異界奇譚

猿山 登校拒否

第1話 人生の不公平と学生の消失

 「人生は不公平だ。」

 今年の春、晴れて高校生になった私は意味ありげにそう呟いてみる。特に意味はない。中学生の頃の病気が再発した結果であり語彙力の無さが裏目にでてしまっているが気にしないのが私のスタイル。窓際という特等席で過ごすひと時はとても穏やかに過ぎていき心地の良いエアコンの風が私を睡眠へと誘う。少しの間、夢の国へと出かけていたが、ふと何かの弾みで目が覚める。少し耳鳴りがした。

 

 ぼんやりと窓の外を眺めると、遠くには大きく膨らんだ入道雲が列を作って地平線に並んでいた。新緑の訪れは街全体を包み込み高台にそびえるこの学校からは若葉が彩る街並みを見下ろす事が出来る。眼下に広がる校庭では男子二人がキャッチボールをして遊び、そのうちの1人は取り損ねた球を追って視界から外れていった。


 他に目ぼしいものはないかと見回していると、体操服を身にまとった一団ができ始めているのに気付く。そういえば五限の授業は体育だった気がする。元々運動音痴のわたしには辛い。がらりとした教室にはあちこちに服が置かれていてその事実に今更気付く。少し前に同級生が灯りを消す旨を私に伝え友達と廊下を走っていった。その際に気づけばよかったが、私はその前からずっと音楽を聴いていて分からなかったのだろう。


 イヤホンを外すとじゃかじゃかとくぐもった音が聞こえ、遠い昔にインストールした曲が悲しく残響を残している。

 

 音楽を止めてスマホの電源を切ると私は大きく背伸びをする。体を伸ばした反動で冷えた空気が制服の隙間を通っていく。ぶるりと身震いをして白いカーディガンを羽織ると身体の芯が温まってくる。


 さて、どうしようか。もう少しで鐘が鳴ってしまう。思い返せば私は体操服を家に忘れてしまった。いっそのことサボってしまおうか、などと悪巧みをしてみるが頭の中で即座に却下された。根っからの臆病者の私にはできっこないのである。


 しょうがない、と心に区切りをつけると私は教室の灯りを消して廊下へと足を向ける。教室の扉を閉めると今度は熱波が迫ってきた。頭の中の絡まった思考はバラバラになり、私の頭はショートしてしまいそうだ。


 ぼんやりとした意識を保ちながら辺りを見回すと何か違和感を感じた。午後の太陽は窓から廊下に影を落とし、窓枠に反射した光が眩しい。熱が空気に溶け込んで砂漠の様相を呈している。そして、


 よく考えればおかしいことだ。この学校は約1000人以上の生徒がいるのだ。ひょいと隣のクラスに首を覗かせても一人も生徒がいない。こんな事があるだろうか。さらに不気味なのは机の上はまるで授業の途中であったかのような状態なのである。机上のノートは書きかけの文字で終止符をうち、飲む最中であっただろう水筒は口を空に向け仰いでいる。


 薄気味悪い雰囲気に当てられ、私は足を忍ばせて教室を出る。廊下に立ち止まり私は軽く首を捻って身体を伸ばす。どうやらこの不可解な現状を私は自力で解決する必要がありそうだ。胸の奥から湧いてきた好奇心が不安を取り払う。まあ、そんな胸ないのだが。数瞬前の記憶を消して私は歩き出した。


 私が廊下を歩き始めた時だ。近くに誰かの気配を感じ振り向くと、ぼんやりと蜃気楼のような存在が視界に入る。そいつは中庭に立ち背中を丸めてこちらを見ていた。とはいってもそんな気がしただけだが。鬱然たる大樹の側に身を潜めるそいつは私の視界内にいつのまにか存在していた。


 遠目から見ると、大きな男のシルエットの様に見えたが、大樹の影の中に佇むため、朧げな形しかわからない。一体あれはなんなのだろうと目を凝らしていると、そいつはこの世ならざる奇怪な生き物が蠢くかのように体を揺すった。正確には、会釈した。何度も何度も。大樹に向かって。その様子は一般人の心中をざわつかせるには十分な奇行であった。


