昔話ヒーローズ
第13話 小夜子と朱音の非日常と
晴明の一件から、一週間ほどが経過した。
小夜子の日常に大きな変化は無く、
小夜子と若松はいつものように、依頼が無ければ学校に登校している。ギャル谷と仲良くなったということで、少しだけ話しかけてくる者が増えた。
ギャル谷は相変わらずで「サヨちゃん」と小夜子を呼ぶのが定着したくらいか。相変わらず、学業とバイトに精を出している。
碧はイメージが多少変わった。
ごく普通の少年というものから、クールな感じに変わったということで、女子からは高評価、男子からはスカしてんじゃねえやというのが一部。小夜子と知己であるということもあって、普通の評価からは外れた。
偏差値が高い学校ということもあり、誰かが多少変わったところで、目に見えた大きな何かは無い。とはいえ、子供の集まるところが学校。それなりの人間関係や力関係が変わった節はある。なんにせよ、
晴明のその後は分からない。
小夜子も探ろうとはせず、放置している。
魂魄のみで存在を維持するのは難しいが、あの安倍晴明のことだ。分割した魂魄を式神に埋め込んで、神仏すら欺いた陰陽師であればなんとでもするだろう。
穏やかな日々のある日、若松が小夜子に報告した。
学校での昼休み。重箱をギャル谷とつついていた時のことである。
「次の日曜日に、
「そういえば、そんなことも言っておったな。面倒じゃが、会うだけはしてやるか」
先日からネットフリックスで始まった洋ドラの続きが気になっており、たまの休みは一気に見てしまおうかと考えていたが、諦めるしかあるまい。
小夜子が見ているのは、2008年に米国で放送を開始した【ブレイキングバッド】という連続ドラマである。
簡単なあらすじはこうだ。
冴えない科学教師である主人公ウオルター・ホワイトは、末期癌と診断される。妊娠中の妻と高校生の息子がいる彼は、生きている間に家族に大金を遺したいと考えた。そして、行き着いたのは麻薬密造であった。
どこにでもいるただの男は、麻薬の密造と密売に関わる内、あまりにも危険な自分自身を解き放っていく。先にあるのは破滅と知りながら。
放送当時、米国では社会現象化するほどの人気ドラマであった。日本での知名度は、洋ドラ好きには常識、という程度である。
「むう、続きを見たかったんじゃが、仕方あるまいな」
「お嬢様、ネットフリックスでの配信はまだ継続するようです。一か月以内でしたら支障ないかと思われます」
「うむ、【コブラ会】の続きも早く配信してほしいものよ」
小夜子の言う【コブラ会】とは1984年の米国映画【ベストキッド】の続編ドラマだ。オリジナルキャストが30年後を演じるというファンには嬉しい正統続編である。
「サヨちゃんって、意外とテレビ好き?」
「最近の若者はあまり見ないようじゃが、わらわは嫌いではないぞ。とはいえ、最近は動画配信サービスじゃが」
youtubeには馴染めない小夜子だが、ネットフリックスやU-NEXTは大変便利なものと親しんでいる。素人っぽいノリが苦手なのだ。
「ネットフリックスかあ。あーし、テレビあんま見ないんだけど、映画とかやってんの?」
ギャル谷はスマートフォンをよくいじっている。ポケベルで暗号を送っていた世代の小夜子には、便利すぎてまだ慣れない。
「わらわはだいたい映画と洋ドラじゃな」
「へー、今度見にいっていい。あのでっかいテレビで見たいかも」
「かも、とはなんじゃ。まあ別に良いが」
そのようなことを話している内に、今日は特に何も無く一日が過ぎていった。
年がら年中、小夜子とて魔戦を繰り広げている訳ではない。こういう日もある。
穏やかな日常だが、最近は面倒な仕事もある。そのため、間宮屋敷に詰めていることも増えた。
面倒な仕事の主は、観語一族と、東京秘密路線からなる地下世界に住まう屍食鬼たちへの仕事の斡旋である。
力によって支配下に置いたまではよかったが、彼らにも生活がある。
そうなれば、頭目という立場で彼らを食わせるための運営をせねばいけなくなった。
勢いで何かするものではないな、と小夜子も思う時がある。
