第10話 小夜子と式神バトルと黄泉の国

 魂魄のみとはいえ、相手は安倍晴明あべのせいめいである。

 その手管てくだ、尋常ではなかった。


「式共、邪魔じゃ。下がっておれ」


 小夜子の言葉と同時に、地面から無数の腕が生えて小夜子の足首を掴む。

 足を掴みとった腕は腐り落ちたが、他の手は地上に這い出した。

 仏教の地獄絵に見る鬼、阿傍羅刹あぼうらせつ共が這い出してくる。


蠅声さばへなすしき神といえど、御仏には罰を受けようもの』


 どのようにしたかは分からぬが、野良鬼ではなく閻魔大王麾下きかの鬼を呼び出した。


「陰陽師が阿傍羅刹を呼びよるか。流石は晴明殿。黄泉軍よもついくさであれば、わらわを襲うことはないと見たな」


八十禍津日やさまがつひよりも新しき邪しき神よ。そなたの来た場所に戻られよ』


「ほほほほ、【あちら側】を通らねば戻れぬ場所じゃ。晴明殿こそ死者は死者らしく、くべき所へかれよ」


 小夜子は大きくを息を吸い込んで、吐息を吐き出した。

 小夜子の吐息を受けた鬼どもは、苦しみもがき肉を腐らせて倒れ伏す。


『恐るべき黄泉の穢れ。ならば、伊邪那岐いざなぎ大神にならおうぞ』


 魂魄のみの晴明が撫紙なでかみを放った。手のひらサイズの、人の形に切り抜かれた白い紙である。

 晴明が小さく何かを唱えた。

 あれは不味い。小夜子は本能的な危機を感じ取って晴明に肉薄した。

 小夜子は様々な術をつかうが、最も信頼しているのは己が肉体であった。異界の大いなる生命の肉体は、魂魄ですら掴み取ることができる。


 晴明の頭に手を伸ばしたその瞬間。小夜子の右手が、突如として現れた白刃により切断された。


「ぬっ、何者じゃ」


「晴明よ、随分と危ないものとやっておるな。麻呂まろでなくば、間に合わなんだぞ」


 撫紙が変じたのは、美丈夫であった。

 その、あまりにも美しい立ち姿。年頃の娘であれば、見ただけで腰が砕けるほどの男前。

 日本人ならば、誰もがその立ち姿だけで何者か言い当てられる。


『桃太郎様、此度こたびは我がための御足労、痛み入ります』


 桃の描かれた鉢巻。そして、あまりにも有名な陣羽織姿の桃太郎は、その秀麗な相貌そうぼう酷薄こくはくな笑みを浮かべた。


「むっ、必殺の霊的国防兵器までをも意のままに使役しえきするか」


 その術の冴え。恐るべし、安倍晴明。


「桃太郎殿、彼奴きゃつは黄泉より魂を戻さんとしておる。ことわりを乱すものの手先となるか。鬼退治の相手を間違うてはおらぬかや?」


「麻呂からすれば、貴様こそ現世に迷い出た鬼でおじゃる。晴明よ、そなたの目的には目を瞑ってやろうぞ」


 晴明の恐ろしいところがこれだ。幾多の式神を操り、その場で最も有効なものを瞬時に繰り出してくる。


『感謝致します。桃太郎卿、この場はお任せ致します』


「晴明殿、わらわからの忠告じゃ。行かば、後悔することになるぞ」


 桃太郎の斬撃を、再生させた触手のごとき右手で受け止めた小夜子が言う。この場にいる者で、若松だけがその手が花子さんのものと分かる。


『幼き日よりの本懐ほんかいを遂げることこそが、我が生きた証。しからば御免仕ごめんつかまつる』


 晴明の呪により、香雪鬼が女の姿から梅の古木へ変じた。

 香雪鬼の抵抗むなしく、彼女では何もできない。そして、火車三味線が猫の声で啼く。吸血魔は倒れ伏して、大量の血を吐いていた。


 なるほど、と戦いの最中に小夜子は感心した。


 黄泉の国は根の国とも呼ばれる。

 香雪鬼、梅鬼太夫は樹木の精。地に根を張り、死者の案内人である火車が隣にある。そして、血の穢れである吸血魔。最後に碧という魂無き人間。彼らが揃うだけで、そこは黄泉の入り口として見立てられる。

