第6話 小夜子とギャル谷と碧と魅宝、遅いお夕飯

 ギャル谷は田舎町のギャルだ。

 ここは関東片田舎、ギャルとヤンキーは混然一体。

 どれほどファッションにこだわりがあろうと、田舎特有の雑なカテゴライズからは逃れられない。


 本人の意思とは関係なく、小五から始まるヤンキーへの人間タイプ仕分け。


 中学生時代にギャル谷は気づいた。もうこいつらと関わるのやめよう、と。

 なんとなく一括ひとくくりにされた仲間たちは、ギャルの恰好をしたヤンキー。

 もうヤンキー世界は面倒になったし、人を殴ったりするのも避けていけば、容赦ない抜けギャルへの制裁が待ち受けていた。

 それなりに色々あったけど、ギャル谷は強かったのでなんとかして、なんとかなった。


 実はギャル谷、中学卒業と同時に進学していないので、同学年より一つ年上。

 馬鹿たちと別れるために、めちゃくちゃ勉強した。

 脳味噌が耳からこぼれるくらい勉強して、県内トップ一枚落ち私服登校可の進学校に入学。

 色々あってお金は無いので、バイトしながら一年遅れのスクールライフ。まさかの読者モデルへの抜擢。でも、ロケ地東京は遠すぎて、半年ほど放置したら連絡がなくなった。

 その世界はイマイチだったから、それは別にいい。


 そんなことより、いい学校に入れた訳で、絶対ケンカなんてしない。


 そう決めていたのに、気が付いたらイカレたコスプレ巨乳女に啖呵たんかを切っていた。

 原付にまたがりながらやるケンカ売りますは、それなりにキマっている。読モ稼業で鍛えた目線もバッチリだ。


 馬鹿なことしてんなぁ、わたし。とギャル谷は思った。



「クカカカカ、美味そうな小娘だなァ。オレぁ、ガキの肉が好きでぇ、よう食ったよ。寛永のころのガキは痩せててなァ、明治辺りからは御馳走だらけで。ヒヒっ」


「訳分かんねえこと言ってんな。クソボケ」


 子供とはいえ、9歳くらいの子を片手で持ち上げる。まともな腕力ではない。

 今まで刃物と棒切れは相手にしたことがあるギャル谷だが、ゴリラとやったことはない。

 ケンカで重要なのは、最初に思いっきりやること。


 多分、子供を助けるためなら警察も許してくれる。


 にたり。茶釜狸は嗤う。


 つかんでいた魅宝を放り捨てた。

 茶釜狸に油断など、毛の一本ほども無い。

 魅宝が最盛期の力を持ち得ず、それこそ最下級まで力を落としていると理解してのことだ。

 これであれば、小娘の肉を喰らった後でなんとでもなる。むしろ、無力に咽び泣く顔を見たいとすら思っていた。


 極悪狐が、今さら人助けだと嗤わせるわ。それが茶釜の思うところであった。


 歪められていた時ですら、魅宝を憎んでいた。

 我が尾を引き千切られた恨み、忘れられるものではない。


 ギャル谷は原付をふかして、暴力的な排気音を響かせた。

 この片田舎、生活に要する移動距離が長い。街のバイク屋は、平成初期くらいの気軽さでリミッターカットしてくれる。


 彼我ひがの距離はおよそ七メートル。


 ギャル谷には乗り物の才能があると、小夜子は言っていた。

 小夜子が評価するところの才能。それはどんなものであろう。少女の姿をした魔人が、才能があるとまで断言した。


「頼むから、死なないでね」


 ギャル谷のバイクが勢いをつけて発進。すわ、体当たりか。

 茶釜狸は小娘の浅はかさを嗤う。

 原付をぶつけられる。その運動エネルギーは下級の妖物であれば命の危険もあろうものだ。しかし、力を失ったとはいえ、人鬼であり一度は信仰すら得ていた茶釜狸のこと。

 運動エネルギーだけでは、足りない。


 目前に迫る原付がぴたりと止まった。茶釜狸にはそのように錯覚して見えた。


 前輪を軸に後輪を浮かせ、車体を180度回転させる。

 ジャックナイフターンと呼ばれるオフローダー憧れの曲芸技。

 茶釜狸は焼けたゴムの匂いの後に、横っ面に回転する原付の後輪を叩き込まれた。

 

 ぶっつけ本番。


 知識だけの曲芸を完全にやり遂げる。暴力には暴力で、必要であればそれができる。

 小夜子との時もそうだ。

 目の前で人が消えたとしても、驚いた後に錯覚だと自分に言い聞かせて忘れてしまう。それが普通というもの。しかし、ギャル谷はそれが異常と認識できた。

 必要なことを知性ではなく、本能で分かる。


 これが、ギャル谷。

 

 かつて、歴史に大きく名を遺しはしなかったが、平安京に雅楽の神に愛された源氏の男がいた。

 彼のやる笛の音が響けば、鬼神は忘我の境地に陥り、神仏をも陶酔させた。彼もまた、それだけが取り柄であり、知性ではなくそれが分かっている只人ただびとであった。


「かあぁぁぁ」


 横っ面をタイヤに削られた茶釜狸の金切り声。

 痛みだけではない。怒りがあった。

 立っていられずに転んだ茶釜狸だが、すぐに四つ足の体勢で立ち、頭だけを上げてギャル谷を睨みつける。


「小娘ぇ、許さぬぞ」


「ヤッベ、なんだコイツ」


 茶釜狸の顔は、美少女から獣鬼の面相へ変じている。狸とは名ばかり、愛嬌のある面影など無い。

 餓狼の面相に、額から刃の如き角を生やす鬼のかおであった。


 流石のギャル谷も面食らったその時、遠くからポンというごく小さな破裂音がした。少しだけ間をおいてから、もう一度同じ音が響く。






 小夜子は暇を持て余していた。

 せっかく招待したというのに、碧と魅宝が遅い。

 先日、若松がネット通販で購入した8k対応80インチサイズ液晶テレビで、ネットフリックスなどを冷やかしていたが、どうにも手持無沙汰てもちぶさた

 少し時間を潰したい時に限って、見たい映画は小津安二郎。こんなもの、見始めたら最期。中座などできない。


「遅いのう。……んんむ」


 小夜子の唸りは、千里眼をやる時の癖だ。

 特に唸る必要など無いのだが、こういう自己演出に凝っていた折に気に入って以来、癖になっている。


「なんということ、食事時を襲うとは空気が読めんのか。とはいえ、ギャル谷までおるとなァ。わらわが行けば、あやつはまたうるさいであろうし。若松や、お鍋の支度はできたかや?」


「へい、お嬢様。万全でございます」


 すでに具材は大皿に盛られており、ラップがかけられていた。


「ならば、御堂碧と魅宝を迎えにいっておくれ。妙な狸が足止めをしておる。この前、米軍から貰ったオモチャがあったじゃろ。アレを持っていくといい」


 若松の顔がきりりと引き締まった。


「よろしいので?」


「よいよい。たまには練習せねば、若松も腕が鈍ろう。弾薬たまぐすりを持ってきておくれ、そろそろ面倒であるし、わらわの呪をかけよう」


「ははっ。この若松めにお任せ頂けるとは。必ずや間に合わせます」


「ほほほ、そう緊張するものではない。練習には丁度よい相手じゃ」


 そのようなことで、急ぎ準備を整えた若松は間宮屋敷の中庭に出て、小高い丘から国道沿いを見渡せるポイントにやって来た。


 ダッフルバッグから取り出したのは銃であった。


 整備は万端。手早く地面に設置する。

 MK.22PSR、米軍採用精密狙撃銃。

 去年の夏休み、小旅行の折に色々とあった。その時に、米軍関係者より若松に贈呈された、米陸軍が正式採用している最新式の狙撃銃である。

 30口径という軽い弾丸を用いて、精密射撃に特化したという代物だ。

 消音機が搭載されており、市街地での狙撃や奇襲に適している。


 スコープ越しに見るギャル谷と茶釜狸の対峙に、若松はほんの一瞬だけ口元を苦々しく歪めた。そして、観測機で目標距離、風速、空気粘度、必要な数値を確認して計測する。

 暗算は小六の時、小夜子に叩き込まれた。頭の中には算盤がある。


「ふうぅぅぅ」


 大きく息を吐いて、スコープ越しの景色に集中する。そこで起きていることは二の次。ただ集中して、ガソリンスタンドから少し離れた街灯を狙って撃つ。

 狙いから逸れた距離は目測で計算して、照準を調整。

 次弾、四つ足になった茶釜の胴体を狙って引き金を引く。

 引き金に心理的なめは無い。組み立てた計算式が合致した時に引くのみ。

 頭を狙うなどという無駄なことはしない。確実な場所に当てるだけでいい。頭の計算が完全なはずないのだから。


 茶釜狸へ放たれた弾丸は、小夜子が息をふきかけたものだ。

 麗しき魔人の吐息によって、いまや30口径弾は恐るべき神殺し。




 ギャル谷と碧が見たのは、茶釜狸が横っ腹から血を流して倒れ伏した姿だ。

 彼らには、それが狙撃によるものと分からなかった。30口径の精密射撃にさらされたものを見るなど初めてのこと。当然である。

 びくんと震えた後に倒れ、血を流して痙攣しているという姿だ。


「えっ、どういうこと」


 ギャル谷が呆然と口を開けば、パトカーのサイレンの音。

 警察官がやって来て、三人をパトカーの後部座席に押し込む。そして、彼らを放置して非常線を張り、茶釜狸の遺体にシートを被せている。


「あー、キミたち。自転車と原付は後で届けるから、今日は送っていくよ」


 制服警官は早口に言うと、なんの手続きもせずに車を発進させた。

 二人が警官に話しかけても無視される。パトカーは山へ入る道を進み、碧の目的地であった間宮屋敷前に停まった。

 外に追い出されると、若松と警官が何やら話していて、警官はパトカーに乗り込むと一瞥もせずに去っていく。


「ささ、お嬢様がお待ちです。皆様どうぞ」


 気を失っている魅宝は、若松が背負って中に運び込む。


「えー、これって番長ン家なの。ずっげぇ豪邸」


 ギャル谷は思ったことを口に出す。頭が状況に追いついていないせいもあるが、大物だ。


「ささ、刈谷さんもどうぞ」


「あっ、ええと、若松くんでよかったっけ? 俺たちを助けてくれたのって」


 碧は何を言っていいか分からず、なんとか無意味な言葉を絞り出した。


「まあまあ、お話は中で。寒いですし、まずは温まって下さい」


 そういうことになった。



 間宮屋敷は伝統的日本家屋で、何台ものルンバが走り回る豪邸だ。

 小夜子と若松の二人が住むには広すぎるのだが、特に意味も無く金をかけた屋敷である。

 居間であろう広い畳貼りの部屋では、小夜子が座椅子に腰かけて待っていた。


「遅いではないか。腹が空いてしもうたぞ」


「番長ん家でっか。あとテレビでかっ、すっごいんだけど」


 ギャル谷は豪邸に驚いている。


「ほほほ、テレビは大きければ大きいほど良い。シャープの80インチで8kとやらに対応しておるらしい逸品じゃ。ヤマダ電機で買うたものよ」


 無駄遣いではあるが、ファミコンを大きい画面でしたいという、前世のささやかな夢を叶えてみた結果であった。


 隣の和室に布団を敷いて、魅宝を寝かせてきた若松が戻ると、部屋とは不釣り合いに小さいテーブルにお鍋を運んできた。

 ガスコンロに火を灯せば、既に温められていた土鍋の出汁はすぐに湯気をたてる。

 続いて大皿に盛られた具材がテーブルにのせられていく。


「ほれ、お前らは手を洗うてこい。風呂は食事のあとじゃ。とりあえずは腹を満たすがよい。積もる話も大したものでなし、あとでよい」


手水場ちょうずばまで案内致します」


 言われるままに手を洗って、それからお鍋が煮えるのを待った。

 ギャル谷と碧は、全部を若松がやってくれるというのが、なんとも居心地が悪い。

 入学して一週間あまり。進学校とはいえ、少しだけいたワル共を全てなぎ倒した通称お料理番長、または召使番長。それが若松である。

 残念なことに、塩顔すぎて執事番長と呼ばれたことは無い。


「今日はどのようなお鍋か」


「ははっ、本日は旬の冬野菜と魚介のつみれに焼きアナゴ、ゴボウを美味しく食べるお鍋でございます」


「ほうほう、焼きアナゴとは下賤であるが、祝い事でもなし。寒い日には良いものじゃな。流石は若松じゃ」


「過分なお言葉、痛み入ります」


 二人合わせて中二番長ズ。目の前では怖くて言えない。それが小夜子と若松の評判である。


「色々言いたいことあるけど、お前らホントになんなの?」


 ギャル谷の言葉を平然と無視して、若松はそれぞれにとんすいを渡して、ご飯をよそう。

 玄米3、白米7。これが一番美味いということで、ここ一年はこの配分である。


 火の通りやすい具材のお鍋であるため、そこまで待つことなく食べられる。


 小夜子とギャル谷は美味い美味いと言いながら食べている。碧は全く以てよく分からないでいたが、もうなるようになれと思って負けじと食べることに集中した。


 ギャル谷の考えはいたってシンプルである。どうせ考えたって分からない。どんな時だろうと、お腹は減る。


 焼きアナゴのダシは、鍋全体がアナゴ味になる。それがいい。〆はこれまた若松の自家製だという細打ちのうどんがきょうされた。


 はふはふと食べて、すっかり鍋も空になって一同がはあっと脱力していると、鍋を運んでいった若松が盆に棒アイスをのせて戻ってきた。


 赤城乳業株式会社【ガツン、とみかん】ご家庭に嬉しい5本入りマルチである。

 いたってシンプルなミカンのアイスキャンデーの中に、凍らせたみかん果肉をそのまま入れた、みかんにみかんを重ねたのが人気を博しているアイスだ。


「さ、今でしたら冷たいものも一入ひとしおですよ。皆様、一本ずつお取りください」


 小夜子が口元をへの字に曲げた。


「……一本だけか。ローソンなどで売っておる一本だけの袋入りのはないのかや」


 【ガツン、とみかん】マルチverは袋の一本入りよりもサイズが小さい。


「お嬢様、冬のアイスはこれくらいがよいのです」


「むむむ、客人の手前じゃ。致し方なし」


「番長、二本も食べたらお腹こわすよ」


 ギャル谷の正論に、小夜子は言い返す言葉がなく、一口目をかじる。


 美味い。


 アイスとは思えぬジューシーさ。

 こんなものが数百円で買えてしまう。

 未来のアイスは美味いものばかり。平成初期のアイスは、ハーゲンダッツを除いて、総じて駄菓子から抜け出せないものばかりであった。

 令和のアイス、中でもこの【ガツン、とみかん】は癖になるみかん味。みかんにみかんを重ねる狂気的とすら言えるコンセプトが光る。

 一度食べたら、なにか強い味やら熱いものを食べた後、絶妙に欲しくなる中毒性があった。


 腹もくちくなり、一番風呂はギャル谷ということになった。

 ここまでくると泊まりだが、もうそれは仕方ない。


「おっさき~」


 若松に風呂場へと案内されていくギャル谷を見送って、小夜子と碧は向かい合った。


「さて、そなたの名前は碧じゃったな」


「あ、うん。御堂碧、です」


「同じ高校生じゃ。かしこまる必要は無いぞ」


「あ、ありがとう。今日は、助けてくれたんだよな」


 小夜子は小さく笑う。

 何もしなくても、碧は切り抜けた。そして、冒険を経て強くなり、後に裏切られる。そうなっていたはずだ。


「ほほほ、二度目のものは面倒であったからじゃがの。さて、碧よ。外法陰陽師の記憶は取り戻したかや?」


「全部じゃないけど、だいたいは」


 碧がこの状況で落ち着いているのは、戻った記憶にも起因している。


「左様か。で、あればじゃ。わらわにその記憶と忌まわしき外法の魂魄、売るつもりはないかや」


 小夜子の持ちかけた取引は、悪魔との契約であるかのように碧には思えた。かけがえのない何かを失い、新しい何かを得る。

 その何か、財宝か塵芥ちりあくたであるか。

 魔人との契約とはいかなるものであろう。碧には想像もつかぬことであった。


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