第7話 小夜子と契約とお泊り
碧は二秒で決断した。
「あ、買ってくれるならぜひ」
小夜子は少しだけ呆れた顔をした。
「ううむ、外法陰陽師の記憶が戻っているというのに、簡単にわらわとの取引を決められるとはのう」
碧に湧いた記憶は、あまりにもクソすぎる。常人ならば、思い出すことすら苦痛なものだ。
混乱はしたが、平然としている自分自身も異常だが、それを受け入れている自分がいる。
結局のところ、自らの本質とは平坦という一言に尽きると、碧は理解してしまった。
「こんなもん持ってて、前世だかなんだかに今の自分を食われるくらいなら全部手放すよ。その方が得だ」
最初は本当に混乱して、混ざったあとは困惑しているフリをしていた。魅宝の手前、以前の自分を演じていた碧だが、今はその必要もない。
「なるほど、魂が無いというのは、そういうことであったか」
小夜子は面白そうにそう言った。
いかなることにも平坦な心。いや、そもそも心が無いのかもしれない。今の碧にあるのは思考でしかない。
例えば、外法陰陽師が寒村から買い付けた妊婦の腹を裂いた時の記憶。
臨月の腹を裂いて赤子を取り出し、呪具へ加工したことも、特別な感情の無い映像として頭の中で反芻できる。
外法陰陽師が感じた罪悪感と、自らを高めるための欲求でそれを誤魔化す様も、反芻した碧には何も響かない。
「俺は前世の俺を再生させるための入れ物、なんだよな? 入れ物に魂があったら入れないから、魂の無い子孫を作るよう、自分の子供にそういう
魂、魂魄、言葉はなんでもいい。多少の違いはあれど、それはだいたい同じものを示している。
「なるほどのう。まさしく外法じゃ。【あちら側】へ行かぬための蘇りなどという呪にはなんの価値もないが……」
小夜子の口元が弧を描く。
ギャル谷がいれば絶対に見せない歪な笑み。少女らしさなど欠片もなく、その美貌が突如として怪物に変じたかと見紛う凶相であった。
「ん、番長が欲しいのはそっちじゃないのか?」
その凶相も、碧には怖い顔に変わったという変化としか受け取れない。
「
「すまない。理解できなかった」
「御堂碧や。お前を生み出した呪こそ、わらわが欲しいもの。生まれつき魂の無い人間を造りだし、疑似的な魂魄で人として動かす恐るべき呪。わらわを以って、その術式を把握できぬ」
魂無き人間を造りだし、疑似的な魂魄を宿して人間のふりをさせる術。
疑似的な魂魄、それがいかなるものか分かろうか。
錬金術を用いて
人造人間には魂が無いとされている。それは、浅はかな魔道士の誤った理解だ。人とは違う種類の魂魄が、どのようなものにも命が生まれた時点で宿る。
小夜子は凶悪可憐な笑みのまま言葉を続けた。
「あのチョビ髭小男の総統だけが、先天的に魂の無い人間であった。アレと同じものを人の手で生み出すなど、まさしく魔に愛されたとしか思えぬ御業よ。金でよいなら、今ある全ての財を渡してもよい」
小夜子の言葉は大きく聞こえるが、その実、詐術をしかけている。
小夜子の全財産は十億円を超える。だが、それだけだ。
金などという程度の知れたものでこの魔技を掠め取ろうなど、詐欺以外の何物でもない。【魔都】の情報屋と妹魔女が聞けば、鼻で嗤うような行いである。
「金なんかいらないんだけどな、いや、変な意味じゃなくて。俺にとっては無価値だからだよ。それに、俺の作成方法はそんなに凄いモンじゃないって記憶と認識がある。前世の俺は、蘇りをスゴいスゴいって自画自賛してたんだ」
「ほほほ、物の価値を分からぬ者がそこに辿りついたか。才とは残酷なものよな。で、どのような条件にする。わらわは、ノドから手が出るほどに欲しいぞ」
円満な取引ができるものと思えるだろう。しかし、魔人妖人との取引は、どのようにしても円満にほど遠い結果になるものだ。
「どうして買うことにこだわるんだ。俺はこんなものジュース一本と引き換えにしてもいい」
