第二十七話:過去と今と、椿とわたしと。


 家に戻ると、椿は部屋に行き、いつもの姿に戻って出てきた。

 短髪の男装。

 今となってはこちらの方が見慣れた姿だ。


 わたしは、椿を自分の部屋に入れた。

 椿を部屋に入れるのは、実は初日ぶりだ。

 久しぶりの部屋に、椿はベッドに腰掛けると、笑顔で辺りをキョロキョロと見渡している。


「別に、何も変わってないよ」

「実は、この部屋を見渡すの初めてなんだ。なんか女の子って感じだね」

「でも、きっと簡素だよ、この部屋。女の子はみんな、もっと可愛くしたりしてて」


 この部屋は、特別飾ったところがない。

 普通の女の子だったら、もっとファンシーな感じにしたりだとか、ポップな色彩を散りばめたりして、自分の世界をオシャレに見せるだろう。


 わたしの部屋は、それに比べると地味だ。

 マンガとか小説が並んだ本棚がずしりと鎮座している以外は、シンプルな部屋。


「そうかなあ」


 と、椿はわたしの言葉を聞いて返答した。


 わたしの中では、そうなってしまった理由は分かっている。

 過去を話せば、椿も理解してくれるだろう。


 けれど、過去を話すという行為に、わたしの中で抵抗心が生まれた。

 それはつまり、自分を曝け出すのと同じだ。

 椿に、本当の自分を見せてしまって良いのだろうか。


 だけど。

 椿自身、ここに来るまでに、自分の話をしてくれた。

 わたしだけが自分の過去を伏せたままというのは、虫の良さを感じる。


 なにより……わたしは未だに椿を信用できていないというのか。

 あれだけの言葉を言わせて、どうして心の壁を作ってしまっているのだろうか。


 だから、わたしは言った。


「ちょっと、この部屋の話をするね。どうしてこんなに、面白くない部屋なのか」


 と。


◆◆◆◆◆


 わたしは、お父さんっ子だった。

 父のことが本当に好きで、一緒にいる時はいつもべったりしていた事を覚えている。


 だけど父は仕事が忙しいらしく、家を空ける事が多かった。

 母も家に居らず――ずっと、家に一人でいる。


 わたしは、孤独だった。

 孤独を埋め合わせてくるのは、たまにだけ訪れる、父と一緒にいられる日。

 そして、心配してわたしの家を訪れる晶だった。


 晶は近所に住んでいる幼馴染で、自分が保育所に預けられていた頃からの付き合いだ。

 男らしい服を好み、少し言動が変わった女の子だと思っていたが、それ故か頼りがいもあり、わたしは保育所に居る時間をずっと晶と過ごしていた。


 晶は、わたしが家でずっと一人で居ることを心配していた。

 だから晶は自分の家へ頻繁にわたしを呼んでくれたし、夜も電話してくれたりした。

 その内、わたしの両親も黒須家を訪れるようになり、晶とは家族ぐるみでの付き合いをするようになったのだ。


 だから、わたしにとって自分の家というのは、寝所ぐらいの場所であって、それほど思い入れもなかった。


 だけど、高校生になって、わたしもこの家に居る時間が増えてきた。

 言い換えると、晶と居る事が減ったのだ。

 今でも電話をしたり、仲良くするけど、昔ほど依存した関係ではなくなった。


 それは……わたしが大人になったからだけじゃない。


 数ヶ月前にね、告白したんだ、晶に。

 「あなたのことが好き」と。


 好きだったんだよ、わたし。何時からか分からないけど。


 なんでかって言うとね。

 お父さんが死んでから、わたしはさ……女の人が好きになってたんだ。


 今思うと、わたしは父親に、恋と愛みたいな感情をおぼろげながら感じていたんだと思う。

 だから、お父さんが死んでさ、わたしは男の人に恐怖を覚えるようになった。


 ――なんでだか、よく分からないけど。


 世の中には百合を題材にした本が溢れていて、わたしもそれなんだと思ってた。

 そう自分を自認する内に、わたしはわたしを女の子が好きだって思うようになったんだ。


 それにつれて、晶が好きになっていったの。

 ずっと一緒に居て、わたしを引っ張っていっていく彼女が、どんな時でもわたしを助けてくれる晶が。


 でもね、告白した時、晶に言われた。


 「有里はきっと、私を好きなんじゃない」、って。

 つまり――振られたんだ。


 分からなかった。

 わたしの中のわたしは確かに恋心を抱いていて、それなのに晶はどうしてそんなわたしを否定したのか。

 それからずっと、塞ぎ込んでたよ。

 中学の卒業式もサボってさ。部屋にあったものも、色々捨てた。

 晶の気を引く、女の子っぽい"何か"を。

 ……結局その後も、晶とは親友のままだけどね。わたし達の関係は、少しだけ変化した。


 だから、この部屋は殺風景なんだ。

 女の子らしさなんて殆どない。あるのはクローゼットの中の、わたしの服ぐらい。

 そう思わない?


◆◆◆◆◆


 一連の話を聞いて椿は言った。


「でも、このカーテン可愛いよ」


 椿はベッドの上から、カーテンをクイクイと優しく引っ張った。

 わたしは、あ――と思いながら、カーテンを見た。


 ピンク色の、星の光を象った模様がついているカーテン。

 子供のときに買って、ずっと綺麗に扱ってきた品だ。


「文房具とか、ベッドの寝具とか、可愛いと思うし。やっぱりここって、女の子っぽい部屋だと思う」

「それは、そうかも知れないけど」

「あと、部屋が綺麗な所も女の子っぽいし」

「それは、人に拠るんじゃないかな」


 他人の正目たにんのまさめ

 否定しようと思ったが、椿の方がわたしの事を客観視できているのかも知れない。

 

「ボクは、一緒にいて――有里がずっと苦しそうに見えてるんだ。楽しそうなときも、ずっと悩んだり、考えたりしてて。本当に、写真で見た通りの女の子だった」

「……椿?」


 冗談を言ってるように聞こえたが、その実、椿の目は潤んでいた。

 わたしのために泣いているのだろうか。


「ボクは、何処にも行かないよ。男だろうと女だろうと、ボクは有里の元を去ったりなんかしない。ひとりになんて、絶対にしないよ――」


 わたしは、その言葉を聞いて、椿の意図を理解した。

 なぜ椿が男だと分かった日、わたしは泣いたのか。


「そっか。わたしは、椿を失うのが怖かったんだ……」

「うん」

「だから、男の人をずっと避けてて、また誰かを失うのが嫌で――」


 お父さんが死んで、わたしはずっとお父さんの代わりを求めていて。

 でも、男の人は、わたしを捨てていなくなるって思っていて。

 ――だから、椿が男の人だと分かった時、私は泣いたんだ。


「でも、どうして分かったの?」

「有里が言ったんだよ。あの日、神社で」


 わたしはその時、失ったはずの記憶が蘇った。

 ぼんやりと、曖昧だった夢のディテールが、徐々にハッキリとして。


 そうだ。

 あの日、抱きかかえる椿に言っていた。

 「わたしを一人にしないで」って。


 あの日のわたしは分かっていたんだ。

 だから、椿に素直でいられたんだ――


「……やっと、思い出せたんだね?」


 椿はそう言った。

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