第5話 小夜子とギャル谷と甘味と

 小夜子と若松は言うだけ言って、碧と魅宝に後で家に来るよう言い渡した。

 何事もなかったかのように、颯爽と下校していく彼らに、碧と魅宝はどうしたらいいか分からない。

 ただ、頭の中にある異常だけが、それが現実だと知らせてくれる。


「ご主人様、魅宝は、本当は悪い子なんです……。わたし、ほんとうは、人を食べたり、他にもたくさんのことをしてて」


 魅宝が強制的に知らされたのは、己が何者であるか、だ。

 九つに分割された大妖怪、その一つが魅宝である。新たな名前と新たな姿、狐という形だけを残して、大幅に力を弱めさせられた憐れな式。


「俺も、訳が分かんねえ。こんなヤツが前世かよ」


 時の退魔師にその野望を阻止され、黄泉帰らぬよう名前すら消された外法陰陽師。

 彼は、自らの悪行による死後の裁きを恐れた。

 死を恐れるあまりに造りだした術式こそが、六式転送ろくしきてんそう魅宝天たからのてん。完成した暁には、死を克服し現世に戻る魂魄の蘇生術である。


「ご主人様、魅宝はいやです。あんなものに、戻りたくない」


 赤子の肉を喰らい、人を焼いて呵々大笑かかたいしょうする。

 魅宝の真の姿はそのような大妖怪である。


「ああ、戻りたくないよな。俺もだよ」


 ありとあらゆるものを犠牲にしてなお、自らの死だけを恐れた外法陰陽師。

 魅宝と出会った後のことは、全て嘘だった。

 茶釜狸と吸血鬼のベス、あの二人も同じように存在を歪められている。碧に無償の愛を注ぐように、離れないように縛られている。


「でも、あのお方なら」


「着物番長、なんか凄かったしな」


 あの鬼を転生させた。

 碧には意味が分からない。

 だけど、深夜アニメの転生と同じように考えたとしたら、怨霊みたいな姿から美女に変わったのだから、間違っていないのかもしれない。

 

