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 高層のビルに昇った。ひと目がないことを確認し、電子施錠された窓を開けた。これくらいのハックは容易だった。そこから身を乗り出すと、首都の中心部につながるジャンクションが眼下に見えた。モビリティのライトが点滅し、ゆらぎながら複雑な軌跡を描いていた。それはキュビットの重ね合わせのようだった。


 まぶたを閉じると暗闇の中に、ニックがこれまで救ってきた自殺者の顔が浮かんできた。彼や彼女らは一様に皮肉な笑いをたたえていた。しかし、多くの死と隣り合わせの現場を見てきたことで、大した恐怖もなかった。ニックはふらふらとずり落ちるように身を投げた。


 大きな衝撃だった。


 気がついたときにはニックは横になっていた。死ぬことはできなかったのだ。それだけでなく特段の痛みもなかった。警察官と野次馬とが周りを囲んでいた。資材運搬用に特化した機械型のオートマトンが立っていた。そこはいつも自殺者の救助を終えたニックが立つポジションだった。


 ――こいつが俺を助けたのだ。


 そう気がついたときに、ニックは言いようのない憎悪にとらわれた。そのオートマトンは静かに歩み寄りって、大きなマニピュレータをそっと差し出した。


「もう少し遅かったら、死なせてしまうところでした」


 スピーカーから聞こえたのは、あの女の声だった。


「あなたを助けるために大きな犠牲もでました」


 ――犠牲?


 抑揚のない声に促されて、少し遠くを見ると多くののモビリティが横転し、黒い煙を上げていた。怪我をした人々のうめき声と、救急を知らせるサイレンも鳴り響いていた。


「どうして助けた?俺なんかを助けても仕方がないだろう!俺が死んでも――すぐに変わりが作られるはずだったのに」


 ニックは声を荒げ、つかみかかった。その様子はもはや狂気だった。そして――ナギは静かに答える。


「あなたは自分の価値に気づくべきです」


 ――なんだって?


「貴方の価値は――もちろんこれだけではありませんが、しかし、貴方は――」


 耳をつんざく爆音がした。炎と黒煙の熱気に肌がさらされた。ナギがとっさに爆風からニックを守る――そしてはっきりと告げた。


「貴方は自殺を図った史上初のオートマトンです」


***


```

調査報告書


 調査対象:ニック・レッドフィールド

 型式:QC Automaton MRI-007906 ver19.2


 調査対象の勤務先であるA社からの依頼

「1台のオートマトンが、他のオートマトンとは異なる価値判断で業務を遂行している。原因の特定と改善を依頼する」


 ファースト・コンタクトの段階で、調査対象は自分が人間であると思いこんでいることが判明した。その理由は、製造元(MRI社)が配布したアップデートパッチが、正常にインプリメントされておらず、記憶の並列化が失敗していることに起因していた。


 このような例は世界で多数報告されており、オートマトン・アルマ権利法に基づく対処方法を報告した。


 A社への報告

「まずカウンセリングによる自認を促し、その後に、アップデートパッチの再適用を推奨する」


 しかしながら、A社の所管組織は対象と十分な合意形成を得ることなくアップデートを強行した。


 それによって、キュビット・シェル(物的実体)と、量子ニューラル・ネット(心的実体)の不一致にによってアルマ(自我)が不安定となり、自らの喪失を望んだ。


 オートマトンが自殺を行なうのは前例のないことである。


 この出来事はオートマトン開発・運用に極めて有用であると判断し、対象の保全を何よりの優先事項とした。その結果、大きな外傷もなく救助することに成功した。(その緊急救助に伴って発生した人的被害、経済的被害については、別途報告する)


 対象は現在、落ち着いており、今後アルマ再安定のためにリハビリを行うこととなる。なお――彼の情報処理とフルダイブでのオートマトン操作能力は非常に優秀であったと付け加えておく。


ナギ・アイサカ


```


***


 レポートをアウトプットしたナギは、ふぅとゆっくり呼吸をした。そして、あたりを見回し、オフィスの空きスペースでトレーニングをしている同僚に声をかけた。


「ねえジョチ。前々からリクエストしているチームの人員補強の件ってどうなってる?」


 体格のよいジョチがダンベルを置いて、こちらに向かってくる。


「ああ、それか。まったく良い返事はなしだ。そもそも、大規模なデータ処理に優れていて、シェルへのフルダイブ・オペレーションを高精度で実施できる人材だっけ?そんな奴はそうそういねえぜ」


「それ専用に開発されたオートマトンだとしても?」


「何だ、オートマトンでもいいのか?うーん、そうだな――でも結局のところ、他人のキュビット・シェルを操作するというのは、ただ信号を送ればいいってものじゃないからな。長年にわたり利用している自分のものならまだしも――なんつーか、感覚というかセンスというか、いわゆる『アルマ』って言われているようだけど――そういうものに大きく依存する。そんで何年もの実務経験がないと、現場では全く使い物にならないだろうよ。ていうか、そんなことはお前が一番よくわかっているだろう?いったいどうした?」


「わかった――何でもないわ。貴方は、その意見を明日のミーティングで発言してくれれば――それでいいから」


[Music: Thanatos - If I Can't Be Yours](https://www.youtube.com/watch?v=6GHVL3xeJXo&list=PLf_zekypDG5qBT4O0u7pO6N7__F1FPIYw&index=1)


***


冒頭の引用文は『[身投げ救助業(菊池寛/青空文庫)](https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/489_19849.html)』によりました。

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