小夜子は言葉巧みに、碧から売値を引き出せばいいだけの話だ。それこそ、ジュース一本でもいい。
「分かっておらんのう。外法陰陽師、そこまでの呪を造りだしておるというのに思い至らぬのかや?」
「ああ、前世の俺だって同じだと思うよ」
「モノには適正な価値を支払わねばならんのよ。特にこういう呪物はの、買い叩いてはその因果が己に跳ね返るもの」
「困ったな。じゃあ……」
ちらと碧は隣の部屋を見た。
大きな部屋には小さな布団。そこに魅宝が眠っている。
茶釜狸に投げ捨てられたまま、意識がない。あれほどの妖気を流し込まれたのだ。今の魅宝なら、このまま死んでしまうかもしれない。
「魅宝も、茶釜も、他の式のみんなを。縛りを解いて、いい姿にしてやってくれ」
梅の古木に宿った妖鬼である梅鬼太夫は、小夜子によって転生を得た。今は梅花の妖、
「碧よ、それが売値でよいか? 他のものでもよいのじゃぞ。そうじゃな、そこの魅宝を本来の姿にしてもよい。わらわには劣るが、男なら放ってはおかぬ美女になるぞ」
「あれは、そういうんじゃないよ」
「左様か。それにしても、高値をつけおったわ。よかろう、契約は成立じゃ。まずは、外法陰陽師の魂魄を持った六つの式神をなんとかした後で、お前、……取引相手に失礼じゃった。許せ。碧の術を外すこととしよう」
「いいさ、なんでも。それから、これはただ聞きたいだけなんだけど」
「なんじゃ」
「魂の無い俺は、死んだらどこに行くんだ?」
「【あちら側】じゃ。魂の有無にかかわらず、
「そうか。ありがとうな」
「礼は支払いが済んでからにいたせ。それからの、猫を被って魂のあるフリはよせ。ギャル谷めが気を遣って、わざとはしゃいでおった。女に気を遣わせるな」
「分かった。そうする」
碧が小さく笑って何か言おうとした時、ふすまが開く。
「一番風呂ありがと。ヒノキのお風呂さいっこぉ」
ユニクロのスエット上下にユニクロのパーカーを羽織ったギャル谷である。
流石のギャル谷も、小夜子の下着を借りる訳にはいかないし、サイズも合わない。
気を利かせた若松がバイクをかっ飛ばして、黒くて地味なブラとショーツを全サイズ買ってきている。
若松曰く「セクハラになっちまうんで、全部持って帰って下さい」とのこと。そこまで気を遣われては、ということでギャル谷は素直に受け取っていた。
「わらわも風呂は気に入っておるぞ。ほれ、次は碧の番じゃ。わらわは最後でよい」
「有難く頂くよ」
碧が風呂場に行くと、入れ替わるようにガスストーブの前にギャル谷が居座った。そして、テレビ横に置いてあるファミコンミニに気づく。
「あれ、番長ゲームなんかすんの?」
「するぞ」
ファミコンミニを知った時、小夜子はびっくりした。
今のゲームは映像が進化しすぎて、小夜子は酔ってしまうせいでやらないが、ファミコンは別だ。
ファミコンミニとは、昭和に発売された任天堂ファミリーコンピューターの復刻モデルだ。
オリジナルを三分の一まで縮小し、なんと30本のファミコンを代表するソフトが収録されている。当時のままの姿に見せかけているが、中身は違う。
HDMI映像出力で、現行のテレビでも違和感なく遊べるようになっている。
前世では途中で放り出した女神転生2と、小夜子が特に好きだったファイアーエムブレム。残念ながら、どちらも収録されてない。
それでも、くにおくんやスーパーマリオ、ドクターマリオが入っていてライトユーザーからマニアまで楽しめる。でも、忍者龍剣伝は普通の人は知らないと思う。
「あれってクッソ古いゲームのやつっしょ」
「品が無い言いようじゃの」
「ちょっとやっていい?」
「仕方ないのう」
テレビの入力を切り替えて、ファミコンミニを起動させる。
小夜子も知らないゲームがあったが、暇を見つけては少しずつ楽しんでいた。ドンキーコングとアイスクライマーは前世でも好きだった。
「なにこれ、マリオくらいしか分かんねえ」
「なら、アイスクライマーでもやろうかの」
「やろうやろう」
