第三十八話:ヤスヒロさん。
イタリアまで来たのには理由がある。
この場所はヤスヒロさんが目撃された最初の国で、わたしが初めて転移者を見た、「大きなトカゲの動画」の舞台となった場所でもある。
きっかけは、わたしのわがままだった。
「ヤスヒロさんの事を、もっと知りたい」
と、わたしは椿に願った。
すると椿は深く私に尋ねず、「それなら調べよう」と、転移者を倒すがてら、この国までわたしを連れてきたのだ。
海外旅行は初めてだったわたしだが、椿が海外に行くと決めたその日にパスポートが発行されて、周到にも往復のチケットまで準備されていた。
異常事態に慣れていたわたしだったが、さすがにこれは声をあげて驚かざるを得なかった。
パスポートを開くと、そこには撮影した覚えもない写真が貼り付けられている。
一体全体、どうやってこのパスポートを準備したのだろうか。
「で、なんでシチリア島に来たの?」
「ただの観光だよ」
椿はナポリに向かう飛行機で、そう言った。
「せっかく来たんだし、回っておきたいでしょ」
「まあ、夏休みだしね。そうかも知れないけど……」
確かに来た理由も分かってないし、特に急いでいる訳でもない。
夏の思い出を作るためであれば、これぐらいの旅程で良いのだろうが――。
「そういえば、ヤスヒロについて葛木響からは教えてもらったの?」
葛木響。
これが、宝珠さんの本当の名前……だそうだ。
椿は最初から宝珠さんの名前を知っていたが、わざと漏らさなかったらしい。
エージェント同士のお約束だと、椿は言っていた。
「宝珠さんはデカ太郎から全部"見せてもらっていた"らしいけど、わたしに教えてくれなかった」
「そうなんだ、意外とケチだね。どうして?」
「わたし達が旅行に行くの、すごく嫌がってたから」
それを聞いた椿は、笑顔でVサインを作った。
「デカ太郎って、あのヤスヒロが操ってた人間だよね」
「うん。もともと人間だったんだよね、その人」
「ガリレオ・クチノッタ」
「え?」
「彼の名前。事前に調べておいたよ」
椿のウインクと共に、わたしはこの旅の意味を、薄々感づいてしまった。
◆◆◆◆◆
ナポリは風光明媚な街で、ヤスヒロさんがしばらく滞在したという話も納得ができた。
風景は色とりどりで賑々しい。それでいて紀元前からの歴史も、建物という形であちらこちらに残っている。
「彼みたいに海外に飛ばされた転移者も居た。けれど彼はここを気に入って、しばらく滞在し続けたそうだよ。あの事件があるまでは」
――あの事件。
椿が言うには、動画で見たトカゲの暴走の事らしい。
わたし達は電車に乗り、数駅の区間を移動した。
一度駅に入ってしまうと、東京都変わらないような街並みだ。
さらに数駅も乗り継ぐと、今度はわたし達の町と変わらないような、よく言えば長閑な街並みが広がっていた。
「なんか全然普通だね、この辺」
「観光地じゃない方が、彼が住んでいたって思えるよ」
駅から20分ほど歩くと、わたし達は公園の入り口に辿り着いた。
「この自然公園で、ヤスヒロが働いてたんだって」
「あれ? 全然ニートじゃないんじゃ、それなら」
「まあ日本に帰国してからは働いてないみたいだから」
椿と中に入ると、そこはほとんど山の中だった。
地図を見ても道は数えるほどしかない。それ以外は木々と平原だ。
椿は辺りを歩いていた職員らしき中年の女性に声をかける。
イタリア語で話しているから何を言っているのか分からないけど、ヤスヒロの事のようだ。
五分ほど話すと、椿が戻ってきた。話相手の職員は、どういう訳か肩を落としていた。
「うん、ちょっと歩こうか」
わたし達は木々の間に作られた道を、少しずつ登っていく。
横たわった木で段差を作っているのを見ると、ここが日本なのかイタリアなのか分からなくなってくる。
「見える? 野鳥とか」
「え? どこ?」
椿は森の中を指さすが、全く見当たらない。
「今度はトカゲだ」
「え! トカゲ?」
わたし達の足元を、カサカサと一匹のトカゲが歩いて行った。
「こういう動物達を見つけて、保護してたんだって」
「ヤスヒロさんが?」
「うん。動物、好きだったんだろうね」
少し道を進んでいくと、わたしたちは開けた場所に出た。そこでは何匹か馬が放し飼いになっており、一面にしきつめられた草をむしゃむしゃと食べながら、辺りをウロウロとしていた。
その中に一匹、足腰が震えている。きっと年老いているのだろう。
「さっきの人にも聞いたんだけど……一年ぐらい前にある男が来て、動物を殺して回ったんだって」
「え……」
「ガリレオ・クチノッタという職員は、夜にこの公園を見張っていた。ここは保護区だから、夜も監視員も置いていたみたい。で、その男を止めようとしたけど、斬りつけられてしまった。その男が持っていた斧でね」
椿は老いた牝馬に近寄り、自分の肌を嗅がせた。
よく知らなかったけど、あれは馬を落ち着かせるための行動なのだろう。
近づいたときは少し警戒心を覚えていた牝馬だったが、すぐにリラックスをしたらしく、椿が首を振れることも、嫌がりはしなかった。
「この子は難を逃れたようだけど……少なくない動物が、餌食になって、それで――ヤスヒロの眷属となった」
「眷属?」
「ヤスヒロの能力は、死んだ動物を仲間にするってものだったんだ。彼らを生き返らせて、願いを叶える。それが、庵原靖弘……もとい、フラン・イベラチオが王である所以だ」
ヤスヒロさんは動物を、友を殺した男を憎んだ。
そして追った。死んだ動物を眷属に変え、その力をもって、男を探した。
「ヤスヒロが最初から男を殺すつもりだったのかは分からないけど……男は踏みつぶされたよ。巨大なトカゲによってね」
それが、市街地に現れた巨大なトカゲの正体。わたしが見た動画なのか。
「あの動画、合成みたいだよね。ナポリの市街地なんて作り物っぽい場所が背景だから、誰もあれをフェイクムービーだと思い込んでたし、イタリア政府も非公式に同様の回答をしたって」
わたしはまさにそう思った。椿は、その話を聞いたりしてたのだろうか。
「さっきのおばさんと、今の話をしてたの?」
「うん。あのおばさんも本物だって思ってなかったよ」
現地の人すら信じないのだ、ましてわたし達が信じるはずもない。
「そういえば、さっきのおばさん、どうして悲しい顔をしてたの?」
「ああ、日本人が来るなんて珍しいって言うから、ぼく達がここに来た理由を話したんだ。ヤスヒロが亡くなったから、彼が昔働いてた場所を見に来た――って」
「それ……言わなくても良かったんじゃないの?」
「……ああ、そっか。つい、そう言っちゃった」
そんな話をしていると、さきほどのおばさんがファイルを抱えてこちらに駆け寄ってきた。
椿は驚いた表情を浮かべ、彼女と喋り始め、そして深々とお辞儀した。
おばさんは涙ぐみながら、わたし達の肩をポンポンと叩き、そしてまた元の道を戻って行く。
わたし達の手元には、何かのファイルが残った。
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