第8話 小夜子と六つの式神

 ギャル谷と碧が起き出したころには、小夜子は起床して居間のテレビで国営放送を見ているところだ。

 今日も髑髏と彼岸花の柄の入った和装である。


「おはよう。朝早いんだね。その着物って何着あるの?」


「毎日替えておるぞ」


 ああ、たくさんあるんだ。と、ギャル谷は理解した。

 とんでもないお金持ちで、ご両親は住んでいる気配すらない。広い屋敷に小夜子と若松の二人で住んでいる。

 妖怪退治的なことをしているのだから、普通でないのは分かる。


「さあ、そろそろ食事の時間じゃ。朝はよく食べねばならんぞ」


 いつもなんか食ってる。

 小夜子の細い身体にどれだけ入るのか、ギャル谷は不思議に思った。

 若松が料理を載せたお盆を持って部屋に入ってくると、ギャル谷と碧から先に配膳していく。

 手伝おうと碧が声をかけるが、若松は「お客様にさせられやせん」と断って配膳を続けた。

 全員分が揃った後、小夜子による「いただきます」で食事が始まる。


 今日の朝食は、しじみの味噌汁、出汁巻き卵、カマスの開きであった。添えられた大根の昆布締めが嬉しい。


「あのさあ、若松くん。ごはんに醤油かけたら怒る?」


 ギャル谷が遠慮がちに問う。

 こんなこと人の家でしていいのかな、というものと、全部一人で作っている若松にも悪いという気持ちがある。


「鰹節もありますんで、お試しください」


 パックの花かつおまで渡してくれた。高級品かと思いきや、ヤマキから販売されている小分け花かつお【徳一番かつおパック】である。


 ギャル谷はパックを開いて、花かつおをご飯の上に半分ほどふりかける。そして、【ヤマサ特選醬油】を回しかけた。


 なぜか、小夜子と碧、若松までもが箸を止めてその様子を注視している。

 目の前のご飯に集中しているギャル谷は、凝視されていることに気づかず、この猫まんまを口に入れた。


「んまぃ」


 ご飯が熱くて、変な発音になった。

 めちゃくちゃ美味い。

 玄米3、白米7の刑務所採用配合のご飯。醤油をかけただけなのに美味い。なんでこんなに美味いのか、理解できないくらい美味い。

 ヤマサ特選醤油は庶民も買える普通のお醤油だし、ヤマキの花かつおもスーパーで普通に買えるかつおぶしだ。

 米に秘密があるのか、それとも炊き方か。


「若松くん、美味し、これ美味しい」


「それはようございました」


 これだけイイ顔で美味しいと言われたら、流石の若松も口元に笑みが浮く。

 美味しいと言われて嬉しくない料理人など、いない訳ではないがごく稀だ。この点においては、若松も大多数に含まれた。


「……若松や、わらわにも一つ花かつおじゃ」


「あっ、真似した」


「たまには庶民的なものも悪うない」


 碧は「好みは様々だな」と思った後、普通に食事を再開する。魂が無い。


 小夜子につられて食べ過ぎたギャル谷が体重を気にした時には、そろそろよい時間だ。

 食事を終えて学校へ行くことになる。


「原付と自転車は表に置いてある。遅刻せんように行くといい」


「番長はサボり?」


「学業はサボりじゃ。碧との取引を先に片付けねばならん。近場の吸血鬼を捕らえた後に、ちらばっておる残りの妖魔を捕まえに行く」


「え、それって戦うってことなんだろうけど、大丈夫なの?」


 ギャル谷の言葉には、小夜子の身を案じる不安が含まれている。


「ギャル谷は面白いの。わらわがあの程度の式におくれをとるものかや。大阪へ赴く。さっさと片付けて観光して帰るつもりじゃ」


「観光、いいなあ。おみやげお願いね」


「任せよ」


 碧がちらりと隣の部屋を見やった後に口を開く。


「魅宝はどうする? 連れて帰ってもいいが」


「お守りはつけておる。ほれ、悪さをするでないぞ」


 布団で眠りこける魅宝の隣には、小夜子が愛用する毛皮の襟巻えりまきがあった。狐毛皮の襟巻はひとりでに立ち上がって、大型犬ほどの大きさの白狐へと姿を変えた。


 白狐は忌々し気に小夜子を一瞥いちべつしてから、魅宝の枕元で丸くなる。


「あれは?」


 碧の問いに感情は無い。ただ聞いただけだ。


「以前に調伏した九尾の狐じゃ。残り滓とはいえ、そこらの妖物には手も出せまいて」


 外法陰陽師の記憶と照らし合わせても、あれだけの化け物など見たこともない。あれで残り滓。これは逆らわなくて正解だと、改めて碧は思った。

 そうして、皆は別れることとなった。

 屋敷から送り出されて、ギャル谷は碧を見やる。


「魅宝ちゃんだっけ、心配だね」


「いや、どこにいるより安全じゃないか」


 間宮屋敷を一度振り返った碧には、強烈な認識できない力を感じ取れた。