そういうことになった。
アイスクライマーはとにかく移動が滑る。それに、ハンマーでペンギンやらアザラシやら鳥を叩くという令和に相容れない世界観。
平成生まれには分かるまい。
「番長、めっちゃ上手くね」
「アイスクライマーは得意じゃ。くにおくんの大運動会が入っておれば、わらわの操る『もちづき』の足の速さを見せてやれたんじゃがなァ」
「し、知らねーっ。なにそれ、望月ってだれよ」
「もちづき、じゃ」
二人とも、それなりに楽しめたようだ。
それにしても、小夜子は思う。ドラクエは原型が残っていたが、ファイナルファンタジーはなんか違うことになっていた。
今のゲームも触ってみたい気はするのだが、FPSとやらは酔うのでできない。コントローラーのボタンも多すぎて戸惑う。
遊ぶのもよいことである。
敵に備えるのが急務。しかし、それだけではいけない。
余裕が無いものは、たやすく滅び去る。それは小さな悪の証左。たやすい相手にだけは、なってはならない。
「番長ってさ、碧と付き合ってんの?」
「は?」
小夜子は普通に驚いた。どうしてそうなるのか、アレはなかなか面白いが、そのような相手ではない。
【糸使い】や【医師】と対峙したとすれば、それは小夜子にもどうなってしまうかは分からない。しかし、現世の男には欲情しないだろう。そういう身体に生まれついた。
「あー、ないか~。今ので分かったし、ごめんね」
「まあ、別によいが。碧はちょっとした取引相手じゃ」
「あの狸女の関係?」
「そうじゃ。あれは妖怪で、碧の式神でな。それなりに面倒なことになっておる。わらわがなんとかすることになった」
ギャル谷には、その意味など分かりようもない。
「やっぱ深夜アニメみたいな感じだし。なんかアレ、敵と戦う的なやつ?」
「ほほほほ。ギャル谷や、わらわは敵の側よ。その時になれば、そうなる」
宿命というものがある。
中でも価値があったのは、花子さん、桜の妖鬼、九尾の狐。
勝利したが、全て配下にはできなかった。まだまだ道は遠く、力不足の証だ。
「うーん、中二病。だけど、本当にすっげーことできるんだし、仲良くしたらいいんじゃね? 敵味方って馬鹿らしいっしょ」
ヤンキーに仕分けられた数年間で、ギャル谷はそれがどれだけ馬鹿らしいか知っている。だいたい下らないことが原因で、人を叩いたり蹴ったりしないといけなくなる。
舐められたら、相手が泣いて許しを請うまで叩かないといけない。そんなことしたくなくても、しないと生きていけない。
「ギャル谷は、いい女じゃな」
「はぁ、なに言ってんの!?」
「お前がいい女じゃと言うておる。変な意味ではないぞ」
死から戻っただけなら、それでもよかっただろう。昔のことなど忘れて、自らの幸福のためだけに力を注いだとして、誰もそれを否定しない。
間宮小夜子は【あちら側】より戻った。死ではない、彼方より戻った。だからこそ、それが叶わぬと知る。そして、それを望まない。
しばし談笑してから、そろそろ眠ることになった。
空気を読んで、別室で将棋を打っていた若松と碧もそろそろ頃合いと戻り、それぞれ就寝することとなった。
ギャル谷と碧が寝静まってから、小夜子は風呂に入る。
湯は、若松が入れ替えた。
間宮屋敷の地下深くより湧き出す
人間がつかれば、たちまち遺伝子が浸食されて、餓鬼へと姿を変じる不死の妙水。それが常世水である。
この忌まわしき身体は瘴気によって暖まる。気を抜いてしまえば、肉体の一部が猟犬へと変じて、憐れな犠牲者と時間を弄ぶ愚か者の血肉を求めて鋭角へ潜り込むだろう。
小夜子は霊力と妖力のどちらをも磨き、忌まわしき肉体を完全に律していた。
肉体を凌駕する精神があるからこその超人。
「そうか、わらわは友達が欲しかったのか」
明晰な頭脳と肉体は、己の本心までをも解析する。
小夜子は己を嗤うのであった。
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