第三十四話:わたし達の世界。(後)
ヤスヒロさんは指を一本立てた。
「一つ、桐本有里の転移者召喚の能力は既に存在しない。桐本佳彦によって消された」
「どうして?」
蓮里は尋ねた。
「桐本佳彦は、蓮里を現世に召喚したことを悔いていた。能力とともに、蓮里の記憶も有里から消されている。まあ、君は既に知っていたようだが」
「そうだね。案の定、有里はわたしの事を忘れてた」
そう返す蓮里の表情は、どこか寂しげだ。
その評定を見た時、わたしは何故か心が揺らいでしまう。
「復元方法も文献には残していない。その辺りは既に処分されていた。だから――今ここで有里を連れ去っても仲間を増やすことはできないよ」
「分かってる。でも、その能力がいつ復元するかは分からないでしょ? だからわたしの手元に置いておく。ただそれだけ」
ヤスヒロさんは納得したような表情を浮かべながら、指をもう一本立てた。
「二つ、有里の魂の回収範囲はおよそ半径50km以内だ。これは実際に実験を行った形跡が存在した」
「転移者の命を落とさせた――ってこと?」
「どうやらそうらしい。死がトリガーとなっているのは間違いないようだ。そして」
ヤスヒロさんは手紙の束を取り出す。
「元の世界に戻った転移者に、この世界の座標宛に手紙を送らせる実験までやっている。こうして異世界から手紙が送られてきている以上、転移者を元の世界に送り返すのには成功していると見て問題ないだろう」
「それが本物だという確証は? 後世その資料を確認する人を撹乱するための偽の情報じゃないとは言い切れないよね」
何故か、笑った。
「それはその通りだよ。だけど僕の能力を蓮里も知っているだろう? "万言理解"。全ての言語を把握し、理解する能力だ。そんな僕だから言えるが、これほど数多くのバリエーションの言語を生み出し、手紙を複数捏造するのは余りにも労力が見合わない。ただ単に偽書を捏造するだけであれば、それこそ日本語で書けば済む話だ。だから、僕はこれらの手紙が本物だと認識している。それに何より……」
彼は優しい、と付け加えた。
「彼は徹頭徹尾、善意の行為者だ。桐本蓮里を異世界から呼び戻し、不幸にもこの世界に流れ着いてしまった転移者を元の世界に戻そうとしている。それに関する手記も、決まって彼の善意が垣間見える」
「……そう」
「彼がここで嘘を付くとは思いづらい。だが、全てが嘘だったとしたら、お手上げだ。だから――僕は死ぬ。確かに僕の魂が転移するのを、同じ手法で確認する」
「手紙をこの世界に送る。それが可能なの?」
「やり方は分かった。僕なら再現可能だ。その手紙をもって、僕が転移に成功したと認識してくれればいい」
蓮里は彼の申し出に、ただ黙っていた。
その理由は分からない。
その様子を見ていたヤスヒロさんは、口を開いた。
「蓮里、佳彦を殺したのは……君なのか?」
お父さんが、殺された。
わたしは突然の言葉に動揺した。
思い掛けない、その顛末に。
わたしはずっとお父さんが自殺したとばかり思っていた。
だからずっと恨んでいたのだ。
娘を置いて消えてしまった父を。
「……わたしが殺したと思うの?」
蓮里の問いかけに、ヤスヒロは首を横に振る。
「君が家族を恨んでいるようには見えなかった。疑ってはいたけど、今回全てが分かって、君が悪人ではないと分かったよ」
「そう。ありがとう、靖弘」
ヤスヒロは一瞬だけわたしの方を見た。
「どうして桐本椿達と戦う? 彼はきっと、君の敵じゃない」
「ううん……わたしはきっとこの世界を滅ぼす。わたし達転移者に"なってしまった"者が幸福に暮らせるように。それに」
わたしは思わず、口を挟んでしまう。
「――それに?」
蓮里はわたしの方を見た。
「お父さんを殺したのが桐本椿だとしたら、仲良くできると思う?」
わたしの時は止まった。
彼女がどういう意味で言ったのかは、正確には理解できない。
だけど、椿がこの国の"抑止力"であり、お父さんが全ての"元凶"であるとするなら――
有り得るのかも知れない。
わたしは脱力して、その場に倒れ込んだ。
「嘘だよね? 椿がそんな事をするなんて、そんな……」
「だから迎えに来たの、有里。汚れた腕は、有里に触れてほしくない。だから」
蓮里はわたしの手を握った。
わたしは、どうすればいいだ。
この手を握り返すのが正解なのか。
わたしは、そんな簡単に椿を裏切れるほど――椿を信頼していないのか。
わたしは、蓮里の手を振りほどいた。
「――!」
蓮里の驚く表情が目の前に広がる。
わたしは、そんな簡単に、椿のことを裏切るつもりはない。
蓮里の手が離れたのと同時に、この世界にヒビが入り、そして砕け散った。
砕け散った世界はわたしのよく知る町の姿を取り戻す。
そして。
道路の向こう側から、宝珠さんが血まみれになりながら現れた。
横にデカ太郎を連れて。
「まったく、あれだけの数の転移者をこの町に伏せていたとは――倒すのに骨が折れました。もっとも私が負ける事など、今後もありません」
宝珠さんは額の血を手の甲で拭いながら、蓮里を見る。
「なるほど、貴方が桐本蓮里ですか。
「よく来たね、
「ええ、今でも好きな女の子の顔が二つ並んでいて困惑しています」
そう呟く宝珠さんの表情は相変わらずの無表情だった。
「ふふっ、そっか、本当に有里の事が好きなんだ。ならわたしに殺されても嬉しいよね?」
「冗談はやめてください、桐本蓮里。私が好きなのは桐本有里であって蓮里ではありません」
宝珠さんは、指を天に向ける。
「それに、残念ながら今回は貴方の負けです。貴方、本当に桐本椿とまともに戦って勝てると思っていたのですか?」
蓮里の顔がこわばる。
「勝つも何も――現に椿は、こうして地面に横たわっているけど」
「私には誰も見えませんね」
宝珠和愛の言う通り、椿の姿は見えなかった。
「闇討ちは忍者の基本。貴方が結界に桐本椿を収めた瞬間、彼は結界返しを施していた」
「わたしの結界を解いたのは、きみじゃないの?」
「ええ。わたしは転移者の相手で手が塞がっておりましたから。ところで――」
先程から貴方はどちらを向いているのです? と、宝珠さんは言った。
わたし達はずっと不思議に思っていた。
蓮里が、宝珠さんと全く違う方向を向いて喋っている事を。
「蓮里の五感は全て奪った。此方が結界内で貼った忍法でね」
その声の主は。
「蓮里のキスを防げなかったのはボクの誤算だったけど、勝負は周到に行うものだしね、少々の犠牲はやむを得ない」
「椿――」
椿が、何時の間にか蓮里の背中に立っていた。彼女の首筋に、ナイフを突きつけながら。
「今の蓮里はボクの事を認識すらできてない。残念だけど……」
わたしは、椿を止めようとした。
ダメだよ、椿。
それを行うのはまだ早い。
彼女のためだけに言ってるんじゃないんだ。
まだ、わたしは自分の家族を失う心の準備ができていないというのに――
――彼女を、蓮里を殺さないで。
「キミには、その体で罪を贖ってもらう」
椿は、そう言いながらナイフを動かした。
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