第4話 小夜子が遊ぶ

 遅刻して堂々と教室へ入った小夜子だが、若松少年がなんとかしてくれたようでお説教はなかった。

 それなりの進学校ではあるものの、知性面で小夜子は肉体に助けられている。何も無いところから数学の定理を理解する肉体であれば、枷となるのはその精神にある。

 ユッケ妖怪時代の瞑想により、そこは万全。小夜子の脳には人類が欲して止まない全ての叡智が詰まっている。

 その程度の叡智、【魔都】では安い博打に勝つ程度にしか役に立つまい。ともすれば、人妻狙いのヤクザ者にも劣る。

 さて、学校内での小夜子と若松。

 コミュ障かと思いきや、意外にも世間話をする相手や気心の知れた間柄の生徒がいる。

 小夜子といえばオタク女子からは憧れを、隣の席の本名は忘れたが通称ギャル谷などは執拗に話しかけてくる。


「でさあ、マッコの彼氏がぁ。って聞いてねーっしょ」


「聞いておるぞ。女がおるのに色目を使ってくる男はやめておけ」


「別にあんなクソ男のことなんともねーし」


 ギャル谷はまあまあ面白いので、邪険にはしていない。なんでも読者モデル、略して読モというものを生業なりわいとしているとか。

 パパ活などと個人売春をキレイに言おうものなら、小夜子がお仕置きしているところだ。外見に反して、ギャル谷はその実清純派である。


 それはさておき、小夜子と若松に戻ろう。


 キャラを崩さないせいで、入学当時はいじりに来た者もいたが、受け流すか多少痛くするとそのような者もいなくなった。

 些末事さまつごとは若松に任せているが、いつの間にか【番長】の立ち位置にいる。

 小夜子は内心で参ったと思う。

 まだスケ番の方がよかった。【番長】となれば、異界を渡り歩く【転校生】と呼ばれる用心棒を呼び寄せてしまうかもしれない。

 この世界であれば、呼ぶための儀式と手段は無いはずだが、アレらは認識した段階でえにしが発生する相手だ。

 【番長】となってしまったからには、可能性が薄くとも邂逅かいこうがあると考えてしかるべき。

 転校生、なにするものぞ。

 密やかな闘志はギャル谷には伝わらない。変わらずマッコの彼氏とやらの話をし続けている。


 そうこうしている内に、お昼休み。


 若松が弁当を持ってやって来る。

 朝早くから毎日弁当を作る若松の努力はいかなるものか。厚い忠誠のなせるもの。


「お嬢様、お弁当をお持ちしました」


 若松が取り出すのは、三段の重箱である。

 漆塗りの重箱が小夜子のお弁当であった。当初はあまりのことに教室中が騒然となったものだが、毎日ともなれば慣れていく。


「ほうほう、今宵もご苦労なことよ。若松や、どうなっておる」


「へい、旬の野菜はわさび菜と寒キャベツでまとめやした。釣り物のチヌとスズキなどで色々と作っております。変わり映えのしねえ内容でございますが、聖蓮尼様から頂きました炊き込みご飯を真似て、クロダイで鯛めしなど作りました。意外に海苔が合いますんで、おにぎりにしております」