(なんだあれ…。)


  その時の私は、そいつがまるで何かが始まる予兆のように感じられた。そいつは私が見つめ続けると、その動作を増幅させていった。お辞儀の動きが段々と加速し、頭を前後に振り子の様に激しく揺らしていた。そのキチガイじみた行動にどこか放心した私は、そいつがそのだらんした腕の先に黒い何かを握りしめていることに気づいた。


 すると、いきなり動きを止めその黒い何らかの物体を背後へと隠した。そして、私に背を向けると肩を揺らし手を少しの間動かすと、すぐにこちらへ振り向いた。今度はその黒々とした物体がはっきりと見えた。それは、機関銃であった。そいつはは黒々とした銃身を鈍く光らせゆっくりと持ち上げた。


 その銃口が私に向けられた時、私はずっと散大していた瞳孔が限界を迎えた為、パチリと瞬きをした。すると、その影もパタリと消え去ってしまった。何の残滓もなく幻かのように姿をくらましたのである。結局、気のせいだったのではないかと思い、この記憶は暫くすると忘れ去られてしまった。


 そして私はこの重要なファクターを当分見逃す事となった。


 不気味に思った私は当分窓の外を見ないようにと心に誓い、探索を再開した。


 ざっと辺りを見て回った限りやはり人はいない。忌まわしき教師どもの職員室を覗けど人の影はなく、今いる二階から上の階を捜索してみれど、人っ子一人いない。


 これだけでも十分奇怪だが、恐ろしいのは遠くから誰かを呼ぶ声が聞こえ、誰かが近くを走る音をたびたび認識してしまっていることだ。好奇の暖色は不安という暗色に今や染められはじめ、歩く足も億劫になってしまう。


 ふと、気づくともう最上階の4階へと辿り着いていた。ここでは教室の扉からエアコンの風が放たれ、冷涼な空気が漂っている。この階も何も変わりないと思った時さらに謎は深まった。。私の心中には混乱が渦を巻いている。


 まさかこれが夢の続きで、実は未だ机に体を預けぐうぐうと眠っていたなんていう展開になるのだろうか。それならばよかっただろうに、どうやら廊下の最奥からごそごそと音がする。ここで止まってはいけない、私はそんな予感を感じ歩を進めた。


 恐る恐る暗い教室を覗き込むと一人の男子生徒が窓枠から身を乗り出そうとしている。彼がいかに人生に挑戦的な性格であろうと確実に葬式を開く必要のあることを行うならば止める必要があるだろう。


 しかし、彼にも何か訳があるのかもしれない。「僕は空を飛びたいんだ。」とか「窓枠を乗り越えるのが趣味なんだ。」とか言ってくるかもしれない。


 そんな下らない事を考えていると彼はもう窓の外に立っている。マジで飛び立つ3秒前である。不味い。何か手を打たなければ。思い切って声をかけてみる。


「すみません。何してるんですか。」

 男子生徒は恐ろしい速さで振り向いた。首が取れるか心配になりそうな速度である。彼の顔は私に向くと嫌悪感をあらわにし、私の顔は彼のナイスなフェイスに思わず紅潮する。


 近年稀に見るイケメンだ。くっきりとした目や鼻はもちろん、夏の訪れと共に日焼けし始めた素肌としとやかな黒髪を携え、鍛えぬかれた肉体がシャツ越しにもはっきりとわかった。しかも高身長だ。おそらく私よりも先輩であることは簡単に見て取れた。こんな逸材を冥界に送ってしまうのは大問題だ。明日の新聞の見出しに「○○高校のイケメン男子生徒死亡」なんて書かれてしまうかもしれない。いや、そんな事はないのだが。思わぬハプニングに頭が掻き回され、彼のしわさえなんとかすればいいのに、などと思考は迷走している。こんな事を考えている場合ではない、と思った矢先彼が動いた。


