第12話 小夜子と皆と打ち上げと

 結局のところ、全ては収まるべきところに収まったということか。

 小夜子は深く考えることをやめた。

 それを考えたところで答えなどなく、こだわったところで徒労に終わる。安倍晴明ですら千年をかけて壮大な徒労を行ったにすぎない。


 小夜子と碧が間宮屋敷に戻った時、現世うつしよでは桃太郎との決着から数分しか経過していなかった。

 夕暮れから闇へと移り変わる逢魔おうまとき、間宮屋敷の庭園である。

 異界というのは恐ろしいもので、予期せず十年が経過していたということもありる。進みが速いか遅いか、どちらに偏っても良いことなど無い。


「お帰りなさいませ」


 若松の出迎えは、小夜子の勝利を微塵も疑わない平時と変わらぬものである。


「うむ、今戻った。ギャル谷めはどうしておる」


「魂魄が抜けておりましたせいでしょう。まだぼんやりされていますが、一時間もあればもとに戻られましょう」


「左様か。碧や、食事はとってゆくか?」


 碧は気安いことを言う小夜子に苦笑いを浮かべた。


「頂くよ。魅宝が目覚めたら、何か温かいものを食べさせてやりたい」


 小夜子は目を使って碧を見た。疑似魂魄は上手く機能しているようだ。魂無き者に良識を与えている。


「若松や、今からの準備は大変であろう。何か簡単なものでよいぞ」


「へい、そうと思っておりましたので、生地などは寝かせておりやす」


 仕込みは昨夜と早朝。若松は大変な働き者で、何かあろう時の準備も欠かしていない。


 皆で屋敷に戻った。

 碧は目を覚ました魅宝に何事があったか説明していて、魅宝もまた顛末てんまつに驚いていた。そして、葛の葉の遺髪いはつより造られた子狐の式神は、【あちら側】からやって来た、ある意味では母とも言える存在のことを覚えていた。

 確かな記憶ではないものの、それは温もりのある【死】であったのだろう。

 小夜子の襟巻狐は、つまらなそうに目だけを作ってそれを見ていた。襟巻が魅宝を見守ったのが、邪悪な目論見もくろみであるのか、それとも同族への親愛であったかはようとして知れない。


 ギャル谷が正気に戻ったのは、美味しそうな匂いにつられてのことだ。

 間宮屋敷、数日前にお鍋を食べた居間の座椅子で目覚めた。


 油の爆ぜる音と共に、中華料理屋の前を通った時にある、唐揚げの芳醇な香り。街の中華料理屋はいささか油臭さが強すぎるが、ここ間宮屋敷の油は品質が高いので嫌なものではない。


