第十話:謎と椿と。

 わたしは細貝さんから、椿の話を聞いた。


 境遇、能力、わたしの家族になった経緯――。

 そのいずれもが、わたしの想像を遥かに凌駕したものだった。

 きっと、わたしはその話を、この上なく間抜けな表情で聞いていたと思う。


「桐本さん。一連の話を聞いて、どう感じましたか?」

「感想、ですか?」


 この期に及んで、今更"ありえない"などと言う感想を思い浮かべるわけがない。

 神社で起こった出来事を現実と考えるには十分な物語だったし、驚いたというよりは『納得した』という感覚が近かった。


 それよりは、むしろ。


「……椿のことが、もっと気になってきました」

「それは、好意を抱いた――という意味ですか?」


 そう言われると反応にこまるが、そういう事だ。

 また簡単に顔を赤くしてみせたのだろう、細貝さんは事を理解したようだった。


「男女ですからね。家族とは言え、そういう事もあるでしょう」

「そ、そうですかね」


 やはり、細貝さんは意外といい人なのかも知れない。


「しかし私の資料には貴方は同性愛者だと書いてありますが。違うのですか?」

「い゛っ!?」


 そんなことが載っている資料って、いったい。


「まあ良いでしょう。話を戻しますが――おそらく昨晩も貴方は昨晩もコードネーム『椿』の戦闘を目撃しているはずです。――が、先般の通り、貴方の記憶は消されている」

「消されている? えっと、記憶って弄れるんですか?」

「"彼ら"にとっては容易い事でしょう」

「彼ら?」

「それは機密なので話せません」


 なかなか一筋縄では行かない。

 もう少し教えてくれても良いのに……と思うが、向こうは官僚か何かなのだろうから、わたしみたいな一般人に話せることもそれほど多くないのだろう。

 だが、細貝さんは私の様子を見て、話を広げてくれた。


「"彼ら"は……そうですね、言ってしまえば"敵"です。この世界に闇を落とす者、あるいはその尖兵。そして、貴方の愛する椿が戦っていた相手です」

「あ、愛する……」

「失礼、愛しているわけではありませんでしたか」


 そう言われると、非常に困る。

 自分でも椿のことをどう思っているか、正確にはよく分かっていないのだから。


「貴方は既に敵と一度接触している。そして、椿もそこに居たはずですから、貴方が椿と接触して居たのを敵が目撃していても何ら不思議ではない。であれば、貴方と椿の関係性も把握していると予想します。貴方自身も警戒をしたほうが良い」


 卵型の防犯ブザーらしき、押しボタン付きのキーホルダーを手渡された。


「もしお困りでしたら、そちらを押下してみてください」

「お、押すんですか? 押すと、どうなるんでしょう……?」


 細貝さんはフフフと笑った。この人、こんな風に笑うんだ。


「それは内緒です。ただ、貴方が予想するよりも遥かに役に立つと思いますよ」


 わたしは押しボタンをまじまじと見やる。そして――えいっとボタンを押そうとする。


「あまり軽々しく押さないでください。大変なことになりますよ」

「……う、はい」


 案の定、真顔で釘を刺される。今は押さないでおこう。


「ではわたしも調査がありますので、失礼します。また機会がありましたらいずれ」


 そう言いながら、細貝さんは椅子から立ち上がった。


「あ、あの、細貝さん」

「なにか?」

「どうして父や母のことを聞いたんですか? 椿のこととは、直接関係ないんじゃ」

「ああ。簡単に言えば、情報の摺合せです」

「摺合せ……? どういう意味ですか?」


 細貝さんの糸目が、ふと視界に入る。

 笑っているような、人を睨みつけているような、曖昧な視線。

 そんな視線が、わたしに向けられている。


「よくも考えてみてください。そんな人物を、どうして貴方のご母堂は家族として迎え入れたのですか?」

「ええと……なんででしょうか」


 細貝さんは少しだけ口角を上げた。


「つまり、貴方のご家族は秘密を抱えているということですよ。貴方に対しても、社会に対しても」


◆◆◆◆◆


 その後、わたしは警察署を出て、帰宅することにした。

 建物を出る時、署内の時計は午前11時30分を示していた。朝は過ぎ、とっくに昼だ。

 今日が土曜日でよかった。二日連続で授業をサボったら完全に不良学生だ。

 ……そんなことを心配している場合なのかよく分からないけど。

 

「帰ったら、家に椿、居るのかな?」


 現時点で断片的に聞いた話を整理すると、昨晩椿は駅前で"敵"と戦い、勝利した。

 それを目撃したわたしは誰かに記憶を消され、駅前で倒れ込んでいた、ということのようだが。


「家に帰って、そのまま寝ちゃってるのかな。こっちは警察のお世話になってたのにさ」


 そう思いつつも、戦い疲れて家で寝ている椿を想像すると、自然と顔が綻んだ。にへへ。

 ――いや、本当にわたしはどうしてしまったのだろうか。


 それから建物を出て、わたしは住宅地を横断すると、自分の家にたどり着いた。

 ドアを開け、一声。


「ただいま!」

「有里っ!!」


 家に入ると、わたしの体に抱きつく人がいた。

 椿だ。

 抱きつかれると、椿がわたしより背が小さいのがよく分かる。10cm程度は違うだろうか。


「よかった。戻ってきてくれて」


 よかった?

 それは、どういう意味だろう。


「わたしが帰ってこないと思った?」

「うん……」


 わたしは椿の頭を撫でた。どうあれ、わたしの事を心配してはいてくれたようだ。

 それは素直に嬉しい。


「……全部聞いたよ、細貝さん、って人から。椿、忍者なんでしょ?」


 椿はわたしの顔を見上げる。

 まったく驚いていない。やはり、わたしが警察にいた事も、細貝さんと話していたことも、完全に把握していたようだ。

 ただ――その瞳には、ある種の覚悟が感じられた。


「ごめん。隠しておいた方が良いかな、と思ったんだけど。やっぱり、分かっちゃうよね」

「神社でわたしのことを助けたのも椿だよね」

「もちろん。消識の術で記憶を夢にするようにすり替えようとしたけど、やっぱすぐバレちゃった」


 なんだその術――等と思っている場合ではない。


「いつも、あんな風に戦ってるの……? なんで?」

「それはさ」


 椿は一歩、わたしから後ずさった。

 そして、微笑みながら言う。


「あの人から聞いたでしょ?」


 ――ボクが人を殺めるために生まれた、殺戮兵器キリング・マシーンだからって。

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