だって、平気に見えた」

「平気じゃないよ」

「でもノリノリで、モデルしてたし」

「ノリノリじゃないって。モデルの仕事も、お金にならなきゃやってない」


 そこで言葉を切り、雅人は眉間に皺を寄せた。


「……実は俺の家、ちょっと前まで色々やばかったんだよ。姉ちゃんがホストにはまって、借金的なあれが……」

「え、あの真面目な美里さんが?」

「なんかブラック企業に入っちゃって、ストレス貯めてたらしい」


 そしてホストにはまり、借金を作って大変だったのだという雅人の顔は真顔だった。

 嘘のような話だが、残念ながら事実なのだろう


「同じタイミングで親父もリストラされるし、一時期は家も売ろうなんて話も出てて……」

「じゃあ、雅人がモデルやってたのは家族のため?」

「だったらカッコいいけど、半分は自分のため。沙羅の隣は死守したかったし、あの家だけは絶対売りたくなかったから」


 そんなことを言われると、なんだかもうたまらなかった。


「言ってくれれば、私だって協力したのに」

「でもリアルまで借金まみれだなんてカッコ悪いだろ。それにモデルとして売れたおかげで、借金自体は無事返せたんだ」

「じゃあ、今はもうおうちは大丈夫?」

「姉貴も近頃はまともになったし、親父も再就職できたよ」


 だとしたら、むしろ雅人はリアルでは持っている男なのかも知れない。

 危機的状況を、彼はとんでもない方法で回避してみせたのだ。


「でもようやく生活が元に戻っても、沙羅と前みたいに話せなくなってすごい辛かった」

「色々、気づかなくてごめん」

「いや、俺もなんか……どうやって前みたいに戻せば良いのわからなかったから……」


 そう言って笑ってから、雅人はゲームのコントローラーを取り上げる。


「けど、離れる原因も借金なら元に戻るきっかけも借金だったな」

「そう思うとおかしいね」

「でも、リアルではちゃんと稼げる男になる。だから俺のこと、見捨てないでくれると嬉しい」

「雅人こそ、私のこと見捨てないでね」

「見捨てるなんてありえない。俺が、どれだけこうしたかったかわかってる?」


 多分私はまだちゃんとわかっていない。

 でもそれを言ったら、雅人はなんだかすごいことをしでかしそうだ。


「でもあの、私だってずっと雅人と前みたいに過ごしたかったよ」

「だったら、なんで俺以外の男にこんな可愛い顔みせてたの?」


 そう言って、雅人は私の髪を指でくゆらせる。


「元々は、雅人に見せるためだったの」

「本当に?」

「そうだよ。それに雅人こそ、カッコいい姿をみんなに見せてるじゃない」

「俺だって、変わりたかったのは沙羅のためだよ」


 高校デビューからもうすぐ三年。今更過ぎる告白を二人で重ね、そっと笑う。


「お互い、大学デビューはほどほどにしとこうか」

「そもそも雅人、大学行くの? 仕事は?」

「大学は行くよ。借金のことで事務所には色々お世話になったから、仕事ももう少しは続けるけど」

「そっか」

「でももう、付き合ってる彼女がいるって事は伝えてあるから」


 えっと驚く私に、雅人はにっこり笑う。


「その子と一緒に大学に行って、卒業したら結婚もしますってずいぶん前から言ってあるから」

「ちょっと、あの、そんなこと言っちゃって大丈夫? 色々と、いきなりすぎない?」

「いきなりじゃないよ。幼稚園の時から、そう決めてたんだ」


 美しさと僅かな怪しさを秘めた笑みを、雅人は私へと向ける。


「だから、沙羅のとなりは誰にも譲らない」


 決意を秘めた眼差しに、私は臆されながらも頷いた。


「私も、隣が良い」

「じゃあもう二度と、遠慮はしない」


 私もしないという言葉はキスに飲み込まれ、そこからはもう息をつく間もなかった。





 ――そして時がたち、私たちの高校デビューが大失敗だった話は笑い話となった。

 その後の大学生活では、逆に二人して地味な格好に戻ったこともまた、いい思い出である。

 そしてことあるごとに、雅人は「結婚式でのいいネタになるね」と笑い、それが現実になるのもあと少しのようだ。




高校デビューはほどほどに【END】

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