第2話 小夜子と若松少年

 若松少年の朝は早い。

 朝の四時には近くの防波堤に行って、日の出まで釣りをする。

 冬場はルアーで黒鯛かシーバス狙いだが、日によってはメバルなどの根魚を狙う。その後は用水路に寄って罠にワニガメがかかってないかチェックする。

 釣果を持ち帰ったら、朝食の準備だ。

 広くて道具の揃ったキッチンで、みそ汁と焼き魚メインの和食で朝食を作る。

 家主である小夜子お嬢様の好みに合わせているが、たまにはトーストにジャムを塗りたくり、コーヒーでしめる朝をやりたくなる。

 手早く済ませたら、シャワーを浴びる。早風呂の早シャワー、烏の行水で風呂場から出て、着替えている間に炊飯器がピーっと鳴る。

 このころには小夜子も起き出しているから、髪を乾かすのが終わったところでキッチンに戻って炊きあがった玄米3、白米7のメシをおひつに移す。

 小夜子のことだ。今日も三杯は食うだろう。

 テレビの置いてある和室におひつを持っていくと、小夜子はすでに身支度を整えて国営放送の天気予報を見ていた。


「おはよう、今日は何じゃ」


「おはようございます。今日はアジの干物に、カサゴとあおさのお味噌汁。それに玉子焼きって塩梅です」


 小夜子はうむうむと頷いて、満足そうだ。


「今朝もご苦労であるな」


「いやぁ、趣味みたいなもんですから」


 若松少年は、近隣から間宮家の下男で小夜子の世話係と認識されている。

 彼の普段の立ち振る舞いからそのように思われているが、実際に生活費から学費まで全部を出してくれている、小夜子に雇われた丁稚でっちだ。


 出会いは小六、小学校六年生まで遡る。




 転校生である間宮小夜子は、初日から皆の度肝を抜いた。

 私服で通う小学校にド派手な着物でやってくるなど、まともではない。


「間宮小夜子じゃ。子供ら、よろしゅう頼むぞ」


 それが第一声で、なんだコイツ、というのが皆の感想だったのだけど、その異様な美しさにそんなことは霞んで、皆が心を奪われていた。

 教師までもが目上の人物に接するほどの有様で、特別な子、というのが秒で分かる。


 当時の小学生若松は、ワルであった。


 水商売の母親に放置気味で育てられていて、金が無いから恐喝はするわ、ケンカで人を殴るわの、分かりやすいワルであった。

 身体は小柄だが、中学生とケンカして勝利する。

 特段に強いというより、ケンカの時に石やら金槌やらを平気で振り回す狂気で勝つというタチの悪さ。

 強ければ損しない、という単純すぎる生き方がすでにあった。

 長じれば、社会へ復讐するため極道になる。すでにそれが確定しているクズだ。


 陰険な女のグループすら手をだしかねている小夜子に、昏いくら怒りを覚えた。


 幼いころの若松はいじめられていた。

 立場が変わったのは人の頭を石でカチ割ることを覚えてからだ。それから、お友達はビビって服従するようになった。

 年齢なんて関係ない。暴力で、人の上に立てる。


 しばらくは様子見だが、なにかしてやろうと若松は考えていた。


 そのように考えていたのは、若松だけではなかった。

 人間というのは、本能が察知することを無視してしまうほどに、脊髄が発達した生き物だ。

 陰険グループの一部の女子も同じように考えていると知る。


 間宮小夜子は奇妙な少女であった。

 喋り方はめちゃくちゃだが、成績は優秀で体育の時間など汗一つかかないのに全部一番になってしまう。

 どれも特段に嬉しいというものでもないらしく、ただ普通にしているだけという態度だ。

 あまり話には加わらないが、トイレの花子さんの話題になると別で、何かと知りたがった。

 そういうのが好きなようで、この学校ではどのトイレに出るかなど事細かく知りたがる。

 オカルト好きな女子は一定数いるため、そういう子たちとは仲良くしていたようだ。

 

