第二十九話:解読の日。

 翌朝9時。

 椿に連れられて、我が家にヤスヒロさんが訪れた。


「やあ、昨日ぶり」


 ヤスヒロさんは先日同様、涼しい顔を浮かべている。


「参ったね。警察やら政府やらの回し者がこの一帯を取り囲んでる。近くの一軒家まで買い上げてるんだってね」


 スニーカーを脱ぎながら、ヤスヒロさんが物騒な事を言いだした。


「別に心配は要らないよ。桐本椿がここに居る限り、彼らは手を出さないはずだから。僕がこの本丸――桐本宅に至った事で、近隣の緊張感が最高潮まで高まっているってだけに過ぎない」


 それが問題な気がするのだが。


「手出しはできない。それより――」

「彼らは第三の転移者の襲撃を怖れている」


 椿はヤスヒロさんの言葉に続いた。


「それって、昨日ヤスヒロさんが言ってた?」

「そう、ノブコの代理の監視者が来る。僕の行動を看過している筈がない。この厳戒体勢下で襲ってくるとは思いづらいけどね」


 その言葉を耳にして、わたしはチラリとリビングの方を見た。

 宝珠さんがストローを使ってジュースを飲んでいる。


「持つべきものは友達だね。宝珠和愛はボクの友達じゃないけど」


 朝、椿が宝珠さんを連れてきた時は心底驚いた。

 理由は色々あるが、一番は椿と宝珠さんが二人でまともに会話をしている様子が想像できなかったからだ。

 しかも、案の定ヤスヒロさんが来るまでにわたしを挟んで大喧嘩を巻き起こしている。


「私がいる以上、転移者など必ず追い払ってみせます。立脇信子こそ打ち損じましたが、今回はそうは行きません」


 宝珠さんはジュースを片手にそう言っている。


「解読しなければいけない書類は合わせて1000P程度。日が暮れるまでには読み終わるといいけど……どうなの、ヤスヒロ?」

「それは文章の難度にもよる。僕は文章こそ読めるが読解は苦手だよ。その辺は理解してるよね」

「えっ、そうなの?」


 椿は絶望気味の表情を浮かべた。


「まあ、善処するよ」


 ヤスヒロさんは、椿に笑いかけた。

 どこまでが彼の本気なのか、相変わらずまるで分からない。


「それじゃお母さん、ちょっと地下室に行ってくる」

「ええ」


 わたしはリビングに居るもう一人――わたしの母に声をかけた。

 今日のお母さんはタンクトップにズボン、肩に長身のライフルを掛けている。所謂スナイパーライフルというヤツだろう。

 ティアドロップ型のサングラスまで装備しており、さながらアメリカの軍人だ。


「私もそろそろ配置に付くわ。では、各位武運を祈る」


 お母さんはわたし達に敬礼すると、部屋を出ていった。玄関にはショットガンを構えた克郎さんが立っていた。

 実に奇妙な状況だ。


 けれど、わたしは少し嬉しくもあった。

 わたしの周りにこれほどの人が集まり、賑やかにいること。

 今までの我が家では見ることなど叶わなかった光景。


 ここに晶とちほが居ればもっと面白かったんだけどなあ……などと、状況に似つかわしくない夢想をわたしは描いていた。


 椿は玄関のフローリングにナイフを差し、床の隠し扉を開ける。

 そこには十年以上暮らしていた上で、一度も見たこともない階段があった。


「中の構造は把握済み。ボクが案内するよ、ヤスヒロ」

「助かる」


 椿はキャンプ用のランタンを片手に、階段を降りていく。


「わたしは、どうすれば良い?」


 椿は、振り向いて言った。


「一緒に来て」


◆◆◆◆◆


 階段を降りると、図書館のように何列もの書架が並ぶ部屋に着いた。

 部屋は暗く、ランタンがないと全く見えない。

 狭い部屋に本棚が縦にぎっしりと並んでいるため、通路も人一人が前後に歩く程度の幅しかなかった。


 だが、その割に部屋は広い。

 書架が際限なく続いているようにも見えた。父は、この辺一帯の地下を所有していたのだろうか。


 どこまでも続くように見える、本棚に囲まれた狭い通路を、椿はランタンを持って先導していた。


「そういえば、良いの?」


 わたしは椿に尋ねた。

「何が?」

「女の子の格好をしなくて」


 そう言うと、一瞬椿が消えた……ように見えた。

 その一瞬の後には、いつもどおりの装束を身にまとった椿が、こちらを見てニコニコしていた。


「――こう?」


 どうやら椿は、その気になれば一瞬で着替えられるらしい。


「えっ……じゃあわたしが部屋に入った時、椿は女の子の姿に戻れたんじゃないの?」

「……ふふふ」


 何の笑みなのだろうか。

 嫌な予感がしたが、わたしはその笑みを深く問わなかった。


「すごいな。これを全部読んだのか」

「ボクでも骨が折れた。一週間ぐらいかかっちゃったよ」


 一週間でこの量の文献を漁ったのだとしたら、もはや恐怖でしかない筈なのだが。

 もはや詳しくは問う必要もないだろう。


「着いたよ」


 椿は振り向くと手を奥に差し出した。

 わたしたちの視線の先には少し開けた空間があり、その中心にボロボロになった木の机がぽつんと置かれていた。


 その上に積まれているのは沢山のファイルと手紙。


「資料を残していたかは正直分からない。この山を崩しても徒労になるかもね。それでも、ヤスヒロは読んでくれる?」

「読んでくれる、だって?」


 ヤスヒロさんは、何故か問い返した。

 わたしは彼の顔を見る。


 その顔からは、不敵な笑みがこぼれていた。


「読み解くのは君達のためじゃない、僕のためさ。僕は君達を利用するだけだ、誤解しないでくれ」


 相対する椿も、応じるように笑う。


「うん。――キミは、それでいい」

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