第九話:取調室にて。

「本当に何も覚えていないの?」


 わたしは優しそうな初老のおじさん警官の困り顔を見て、「はい……」と力なく返事するしかなかった。

 

 昨晩、わたしは確かに家にいたはずなのだ。

 それなのに、どういう訳か燃え盛る駅舎の前で、警官に介抱されていた。


 「駅前に散らばっていた肉片はなんなのか」とか、「火元はなんなのか」とか 、「念のためですが火をつけてませんよね」とか、兎に角いろんな事を尋ねられたが、私は一様に「覚えていないです」としか答えられなかった。

 何も覚えていないのだ。まさか自分が火をつけたとは思いがたいが、否定する根拠もないし、偽証したと分かるとまた面倒なことになってしまう。「覚えていない」の一点張りを決め込むしかなかった。

 

 それにしても、自分自身を人畜無害な一市民だと思いこんでいたが、まさか警察のお世話になって、取調室に入ることになるとは。

 人生、どう転ぶか分からないものだ……そんな事を考えている場合じゃないけど。


 そんな調子で冷や汗を流しながら警察と会話していると、突然ドアをノックする音が聞こえた。

 お母さんか椿が迎えに来てくれたのかな? と思ったのだが……


 現れたのはメガネをかけたスーツ姿の男性だった。


「おはようございます、桐本有里さん」

「お、おはよう、ございます……?」


 口元こそ笑みを浮かべているが、メガネ越しに見える細長い目は、まったく笑っていない。

 その目は、私をギロリと凝視している。まるで品定めしているようだ。

 この人はだれだろう。


「内閣調査室の細貝です。今回は便宜上名乗らせて頂いてますが、私の組織名等はくれぐれも外部に漏らさぬよう」

「は、はぁ……」


 聞いたこともない部屋の名前にわたしは戸惑う。内閣って言ってるから官僚かなにかだろうか。

 細貝さんは警官を部屋から出るよう指示すると、今度は別の人を呼んだ。


「山口くん」


すると、研究員風の白服を着た男が入ってくる。


「桐本さん。申し訳ありませんが、頭に器具をつけさせていただきますか。簡単な診察を行わせていただきたいのです」


 とてもじゃないが首を横に振れる状況じゃない。

 わたしは言われるがまま、頭に器具を取り付けた。


「どうです?」


 細貝さんは山口くんと呼ばれた人に尋ねる。


「記憶の改竄跡がありますね。おそらく接触していると思われます」

「なるほど」


 細貝さんは中指でメガネをクイッとあげた。

 カルテルらしきものにメモをとると、山口さんは一礼して部屋から出ていった。


「き、記憶の改竄……ですか?」

「ええ。ま、詳細は言えませんけどね。別件ですが、あなたはご母堂のお仕事はご存知ですか?」


 お母さんの仕事? どうして急にそんなことを尋ねてくるのか、分からなかった。


「し、新聞社の記者です。多忙でほとんど家におりませんが……」

「なるほど。桐本愛季きりもとあきさんは新聞社勤務、と」


 細貝さんはメモ帳を取り出し、記載を行った。


「お父上である桐本佳彦きりもとよしひこさんは四年前に逝去なされていますね。あなたが12歳のときです。その時のことは覚えますか?」

「あの……」

「はい」

「わたしのお父さんのことと……今回のことと、なにか関係があるんですか?」

「その質問には回答しかねます」


 メガネを輝かせながら、彼はそうピシャリと言い放った。


「……ですが、そうですね。突然五月雨式に質問を投げ掛けてくる不審な男性に正直に話しづらい気持ちも理解できます。ではこれでどうでしょう」


 細貝さんは胸元から一枚の写真を取り出す。


「これって……」

「彼の名前は椿。いや、正確に言うとコードネームですが――」


 艶やかな長い髪。女の子のような可愛い顔。夢で見た肩をはだけさせた着物。


「……あなたの家の新しい家族です。ご存知ですね?」


 わたしは、回答に窮した。


「あなたが知る限りの情報を詳らかに開示した場合、私も彼の正体についてお話いたします。彼の正体が、あなたにとって価値があるかはわかりませんが……」

「……なんなんですか」

「と言うと?」

「あなたは何者で……何を調査しているんですか。椿をどうするつもりなんですか!?」


 自分でも驚いた。こんなに大きな声を出せるなんて。

 というか、なぜ大声を張ったのか、自分でもよく分からなかった。

 細貝さんはメガネをもう一度持ち上げる。


「――誤解しないでいただきたい。私達はコードネーム『椿』を捕獲するつもりはございません。むしろその逆、支援する立場にあります」

「なんですか、支援って……」

「彼の違法行為を全て超法規的に許可し、その一切を不問とする。またあらゆる要求を、政府で可能な限り承諾する。これらが私達の支援です」


 回答の意味はちんぷんかんぷんだが、少なくとも、椿を連れ去りに来たわけではないみたいだ。


「まあしかし、あなたのおご母堂が個人的に椿を家族にしてしまうとは思っておりませんでしたが。聞けば椿の要求だそうですから、政府としては受け入れるしかありません」

「あの、それってどういう……」

「もう一度お聞きします。貴方のお父上、桐本佳彦は四年前、どのように亡くなりましたか?」


 駄目だ。

 きっと、この人はこれ以上わたしの質問に何も答えてくれそうにない。

 加えて、椿の話という……いかにもわたしが飛びつきたくなるような情報をチラつかせているのが、なんとも性質タチが悪い。

この人は、絶対に分かってやっている。


「――自殺、です。近くのダムに身投げしたと言っていました。わたしは、何も……飛び込んだ後の父の姿すら見ていないんです。何もわかりません」

「はい。その前後、不審なことはありましたか?」

「……ありません。父は母の同僚で、仕事が忙しくて……ほとんど家にいませんでしたし。どうして死んだのか、未だによく分からないんです」


 わたしは、膝の上に乗せていたこぶしを握る。


「でも、わたしは、たまの休みに遊びに連れて行ってくれる父が好きで、世界の誰よりも好きで――わたしにとっての男の人って、お父さんだったんです。でも、お父さんが死んで、男の人が分からなくなって、わたしが居るのに、あれだけわたしの事を大事だとか愛してるって言ってくれたのに死んで」


 わたしは、喋りながらポロポロと涙をこぼしていた。

 まただ。

 この時の思い出は、できれば忘れてしまいたいというのに。


「……」


 話を無言で聞き続けていた細貝さんは、不意にわたしの前に何かを差し出す。


「これは」

「ハンカチです。涙を拭くといい」


 そう言う細貝さんの顔は、まったく笑っていなかった。

 だが……何か、思っていたの人物とは全く違うのかも知れない。


 わたしは言葉に甘え、ハンカチを取ると、それで涙と鼻水を拭った。

「鼻水……。いや、別に構いませんが……」


 どうやら、鼻水を拭くとは思ってなかったらしい。


「とはいえ、お話頂きありがとうございます。そして親族を失った苦しみ、お察しいたします」


 もっとも、知りたい情報は貴方のお話の中にありませんでしたが――と、細貝さんは付け加えた。


「良しとしましょう。それでは、約束通り――」


 ――コードネーム『椿』の話をいたします。

 そう、細貝さんは言った。

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