 碧の身体は、血の池に沈み込んでいく。

 吸血魔を、血引きの池として、千曳岩ちびきのいわに見立てたか。

 晴明は式共と共に、黄泉平坂よもつひらさかに消えた。


「行けや晴明。このバケモノは麻呂が退治して進ぜる」


「好き放題言いよるわ。桃太郎殿、今のそなた、完全ではあるまい」


 桃太郎はにやりと笑った。


「不完全な麻呂に足止めされておるのは事実でおじゃる。異界の女鬼よ、ここでしまいじゃ」


「ほほほほ、果たして足止めが出来ておるかな? バケモノにはバケモノの矜持きょうじがあると、思い知らせてくれるわ」


 晴明が消えた後の戦いは、凄惨そのもの。

 切り刻まれれば瞬時に再生する小夜子は、人の形を無くした体で桃太郎へ襲い掛かる。三匹のお供がいれば桃太郎にも勝機はあったかもしれない。

 桃太郎に地の利というものが一切無い間宮屋敷では、小夜子の得意とする泥仕合が圧倒的に有利であった。

 鬼退治に用いられる神懸かりの剣技も、その身に傷を負うごとに精彩を欠いていく。


「見誤ったわ。バケモノが」


 桃太郎が言葉を発したと同時に、小夜子の触手が彼の胸を貫いた。


「ほほほほ、わらわも桃太郎殿と同じく不完全。次があれば、今度は互いに完全な姿でやりましょうぞ」


「クソ、そういうことか。貴様のようなバケモノ、二度と御免でおじゃる」


「流石は女泣かせの桃太郎殿。つれないことを言われますな。そなたのために自害した女鬼とわらわは違いますぞ」


「ッ。クソガキが、地獄に堕ちろ」


 悪態と共に、桃太郎は撫紙へと戻った。

 これで式神としての桃太郎は消えた。晴明の切り札、その一枚に打ち勝ったということになる。


「お嬢様っ」


 若松が駆けよってくるのを、小夜子は手で制した。


「分かっておる。すでに手は打った」


「ははっ、刈谷様のお身体はどのようになさいますか」


 ちらりと小夜子が見たのは、倒れ伏しているギャル谷だ。魂魄が抜けてしまっている。碧の近くにいたため、術の巻き添えになったものだ。

 今頃、魂魄は晴明らと共に黄泉平坂を進んでいるだろう。


「寝かせておけばよい。いずれにせよ、そろそろじゃ」


 小夜子は言って、両手に奇怪な印を組んだ。






 一方そのころ。晴明は碧の肉体に入り込み、魅宝と共に黄泉平坂を進んでいた。

 黄泉平坂は闇の広がる場所だ。

 広大な坂道を下れば、死者の国へ行き着くとされる。


『さあ、進め』


 晴明の指示に従って、碧は坂を下る。


「爺さんさぁ、どうしてこんなことしてんの?」


 同道するギャル谷の魂魄が、なんでもないことのように聞いた。


『……子供に分かるものではない』


「んなこと言わずに、教えてよ。死んだお母さんに会いたいの?」


 晴明は呪を用いてギャル谷の魂魄をどこかに追儺ついなしてやろうかとも考えたが、黄泉醜女よもつしこめ黄泉軍よもついくさが無視してくれる今、不測の事態を呼び込みかねない。そのように考え直す。