退魔師組合に無理を言って、観語一族には木っ端の仕事を優先的に回させ、退魔師の真似事で日銭を稼がせている。そして、屍食鬼たちには魔道士向けの秘薬栽培をやらせていた。
小夜子の知識とコネを出したこともあって、それなりに上手く回っているものの、こんなに支配者というのが面倒なものとは思っておらず今は
学校から帰って、小夜子はネットフリックスでドラマの続きを見ながら、屍食鬼から上がってきた帳簿に頭を悩ませていた。
いつもの居間でのことである。
「あやつら、何を頑張っておるんじゃ」
屍食鬼たちにやらせているキノコ栽培が上手くいきすぎていた。
豊作すぎて、このままで市場に流すと値崩れを起こす。
「若松や、おるか」
「へい、お嬢様。お呼びでございますか」
庭園の手入れをしていた若松がやってきた。植木屋の真似事をさせれば、シザーハンズとまではいかないが、それなりに整えてくれるデキる男だ。
「すまぬが、少し甘いものが欲しゅうなった。なんぞ用意してくれぬか」
「かしこまりました。しばしお待ちください」
小夜子は帳簿から目を離して、急須から茶を注いだ。
ほうじ茶が美味い。
人を雇うべきであろうか。と小夜子は考える。しかし、若松ほど我が意を汲める者がいるとは思えない。
「面倒じゃなァ」
明晰なる小夜子の頭脳をもってすれば、組織運営など簡単なもの。しかし、時間を食うことと、飽きる。そして、何よりも面倒であった。
悪たる者がこのような事務仕事に
支配者は多くを語らず座しているのが絵になるというもの。
そのようなことをつらつらと考えている小夜子だが、甘い匂いに顔を上げた。
「お待たせしました。簡単なものですが、フルーチェでございます」
ガラスの器に盛られたハウス食品株式会社の【フルーチェ】いちご味である。
世間によく知られた自宅で作れるお菓子の代表格であろう。
フルーチェの作り方は至極簡単。
ボウルにフルーチェの原液を入れた後、牛乳を入れて混ぜるだけ。誰でも簡単に美味しくできるということで、40年以上のベストセラーである。
「ほうほう、若松にしては普通じゃな」
「お夕飯も近いことですし、軽いものがよいかと。ハウス食品の公式webサイトには美味しいアレンジレシピもございましたが、この時間ですと少し重たいものです」
ガラスの器に、ふんわりと盛られたフルーチェ。シルバーのスプーンが添えられていた。
簡単なものが一番美味いという時もある。
これがお昼のおやつであれば、若松もカリッと食感になるまで焼いたバタートーストなどを添えたが、あと三時間もすればお夕飯となると、重くならぬようそのままで出すのが良いとの判断であった。
「なるほどのう、よく気がつく男よな。では、いただこうかの」
小夜子はスプーンで一口目をぱくり。
この、飽きのこない子供味。
何もアレンジしない。フルーチェはこれがよい。
「ほうじ茶では味気ないと思い、甘酒を温めております」
若松は続いて、マグカップに注がれた株式会社篠崎の【国菊あまざけ】を差し出した。
本命のフルーチェを一口食べるまで出さぬというのが、彼のにくいところである。
「甘いものに甘いものを重ねるとはのう」
受け取って甘酒を
うむ、この深い味わいよ。
温めた甘酒は飲み口がよくなったように感じられる。通が言うには、出来立てがするするして良いというが、【国菊あまざけ】はなかなかのどろりとしたのど越しだ。
昔ながらの製法と原材料にこだわった、自然な味わいが人気の本格派である。
近年、甘酒には数社が進出し選択の幅が広がった。
どれも同じで違うというもので、好みを探してみるのも良い。【国菊あまざけ】や、ワンカップ大関で有名な大関株式会社【大関甘酒】も人気である。
余談になるが、大関甘酒のwebサイトにもアレンジレシピが公開されており、【フライパンでできる甘酒チーズケーキ】なるものが紹介されている。
菓子作り初心者であったころの若松が挑戦したところ、簡単に驚くほど美味いものができた。小夜子も匂いに釣られてキッチンへ誘い込まれ、人様に出せるモノではないという若松を説き伏せて一つ食べたところ、あまりに美味いと絶賛したほどだ。