「ああっ、カラアゲの匂いがするッ」


 隣で魅宝と共にテレビを見ていた碧が、突然の大声にビクっとした。


「ああ、起きたのか。安心したよ」


「あっ、みどりん。よかった、無事だったんだ」


 居間のテーブルの定位置で茶を飲んでいた小夜子が、そこで口を開いた。


「正気に戻ったか。ギャル谷や、全て済んだが、覚えておるか?」


「えっ、あーっと、なんか妖怪が出てきて、それからトンネルみたいなとこで爺さんと喋ってたっけ。よく覚えてないけど、さ×まさんのこと話してた気がする」


 小夜子は怪訝な顔をした。

 さん〇さんというのが、テレビでお馴染みの大御所芸人を示すのは分かる。しかし、あの安倍晴明と何を話しておったのか。見当がつこうはずもない。


「魂魄の記憶じゃからな、曖昧のほうがよかろう。何かで思い出したとして、全て済んだこと。……ギャル谷には助けられた。今日は食べていくといい」


「あーし、なんかやっちゃった?」


 苦虫を噛み潰したような顔になる小夜子。


「助けられたと言ったのじゃ。お前がおらねば、後味の悪いことになったであろうよ。覚えておらんなら、それはそれでよい」


 黄泉平坂よもつひらさかの記憶など、忘れたままが良い。


「口出しすんなーみたいなこと言ってたのに。たまには誰かに頼んなきゃダメだって」


「むむむ、わらわも今回は反論できんな」


 小夜子は言葉とは裏腹に平然とした様子でそう答える。


「えー、そうじゃないっしょ」


「何がじゃ」


「あーしが大活躍? ってことでいいんでしょ。だったらさ、まだ済ましてないのがあるよねェ」


 ニヤニヤしながらギャル谷が言ってくる。

 なんだか納得がいかないものの、スジは通っている。いや、しかし、この場合の理は微妙な気もする。


 小夜子はたっぷり二十秒は悩んでから、意を決した。


「ギャル谷よ、今回は助けられたと言えんでもない。ありがとう」


「えひひひ、サヨちゃんからありがとう頂きましたッ」


 品の無い笑い方をする。それを聞いた小夜子は口をへの字に曲げて、何か言いたい気がするのを押し止めた。


 この世に偶然など無い。きっと、ギャル谷は小夜子のためにいた必然だ。


「なんという品の無い笑い方じゃ。まあよい。丸く収まったしの。今日のお夕飯はその意味でもおあつらえ向きよ」


 ツナギ姿の若松が居間に大皿を持って現れた。


「おや、皆さまも良い加減のようですな。前菜という訳ではありませんが、冷めない内にどうぞ。骨があるんでお気をつけください」


 大皿に山盛りの唐揚げであった。一つ一つも大き目だ。

 濃い色でパリッとしてそうな衣の唐揚げが山と積まれ、唐揚げの下には千切りキャベツとプチトマトなどが添えられている。


「おおー、美味そうッ。若松くんが作ったの!?」


 ギャル谷がはしゃぐ。


「へい、衣はカレー粉やらを混ぜております。漬け込みもしみて、食べごろですよ。ささ、どうぞどうぞ」


 それぞれに取り皿と箸を配膳して、若松は次の料理があると言って退室した。

 ギャル谷がさっそく箸を持って一つ取ろうとした瞬間のことだ。


「これっ、すぐに取るでない」


「えっ、なに、なんなの!?」


「今のは刈谷さんが悪いな。魅宝も覚えておくといい」


「はい、ご主人様」


「え、なんで。どういうこと?」


「まずは、いただきます。これからじゃ」

 

 小夜子は言った次の瞬間に箸を伸ばして、山盛りてっぺんの唐揚げを取り皿に移した。

 碧と魅宝はそれぞれ「いただきます」と言って箸を取る。


「あ、はははは、そうだよね。いただきます。うん、なんか、ちゃんと言ったの久しぶり」


 ギャル谷は言ってから唐揚げを取って、ぱくりと一口目。


 衣に香るカレー風味のしょうゆ味。想像していた唐揚げと少し違っていて、びっくりするくらい肉が美味しい。イメージしていた鳥もも肉より味わいが深い。赤すぎる。

 ギャル谷が、にわとりってこんな美味いの、と言葉を出せずに頭の中で叫ぶほどであった。


 魅宝はあまりの美味しさに嬉しそうな顔になっている。

 小夜子も一口食べて、満足げにうなずいていた。


「流石は若松じゃ。油ギトギトにならず、ほどよくジューシーにカラっと揚げておる」


 碧は、小夜子の口からでるジューシーという言葉に、ついぞ笑いそうになるのを抑えた。


「うまっ、なにこれ。マジでなにこれ、肉が美味しすぎるんですけど」


「美味しいです」


「確かに、美味いな」


 小夜子は皆の反応にドヤ顔であった。


「ほほほ、これはのう、近所の用水路で捕れたワニガメじゃ」


 小夜子を除く全員が「え?」という顔になる。


「うむ、日曜日にテレビを見ておったらな、男前のアイドルが捕まえて食っておったのじゃ。どうしても食べたくなっての。若松に真似をさせてみたのよ。やはり、外来種にはどこも困っておってな。わらわは美味いものが食える、農家は助かるの良いことづくめであった」


 得意げな小夜子に、ギャル谷と碧は何をいうべきか迷った。

 そこに、目をキラキラと輝かせた魅宝がこう言った。


「凄いのです。人助けでみんなが喜んだのですね。小夜子様、流石です」


「ほほほ、苦しゅうないぞ。ささ、冷めぬ内に食べるがよい」


 そう言いながら、小夜子は三つ目の唐揚げに箸を伸ばした。


「あ、うん。そうだね、美味しいし。ワニガメってこんな美味しいんだ」


 ギャル谷は美味しいものという認識で気にならなくなったようだ。

 碧は今回も笑いの衝動をなんとかこらえた。そして、自身も食事を再開する。


 無心に唐揚げを食べながら時間が過ぎゆく。

 大皿の半分は小夜子が食べているのだが、小骨ごとばりばり食べているのがなかなかに異様であった。真似してはいけないと、骨の硬さですぐに気づいた皆は骨を外しながら食べている。


 そこに、若松が今度はさらに大きな皿を持って現れた。


「お待たせしました。素人作りではありますが、ピザでございます。ありあわせのモンでこしらえましたが、半分は市販のピザソースにちょいとトマトを足して、あと半分はマヨネーズで整えています。お好きに切り分けてお召し上がりください」


 綺麗に真ん中で赤と白に別れたピザだ。具材は、とろけるチーズ、ナス、トマト、ししとう、ウインナー、ハムらしきものなど、ありあわせとはいえ豊富である。


 ピザ切りも一緒に持ってきた若松は、小夜子に手渡した。


「わらわ自ら客人に切り分けようぞ」


 小夜子は慣れた手つきで四分割した後、さらに丁度よい大きさに切り分けていく。正確無比なピザ切りであった。

 これも以前に小夜子がテレビで石窯を見た折、欲しくなって業者に石窯を特注で作らせた故の産物だ。

 キッチンの勝手口から外に出ると、間宮屋敷の裏庭に出るのだが、そこに石窯のための小屋がある。若松がツナギを着ていたのは、そこで色々と準備をしていたためだ。


「えっ、これって自家製なの? お料理番長、ホントすごいっていうか、なんなの?」


 ギャル谷は感心しながらも、不思議そうに聞いた。


「お嬢様のお世話をさせて頂いているだけですよ。それと、ピザが美味しいのは【とろけるチーズ】のおかげです」


 なんなの? という問いに対して、若松は正確な回答をする。そして、謙遜も忘れない。


 雪印メグミルク株式会社のロングセラー【とろけるチーズ】シリーズは、特別な技術を必要とせず加熱だけでチーズをとろけさせるという、まさに魔法の域に達したチーズである。