 それに、時間すらあやふやなこの場所だ。むしろ、話し相手がいれば、感覚を狂わされることの対策になる。

 巻き添えにすれば、あの小夜子という怪物の気をひけるかとも思ったが、全く気にした様子はなかった。やはり、姿は人でも化生けしょうの類いか。


『母と別れたのは五つのころだ。すでにその時には、神霊となっていた』


 安倍晴明の母親は、葛の葉くずのはという名の白狐であったとされる。


「シンレイ、って幽霊みたいな?」


 現代人は信仰など失って久しい。単語の一つから説明してやらねば、話をすることすら難しい。


『神の霊という意味だ。母は、人間には無い神の知識を授けてくれた。……父は、昔は人の女に化けていたと言っていたが、記憶の中の母はすでに人の言葉など通じなかった』


 そういうものだと、晴明は幼いながらに理解していた。

 座敷牢で神託のように、知識を授けてくれる母。

 五つのころに母は神の世界へと還った。ということになっている。

 本当は、神に近づきすぎた葛の葉を扱いきれなくなって、父が秘密裏に始末した。


「あー、大変だったんだね。あーしもママが小さいころに死んじゃったから、分かるよ」


 晴明は反射的に何か言おうとしたが、それを飲み込んだ。


『娘、お前には分かるまい。母はどうして、この世に私を産み落としたのか』


「えっ、できちゃったからじゃね?」


 晴明は苦虫を嚙み潰したような表情で、魂魄の身でありながら息を大きく吸い込んで、大きく吐いて深呼吸した。

 小娘の魂魄などに感情を乱されるとは。さしもの晴明も、若者の感性にはついていけない。


『なんとはしたない言いようか』


「爺さんは考えすぎだって。好きな男の赤ちゃんできて、産んだだけっしょ」


『稲荷大明神のめいによるものであると、後になって知った。母は、何を思いこの私を産み落としたのか。この身は、稲荷大明神によって作られたものか。知らねばならんのだ』


「政略結婚的なヤツね。でも、本気でイヤだったら子供の世話とかしねーし。すぐ家出して、どっかでやり直すってば」


 あの座敷牢は、神霊を留めておけるような代物であっただろうか。その気になれば、晴明の母、葛の葉は出ていけたのか? それは、晴明にも分からぬことだ。

 この先に、答えはある。

 高天原たかまがはらへ還ったのではない。父の手にかかったのだから、根の国にいる。神であれ、それは同じこと。


『やり直すか。そうであれば、現世うつしよに連れ戻すのが、親孝行というもの』


「死んだらそれで終わりじゃね? 爺さんさあ、死んだらそれで終わりだよ。あーしのママも生き返ったりしないし」


『お前は、母親に会いたいとは思わんのか?』


「死んでるからねェ。無理っしょ。会えたらいいけど、そういうの信じてないし」


 無知蒙昧むちもうまいな現代人め。と晴明は苦々しく思う。

 魂魄を分割して式に保持させてきたが、時代の変遷で式たちはあのような姿になった。晴明にとっては好都合であったが、現代人の価値観は愚かにつきる。


『その日だけを生きるのであれば、獣と変わらぬ』


「人間はドーブツだよ。クソみたいなヤツばっかりだし、ヤダなってことの方が多いもん」


『ならば、獣の母より産まれた我が身のほうが、人かもしれんな』


「明×家さ×まさんがテレビで言ってたよ。ニンゲンなんて、昨日と今日に何したかだけだって。いいこと言うなあって思ったけど、爺さんはどうなの?」


『……』


 昨日と今日。

 生前の晴明は、最終的には従四位じゅしいの地位にまで昇った。そして、自らは神格として祀られるに至り、一族は名門として生きた。

 たが、昨日と今日。そこに何があっただろうか、常に権力闘争に明け暮れていただけかもしれない。


『今こそが、あの日、昨日と今日にできなかった親孝行である』


「そん時にやっときゃよかったのに。あーしもママが生きてた時にこうしてたらなあって考えたりするけど、もう無理だし、意味ないよ」


『我が術は結実した。無理ではない』


「それってズルじゃない?」


『ええい、生意気ばかり言う小娘め』


 晴明は言葉に詰まり、語気を荒げた。

 大人が困ることを言うガキめが。と晴明は自身の矛盾から目を逸らして思う。

 天地の理を知りながら、それに逆らう。いや、それは母が、ともすれば稲荷大明神が始めたこと。


 毒を喰らわば、皿までよ。


 人と神が交わりした子は、産まれない宿命にある。

 三輪山の伝説でも、蛇神と子を為した巫女は、女陰ほとを箸で突いて死した。


「爺さんさ、もうやめといたら? 番長が怒ったら怖いし。それに、なんかさ、会わない方がいいと思うよ。知らないままの方がいいこととか、いっぱいあるよ」


『もう遅い。ここまで来た』


 いつしか坂をくだりきっていた。

 そこかしこに異様な気配が満ちている。


「あの世ってこんな感じなんだぁ。薄暗くてヤな感じ」


『母よ、参られよ。そして、共に現世に戻ろうぞ』


 晴明がしゅを起動させた。

 魂なき碧であれば、黄泉の主である伊邪那美大神の目をあざむける。


『ここに肉体を造った。参られよ』


 魅宝は晴明の母である葛の葉の遺髪より造りだした式神である。


「わらわを相手にそうはいかぬぞ」


 碧の背後から、小夜子の声が聞こえた。


『あなや』


 晴明ですら驚きの声を上げた。

 碧の身体を通して見たものとは、地を這う女の白い細腕。

 桃太郎が斬り落とした小夜子の右腕であった。


 ぴょんと跳んだ細腕が碧の喉を締め上げた。そして、その切断面より肉が蠢いて小夜子の肉体が作り出される。


『うぐ、まさか、腕に本体を移したか』


「ほほほほ、晴明殿がまともに相手をしてくれぬことなど分かっておったわ。桃太郎殿は、わらわが影に相手をさせた。なかなかの強敵であったぞ」


 小夜子の右腕を起点に、髑髏と彼岸花の和装まで再生されている。尋常の呪では考えられないことだ。


『お、おのれ、ここまで来て』


「ここで止めるのはわらわの慈悲と知れ。さあ、仕切り直しじゃ」


 黄泉平坂の最奥にて、小夜子と晴明の魔戦が再開される。

 

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