「甘酒がいやに爽やかに感じられるのう。美味しいではないか」
「それはようございました」
小夜子が食べ終えるのを見届けて、若松は器を下げて退室した。
少しおやつを食べるだけでも、良い気分転換になる。
日常の楽しみというのは、このようなもので丁度よい。
それぞれの日常も、ところ変われば非日常。
先日、高速道路のサービスエリアで小夜子と縁が出来た少女、
はみ出した一歩でも、取り返しはつかない。
転校した関東地方の田舎町。
両親の離婚で母の故郷にやってきた朱音だが、初日に不思議なことがあった以外は、特に変わったこともなく過ごしていた。
その日も新しい学校で、新しい友達と勉強して、家に帰るといういつもの日常のはずだった。
林道のある公園を抜けて家に帰ろうとしていたが、なぜか林道を抜けられなくなった。
いつまでたっても、公園から出ることができない。
最初は勘違いとも思ったが、同じところを回っているのか、それとも道に迷ったのか、それすら分からずに一時間は歩き続けている。
「なによ、これ」
スマートフォンでGPSを確認してみたが、公園の中心が現在地になっているだけだ。
液晶画面から目を離して前を見ると、変な人がいた。
「えっ」
前方には、すらとした立ち姿の巫女さんがいた。普通の巫女ではないと一目で分かる。
立派な巫女姿だというのに、頭をすっぽり覆い隠す大きさの、薄汚れた段ボール箱を被っている。
何かの仮装かコスプレかと思ったが、すぐに違うと理解できた。ソレが、立ち尽くす姿は、いやに寒々しくて
あ、これダメなヤツだ。
朱音の背筋に、冷たい手で撫でられたような悪寒がぞわりと走る。
近づいてくると思った瞬間、空間を飛び越えたようにして、突如として目の前に巫女がいる。
身長が高い部類に入る朱音よりも、頭二つは背が高い。そして、段ボール箱で顔は見えないというのに、ギラギラと憎悪に満ちた瞳で見下ろされていると分かる。
「けや、けやけや、けや」
段ボール箱の中から、そんな声がした。
朱音の本能が、聴いてはいけないものだと察知する。これ以上は、絶対にいけない。逃げないといけいのに、身体はぴくりとも動かない。
ピロン♪
握りしめていたスマートフォンから、こんな時に似つかわしくない音が鳴る。
反射的に液晶を見れば、あの日と同じように画面には小夜子という少女と撮った画像が表示されている。
『走れ』
耳元で少女の声。
あの日と同じだ。身体の自由が戻って、回れ右して駆けだす。
『右じゃ』
声の言うとおりに、全速力で駆ける。
振り向かなくても、背後からアレが追ってくるのが分かった。
『中の道を行け』
公園にはあるはずの無い道を、声に従って走り抜ける。
見慣れた公園の出口が見えてきた時、詰襟学生服の少年が公園に入ってきた。
「きちゃっ、ダメっ」
朱音が走りながら叫ぶのと、少年が走り出すのは同時だった。
少年は朱音とすれ違って、追いかけてきたアレに鋭い拳を見舞った。
朱音は見た。
目元涼し気な少年が、巫女の姿をした怪物の足を払ったかと思うと、柔道に似た動きで投げ飛ばし地面に叩きつけたのである。
『ほう』
朱音の耳元で、感心したような声がした。
地面に叩きつけられた巫女は、痙攣した後に煙を上げてその輪郭からぐずぐすと溶けだして、消えていこうとしている。だが、薄汚れた段ボール箱だけは溶けずに残った。
「あ、あのっ」
朱音が少年に声をかける。しかし、次にどんな言葉を続けたらいいか分からない。
「アレに触れられなかったか? ……いや、その様子では大丈夫だったか」
振り返った少年が言う。
朱音はようやく落ち着いて少年を見ることができた。長身で、なかなかの美形だ。だが、どこか人を寄せ付けないような鋭い雰囲気がある。詰襟学生服がよく似合っていた。
「えっと、あの、あれって」
「この公園に巣食っていた化け物だよ。今ので退治したから、もう大丈夫だ」
少年はそう言ってから、朱音の顔をしっかりと見た。
目と目が合う。
互いの心臓がドクンと高鳴った。
天野朱音と
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