第三十話:地下室の風景。

 地下室は涼しかった。

 湿気と室温が入り混じり、ジメジメとした場所を想像していたが、全くの真逆。避暑地としては良いかも知れない。


 だからと言ってこの地下室に何度も来たいかと言うと、それは少し嫌だと思った。

 自分の知らないお父さんの一面、それを何度も眼にすることが自分にとって良い事とは思い辛かった。


 よく分からないが……お父さんはわたしの体を改造してしまったのだろうか。

 自分では何の記憶もないが、胸に入り込んでいったノブコの魂の映像が、未だに何度もフラッシュバックする。


「ねえ、椿」

「ん」

「わたしの体ってさ……どうなってるの?」


 横に居た椿は、眼前の男性に視線を送った。

 ヤスヒロさんは備え付けの椅子に座り、机に置かれたランタンに照らされながら黙々と資料を読みふけっている。


「そのためにヤスヒロさんが居る。彼が文献を読み解けば全貌が分かるよ。全てを明かすことは、地獄の門を叩くようなものかも知れないけど」

「地獄の、門……」


 わたしは、自分の胸に手をやった。

 この体にある何かのために、多くの人が周囲で動いている。

 ヤスヒロさんも、椿も、わたしの家に集まった人も。


「それで、いいのかな」

「どういうこと?」

「自分の秘密を知ったら、どうなっちゃうか分からないよ。お父さんの事を恨んでしまうかもしれないし――それって、すごく怖い事だと思う」


 そう言うと、椿は体を斜めにして、わたしの視界に横向きで入ってきた。

 そのまま、顔をわたしの鼻先まで近づけてくる。


「大丈夫だよ、ボクが居るもの。敵は全員殺すし、窮地は絶対に救う。涙はいつでも拭い取る。それが、ボクの家族としての役目だからね」


 それは――。

 家族って、そういうものなのだろうか。


 やっぱり、椿はちょっとズレている。

 でも、そのズレはわたしにとって不愉快なものではない。


 椿がいるから、わたしは心配しない。

 この初夏の日々を経て、わたしは、椿にだったら、体を預けていいと思えるようになった。


 わたしは、前にせり出して椿の体をギュッと抱いた。

 椿の顔は見えなかったけど、きっと驚いているだろう。


「ありがとうね、椿」

「……うん」

「これからも、よろしく」


 その時だった。

 地上から炸裂音のような音がしたのは。


「なに、今の!」

「転移者――やっぱり来たね。ヤスヒロ! 手を止めないで、そのまま戦って!」


 ヤスヒロは資料に視線を落としたまま、挙手した手だけ横に振った。


「ボクも行く」

「わ、わたしは――」

「ここに居て」


 椿はわたしの体から離れると、ナイフを手にとった。


「すぐ終わらせてくる」


 その時椿が、視線をわたしのスカートについているポケットにやった。


「それ」


 椿が指差した先には、防犯ブザーがあった。


「この間押し忘れてたけど、もし万が一非常事態になったら押してね。認可が降りる仕組みになってるから」

「……認可?」

「それじゃ!」


 椿は上へ出ていくと、地上へに続く扉をパタンと閉じた。

 もうちょっと説明くらいしていっても良い気がするが、状況が状況だ、仕方あるまい。


 ――さて。


 椿は出ていって、ヤスヒロさんは到底手を離せる状況ではない。

 わたしは、どうしようか。

 こんな時にこう言うのも不謹慎だが、わたしは手持ち無沙汰になり、地上への階段にぺたんと腰掛けた。


 ヤスヒロさんは物凄い勢いで資料を読んでいるようだ。

 読解力が低いという話は嘘だったのだろうか。


 紙の擦れる音だけを聞きながら、わたしはヤスヒロさんを見ていた。

 あの人は、何者なのだろう。


 "獣の王"フラン・イベラチオ。

 彼はそんな名を口にしていた。


 目の前にいる人にはもう一つの人生があって、きっと"向こうの世界"には仲間や家族がいたのだろう。

 王と言うのだから、ひょっとすると臣下や領民もいるかもしれない。


 そんな人のために頑張っているのだと思うと、どうもしっくり来た。

 ヤスヒロさんはきっと、そういう人だ。誰かのために真摯になれるような人。自分を滅してでも他人に奉仕する人。


 だったらなぜ、彼のイメージと行動が"矛盾"する?

 そこだけが、どうにも納得できない。

 わたしはその真意を聞こうと思ったが、とても質問できる状況ではなかった。


 いま、目の前で多くの人が戦っている。目の前のヤスヒロさんも、きっと誰かのためにやっている。

 そんな中、わたしは見ているだけだ。

 無理もない。わたしは、ただの人間だ。

 出来ることなんて、なにもない――


 ――その時、電話が鳴った。

 地下でもスマホの電波が入るのかと、わたしは思った。


 晶だ。


「もしもし」

「有里! 大丈夫か」


 晶の声は、明らかに動揺しているものだ。


「大丈夫だけど――どうしたの?」

「太陽が消えた。いや、見えないだけかもしれないが――兎に角真っ暗なんだ。何も見えない」


 転移者の能力だろうか。


「だけど、音だけ聞こえるんだ。まるで……ゲームみたいな音がする」

「ゲーム?」

「まるで、RPGやFPSみたいな! 銃撃戦の音とか、魔法の音みたいなのが、ずっと聞こえるんだよ!」


 その言葉を聞いて、わたしは、魔が差した。


 わたしは階段をゆっくりと上っていく。

 興味が湧いたのだ。


 外で何が起こっているのか。


 わたしはドアを開け、外の世界を覗こうとした。

 椿は、宝珠さんは、お母さん達は――

地上で、どんな風に戦っているんだ。


「有里、今何処にいるんだ? 本当に無事なのか!」


 電話から、晶の声がする。

 わたしは、それに答える前に。いや――それに答えるために。


 地下室のドアを開けた。


「え……?」


 刹那、飛び込んできた風景に、わたしは息を呑んだ。


「ここは……」


 そこにわたしの知る桐本家はなく。


「……どこ?」


 目ただ砂漠のような荒涼たる大地が、見渡す限り一面に広がっていた。

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