「そうだな、頼ってみようぜ」


「はい、ご主人様」


 一つの物語はこうして崩壊した。






 一方そのころ、小夜子と若松は駅近くの商店街に赴いていた。


「ふむ、今日はなんぞ鍋物でも食いたい気分じゃ。若松や、わらわはそこのミスドでポンデリングなどを摘まんで暇を潰しておるぞ」


「へい、お嬢様。かしこまりました」


 若松は商店街の八百屋へ走り込んでいく。何か良い出物を捜すのだ。

 小夜子の前世では考えられぬものが、令和の時代にはある。

 その一つが、ポンデリングであった。

 このような食感のドーナツがかつてあったであろうか。いや、無い。

 これほどに軽くふんわりとして、優しい味わいのドーナツなど無かった。

 無かったのである。

 ポンデリングを二つと、外せないオールドファッションを一つ。そして、抹茶ラテを頼んで席に赴く。

 セルフサービスについては致し方なし。そのような良識が、小夜子にはあった。


 う、美味い。


 どうしてこんなに美味いのか。

 ポンデリング。

 菩提樹のたもとで入滅せんとする釈迦に捧げようものなら、悟りは遥か宇宙の彼方に遠のくほどの美味である。

 二つも食べても千円に届かず、全国展開するミスド。妖物などより、よほど恐ろしいではないか。

 次のポンデリングに手を伸ばす前に、オールドファッションで箸休めと洒落込む。

 創業当時からあるという、この米国イズム溢れるカロリーの怪物よ。これにチョコレートをかけたものまであるが、あれは贅沢というもの。

 ポンデリングが最終的な進化であるのならば、ここは原点に戻るべきだ。

 食事を楽しむこともまた、一つの行である。

 小夜子は幾万の餓鬼を喰らったことで腹中ふくちゅうに餓鬼道を持つ。故に、食事は施餓鬼せがきとなり、その功徳くどくにて霊力を得ているのであった。

 腹中の餓鬼道にやる施餓鬼は、大周天を参考に小夜子が考案したオリ外法である。


「やっと見つけた。番長っ、なんで消えたの。どうやったの。ねえっ、あの人体消失イリュージョンってなんなの」


 ミスドに走り込んできたのはギャル谷である。

 原付で町中を捜しまわっていた。


「これ、そう大声を出すでない。せっかくのポンデリングを前に、荒神のような振舞いはよさぬか」


「あっ、ポンデリング。もーらい」


 ギャル谷は遠慮なく手を伸ばして、ポンデリングにかぶりついた。一つ一つあのコブを味わうこともなく、大口でかぶりつくとは、なんと浅ましきこと。


「……」


 殺すぞ。


「それより番長って、どうやって消えたの!? なに、超能力とかそういうの」


 殺すぞ。


「ありがと、すぐ食べちゃうから待って。んぐんぐ、美味し。ごちそうさま。それより、あれって手品とかじゃないって、なに、なんなの」


 殺そう。


 小夜子は今度こそ凄絶な笑みを浮かべた。

 右手に奇怪な印を結び、口を大きく開けると力ある言葉を紡ぐ。はずであった。


「勝手に食べたの怒った? ごめん、これあげるから許して」


 お口あーん、と勘違いしたギャル谷は、懐から取り出した小分け包装の袋菓子、越後製菓【ふんわり名人きなこ餅】を素早く剥いて一つを小夜子の口に放り込んだ。

 市販の袋菓子の限界を超えたふんわり感で、ファンの多いお菓子である。しかし、発売が近年であることと、袋菓子に興味の無かった小夜子はその存在すら知らなかった。


 美味い。

 まさか、ギャル谷ごときがこのようなものを持っているとは。


「……よこせ」


 小分け包装であるがゆえに、ギャル谷のむいたパッケージにはあと五つほど残っている。小夜子の視線が残るふんわり名人きなこ餅に吸い寄せられていた。


「ごめんね、つい食べちゃった。それよりあれ何、超能力? ケンカ強いのもそれ?」


 ケンカと呼ぶほどのことはしていない。女子グループに囲まれたので優しく転がしただけだ。その証拠に、彼女たちには尻もちをついたという程度の痛みと、生きながら地獄界を覗いた恐怖しか与えていない。


「あれは縮地しゅくちの法じゃ。元々は早く歩くだけのものじゃが、わらわは位相いそうを踏み越え使っておる」


 位相の違う世界とは、【霧の世界】や【影の世界】と呼ばれる現実と薄皮を隔ててつながる別の世界を示す。これらは【あちら側】と違って、移動手段が限定された基底現実と地続きの場所にすぎない。


「えっ、シュクチ、全然分かんねーし」


「で、この美味しいものはなんじゃ」


「ふんわり名人きなこ餅。そこのドラッグストアで売ってるよ。それより、なに、番長ってあれ、なんかほら、深夜アニメの転生したとかそういうヤツ!?」


 表情は崩さなかったが、小夜子は驚いた。


 ギャル谷を下らぬ凡人と見ていたが、アニメがどうこうはさておき、言い当てた。小夜子が得た力の源泉とも呼ぶべき【転生】を、何も無いところから言い当てたのだ。


 この世に偶然など無い。


 人がそう捉えるだけで、全ては必然で出来ている。シュレディンガーの猫とは、必然の猫であり、必然であるがために存在し得ない。


「ギャル谷や、わらわと出会ってしまったのか」


 