「ほほほ、流石は若松よな。では、馳走ちそうになろう。いただきます」


 素早く湯呑を差し出した若松は、流れるような手さばきでティファールの熱湯を急須に注ぐ。教室のコンセントは無断使用。


「寒い時のほうじ茶もよいの」


「お前ら毎日、なんなの?」


 ギャル谷が口を挟むが無視して、食事を開始する。

 若松は自分用の弁当を後ろの席で食べ始め、小夜子は重箱に箸をつけて一つ一つを高速で味わっていく。


「なあ、玉子焼き食べていい?」


 ギャル谷は遠慮がちに言った。以前、勝手に食べようとしてめちゃくちゃ怒られたことがある。


「ふうむ、今日の献立に妖物ようぶつは入っておらんし、食べてよろしい」


「ありがと。中二番長ズの食べてみたかったんだ」


 妖物には滋養があり、えもいわれぬ味わいである。だが、人には毒だ。

 イカモノ料理の天才と知り合った若松の包丁はますます冴えて、最近では餓鬼魂がきだままで調理できるようになった。

 ここまで役に立つようになるとは、小夜子にも予想できなかったことだ。小間使いとして蠅のような小男が欲しいと思っていたが、今では普通に役立つ下男である。


 小夜子は箸を伸ばしていつものごとく、上品に、麗しく、凄まじい速度で腹に収めていく。


「ちょ、速いってマジで」


「うむうむ、寒い時期のクロダイは良きものよな」


 小夜子は口にしてから、その柳眉りゅうびをひそめた。

 おや、と若松が反応する。

 動きがあった。

 どうやら、あの妖樹は子狐とその主にえにしのあるものらしい。


「若松や、例の者を見張っておれ」


「へい、ようがす」


 若松は自分の弁当をかっこむと、居住まいを正して席を立った。


 重箱も残りわずか、小夜子は味わって食べ終える。今日もよき馳走。


「ギャル谷や、重箱を洗っておいてくれれば、明日はお前の分も作って持ってくるが、如何いかがする?」


「洗う洗う。まかせといて。あとギャル谷じゃなくて、刈谷だから」


 似たようなものだ。

 若松は午後の授業は出席しなかった。

 小夜子は若松の目を通して見る。

 なかなかに、若松の隠形おんぎょうも上達したもの。妖樹に気配を悟らせることなく、そこに待機していた。

 この程度の相手であれば、わざわざ若松をやらなくてよかったかもしれない。しかし、小夜子の気配があれば妖樹は萎縮するか逃げ出すだろう。天通眼など使ってしまえば、小夜子が見たことで妖樹の存在を変生へんじょうさせてしまう。

 かつて調伏した桜妖鬼とは比較にならないほど落ちる相手だが、あの子狐と素人ではどうだろうか。


 授業とギャル谷の話を聞き流しながら、小夜子は若松の目を通して見る。






 さて、ここで子狐の式神である魅宝みほうと、その主である御堂みどうみどりに視点を移そう。

 どこにでもいる男子高校生、御堂碧。彼は年末の大掃除で、祖父の蔵から魅宝が封印された竹筒を見つけてしまった。

 なんの気なしに開けたところ、金髪狐耳幼女が現れてご主人様などと呼んでくる。こんなアニメみたいな話があっていいのか。いや、これは現実だ。


 魅宝が言うには、御堂家の御先祖様は名前を消された陰陽師で、魅宝のような大妖怪を式神として操っていたとか。

 長い歴史の中でその秘術は失われてしまった。しかし、碧が魅宝の封印を解いたということは陰陽師の生まれ変わりに相違なく、立派な陰陽師となって人助けをするのです。ということだ。