「君、何年生?今は避難したほうがいいだろう。僕はちょっとだけ探し物をしているんだ。早く先生の迷惑になる前に校庭に向かった方がいいよ。」

「え、そうなんですか。」

「ああ。知らなかったのか。君のクラスの先生は伝えなかったのかな。」


 初耳である。なるほど、避難訓練か。もし、体育で移動する際に伝えられたならばあり得る。我がクラスの愛すべきポンコツ教師ならば確実だ。こんな理由のために長時間悩まされるとは心外である。後で抗議しなければ。


 そして、このイケメンの危なげな計画を止めて私も校庭に向かわなければ。


「先輩寒そうですね。この冷房の中シャツ一枚だけなんて。」

「ああ、そうだね。じゃあく前にそこにブレザーがあるから、取ってくれよ。」


 彼は窓から教室に身を乗り出して、壁沿いの一席を指した。私がそこでブレザーを取ると、ポケットから写真が飛び出している。片方は彼、もう一人はこの学校の制服を見に纏った生徒に見える。しかも女子だ。写真に写る二人の様子から恋人であると簡単に察せることができた。いちゃこらしやがって…。


 少々の無念を胸に彼の待つ窓際へ向かった。どうせこれから飛び降りる人に服の問題なんか些細なのに。私は先輩の手が届く一歩手前で止まった。


「先輩。これはこの教室に戻ることで必要な物です。あなたがそっち側に行くならこれは必要ありませんよね。」

「何故勿体ぶるのか知らないが確かにいらないな。じゃあ行っていいよ。」

「これも、要りませんよね。」


 私はブレザーに入っていた写真を取り出した。彼の腫れた目が、虚ろだった目が私の手元に向けられる。


「彼女さん。泣いちゃいますよ。」


 そう言うと、彼は泣き崩れた。正直なところもう少し安全なところで泣いて欲しい。泣きじゃくる彼の様子を見守っていると彼は顛末てんまつを語った。


 「僕には幼なじみの友達がいてね。互いの嫌な事は知り尽くした腐れ縁だった。あいつのことは嫌いだったはずなんだが高校生になってから意識し始めてふとした拍子に彼女になったんだ。あの頃が人生で一番幸せだったな。これからもきっとそうだろう。」


その幸せに語る先輩のセリフに私は一抹の不安を覚えた。


「三ヶ月くらい前に彼女が病気にかかってしまったね。見舞いには行っていたんだが、僕の家庭も同じ時期に大変で、素直に言えば会社が傾いていた訳なんだ。母さんもパートに忙しくて家事とか家の事は僕一人でやっていてね。妹はうるさいし何もかもが嫌になっていたんだ。そんな訳で彼女の元へ行っても愚痴ばかりになっていったし、行く回数も段々と減って行ってしまった。ようやく会社が軌道に乗り出した時、一本の電話がかかってきたんだ。」


 そこで先輩は一息ついた。空気が重くのしかかる。この話がハッピーエンドを迎える事がないと彼の曇った表情が告げ、外からは誰かの名前を呼ぶ声が聞こえてくる。


「それによると彼女はもう亡くなっていたらしい。びっくりだろ。最後に話した時には俺が苦労してるといったら笑ってやがってよ。日に日に錠剤の量が減ってるなんて言ってたから一緒に夏休みの計画を立てようって言ってたのになぁ。帰る途中に看護士さんがあいつが俺のこといつも楽しみに待っていてくれたと教えてくれて、嬉しかったなぁ。」


 彼の口調は段々と素の彼に近づいていっている。このままいけば彼を連れ戻す事ができるかもしれない。


「だから、レナ俺も今からそっちに行くよ。」

「えっ。」

 

  彼が飛び降りるようと一歩踏み出した瞬間、私は手を伸ばし彼の腕を掴んだ。


 しかし、そもそもの体格の差によって体が外に引き寄せられる。両腕でなんとか彼の腕を掴み直し足を踏ん張ってみるが時間の問題だ。息も絶え絶えになりもう間に合わないと体が告げてくる。