 日本では当たり前だが、こんなに簡単にとろけるチーズは世界的にも類を見ない。ピザトーストなどというものが美味しく出来上がるのは、この市販されている魔法にある。


「そういう意味じゃ、なくないか。そっか、そうだよねぇ」


 ギャル谷は言いながら、小夜子からピザソースがベースらしき赤色のピザを受け取った。

 チーズが伸びて、はふはふ言いながら頬張る。チーズの下からは、ピザソースの甘味とトマトの酸味。ナスのみずみずしさがとても良いアクセント。


 石窯を温めるため、小夜子が異界より炎の精を召喚してまで作らせたピザであった。

 普段は和食だが、たまにテレビなどで見ると食べたくなるものだ。

 食に対する小夜子の考えは一貫している。いつか食べようなどというのは、一生食べない。今、食べるのだ。


「うむ、このナスがよいな」


「お嬢様、大阪で買い求めた【水なす】でございます」


「おお、生姜しょうゆか、そのままで食べるものと思っていたが、火を入れてもこのように美味いのじゃな」


 水なすは、南大阪の名物である。漬物であるが、浸かりが浅い場合にはパスタの具材としても良い。浸かり具合により、様々な食べ方ができる。唯一、足が早いことだけが難点か。


「水なすは本当によろしいものでした。驚きやしたよ。それから、こちらは冷えた瓶入りコーラです。日本のピザといえばこうでしょう」


 どこか古めかしい瓶入りコーラ。カクテルなどを作る際に用いられるが、一般個人での購入は珍しくなった。特に味が変わるものではないが、レトロな瓶入りは、どこか別の美味しさを感じるものだ。


「それでは、あつものの調子を見て参ります」


 若松は言ってから、ギャル谷が引き止める間もなく素早く退室した。


 ピザを皆で食べた。

 魅宝など一枚でお腹いっぱいというものだったが、小夜子らは育ちざかりということもあり、勢いよく平らげた。

 特に変わったものは使っていないということだが、ピザはとても美味しい。生地はふんわりめだが、パンほど厚くないためするすると口に入る。


 ピザがなくなるころに、若松が味噌汁用のおわんに入れたあつものを持ってきた。


「さ、これがシメのあつものです」


 茶色く透き通ったスープは、ネギが散らされているだけの簡素なもの。香りは中華風だった。

 それぞれに受け取って口に入れると、暖かいスープがじわりと染みる。

 中華風のあっさりスープ。

 中華料理店でチャーハンなど頼むとついてくるスープと同系統の味である。鳥ガラに似ているが、それよりもコクと野趣やしゅがある。

 若人の身体には丁度良い、強い味であった。特に、今日は肉体的にも疲れる一日だった。尚更に染みわたるというもの。


「ワニガメの骨から取りましたスープです。顔は今一つで危ない亀ですが、捨てるところの少ない、良いものですよ」


 ワニガメも元はペットだというが、若松のそれは完全に食材として見たものだ。飼育するという気持ちなど微塵も無い。


 抵抗など無くなったギャル谷は躊躇することもなく口をつけた。


「これも美味しい。ほんと、なんなの!?」


 亀のスープは元々が美味いものだ。淡水の亀には珍しく、ワニガメは非常に美味くなる。臭み取りなど料理の手腕もあれど、素材として高品質であることに間違い無い。


「ほほほ、若松はようできる役立つ男よな」


 小夜子の回答も正確なものだが、ギャル谷は少しだけ釈然しゃくぜんとしなかった。


「今日も、良き食事であった。ごちそうさまでした」


 小夜子の言葉の後、皆が「ごちそうさま」で夕食が終わる。

 皆、言葉もないほどに満足した。


 その後、ギャル谷たちは先日と同じように風呂を借りて、泊まることとなった。

 功労者ということもあり、またしてもギャル谷が一番風呂。二番は魅宝、三番は碧、最後に小夜子である。

 若松は、主人と客人の風呂など恐れ多いと、彼にあてがわれた離れのユニットバスを使用している。


 小夜子は皆が寝静まった夜半に、風呂に浸かる。

 常世水の湯で、身体を万全に整えるためだ。当然のことだが、こんな悪水で客人を餓鬼に変生へんじょうさせるわけにはいかない。


「サヨちゃん、なあ」


 小夜子はどこか楽し気につぶやいた。

 ひのきの湯船から常世水をすくう。

 晴明との魔戦、勝利ではなかった。

 まだまだ未熟。


「それにしても、伊邪那美いざなみ様め」


 小夜子はそれを裏切りとは思わなかった。しかし、得心とはいかない。

 悪であれ、と命じられた。

 今の自身は未だ【悪】の格に至っていないのか、それとも何か別の敵に対する悪であるのか。

 小夜子にも、未来は分からない。

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