 碧はそんなことは真っ平ごめんと逃げ回るが、魅宝のライバルを自称する狸耳美少女の茶釜狸や、吸血鬼のお姫様が転がり込んできてさあ大変。

 こんなんじゃ目立たない高校生活なんてできやしないぜ、という状況にある。


「おい御堂。親戚の子を学校に連れてくるな。今日だけだが、罰はあるぞ」


「ま、マジかよ」


 魅宝が学校に乱入したせいで、体育のハゲ埼がブチギレ。そのせいで、校庭の端っこにある雑木林に落ちた球拾いを命じられた。


「しっかりせんと停学だぞ、停学ゥ」


 スキンヘッドをてからせて言うせいで、断ることなどできやしない。

 碧は仕方なく雑木林に入ることになった。生物部くらいしか足を踏み入れない雑木林は、いつになく薄暗く冷たい空気が漂っている。


「ご主人様、これ妖気ですよ」


 碧はげんなりした。


「また茶釜とか、なんちゃって吸血鬼のベスみたいなヤツかよ」


「ち、違います。これ、凄く怖い」


 魅宝の言うことを苦笑いで聞き流した碧。

 そもそも、魅宝は茶釜やアリスの時も同じことを言っていた。それで出てきたのは、お間抜け美少女なのだから信じられない。


 二度あることは三度ある。


「二三個、適当に球拾いしたらハゲ埼も満足するから、魅宝も探せって」


 碧は軽い調子で言ってから、ふと目の前の木に視線を吸い寄せられた。

 ねじくれた梅の古木である。

 こんなに梅の木というのは大きくなるのだろうか。こんなに寒いというのに、ピンク色の花が咲いている。


「びっくりした。こんなとこに木なんてあったんだな……」


 ねじくれた幹である。

 花は綺麗だというのに、どうしてか怖いような気がする。薄暗闇うすくらやみで淡く光るように、ぼんやりと浮かびあがって見えた。


「ご主人様、下がって。これはただの梅じゃありません」


「え、何を言って……」


 梅の木の根元に、女がいた。

 赤い襦袢じゅばんに乱れた黒髪、だらしなく開かれた股からは、太ももに沿って血が走る。

 瞳には、一目でそれと知れる狂気。

 半開きの真っ赤な唇が、だらしない笑みに引き攣れていた。


「ひひひ、お久しぶりでございますぅ。長らくのお見限り、主様もすっかり可愛くなられて」


 碧は悲鳴を上げそうになる口元を押さえた。

 これは、生きている人間ではない。妖怪とか、そういうものだ。

 魅宝のように話が通じる相手ではない。


「あ、ええと、よく分かんないですけど、人違いじゃないかなって」


「ひひひ、その御顔を忘れたことなどございません。ええ。この鬼梅太夫おにうめたゆう、このような地に縛られたこと、一度たりとも忘れておりませぬ」


「ご主人様、下がってっ。お願い狐火っ」


 魅宝が妖力の炎、狐火を出現させて放つ。ただの人間であれば大火傷ともなろうが、鬼梅太夫と言う名の鬼には通じない。

 炎を受けても平然としていた。


「きひっ、ひひひ、狐もすっかり小さくなった。今のお前など、もう怖くない。きひっひひっ、花柳病かりゅうびょうで死した遊女の無念と梅毒より生まれたあたしが、荼毘だびの火などで死ぬと思うたかよ」


 花柳病とは、明治時代の言葉で不治の性病を示す。


 相克そうこくにあてはめれば、木生火もくしょうかにより木気に属する鬼梅太夫は火に耐えられないはずだ。しかし、鬼梅太夫は花柳病の苦しみより生まれ出でた疱瘡神にも似た側面を持つが故に、葬送の意味を持つ火では死なない。


「魅宝、逃げるぞッ」


 碧は魅宝の首根っこをつかんで走り出す。とにかく逃げる。ヤバそうだが、相手は木だ。動けるものじゃない。


 全速力で雑木林を駆け抜けると、目の前には梅の木。


「結界に捕まってます。戦わないと。ご主人様ッ」


「そんなこと言われても、あんなの無理だって」


「こんなのが外に出たらっ」


 魅宝は常から人助けにこだわっていた。なんちゃって吸血鬼のアリスに血をやることも、近所のお年寄りの手助けをすることも。


「きひ、ひひひ。可愛らしいものよなあ。あの魅宝が人助けなどと、ご主人様ごとここではらわたを引きずり出して喰ろうてやるわッ。貴様にいいように使われた恨み、思い知れ」


