第32話 閑話6 side三雲兄弟
最後の展示エリア。薄暗い空間にぼんやりと浮かぶクラゲを眺めながら、ようやく再会したあの子のことを考える。
初めて出会った頃と変わらない、優しくて可愛い真琴。僕のことを覚えてなさそうだったのは残念だけど、突然だったし随分前のことだから仕方ない。まぁいい、僕は真琴の運命だからね。次会った時は必ず思い出してくれる……そもそもあいつの邪魔さえなければ、今ごろ真琴と……。
「お兄ちゃん?」
握っていた手を引かれながら呼ばれたので、翡翠の方に目を向ける。
「んー?」
「怖い顔してる」
「ありゃ、そんなに?」
「うん」
「ちゃんと笑顔だったと思うんだけど」
真琴に怖がられないよう、笑顔には常に気を配ってきた。いつ再会しても好感を持ってもらえるように。
「僕から見てだから。他の人には分からないから安心して」
「それならそうと早く言ってよ」
翡翠の言葉にホッとする。良かった、真琴には笑顔の僕を覚えてもらえたいから。ダメな笑顔なんて見せたくない。
「……別に無理することはないんじゃない?真琴さんなら受け止めてくれそうだけど」
「そうだね。でも、僕の本性を知っても好きになってくれると思う?」
僕の問いかけに翡翠は黙る。まだまだ幼いとは言え、翡翠は賢い子だ。僕が真琴に対して何をしているのか、それがどう言う意味なのかちゃんと分かっている。
だからこそ黙ったのだろう。咄嗟に嘘を吐いて庇わなかったのは、まだまだ幼い証拠だ。
「で、でも、お兄ちゃんはカッコいいし……あれは止めた方がいいと思うけど……好きなら、仕方ないと思う……」
「無理して庇わなくていいよ。僕だって異常なことは分かってるから」
「……お兄ちゃん、真琴さんが好きならやっぱり」
「無理だよ」
今さら止めることなんて出来ない。だってもうあれは僕の一部でもあるんだ。
もし見ることを止めて、僕の知らない真琴が存在することになったら……僕はおかしくなるかもしれない。現に今、あいつと二人きりなのを監視出来なくて気が狂いそうだ。
もっと仲良くなったら、盗聴器を仕込むことができるのに。そしたら、こんなに狂おしい気持ちを抱えずに落ち着ける。
ああ、早く帰って僕の真琴コレクションを見たい。
「お兄ちゃん……」
「ごめんねぇ、翡翠」
「ううん、僕もちょっとだけ気持ちは分かるから」
「そう……じゃあ、寮に帰ろっか」
「うん」
いつもの笑顔を意識して向けると、翡翠はホッとした顔をして僕の手を握り返してくれた。
真琴と同じくらい翡翠のことは大事だから、あまり怖がらせたくない。安心できる存在でありたい。
でも、もし、翡翠が真琴のことを……。
「その時はその時、か」
「お兄ちゃん?」
「なんでもないよ。お土産コーナー見ていく?」
「うん」
「よぉし、じゃあ行こう」
「そっちじゃないよ」
「ありゃ」
「もー仕方ないなー」
どこか嬉しそうに言いながら、翡翠は僕の前は歩いて行く。頼もしい弟に置いていかれないように。
*
声をかけられた瞬間、どうしようもない感情が生まれた。
真琴さんのことは、お兄ちゃんの部屋で写真を何度も見て知っていた。写真で見ていた感想は特になかった。僕は惹かれるものがなかったし、むしろお兄ちゃんが夢中になっていることの方が不思議でならなかった。
お兄ちゃんは昔からモテて、僕の目から見ても可愛い人は周りにたくさんいた。だけどお兄ちゃんは女の子たちに目は一切向けず、いつも真琴さんばかり見ていた。
わざわざストーカー行為なんてするほど好きになる要素が分からなかったけど、今日初めて本物を見て分かってしまった。どうしようもなく欲しくなってしまった。
「真琴さん……」
繋いでいた手が恋しい。なんとも思ってなかったのに、こんな気持ちになるなんて……。僕もお兄ちゃんと一緒でどうかしてる。あの一瞬で、全てを捧げてもいいと思うほどになるなんて。
「翡翠」
お兄ちゃんを探している時に交換した連絡先を眺めていると、後ろから声をかけられ驚いた。
「な、なにっ、お兄ちゃん」
「あげないよ」
「……まだお兄ちゃんのじゃない」
「そうだねぇ、でも僕のものだから」
底冷えするような目を向けられ、怯んでしまいそうになったがグッと堪える。いくら大好きな兄でも、今回ばかりは譲れない。
「だったら奪うよ」
「ふぅん……」
「ライバルだね。兄さん」
「弟の成長は嬉しいけど、お兄ちゃんと呼ばれないのは少し寂しいねぇ」
「知らない」
「ありゃ、反抗期も?」
「早く帰ろ」
「……はーい」
買ってもらったジンベイザメのぬいぐるみを抱きながら、赤く染まった帰り道を歩く。初恋の人を想いながら。
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