 若松少年たちは、一計を案じた。

 花子さんを呼び出す方法があるといって、夜の学校に誘い込んでトイレに閉じ込めてやろうという作戦だ。

 当時の若松少年には、ここで強姦するというところにはいかない人間性が残っていた。


 言葉巧みに誘い出して、夜の学校に侵入する。

 警報の鳴らない入り方を知っていた若松少年の案内で忍び込み、トイレまで小夜子を誘導する。

 あとは、儀式だということにしてトイレに閉じ込めてやればいい。


 陰険女子のリーダーが、儀式を始めた。


「花子さん花子さん、お菓子を持ってきたから泣き止んで。出てきてくれたらお菓子をあげる」


 これは昔からこの学校に伝わる儀式だ。

 何か起きたなんて話もあって、教師からは禁じられている。

 お菓子をもって、夜の10時に儀式をしたら、花子さんが出てきてお菓子と引き換えに願いを叶えてくれる、というものだ。

 間違ったり、お菓子が気に入らないものだったら、花子さんに殺される。

 学校にはありがちなもので、六年生ともなると誰も信じていない、そんなものだった。


「なるほどのう。自分から受け入れさせんと、やって来んのか。用心深いことよ」


 小夜子はそう言って、普段は見せない口元に弧を描く、吊り上げるような笑みを刻んだ。

 若松少年はぶるりと寒気を覚えた。

 持っていた懐中電灯の明かりが消えて、女の子たちから小さな悲鳴が上がった。そして、和式便器から水がごぼりと溢れだす。


「ふむ、水を通じて出てきよるのじゃな。なるほどのう、名前がありながら学校という場所に同時に存在しておる妖物。やはり、異界のものであったか」


 和式便器の真上に、突如として人が出現した。

 宙に浮いているその姿は、イメージ通りの花子さんスタイルだ。顔はうつむいていて見えないけれど、服装は間違いない。

 下半身は想像とは違っていた、くらげのような足がスカートから無数に伸びている。そして、異様な臭いがした。

 悪臭であるが、今まで嗅いだことのない異様なものが鼻に突き刺さる。


『お菓子がきたァ』


 その声は、youtubeでよく使用される、ゆっくり、機械音声、それに近い機械の話すような妙な抑揚である。


 女の子が悲鳴を上げたと同時に、花子さんが襲い掛かって来て目の前で弾けた。全身がぬめる液体まみれになったと感じた次の瞬間に、景色が変わっている。

 薄暗い荒野に、皆はいた。


「ほう、気配が薄いと思うてあったら、門であったか。【あちら側】とは違う次元の狭間かや。ほほほ、殺風景なところに呼び込んでくれたものよ」


 荒野にはところどころに色鮮やかな花が咲いていた。

 薄ぼんやりと空は赤く輝いていて、雲の切れ間から巨大な何かが蠢いていると分かる。


「なんだよ、コレぇ」


 小学生若松はそんな言葉を絞り出すのが精いっぱいだった。

 女の子たちはガタガタと震えていて、言葉すら出せないでいる。この場所が危険だと、本能が察知していた。


「ほう、そなたは若なんとかじゃったな。ここで言葉を出せるとはなかなかのものよ。ここはのう、バケモノどもの住処じゃ。ここに飲み込まれたら最後、現実世界では無かったものとして存在が消されるか、アレに体を乗っ取られて戻るかのいずれじゃな」