 鬼梅太夫は虫のごとき四つ足の姿勢で襲い掛かる。


「くそっ」


 やけっぱちの勇気が碧を動かした。魅宝を抱きしめて庇った瞬間、術式が発動する。

 式神との契約。その最終形態とは、意のままに操ること。

 手足のごとく操るとは、式神自体を手足とすること。

 今は失われた外法げほう陰陽術、その名も、六式転送ろくしきてんそう魅宝天たからのてん

 碧の右手に宿った魅宝は、金色の籠手へと変じてその右腕と一体化した。魅宝の持つ本来の力、その九分の一を取り戻す。


「なんだ、これ」


『ご主人様、この手で思いっきりやっちゃってくださいっ』


「お、おう」


 碧は式神の力と術式により、恐怖から解放される。

 魂に刻まれた記憶が、碧の意思とは関係なくその術に誘導していく。今までケンカなどしたことがなかった少年が、戦える。

 右手を振り被った碧は、黄金の籠手で鬼梅太夫の腹をぶち抜いた。


「きひひっ、ひひひひひ。このための、あたしかよ。おのれぇ。地獄に堕ちろよ。陰陽師ぃ」


 鬼梅太夫は崩れ去った、そして、そこに封じられていた鬼の魂魄が、碧と、魅宝の変じた籠手に吸い込まれていく。




 間宮小夜子は、若松少年の目を通して見ていた。

 なるほど、だいたい分かった。

 その一部始終。反吐が出る悪意のなせる業よ。


 少し、遊んでやろうかの。


「見させてもろうたぞ、子狐とその主人や」


 突如として小夜子の声が響き渡り、空間がねじ曲がった。

 何も無い中空の次元を引き裂いて現れたのは、髑髏と彼岸花の和装でキメた小夜子である。


「えっ、なんで着物番長が」


「ほほほ、なかなかの見世物であったわ。しかし、その術、わらわは好かぬ。よって、少し手を加えてやろう」


 小夜子は何かをつまむ仕草をした。

 ただそれだけのことで、碧の右手に激痛が走った。


「ぐぁっがああああ」


「きゃぁぁぁぁぁ」


 重なる悲鳴は魅宝のもの。

 小夜子が何も無い場所からつまみ取り出したのは、鬼梅太夫の魂魄である。いかなることか、恐るべき陰陽術の秘奥を指の一つまみで破壊したのだ。


「鬼梅と申したな。その憐れさに免じ、ここに転生させようぞ」


 小夜子が魂魄に息を吹きかけると、鬼梅太夫は復活する。

 ただの復活ではない。

 いまや、鬼梅太夫は太夫の名に恥じぬ艶姿。

 襦袢だけの梅毒に侵された女の姿ではなく、花魁のごとき艶姿の女鬼として転生を果した。


「あああ、あたしの身体から花柳病の痛みがなくなって……。なんということ。あなた様は、菩薩様でございましょうか」


 誰よりも困惑しているのは、鬼梅太夫その人。いや、その鬼であった。


「ほほほ、わらわが仏であれば角など取り払っておるわ。鬼梅太夫や、もはや梅毒の因縁は断ち切った。これより香雪鬼こうせつきと名乗るがよい」


「おお、名までたまわれますとは、あなた様は」


「間宮小夜子、この世における悪そのものじゃ。さて、そこな子狐。いやさ、魅宝よ。その意思は本当にお前のものと言えるかや」


 突然言葉を振られた魅宝は戸惑った。


「その姿では話もし辛いの。ほれ、戻れ」


 小夜子が命じた瞬間、六式転送魅宝天が解除されて碧と魅宝が二人に戻る。


「あ、あああ、そんな、ご主人様、わたし、魅宝ですよね?」


 小夜子の霊力と妖力、そして【あちら側】の因子。それらは、この世界の法則とすらも捻じ曲げる。


「な、なに言って。番長、どういうことだよ。俺も訳が分からなくてっ、これってなんなんだよ」


 碧もまた、脳裏に見知らぬ記憶が走ることで混乱している。鬼梅太夫の魂魄を引き剥がされた時から、そうなっていた。


「ほほほほ、そなたらの宿命さだめ、はなはだ不快であった。わらわの眼前でそれは許さぬ。今よりその宿命、わらわが作り変えようぞ」


 絶大なる力を持った傲慢な支配者として、小夜子は宣言した。

 この日、一つの決められた物語は崩れ去った。

 それを陰から見守る若松少年は、場の空気を乱さぬよう心の中で「流石です、お嬢様」と褒め称えていた。






 一方その頃、教室ではギャル谷が混乱の極みにあった。


「番長が消えてっ、そこで消えてっ、テレポゥっ、テレポーテーションしたぁっ」


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