第十一話:転入初日……?

 椿と一緒にリビングのソファでぼーっとしていると、お母さんも家に帰ってきた。


「有里、大丈夫だった!? 警察のお世話になったって、本当なの!!?」

「え、まあ、うん」


 夜中に駅前で気を失って、警察に駅放火の犯人として誤解されてしまったと、記憶している範囲の話をした。

 お母さんは警察から電話をもらったものの、「駅前の放火」が大変な大事ということもあり、取材をすぐ抜け出すわけにもいかず、結局来るのが今になってしまったと言っている。

 仕事と娘とどっちが大事なんだ……と思わなくもないが、今に始まった話ではない。


 それよりも。


「ちょっと、椿は2階に行ってもらっていい?」

「うん」


 わたしがお願いすると、椿は特に理由を聞かず、2階に上がって行った。

 どうやらすぐに意図を察したようだ。


 わたしとお母さんはテーブルに向かい合って座る。


「なに? 話って」

「お母さん。椿の素性、どこまで知ってるの?」

「前も言ったでしょ。親戚の子を預かることになって――」

「じゃあ、質問を変える。内閣調査室の細貝さんって、知ってる?」


 突然お母さんは何かを考え始めた。見たこともない険しい表情だ。


「内調が介入してきたか……。その細貝さんとは警察署で会ったの?」

「うん」

「随分大胆に動いてきたみたいね。……という事は、椿の話はほとんど聞いたのでしょう?」


 わたしの全身に、鳥肌が立った。

 お母さんの口調が、全くわたしの知るものではなかったからだ。

 わたしの現実が、またしても粉砕されたような気分だった。


「椿が何者かは全部聞いた。どうして、男の子だって隠してたの」


 お母さんはポカンとして、すぐさま破顔一笑。わたしを笑ってみせた。


「確かに。男だって言っておけばよかったわ」

「おかげでこっちは色々大変だったんだからね!」

「あはは……なんとなく、想像は付くわね。でも、気づくと思ってたのよ。だって私の娘だし」


 私の、娘……。今はその言葉が、どうにも引っかかる。

 秘密のある母娘など、あるものか。


「てかさ。お母さんは何者なの。わたしの知ってるお母さんと今のお母さんもぜんぜん違うし。理解できないんだけど」

「ねえ有里。日本に傭兵……つまり、金で雇われて戦う兵士がいると聞かされたら、信じる?」

「……信じなかったと思う」

「ね? 素性を隠していた理由、分かったでしょ。……と。ごめん有里、仕事がまだ残っているの。また後日、続きを話しましょう」

「待って、行く前にひとつ教えて。――新聞社の社員というのは、嘘?」

「『二足のわらじ』って言葉、ネット検索しといてね」


 そう言うと、お母さんは手を振って家を出ていった。

 わたしは放心して椅子にもたれかかる。


「……ちょっと。信じられないこと、多すぎない、かな……?」


◆◆◆◆◆


 それから数日が過ぎたのだけど。

 驚くほど、何も起きない日常だった。

 ここ何日間かは椿のご飯を食べ、一緒に近所を散歩したり、テレビを見たりして過ごした。


 でも、少しだけ変な事件が1つだけ起こった。

 それは、椿がお風呂に入っていた時のことだ。


 基本的に椿は、わたしに気を使ってか、先にお風呂に入るよう促してくる。

 その後わたしがあがった時、椿に「上がったよ」と声を掛け、それから椿が入ることになっていた。

 そのため、基本的に2人が風呂場でかち合ってしまう――所謂『ラッキースケベ』展開は起こる余地がなかった…………のだが。


 そうなってくると、逆に覗きたくなってくるのが子供の性質サガだろう。

 というか、未だに椿が男の子なのか、わたしは少し疑っていたのだ。

 家族だし、見てもいいよね? 

 ……という、最低最悪の考えを頭に浮かべ、ついにわたしは軽率に事件を引き起こしてしまう。

 数日前にうっかり部屋を覗いて、涙を流したのに。


 わたしは椿が風呂に入っているタイミングを見計らって、引き戸をガラリと開けた。


「あっごめん! 間違って風呂のドアを開けちゃっ……あれ?」


 棒読みで謝りながら入ると、風呂場には誰もいなかった。

 まさかと思って天井を見上げてみるが、やはりいない。


 おかしい、お風呂を出た様子は確かになかった。

 現に椿の衣類は一切脱衣所に置き去りにされている。

 頭にはてなマークを浮かべながら、わたしは一度リビングに戻った。


 するとそこに椿がいた。髪が少し濡れている。

 なぜか制服のワイシャツ姿だけ羽織っていた。マニアックなお召し物だ。

 そして当の椿は、わたしが入ってくるのを見るなり、


「急に、お風呂に入ってこないでよっ!」


 ……と、怒鳴ってきた。珍しく椿の顔は真っ赤だ。

 わたしは「ごめんなさい」と素直に謝り、二度とお風呂を覗かないことにした。


「なんだその話。オチの意味が分からんぞ」

「どゆこと?」


 話を聞いていた晶とちほは、頭にハテナマークを浮かべている。


「えっと……その……」


 しまった!

 ここ数日であった出来事を何気なく晶とちほに話していたが、そういえばこの2人は椿の正体知らないじゃん!

 うっかり椿の素性を明かすところだった。無防備だぞわたし。気をつけろわたし。


「よく分からんが、要するに2人の関係は何ら進展も後退もなかったってことだな」

「そうなるね」

「今日は待ちに待った桐本椿くんの転入日だ。前にも言ったとおり、他の生徒にワーキャー言われて大波乱が起きるに違いない。ボヤボヤしてるとホントに椿くんを取られてしまうぞ」

「あー、どれだけ可愛いんだろう椿くん。私もドキドキしてきたー」

「昨日までなぁなぁで過ごしてきたかもしれないが、たった今からそうは問屋が降ろさん! 嵐に備えろ、戦うんだ、有里!!」


 何を言ってるんだこの人は……。

 というか、どうして説教されてるんだわたしは。

 

 と、そこで担任の工藤先生が教室に入ってくる。


「ほーい、それじゃホームルームを始めるぞ―」


 工藤先生はいつも気の抜けた口調で話す、のんびりとした様子の男性教師だ。

 そんな工藤先生が珍しく、ちょこっとだけ元気そうにしている。

 ふふん。わたしはその理由、知ってるよ。新しい転入生、とびきり可愛いもんね。


「言ってなかったけど、実は転入生がいるからなー」


 クラス中がざわめく。

 ついに、ついにこの日が来たんだ! ……と先程まで思っていたはずなのだが、晶の発言以降、わたし自身はどんどん不安になってしまっていた。

 椿を誰かに取られたらどうしよう。

 いや、取られる取られない以前にわたしの物じゃないし、そもそも自分はまだ椿を好きなのかはっきり分かってないけど、それでも誰かと椿がイチャつく様を見るのは御免だった。


「入っていいぞー」


 わたしの心配をよそに、工藤先生が教室のドアに向けて声を掛る。

 すると小柄な体躯の学生が、教壇に向けて歩いてきた。


「か――」


 わたしはつい、驚きの声を上げてしまう。


「どうした、桐本?」


 ――可愛いっっ!


 わたしはその瞬間、体中からその言葉が漏れ出てしまった。


 目の前にいる学生は、ちっちゃくて、お人形さんみたいで、とっても可愛くて……おかっぱ頭の……少しだけ釣り目なのがチャーミングながらもクールそうな……そう……


「誰!?!?」

宝珠和愛ほうじゅわかなです。よろしくお願いします」


 椿が、目の前でお辞儀をしてきた。

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