「え、なにそのポエム」


「これもまた必然であれば、わらわの敵が顕れるころには全て分かろうものか」


 未来だけは知り得ない。

 いかに小夜子がじょうの理を超えた魔人であろうと、それだけは現世の内に止まる。だからこそ、滅ぶ宿命を背負ったのか。

 魔戦を幾多超えてなお、自らの宿命からは逃れられぬか。


「それより、シュクチってなんなの。マジで教えてって」


「道術の一つで神仙が使うものじゃ。仙骨さえあれば、多少の修行で使えるようになるのう」


「マジっ、センコツって分かんねえけど、あたしにも使えんの!?」


「ギャル谷に仙骨は無いから無理じゃ」


「ええー。マジかぁ。じゃあ、他の無いの? なんかスゲーの」


 小夜子は目を使ってギャル谷を見るが、そういった才能のある肉体ではなかった。ただの女だ。


「魔道は誰でも使えるのじゃが、特に才能豊かというものでもないの。諦めよ。ギャル谷には、……フォークリフトや乗り物の才能があるな」


「いっらねーしっ。バイトで乗ってて褒められてっけど、別にいらねーしっ」


「褒められておるなら良いではないか」


 そんなことを言っていると、若松少年がやって来た。

 買い物は終わったようだ。


「お嬢様、お待たせしました。おや、刈谷さんもご一緒とは」


「わらわのポンデリングをこやつが取ったのじゃ。殺そうかと思うたわ」


 若松が身構えた。

 小夜子はそのようなことを軽々しく口にしない。本当にしようとした、ということだ。


「ごめんって。ふんわり名人きなこ餅で許してよ」


「もう怒っておらぬ。食べ物はきちんと許可を取るのじゃ。よいな」


「わ、分かったよ」


「約束じゃぞ」


「約束するってば。もう、番長ってそんなポンデリング好きなの」


「あれは天上の美味よ。ほほほ、あの柔らかさと味わい。何にも代え難き、いと貴きもの」


「そこまで言われたら、ポンデライオンも困るんじゃね」


 ポンデライオンは別に困らない。


「今日はお客様もいらっしゃいますし、お嬢様もそろそろ」


 若松が言えば、小夜子は小さく笑ってうなずいた。自嘲的なものがあり、若松も今度こそ驚きを顔に出してしまう。


「ギャル谷や、さらばじゃ」


「え、ちょっと、さらばってリアルで初めて聞いたし。明日、もっと教えて」


 聞き流して小夜子は踵を返した。

 周囲からの視線が集まっていたが、三人が三人共に全く気にしていない。

 小夜子に話しかけたいという学生はそこそこいるのだが、周囲の視線を気にするようではダメだ。







 若松がお鍋の支度をしているころ、自転車二人乗りで碧と魅宝は間宮屋敷へ向かっていた。

 ママチャリにチャイルドシートをつけた改造自転車だ。

 碧は必死で人気のない海沿いの国道を走っている。


「くっそ、遠すぎるだろ」


 間宮屋敷は、田舎町の外れにある小高い丘のてっぺんにある広大な日本家屋だ。

 元は人の寄り付かない不気味な空き家だったのを、小夜子が買い取って今の豪邸にリフォームした。


「ご主人様、はやくしないと、追いつかれます」


 背後からは瞳を狂気に染めた狸耳美少女、茶釜狸が追ってくる。

 一度家に帰ってから小夜子の屋敷へ向かった碧と魅宝だが、普段はコンビニでバイトしている茶釜が、突如として襲ってきたのだ。

 最初は冗談の類いかと思っていたが、血走った眼とその鋭い爪でブロック塀を破壊した段になって、これが本気と嫌でも理解させられた。


「なんでだよっ、茶釜っ。お前、俺のこと好きって言ってただろっ」


「クカカカカ、お前を殺せばオレぁ自由だ。大好きだぜ、ご主人様よぉっ」


 茶釜狸の声には、弱者を嬲る者に特有の残酷さがあった。

 茶釜狸、彼女もまた存在を歪められた大妖怪である。

 元は人肉を喰らい、さらには獣肉と偽り人の肉を売っていた人鬼。

 死後は祟りをなした人鬼であるが、荒神封じがなされ、『懲らしめられてからは人を守護する狸』へと存在を変えられ鎮められた。

 時代と共に信仰を失ったところを、外法陰陽師が文福茶釜と混同させて狸の女怪へと存在を縛ったものである。

 いまや、そのばくは解かれた。


「くそっ、なんなんだよっ。全部嘘だったなんて」


「お願い、狐火ッ」


 魅宝の力は弱く、茶釜狸を抑えることなどできようもない。




 一方そのころ、小夜子と若松は【ふんわり名人きなこ餅】に舌鼓をうっていた。


「この若松、初めて食べましたが、これが市販の袋菓子とは……」


 包丁の才を開花させようとしている若松をもってして、絶句する味わい。

 普通に売ってよいレベルを遥かに超えた袋菓子である。


「ギャル谷めがおらねば、生涯に渡り口にすることはなかったのう。いやはや、彼奴きゃつらが遅いせいで食ろうてしもうたが、これ以上はいかんな。この一袋でしまいじゃ」


「かしこまりました。水屋みずやにしまっておきやす」


「うむ、明日また食べようではないか」


 越後製菓の株式を買うべきか。小夜子は少し悩んだ。

 できるだけ表の世界に対しては、そういった影響力の及ぶことはしたくない。しかし、まかりまちがって越後製菓に何かあろうものならば、食べられなくなってしまう。


「痛しかゆしとはこのことよ」


「まことに、その通りでございます」








 碧は自転車を漕ぎながら、戦うことを決めた。


「魅宝、やるぞ」


「でも、あれは」


 外法陰陽術、六式転送魅宝天とは、魅宝を縛るための術式だ。

 六つの式に託されたのは、名前を抹消された外法陰陽師の魂魄である。その全てを取り戻した時、御堂碧を入れ物として外法陰陽師は現世うつしよに蘇る。

 魅宝はその案内役として、封印され続けてきた。


 自転車を漕いでいると、ガソリンスタンドの灯りが見えてくる。

 素通りしようとしたところ、運悪く入ってきた原付と衝突しそうになり、避けようとして碧の駆るママチャリはこけてしまった。


「いってぇ」


 こけて投げ出される碧と魅宝。

 追いかけっこにも飽きた茶釜狸は、今が頃合いと追いついた。


「あーらら、これでおしまい?」


 狸耳美少女は、魅宝の首を片手でつかんで持ち上げていた。碧を見下ろす目は、残酷な色に濁る。


「何してんだオメー。子供イジメんなっ」


 と、そこに口を挟んだのは、原付に跨っている女だ。

 田舎町には到底そぐわないギャルなスタイル。バイト帰りでツナギ姿というのが、逆に都会的な印象を醸し出している。


 偶然に居合わせたギャル谷であった。


「あはは、久しぶりの女の肉だァ」


 どこからどう見ても、ただの女。

 ばくの外れた茶釜狸にとっては、数百年ぶりの獲物である。


「馬鹿そうな巨乳が。子供を放せや、カス女」


 魔戦が幕を開ける。

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