第三十三話:わたし達の世界。(中)

「なんで……」


 わたしはたじろいだ。

 それは、嫌悪感からでも、恐怖からでもない。


 ――理解できなかったのだ。

 蓮里がわたしにキスをする意味も、その真意も。

 第一、わたしは彼女を受け入れられていない。

 自分と同じ顔とした転移者。強大な力を持ち、椿やヤスヒロさんを打ち破った少女。


 それが、なぜわたしにキスをしてくる?


「桐本蓮里、それがきみの名前、なんだよね……。わたしの何なの?」

「双子だよ。有里が姉、わたしが妹。覚えてないのも無理ないよ、お父さんが記憶を消したもの」


 ――双子。

 ドッペルゲンガーのほうがまだ良かっただろうと、ぼんやり思った。

 見知らぬ家族が、また一人増えてしまったから。


「記憶を? ……なんで」


 蓮里は笑う。


「力を持ち得てしまったから。思い出せない?」

「……なにも」


 蓮里は指をパチリと鳴らした。

 それとと同時に、風景がいつものわたしたちの町に戻る。


 ……いや、少し違う。

 この風景はわたしが子供の頃のものだ。

 10年ぐらい前の、わたしが一人ぼっちだった頃の町。


「思い出せた?」

「この景色はね。蓮里の事は、何も覚えていない」

「そう。それじゃ、あそこを見て?」


 蓮里は指を差した。

 その先にあったのはわたしの家だ。


「……あ」


 リビングで、わたしと蓮里が楽しそうにしている。

 積み木のおもちゃを、二人仲良く積み上げながら。


「わたし達はずっと一緒だった。そう、わたしがトラックに引かれるあの日までは」


 また指がパチリと鳴る。

 それと同時に映像は変わり、蓮里がトラックに引かれる様子が、目の前で"再生"された。


「わたしは死んだ。葬儀は行われた」


 葬式だ。

 ずっと泣いているのは私。両親も悲しげな表情を木棺の前で浮かべている。


 ――知らない。

 なにもかも、わたしの記憶にない映像だ。


 だが、それ以上に次の映像は、わたしの知らないものだった。

 もう一度、指がパチンと鳴る。


 ――緑に包まれた世界。小高い丘の上。そこで佇む、一人の少女。

 あれは……蓮里だ。


「そう、わたしは転生した。こことは何もかも違う、別の世界に」


 少女が丘の上で立っていると、彼女の両親らしき男女が遠くからやってくる。

 恐らく遊びに出掛けていた蓮里を迎えに来たのだろう。

 蓮里は二人の手を繋ぎ、自宅へ帰っていった。


 ――この上なく、不愉快そうな顔を浮かべて。


 また指がパチンと鳴る。


 炎が見えた。

 木造の家が燃えている。いや、その周りの家もだ。

 一帯の軒が尽く……つまり、この集落は全滅したのだろう。


 蓮里は燃え盛る家の前に立っていた。

 さきほど手を引いてくれた、両親の屍を前にして。


「わたしがこの地に生まれて十年が経った頃、戦争が始まった。人々は戦火に焼かれ、命を無意味に散らしていった」


 馬に跨った騎士が蓮里に迫る。

 彼女を殺すつもりだ。


 蓮里に騎士の剣が迫る。自分の首を突こうとする剣を、何故か蓮里は臆するでもなく瞳を大きく開き、凝視した。

 すると。

 蓮里からエネルギーが放出され、その騎士を一瞬で消滅させてしまう。

 その場には、騎士が持っていた剣だけがカランと音を鳴らして落ちて行った。


「わたしは、子供の時から魔法を習っていた。両親とは比べ物にならないほどの才能を持っていると言われていたんだ。だから王国直轄の学園に入学させてもらえる話もあった。なんて……異世界の話をされてもピンと来ないよね」

「そんなことはない、けど……」

「わたしの村は全滅したけど、わたしだけは生き残れた。魔力があったから。そして、誰も比肩できないほどの才能があったからね」


 また、指が鳴った。

 今度見せられた映像は、どうやら王国に招聘され、魔法使いとして任命される蓮里だ。

 魔法の力を認められるなり、戦地に送られ、数多くの兵士との戦いを強いられる。

 野営地で傷に手当をする蓮里。その顔は、完全に暗澹あんたんたるものだった。


「でもね、戦争に勝とうが、わたしが称揚されようが、そんな事はどうでも良かった。この世界には有里がいない。わたしのたった一人の姉妹。最も愛すべき家族がいない。だから――こんな世界に何の意味はなかった」


 次に映し出された映像を見て、わたしは息を呑んだ。

 蓮里は魔法を使って、仲間の魔法使いたちを次々皆殺しにしていったのだ。

 王国の軍隊も滅ぼし、ついには自国の王も討ち果たす。


「どうして……? 蓮里、どうしてこんな事を……」

「この世界の人々に教えたかったんだと思う。不毛な戦争が導く、愚かな結末を」


 次々と多くの者をしいして行く内、彼女の前には数多くの仲間が増えていた。

 もとい、彼女を新たなる支配者と認め、同調する人間だ。


 蓮里は彼らを利用しながら、近隣諸国を次々に蹂躙していく。

 その支配の勢いはやがて世界を包み、彼女の世界は全て、蓮里にひれ伏していた。


 パチンと鳴ると、再び暗闇に戻る。


「わたしは自分の世界を掌中に収めた。だけど、何も変わらなかったよ。当たり前だよね。そんな時、わたしは何故か――現世に戻った。大魔道師としての力を持ったまま」

「それは……」


 蓮里は、わたしの顎を引く。


「そう、桐本有里。あなたがこの世界と異世界を繋げた。桐本佳彦――お父さんによって」


そう言うと、砂の上を歩くような音を立てながら、男が一歩ずつ此方に近づいてきた。


「桐本佳彦は、桐本有里を実験の道具にした。桐本蓮里をこの世界に戻すためにね。全部、文献に書いてあった」


 ヤスヒロさんだ。全身から血を流しながら、一歩一歩、此方に歩み寄っていく。


「僕は全部を理解した。桐本佳彦の研究資料を洗ってね」


 蓮里はヤスヒロに手を向けた。次なる魔法を放つためだ。


「僕を殺すのか? それもいいだろう。僕は死とともに、"元の世界に戻るだけ"だから」


 ノブコの魂がわたしの胸に入っていくのを思い出した。


「だけど、話を聞いたほうが良いと思う。恐らくこの話には、蓮里も知らない秘密があるから――」


 口元から血を流しながら、ヤスヒロさんはわたし達に語りかけ続けた。

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