第10話 小夜子と式神バトルと黄泉の国
魂魄のみとはいえ、相手は
その
「式共、邪魔じゃ。下がっておれ」
小夜子の言葉と同時に、地面から無数の腕が生えて小夜子の足首を掴む。
足を掴みとった腕は腐り落ちたが、他の手は地上に這い出した。
仏教の地獄絵に見る鬼、
『
どのようにしたかは分からぬが、野良鬼ではなく閻魔大王
「陰陽師が阿傍羅刹を呼びよるか。流石は晴明殿。
『
「ほほほほ、【あちら側】を通らねば戻れぬ場所じゃ。晴明殿こそ死者は死者らしく、
小夜子は大きくを息を吸い込んで、吐息を吐き出した。
小夜子の吐息を受けた鬼どもは、苦しみもがき肉を腐らせて倒れ伏す。
『恐るべき黄泉の穢れ。ならば、
魂魄のみの晴明が
晴明が小さく何かを唱えた。
あれは不味い。小夜子は本能的な危機を感じ取って晴明に肉薄した。
小夜子は様々な術を
晴明の頭に手を伸ばしたその瞬間。小夜子の右手が、突如として現れた白刃により切断された。
「ぬっ、何者じゃ」
「晴明よ、随分と危ないものとやっておるな。
撫紙が変じたのは、美丈夫であった。
その、あまりにも美しい立ち姿。年頃の娘であれば、見ただけで腰が砕けるほどの男前。
日本人ならば、誰もがその立ち姿だけで何者か言い当てられる。
『桃太郎様、
桃の描かれた鉢巻。そして、あまりにも有名な陣羽織姿の桃太郎は、その秀麗な
「むっ、必殺の霊的国防兵器までをも意のままに
その術の冴え。恐るべし、安倍晴明。
「桃太郎殿、
「麻呂からすれば、貴様こそ現世に迷い出た鬼でおじゃる。晴明よ、そなたの目的には目を瞑ってやろうぞ」
晴明の恐ろしいところがこれだ。幾多の式神を操り、その場で最も有効なものを瞬時に繰り出してくる。
『感謝致します。桃太郎卿、この場はお任せ致します』
「晴明殿、わらわからの忠告じゃ。行かば、後悔することになるぞ」
桃太郎の斬撃を、再生させた触手のごとき右手で受け止めた小夜子が言う。この場にいる者で、若松だけがその手が花子さんのものと分かる。
『幼き日よりの
晴明の呪により、香雪鬼が女の姿から梅の古木へ変じた。
香雪鬼の抵抗むなしく、彼女では何もできない。そして、火車三味線が猫の声で啼く。吸血魔は倒れ伏して、大量の血を吐いていた。
なるほど、と戦いの最中に小夜子は感心した。
黄泉の国は根の国とも呼ばれる。
香雪鬼、梅鬼太夫は樹木の精。地に根を張り、死者の案内人である火車が隣にある。そして、血の穢れである吸血魔。最後に碧という魂無き人間。彼らが揃うだけで、そこは黄泉の入り口として見立てられる。
碧の身体は、血の池に沈み込んでいく。
吸血魔を、血引きの池として、
晴明は式共と共に、
「行けや晴明。このバケモノは麻呂が退治して進ぜる」
「好き放題言いよるわ。桃太郎殿、今のそなた、完全ではあるまい」
桃太郎はにやりと笑った。
「不完全な麻呂に足止めされておるのは事実でおじゃる。異界の女鬼よ、ここで
「ほほほほ、果たして足止めが出来ておるかな? バケモノにはバケモノの
晴明が消えた後の戦いは、凄惨そのもの。
切り刻まれれば瞬時に再生する小夜子は、人の形を無くした体で桃太郎へ襲い掛かる。三匹のお供がいれば桃太郎にも勝機はあったかもしれない。
桃太郎に地の利というものが一切無い間宮屋敷では、小夜子の得意とする泥仕合が圧倒的に有利であった。
鬼退治に用いられる神懸かりの剣技も、その身に傷を負うごとに精彩を欠いていく。
「見誤ったわ。バケモノが」
桃太郎が言葉を発したと同時に、小夜子の触手が彼の胸を貫いた。
「ほほほほ、わらわも桃太郎殿と同じく不完全。次があれば、今度は互いに完全な姿でやりましょうぞ」
「クソ、そういうことか。貴様のようなバケモノ、二度と御免でおじゃる」
「流石は女泣かせの桃太郎殿。つれないことを言われますな。そなたのために自害した女鬼とわらわは違いますぞ」
「ッ。クソガキが、地獄に堕ちろ」
悪態と共に、桃太郎は撫紙へと戻った。
これで式神としての桃太郎は消えた。晴明の切り札、その一枚に打ち勝ったということになる。
「お嬢様っ」
若松が駆けよってくるのを、小夜子は手で制した。
「分かっておる。すでに手は打った」
「ははっ、刈谷様のお身体はどのようになさいますか」
ちらりと小夜子が見たのは、倒れ伏しているギャル谷だ。魂魄が抜けてしまっている。碧の近くにいたため、術の巻き添えになったものだ。
今頃、魂魄は晴明らと共に黄泉平坂を進んでいるだろう。
「寝かせておけばよい。いずれにせよ、そろそろじゃ」
小夜子は言って、両手に奇怪な印を組んだ。
一方そのころ。晴明は碧の肉体に入り込み、魅宝と共に黄泉平坂を進んでいた。
黄泉平坂は闇の広がる場所だ。
広大な坂道を下れば、死者の国へ行き着くとされる。
『さあ、進め』
晴明の指示に従って、碧は坂を下る。
「爺さんさぁ、どうしてこんなことしてんの?」
同道するギャル谷の魂魄が、なんでもないことのように聞いた。
『……子供に分かるものではない』
「んなこと言わずに、教えてよ。死んだお母さんに会いたいの?」
晴明は呪を用いてギャル谷の魂魄をどこかに
それに、時間すらあやふやなこの場所だ。むしろ、話し相手がいれば、感覚を狂わされることの対策になる。