 こんな場所に突撃をするほどの馬鹿が、果たしてこの世にいるものか。いるとしたら、それこそ小夜子と同格の怪物。彼女の言う【敵】だけだろう。


「みどりん、知ってたら教えて欲しいんだけど」


「え、みどりん? 俺のことか」


「うん。いいっしょ、これからみどりんで。番長って、なんでスゲー術みたいなの使う時、隠さないの? もしかしてわたしが知らないだけで、使える人ってたくさんいるの?」


「ああ、そういうことか。俺もそこまで詳しくないけど、多分、隠す気がないのって間宮さんだけだと思う」


「やっぱ、そうだよねェ」


 小夜子が消えた瞬間を見た同級生は他にもいた。確かに見ているのに、それがおかしいことと言ったのはギャル谷だけ。皆、何か自分を納得させる理由を見つけて、なかったことにしている。


「魅宝ちゃん、一人で寂しくないかな」


「大丈夫。多分、終わるまで目を覚まさない」


 碧の言葉は果たしてギャル谷に向けたものであったのだろうか。彼自身にも分からぬことであった。






 学校と警察には若松が連絡を入れた。

 学校には、裏稼業で数日休むこと。

 警察には、街で妖怪を追うから、騒ぎになった時の隠蔽。

 どちらにもたっぷり金を落としているし、何より力を見せつけている。回答はイエスしか許されない。


 最初の標的は、ポンコツ吸血鬼のベス。正式名称エリザベートだ。


 吸血鬼のベスはバイト先のコンビニで、バックヤードに追い詰められている。


「なんでなんでなんで、あんなヤツ知らない。知らないのにっ、どうして」


 ガタガタ震えながら、頭を抱えてうずくまっている。

 縛りが解けた瞬間、バイトの同僚と店長の喉笛を食いちぎって血を吸った。店のシャッターを下ろして、二人分の血を堪能している内に朝を迎える。

 満腹になったことだし、バックヤードで気持ちよく眠ろうという時に、目の前にソレが来た。

 

「お前が吸血鬼じゃな。おとなしくしておれば、痛くはせんぞ」


 退魔師の類いと認識し、魅了の魔眼を使う。瞬間、ベスの両目が沸騰して弾けた。

 たっぷり血を吸っていたおかげで、すぐに両眼は再生してくれた。

 怒りにまかせて反撃の爪を振り被れば、何をされたかも分からない内に、その手がミイラ化して干からびた。


 恐慌に陥って逃げこんだバックヤードで、ベスは頭を抱えて震えることしかできないでいた。


 こんなはずじゃない。


 外法陰陽師に歪められた今までを取り戻すため、ベスは血を吸って全盛期の美を取り戻し、闇の世に返り咲くと決めていた。陰陽師のことなどどうでもいい、他の式に後は任せて、自らは好きにやろうと考えていたのに、アレが来た。


「や、やだぁ。こないでよっ、こないで、こないでぇっ」


「ほほほ、そうはいかん契約でな。さて、元の姿に戻してやろうかの」


 小夜子が名状し難い力を発すれば、ベスの金髪は黒髪へと変じて、その年嵩としかさも二十歳代の女へと変わる。同時に、魂魄の記憶と式の識も読み取っていた。


「妙な呪じゃな。そなた、元は平安時代の人間が吸血魔へと変じたものかや」


 存在を歪め、弱体化させる。

 弱体化させて支配し、式として意のままに操る。これは使役魔を使う時の基本的な手段だ。だが、外法陰陽師のやり方はさらに進んでいる。現代のそれよりも進化している代物だ。


 外法陰陽師、あまりにも才能を無駄遣いしているとしか言いようがない。


【あちら側】へ還ることを拒むためだけに、よくもまあこれだけのしゅを造りだしたもの。小夜子は呆れとも驚嘆ともつかない気持ちでそう思う。

 小夜子から見ても、呪の構造は天才的としか言いようがなかった。これだけ完璧に存在を歪めるなど、並の陰陽師にできることではない。


「集合的無意識から人に好まれる怪物の像を解析し、自動的に存在を歪める呪とはのう。蝙蝠の精により変じた吸血魔も、令和時代では愛されドジっ娘吸血鬼に変換されたか」


 未来である令和は、小夜子の感性から遠くにある。


 集合的無意識と同期しての、存在の最適化自動更新アップデート


 魅宝も茶釜狸も、集合的無意識の【人々から好まれている】ものに沿って最適化自動更新された結果、あの無害な姿になった。

 強すぎれば退魔師に狙われ、弱すぎれば他の妖魔に喰らわれる。

 梅鬼だけが、式神を集結させるための実行役として凶悪なものにされた。

 時代に合わせて生き残り、自動で進化していく式神。人間の執念と執着が、それを作り出した。


「なんという天才じゃ。蘇りなぞやらんでも、この呪を自分に使えばよいものを」


 もし、そうしていれば、小夜子は敗北を喫してしていたかもしれない。それほどの可能性を秘めた呪である。

 

