第三十六話:その、すぐ後。
時刻はおよそ0時。もうすぐ日付が変わる時間だ。
わたしは晶に電話をしつつ、彼女の家に向かった。
晶が言うには、一帯の住民は、事前に「不発弾が見つかった」ということで避難させられており、ずっと物騒な音もしていたが、規制が敷かれ、近づく事ができなかったという。
なんともない、と言おうとしたが、一方で電話をしている途中、わたしはアスファルトに染み付いた血痕をしきりに追っていた。
わたしの周りで、どれほど多くの人が命を落としたか。
そこまではよく分からない。
ただ、まるで軍隊のような服装を身にまとった人間が、数多く路面に蹲っているのを見た。
付近で戦闘が起こった事実を、浮かび上がらせている。
その中にお母さんも居た。
特に怪我をした様子はなく、克郎さんとタバコを吸っていた。
吸うんだ――と、わたしは思った。
タバコの臭いなど、母から嗅ぎ取ったことはない。
また、わたしの知らない母の一面を見てしまったのだ。
わたしは、お母さんに蓮里のことを聞こうかと思ったが、なぜか、歩みは止めなかった。
今、ここで何かを問おうとも、わたしの心のモヤモヤした部分は無くならないだろう。
それよりも、わたしは晶に会いに行こうと思った。
だから、お母さんと克郎さんを見掛けても、わたしは軽く会釈するだけにとどめたし、向こうは向こうで、こちらに手を振るだけだった。
お母さんは、抱きとめてくれないんだな。
確かにそう思いもしたが、今のわたしにとっていちばん大事なことを、お母さんは感じ取っていたのだと思う。
今、わたしが一番会いたい人――それが誰だかを、きっとよく知っていたのだ。
晶は、家の前にわたしが来ると、抱きとめた。
「あれ? 私お邪魔だった?」
――と、後ろに居たちほが言う。
晶に会うと言ってから、ずっと後ろを付いてきていた。
「別に思っているような展開はないぞ、ちほ」
「なんだ……二人、いつかデキちゃうんじゃないかって思ってたんだけど」
ちほからそんな風に思われていた事自体、意外だった。
そんな素振りなど、見せていなかった自信があったから。
晶はわたしから体を放し、ちほの方を向く。
「だとしても今じゃないさ。有里、何があったか知らないが、兎に角大変なことに巻き込まれていたんだろ」
わたしは、きょとんとしながら晶を見た。
「ま、まあ、そうだけど」
晶はわたしの顔を見て、ふふ、と笑った。
「詳細は余り話したくないみたいだな。じゃ、私も聞かないでおくよ」
「……う、うん。ありがと、晶」
「だが、ちほには話すんだな」
わたしはちほの方を振り向く。
そこには突然話を振られて焦るちほがいた。
「いや、別に私は話してもらったわけじゃないし。知ってただけだし?」
眼の泳がせ方が露骨だなと思った。
そんな中、晶はわたしの肩を叩く。
「なんにしても無事で良かった。有里も……それにちほもな」
「ついでみたいに言わないでよ」
「ははは。そりゃすまなんだ」
晶は笑った。
わたしもつられて笑う。ちほも、小さく笑みを浮かべた。
いつもの日常が戻ってきたんだ。
肩の力が抜けるような、そんな感覚を覚えた。
「――あのね、晶」
「ん?」
「ずっとあった悩みがなくなったんだ。わたし、女の子が好きなんだとか、ずっと思ってたんだけど――たぶん、わたしが本当に好きな人は、"わたしの好きになった人"だって、分かった」
晶は口を小さく開いた。若干だが、驚きを顔に浮かべたように。
「それって――椿君のことか?」
「ううん、違うよ。誰のことでもない。わたしはこれから、誰かを好きになるのに"前提"を置かないって意味」
それを聞いた晶は、ただ一言だけ
「そっか」
と呟いた。
ちほは、「なんで今その話をしたんだろ」と言いたげな顔をこちらに向けていたが、わたしと晶の様子を見て、腕を組みながら嬉しそうにうなずいていた。
「あ」
わたしはふと、道路の奥を見る。
細貝さんだ。
わたしはちほの二の腕をノックして、合図を送る。
「……あぁー。突然だけど、私夜遅いからもう帰るね。あとはごゆっくり♪」
「なんだよそりゃ。……またな、ちほ」
「連絡するね」
「うん、おやすみ!」
ちほは走り去っていった。椿と戦っていた時より、遥かに遅いスピードで。
何でちほはあんなに早く走れたんだろう。彼女の能力の由来を尋ねたくなったが、それはまた別の機会にしておこう。
それから数秒後、細貝さんもちほも視界の外に出ていってしまった。
もう一度晶に眼を向けると、晶はわたしの方をジッと見ていた。
何を言うまでもなく、ただまっすぐと。
その視線の意味、彼女の想いはハッキリと分からなかったが、わたしは一言だけ言った。
「お互いに、気持ちが変わったら言ってね」
「ああ、そうだな」
「晶とは今のままでいい」。
その言葉は本心だが、今だったら、晶と恋人同士になる可能性もあると思った。
だけど、お互いに、やはり今そのつもりはない。その事が確認できただけで、わたしとしては十分だった。
「それじゃ、安否は伝えられたし、わたしは今日帰るね」
「今日は、送んなくて大丈夫か?」
「うん、あそこで待ってるから」
わたしは向こうを指差した。そこに立っているのは、長髪のくノ一。
黒髪が綺麗な、女性の装いをした子供だった。
「あれ、椿君か?」
「うん」
「可愛いな、椿君は」
「わたしもそう思う。じゃあね、晶」
わたしは返礼してきた晶に背中を向けると、椿の方へ歩んでいった。
「有里~!」
笑顔で手を振る椿に、わたしは歩みを弾ませる。
「椿、ごめんね」
「ううん、ボクもやることがあったから」
椿は何処かに向けて振り向いた。
――その時だった。
わたしの体に、魂が飛んできたのは。
「これ――」
「ヤスヒロだよ。やっぱり、元の世界に帰るって」
なんとも言えない気持ちだった。
不意に訪れた永遠の別れ。ヤスヒロさんは今までずっと知らない人だったけど、魂の正体に気付いた時、わたしはどうしようもなく、切なくなった。
「これで良かったのかな」
「分かんない。でも、ヤスヒロはこの最期を望んでた――ボクたちにできるのは、彼の幸せを祈る事だけだよ」
わたしは椿の手を握った。
この結末がみんなに取って幸福なものだったか、不安だったからだ。
そんなわたしの手を椿は、強く握り返してくれた。
不安などもう感じなくていい――そう答えるように。
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