「なんなんだよ、お前。こっから出せよ」


 小夜子は面白そうに笑った。


「人を罠に嵌めるようなものが何を言いおるか。まあ、見ておるとよい」


 女の子たちはすでに泣き出していた。

 荒野のあちこちからは、得体のしれぬ陰のようなものが顕れ出でて、こちらに近づこうとしている。


「わらわは仕事を済ませるでな。運がよければ戻してやることもできよう」


 小夜子は言い終えて咳ばらいを一つ。そして、口を開いた。


『――――――――――――』


 小夜子の口から発されたそれは、音だった。

 小夜子以外の誰にも聞き取ることすらできない音である。何か言葉のようなものであろうことは分かるが、聞き取ることができない。

 人間には理解できず、聴くことすらできない。いや、肉体が理解を拒む異界の音である。


 荒野から現れていた異形の影が脅えて去っていく中、空の分厚いガスのような雲が裂ける。そして、学校のトイレに出現した花子さんが降りてきた。


 若松少年は失禁していた。女の子たちも同様に、失禁してへなへなと座り込んでいる者さえいる。


「平成15年、S小学校で不明になりし◆◆××という子供を喰らったのはお前か?」


 存在が消されるが故に、犠牲者の名を人間が理解することはできない。

 小夜子の言葉に、花子さんはこくりとうなずいて肯定を示す。


「喰ってしもうたものは仕方あるまい。遺骨でよいから返せ。それに、魂魄を解放せよ。【あちら側】で伊邪那美様が待っておらるる」


『けいやくはァ、ったァ』


 機械音声のような異常な声。


「バケモノが一丁前に言いよるわ」


 花子さんのくらげのごとき触手。凄まじい速度で放たれたそれが、小夜子の胸を貫く。だが、小夜子は平然と貫いた触手を掴むと、花子さんを自らに引き寄せて、頭突きを見舞った。


「これで最後じゃぞ。遺骨を返し、魂魄を解放せよ。貴様の来た地獄には還りとうあるまい。さあ、返答や如何に」


『けぇいやくはァ、成ったァ』


「気骨のあるバケモノよ。なれば、この狭間ごと滅してくれようぞ」


 若松少年たちが、それを忘れることは無いだろう。

 小夜子と花子さんの戦いは、まさしく人には理解できぬ魔戦。

 肉体は弾け飛び、奇怪な形に互いが成り果て、互いが互いを喰らいあう。それは、人間が見るにはあまりにも巨大すぎるものであった。

 次元すら超越した戦いは、時には視認することすらできず、色が動いているようにしか見て取れない。

 子供たちは茫然とそれを見やるのみ。


 どれほどそれを見ていただろうか。数秒かもしれないし、百年にも及んでいたかもしれない。


 いつしか周囲は暗黒に飲み込まれ、無明むみょうの闇の中にいた。


 一度、花子さんに全てを食いつくされた小夜子が、花子さんのぶよぶよとした腹を食い破り再生した。

 花子さんの異常なる断末魔が響き渡る。聞いただけで、人間の形が崩れ去るほどの奇怪な音である。

 勝利者である小夜子の存在がさらに強くなって、人の形に戻ったところまでは覚えている。


「花子さんや、バケモノとはいえ強敵であった。褒めて遣わす。もう一度死に、花子さんのはらを借りて産まれ直しをすることになるとは思っておらなんだ。ほほほ、これよりお前もわらわの一部である。わらわの中で生き続けよ」


 闇の中で、花子さんに食われ囚われていた魂魄が【あちら側】へと還っていくのを見た。

 死とはこういうものか。

 魂魄が全て消えた後、小夜子のたおやかな笑い声が響く無明の闇に包み込まれる。


 なんと、おそろしい。


 若松が気付いた時には夜の学校で倒れていた。

 異常な臭いの粘液まみれで皆は気を失っており、警備員に見つかって警察を呼ばれて騒ぎになってしまう。しかし、花子さんなどという話は到底信じられるものではなく、話はうやむやになった。