 その時、教室のドアが大きく開け放たれ、飛び込んできた人影が私と彼を大きな腕で引き戻した。私は痺れた腕を伸ばしほっと息をついた。荒くなった息を整えていると、外からは歓声が聞こえてくる。

「やったぞ!」

「ありがとう、山ちゃん!」

「先生かっこいいー!」


 窓から下を覗くと生徒たちが上を見上げ、一様に喜んでいる。教師たちは設置したマットを急いで片付けているがその表情はどこか安堵しているように見える。というか、山ちゃんという呼び名は我がクラスを担当する教師の名前であり…。


「黒木、今回はファインプレーだったな。いつものサボり癖は困り物だが、お前のおかげで一人の生徒が救われたんだ。本当に感謝している。しかし、早く避難しないのはおかしいな。心配したんだぞ。後で職員室にくるように。」


 そう言うとポンコツ教師は男子生徒を連れていった。彼は私の横を通った時ありがとうと静かに告げて去っていく。その顔はまだ悲哀に満ちていたが彼の眼にはうっすらと光が宿っていた。


 ちなみに教師からはあまり叱咤されず下校できたが私の愛すべき同級生達は誰も私の話を信用しなかった。やはり人生は不公平である。


「ほんとなんだって。私の美貌でそのイケメンの心を仕留めたんだよ。信じてよ美奈。」

「彼方は嘘つくの下手なんだから諦めなさい。」


下校途中も親友に説得を続けるも聞く耳を持たない。人の心を信じれないコイツには伝わらないのもしょうがない。


「今、こいつには人の心がないって思ったでしょ。」

「オモッテナイヨ。」


 我が親友はいつのまに読心術など身につけのだろうか。私も出来るようになりたい。この話は信じてもらえないのがオチだ。結局人の心を信用できないのが人間の性なのだ、などと下らない事を考えながら、帰り道を共にする親友を横目に眺める。


 長い黒髪をたなびかせ横を歩く親友、美奈の背中はピンと伸び、鞄を持つ手からは白い肌が覗く。私の持ち得ない脂肪を持つ美奈の体の一部は私の永遠の敵だ。


 彼女はどうやら考え事をしているようで、私の話にも上の空である。そろそろ、別れ道に着く。互いの家路へと別れる前に結論は出たのだろうか。ふと、美奈がこちらを振り向くと頬を赤くして、モゴモゴと何か呟いた。


「あんたが、なんかしてくれたのは知ってる。お兄ちゃんを助けてくれて、ありがとう。」


 なんというツンデレ。私が感動に浸っていると彼女は走り去っていた。夕焼けが差す三叉路には私とツンデレの余韻が残っていた。


 そんな阿呆なことをぼうっと考えていると私は美奈という人を救えた事が最高に素晴らしいことに感じた。あいらぶつんでれ。あいらぶざわあるど。




 そういえば、私は人生において何人も人を「助けて」きた。そのせいでサボったと思われる事が何回もあった。しかし、今回の事は

いくらなんでも変だ。こんな人生で会うはずのないイベントに一学生の私が参加するのはおかしい。


 いつのまにか、夕陽は沈み空は昏くなり始めている。嫌な予感が背筋を駆け巡る。今日一番なんて物ではない。人生で一番と形容していいほどの不安が波となって襲い掛かる。


 気づくと何かがやってくる気配を全身で感じとった。同時にしわがれた声がどこからか聴こえてきた。




 遠くから 


 狩人が


 やってくる。


 逃げてはいけない。


 審判を迎える時が


 我々にひれ伏す時が来たのだ。


 さあ迎えよう。


 絶望を、恐怖を、深淵を、痛罵を、


 希望を、救済を、天上を、礼賛を、


 永遠から逃れる術を奥底で見つけるのだ。





 とてつもない頭痛が私を襲い、恐怖で歯がガチガチと鳴った。頭を抱えた私は体がふらつき車道へと倒れる。そこで私は迫りくるトラックの光に飲み込まれ、意識を失った。





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