 吸血魔へと戻ったベスが一度顔を上げ、すぐに小夜子に平服した。


「おお、我が身にかけられた忌まわしき呪を解いてくださるとは」


 平安時代のものであろうか、吸血魔の言葉は現代の言葉とは発音が違う。小夜子には聞き取れるが、余人には歌を詠んでいるように聞こえただろう。


「そなたは、蝙蝠の精を取りすぎたようじゃな。もはや、その身は妖物。わらわの式となるもよし、あちら側へ行くもよし。選ぶとよい」


「姫様にお仕えしとうございます」


「それもよかろう。わらわの屋敷にて待つがよい。狐と梅の木がおるでな、留守番をしておれ」


「はは、承知しました」


 こうして、吸血鬼ベスは調伏され、本来の存在である吸血魔が残った。

 元に戻す際、蝙蝠の邪精は邪魔だったので取り除いてある。小夜子にカスタムされた吸血魔はなかなか強力な妖物ではあるものの、小夜子からすれば物足りなく容易い相手であった。


 縮地しゅくちで外に出ると、若松がバイクで待っている。


「お嬢様、官憲かんけんへの連絡は済ませております」


「うむ。次へ行くか」


「航空券は取っておりますので、ひとまず空港まで参りましょう」


「飛行機とは風情が無いのう」


 新幹線がよかったが、飛行機の方が明らかに速かった。それに、まかり間違って他の退魔師にとられようものなら、契約が果たせなくなる。


 サイドカーに乗り込み、一路空港へ。

 大阪は関西空港まで空の旅。


 急遽とったエコノミークラスは風情なし。狭い。

 取り急ぎ、式の識しきのしきで居場所は見当がついている。南大阪の観光地、M観音近くにある妙な廃墟である。

 

 タクシー会社に無理を言って、一日チャーターすることになった。金はだいたいの物事を解決してくれる。

 三十歳くらいの女性ドライバーが担当になり、妙な客にも愛想よく接してくれた。行先については怪訝な顔をされたが、それだけだ。


 さて、件の廃墟だが、個人が建てたという五重塔こじゅうのとうだ。

 元が何を目的とされた建物かは不明だ。

 見た目は立派な五重塔のようだが、下品な赤色である。そして、年月に晒されたことで傾き、すでに崩壊が始まっている有様だ。


「せっかくの旅行じゃというのに、なんという寂しい景色じゃ」


「お嬢様、ここはこらえてください」


「分かっておる。若松よ、済ませる間に近くでお土産に何か良いものがないか探しておいておくれ」


「はは、口コミなど検索致します」


「うむ、電話とメールはよいが、アプリというのは難しいでな。頼りにしておるぞ」


「勿体なきお言葉。恐縮です」



 そういうことで、小夜子は廃墟に向かう。

 崩れかけた真っ赤な五重塔。こんなものが、観光地として賑わっている場所の目と鼻の先にある。それだけで異界じみた場所だ。

 妖気を感知している小夜子には、それのいる場所が分かる。


 猫耳美少女が、五重塔の天辺から小夜子を見下ろしていた。


「そこの火車よ。調伏に参ったぞ。大人しくすれば悪いようにせぬ」


「シャアアアアアア」


 可愛らしい姿には不釣り合いな威嚇であった。

 火車とは、炎を纏う猫の妖物である。仏教では、悪人を地獄へ連れてゆく役目を担っているとされる。

 火車もまた、時代に合わせて猫耳美少女に最適化自動更新アップデートされていた。

 縛りが外れた今、中身は火車に戻り、言葉すら忘れたようだ


 火車との戦いは、戦いとも呼べぬ結末であった。

 先手必勝とばかりに襲い掛かった火車は、小夜子の一睨みでその勢いのまま地面に落ち、今は痙攣している。


「悪いようにせぬと言うてやったというのに。痛かろう?」


「ギニャッ、シャアアア」


 元から会話などに意味も無い。


 他の式と同じく、火車も歪められて成った形だ。

 式の識を読み取れば、元は三味線の付喪神。 

 江戸中期のものであろう三味線が付喪神と化したものを、三味線の材料である猫の縁を通じて、火車に変じさせる。


「ほうれ、弾いてやろう。元に戻るとよい」


 小夜子が火車の頭を撫でれば、撫でるたびに三味線をつまびく音色が響く。

 撫でていれば、火車は音色と共に「にゃん」と鳴く。

 小夜子がさらに火車を撫でていくと、いつしか音色も鳴き声も小さくなり、火車は古びた三味線に変じていた。


「大人しくしておれば、たまには弾いてやろう。よいな」


 このようにして、大阪の火車は調伏された。


 魅宝、鬼梅、茶釜、吸血鬼ベス、火車、五つの式はこれで問題ない。

 あとは、最後の式を残すのみ。

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