 小夜子の姿は無かった。

 どこにもいた形跡がなく、それからしばらく学校にも来なかった。


 ひと月ほどして、小夜子は学校に来た。


「お前ら、わらわに感謝せいよ。タダで助けた訳ではないぞ。今後、お前らはわらわの命令に従ってもらう。なに、少しのお手伝いじゃ」


 みんなして、ガタガタ震えて従うしかなかった。


 中学生になるまで、様々なことがあった。

 時には妖魔をおびき出す餌にされ、時には小夜子の住まう屋敷の掃除、観光地の名物を買ってこいなどというお遣いもあった。


 若松は、この一件で暴力では到底太刀打ちできないものを知った。小夜子のことが怖すぎて怖すぎて、どうにもならない。

 特に怖いのは、小夜子がいない時間だ。

 アレがどこかで何かしていて、自分の知らぬところで何か起きていると想像するだけで、恐ろしくてたまらない。

 お遣いの任務を割り振られても、交通費を捻出できない若松は、小夜子の屋敷で下男をすることになった。


 家事を全くやりたくない小夜子としても渡りに船。そして、若松の母親も子供などほったらかしの有様なのだから、全員に都合のよろしい三方よし、そういうことになった。

 人身売買である。

 いつのまにか母親には大金が振り込まれており、若松の学費や生活費も小夜子が負担する。

 その代わりに、若松は住み込みの下男か従者という立場になった。

 中学の三年間、かいがいしく尽くしていくと気心も知れて、小夜子を主人として立てるよう、自然とそうなった。


 若松少年は毎日を安心と共に過ごしており、不満は全くない。


 これほどに恐ろしい主人が傍にいるのであれば、もはやこれ以上の恐怖など無い。生まれを羨んだり、将来を悲観したり、恐喝したり、そんなこととも無縁になれる。

 力による服従とも取れるが、絶対的な力への服従は安心へと変わる。

 心安らかに生きていけるようになり、若松少年は人が変わった。


 ワルなど馬鹿らしいこと、していられない。


 小夜子お嬢様のお役に立っていれば、何もかもが安泰。

 御身おんみを悪などとおっしゃっているが、このような御方のなすこととなれば、それこそ人間には理解すらできないスケールの悪。それを世間では悪と呼ばない。

 このような御方のお近くにいられるとはなんと幸運なことか。

 若松少年は主人に尽くす生き方を選ぶ。





 時は戻る。


「腕を上げたのう。褒めて遣わすぞ」


 朝食が終わり、茶碗五杯とおかずをぺろりと平らげた小夜子が満足そうに言う。


「ありがうございやす」


 このように気遣って頂けるとは、まことに有難いもの。

 若松少年はぺこりと頭を下げて、残りのメシをかっこむ。


「そう急いでは身体に悪いぞ。若松はせっかちじゃ」


「いやぁ、性分でして」


 下男の性分とでも呼ぶべきか。ついぞ急いでことをすませてしまう。


「それはそうとお嬢様、今日は見慣れぬものに気づいておりませんか?」


「うむ。屋敷の床を滑っておる丸い機械じゃな。奇妙なもので気になっておった」


「へい、実はこちら、ルンバという家電製品でございます」


 若松が自費で購入したものである。

 小夜子に仕事が入ると若松もお世話で忙しくなり、広い日本家屋の清掃が滞るということで試しに購入していた。


「風の噂で便利なものと聞いてはおるが、どのようなものじゃ」


「ルンバとは、簡単に申し上げればお掃除ロボットでございます」


「ほう、ロボットかや。あのような丸いものがロボット、流石は未来じゃ」


 小夜子は驚いた。

 電話機がコードレス、連絡はポケベル時代の癖が、まだ抜けていない。ファミコンがここまで進化しているというのにも、いまだ慣れていないほどだ。


「へい、塵を感知して自動で移動して吸い込むって寸法でさあ。なんと、段差も移動できて、充電機にも自分で戻る賢いあんちくしょうでございます」


「優れものよなぁ。しかし、高価なものになるのではないのかや」


「それが最新式のフルセットで市場価格はおよそ20万円ほど、一般家庭用でしたら3万円でお釣りがかえってくるほどの価格です」


 最新のロボットが20万円!?


「な、なんと、これが令和かや。恐るべきものよ、ロボットが電気屋で買えるとは。若松、でかした。最新型を必要なだけ注文せい。領収書を忘れるでないぞ」


「へい、かしこまりました」


 ルンバはとても便利である。

 一人暮らしであれば、数万円で暮らしのストレスを大幅に軽減できる。それに、広い邸宅ともなれば結果的には安く収まるという話もあるほどだ。

 お求めはお近くの家電量販店、インターネットショッピングで。


「それはさておき若松や。今日の昼は退魔師共の会合じゃ。支度をしておけよ」


「へい、整えてございます」


 会合で供されるのはどのような食事であろうか。

 退魔師はそれなりに金回りの良い業界であるため、期待はできる。


「そろそろ、わらわの敵が顕れるやもしれん」


 高校生ともなれば、物語が動き出す頃合い。

 悪としての力は存分に蓄えている。

 小夜子は、嫣然えんぜんと笑むのであった。

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