巻き添えにすれば、あの小夜子という怪物の気をひけるかとも思ったが、全く気にした様子はなかった。やはり、姿は人でも
『母と別れたのは五つのころだ。すでにその時には、神霊となっていた』
安倍晴明の母親は、
「シンレイ、って幽霊みたいな?」
現代人は信仰など失って久しい。単語の一つから説明してやらねば、話をすることすら難しい。
『神の霊という意味だ。母は、人間には無い神の知識を授けてくれた。……父は、昔は人の女に化けていたと言っていたが、記憶の中の母はすでに人の言葉など通じなかった』
そういうものだと、晴明は幼いながらに理解していた。
座敷牢で神託のように、知識を授けてくれる母。
五つのころに母は神の世界へと還った。ということになっている。
本当は、神に近づきすぎた葛の葉を扱いきれなくなって、父が秘密裏に始末した。
「あー、大変だったんだね。あーしもママが小さいころに死んじゃったから、分かるよ」
晴明は反射的に何か言おうとしたが、それを飲み込んだ。
『娘、お前には分かるまい。母はどうして、この世に私を産み落としたのか』
「えっ、できちゃったからじゃね?」
晴明は苦虫を嚙み潰したような表情で、魂魄の身でありながら息を大きく吸い込んで、大きく吐いて深呼吸した。
小娘の魂魄などに感情を乱されるとは。さしもの晴明も、若者の感性にはついていけない。
『なんとはしたない言いようか』
「爺さんは考えすぎだって。好きな男の赤ちゃんできて、産んだだけっしょ」
『稲荷大明神の
「政略結婚的なヤツね。でも、本気でイヤだったら子供の世話とかしねーし。すぐ家出して、どっかでやり直すってば」
あの座敷牢は、神霊を留めておけるような代物であっただろうか。その気になれば、晴明の母、葛の葉は出ていけたのか? それは、晴明にも分からぬことだ。
この先に、答えはある。
『やり直すか。そうであれば、
「死んだらそれで終わりじゃね? 爺さんさあ、死んだらそれで終わりだよ。あーしのママも生き返ったりしないし」
『お前は、母親に会いたいとは思わんのか?』
「死んでるからねェ。無理っしょ。会えたらいいけど、そういうの信じてないし」
魂魄を分割して式に保持させてきたが、時代の変遷で式たちはあのような姿になった。晴明にとっては好都合であったが、現代人の価値観は愚かにつきる。
『その日だけを生きるのであれば、獣と変わらぬ』
「人間はドーブツだよ。クソみたいなヤツばっかりだし、ヤダなってことの方が多いもん」
『ならば、獣の母より産まれた我が身のほうが、人かもしれんな』
「明×家さ×まさんがテレビで言ってたよ。ニンゲンなんて、昨日と今日に何したかだけだって。いいこと言うなあって思ったけど、爺さんはどうなの?」
『……』
昨日と今日。
生前の晴明は、最終的には
たが、昨日と今日。そこに何があっただろうか、常に権力闘争に明け暮れていただけかもしれない。
『今こそが、あの日、昨日と今日にできなかった親孝行である』
「そん時にやっときゃよかったのに。あーしもママが生きてた時にこうしてたらなあって考えたりするけど、もう無理だし、意味ないよ」
『我が術は結実した。無理ではない』
「それってズルじゃない?」
『ええい、生意気ばかり言う小娘め』
晴明は言葉に詰まり、語気を荒げた。
大人が困ることを言うガキめが。と晴明は自身の矛盾から目を逸らして思う。
天地の理を知りながら、それに逆らう。いや、それは母が、ともすれば稲荷大明神が始めたこと。
毒を喰らわば、皿までよ。
人と神が交わり
三輪山の伝説でも、蛇神と子を為した巫女は、
「爺さんさ、もうやめといたら? 番長が怒ったら怖いし。それに、なんかさ、会わない方がいいと思うよ。知らないままの方がいいこととか、いっぱいあるよ」
『もう遅い。ここまで来た』
いつしか坂をくだりきっていた。
そこかしこに異様な気配が満ちている。
「あの世ってこんな感じなんだぁ。薄暗くてヤな感じ」
『母よ、参られよ。そして、共に現世に戻ろうぞ』
晴明が
魂なき碧であれば、黄泉の主である伊邪那美大神の目を
『ここに肉体を造った。参られよ』
魅宝は晴明の母である葛の葉の遺髪より造りだした式神である。
「わらわを相手にそうはいかぬぞ」
碧の背後から、小夜子の声が聞こえた。
『あなや』
晴明ですら驚きの声を上げた。
碧の身体を通して見たものとは、地を這う女の白い細腕。
桃太郎が斬り落とした小夜子の右腕であった。
ぴょんと跳んだ細腕が碧の喉を締め上げた。そして、その切断面より肉が蠢いて小夜子の肉体が作り出される。
『うぐ、まさか、腕に本体を移したか』
「ほほほほ、晴明殿がまともに相手をしてくれぬことなど分かっておったわ。桃太郎殿は、わらわが影に相手をさせた。なかなかの強敵であったぞ」
小夜子の右腕を起点に、髑髏と彼岸花の和装まで再生されている。尋常の呪では考えられないことだ。
『お、おのれ、ここまで来て』
「ここで止めるのはわらわの慈悲と知れ。さあ、仕切り直しじゃ」
黄泉平坂の最奥にて、小夜子と晴明の魔戦が再開される。
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