第二十話:どうしてわたしを狙うの。
わたしとゆきんこが穴から這い出ると、地面に発生していたその空間はたちまち消失した。
宝珠さんはゆきんこを両手で抱きとめると、ゆきんこは紙切れに変化する。
変化した――というより、本来はあの紙切れに過ぎないのだろう。
「今の穴も、陰陽術で生み出したもの……なんですか?」
「はい。もっとも空間操作ができる陰陽師となると、私以外には数人ほどしかおりませんが」
宝珠さんは、よほど優れた陰陽師らしい。
背丈もわたしより小さくて顔立ちも人形のよう、総じて幼げな見た目をしていると言うのに、目の前の少女は随分と卓抜した存在だと言う。
こんなに可愛くて、しかも強いのだとしたら、彼女は無敵じゃないか。
何か弱点とかないのかな。料理が下手とか。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ、なんでも……あはは」
ぼーっと彼女を見ていたらしい。不審がられてしまったようだ。
わたしは慌てて話題を変えようとする。
「あ、そうだ。わたしが狙われてた、って話がありましたよね。どうしてわたしなんか狙ったんですか?」
「ご存知ありませんか?」
「ええ、思い当たる節は全く」
そう言うと、宝珠さんはじいっとわたしを見つめた。
「私も、その質問については立場上回答できかねます。桐本椿がその辺りの情報を掴んでいるかは分かりませんが、万が一知らないのだとすると、此方からの情報開示は不利益をもたらす可能性が高い」
「ど、どういう事ですか。椿に知られるとまずい事って、一体」
そう尋ねると、宝珠さんは口元に手をあてがいながら、突然ブツブツと独り言を呟き始めた。
「――そもそも全て桐本椿の作戦なのか? 血迫衆を壊滅させて桐本愛季を呼び出したのは椿自身? とすれば椿は全ての情報を知っている可能性が高いが……」
よく聞こえなかったが、お母さんの名前が出た事だけは分かった。
それからも宝珠さんはブツブツと呟き続けたが、突然その独り言は止まり、矛先がこちらに向く。
「……桐本さん。椿はなぜ貴方の家族になったんですか?」
「なぜ、って……」
思い出してみるとその経緯については家族の誰からも聞いていない。
「分かりません。それって、大事なことなんですか?」
「椿は、貴方を利用しようとしている可能性があります」
椿が、わたしを利用しようとしている?
「ど、どういう事ですか? どうしてそんな事が言えるんですか」
「確かに、はっきりとした証拠はありません。ですが、私はこう予想しています。椿は貴方の秘密を利用しようとして桐本愛季を出し抜き、貴方の家族となったと」
椿が利用しようとする価値が、わたしにあるというのか。わたしには何も分からない。
「――桐本さん。もし家に帰ったら、椿に聞いてみてください。"どうして貴方はわたしの家族になったの?"、あるいは、"わたしを利用しようとしているの?"と。可能性は低いですが、彼の口から何かしらの答えは聞けるかも知れません」
「そ、そんな質問、できるはずが――」
「聞かなければ貴方の心は晴れないでしょう。聞く聞かないは貴方の自由ですが、貴方は心から椿を信じたいのではないですか?」
私は貴方自身、椿に疑念を抱いているように見えますが――と、宝珠さんは付け加えた。
痛いところを突かれた。正直、そう思った。
一緒に暮らし始めて今なお、椿のすべてをわたしは知れていない。
そして、知るのも怖い。
それは、椿の正体を今以上に知ってしまう事が、椿自身や、わたしの気持ちを傷つけてしまいそうな、漠然とした不安があるからだ。
「……黙っている所を見ると、図星のようですね」
わたしは、宝珠さんの言葉に返事を返せなかった。
「個人的に忠告しておくと、椿の本性については把握しておいた方が良いと思います。あれは数多の戦略を用い、あらゆる戦いを勝ち抜いてきた殺戮兵器。どのような裏があっても、何ら不思議ではないですから」
椿の無邪気な笑顔が頭に浮かび、そして今度は冷静なトーンで大人のように語る姿を思い出す。
確かに、椿は本性の分からない人間だ。
だからこそ、わたしも不安を抱いたまま今日に至っている。
そんなわたしの狼狽する様を、宝珠さんはじっと見つめていた。
「それはそうと……今日、貴方を呼んだ理由を話しておりませんでしたね」
「あ。そういえば、何だったのですか」
「――ヤスヒロの、正体です」
◆◆◆◆◆
わたしは宝珠さんから一通り話を聞き、自宅に帰った。
時刻は深夜の1時、椿は相変わらず"出掛けている"ようだ。
「こっちは大変だったんだけどなぁ……」
ピンチになったら椿が駆け付けてくれるかと思ったが、必ずしもそういう訳ではないようだ。
もし転移者達がわたしを狙っているのであれば、自分の身は自分で守らなければいけない。
「……あ」
わたしは細貝さんから借りていた防犯ブザーの存在をすっかり忘れていた。
ポケットから取り出し、ブザーを見る。
「これを押すと……どうなるんだろう」
またしてもポチッと押したくなる欲望に駆られてしまうが、今までの事を思い出し、なんとか誘惑に打ち勝った。
得体の知れないボタンだ、言われたとおり緊急時まで取っておこう。
わたしはボタンを机の上にのせ、眠りについた。
◆◆◆◆◆
翌朝。
時計を見ると朝の9時。夏休みになったという事もあり、今日のわたしはお寝坊だ。
眠い目を擦りながら、のそのそと1階へと降りる。
「あ、おはよー」
椿は既に朝食を済ませ、脚をプラプラさせながらリビングでテレビを見ていた。
「おはよう」
「朝食の準備するねー」
「あ、いいよ。自分でやる」
と言っても椿は聞かず、いの一番でキッチンに向かうとオーブンでパンを焼き始めた。
申し訳ないと思うのと同時に、いい子だなと思った。
「有里は座ってて」
「う、うん」
言われるがまま、わたしはダイニングテーブルに腰掛けた。
これで良いのだろうか、わたし……。
「いただきます」
用意された朝食に口を付けていると、椿はリビングに戻るでもなく、向かいの椅子に座って、両手で肘をつきながらわたしの食べる様子を眺めていた。
「は、はひ?(な、何?)」
「有里が食べる所を見てるの」
「むぐっ……な、なんで」
わたしは慌ててパンを飲み込み、凝視の理由を問う。
「だって……好きな人のこと、ずっと見ていたいから♪」
「がひっ!?」
その無邪気な言葉に反応して、わたしはゲホゲホとむせてしまった。
「わっ! 大丈夫、椿?」
「だ、大丈夫。いや大丈夫じゃないかも知れないけど、大丈夫」
ホント、こういう事を簡単に言ってくるよね椿って。
こっちは心臓がいくつあっても足りないよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます