第五話:男の子、なの?

 わたしと椿は、昨日まで物置だった部屋のフローリングに、ぺたんと座り込んだ。

 椿を見つめる。やっぱり顔立ちは女の子だ。男装を嗜む女子にしか、わたしには見えなかった。

 部屋を少しだけ見渡すと、姿見が目に入った。ちょうど、椿は試着をしていたところだったみたいだ。

 だから、わたしの呼びかけに反応できなかったのかも知れない。


 質問を嫌がる素振りを見せたからか、椿はしばらく押し黙っていた。

 とはいえ、このまま沈黙が続いても、気まずい時間が続くだけだ。

 わたしは意を決し、口を開いた。


「椿、ひとつ聞いていい?」

「うん」

「男の子……なの?」


 椿は唇を少しだけ揺らす。何かを言おうとして、言葉を選んでいるように見えた。

 どうして言葉に迷っているのか、すこし理解できなかった。


「うん……。性別を聞かれたら、ボクは、男……って、言うよ」

「そう、なんだ」


 そう言うのがやっとだった。

 わたしの時は凍り、もうそれ以上の言葉を口にすることができなくなる。


「……」

「……」


 結局、そのまま長い沈黙が流れた。

 お互い思いを打ち明けられず、各々が目を逸らし続けている。


 その折、わたしは目を伏せながら必死に次の手を考えていた。

 何から話そう。何を伝えよう。

 さもなくば……何を尋ねよう。


「お母さんから、聞いてた?」

「聞いてるって?」

「……わたしのこと。わたし、女の子のことが好きなんだ」


 椿は「あ」と、小さい声をあげた。その反応は、正直予想外だ。その話は、聞いているとばかり思っていたから。


「それって――」


 椿が何かを言おうとする。

 わたしは、その言葉の続きを聞く勇気がなかった。


 ――だから、自分の言葉で椿の発言を押し潰そうと思った。


「えっと、その……わたし、あなたのこと、女の子だと勘違いしてたから。それで、ずっと、怖かったんだ。ええとね……好きになっちゃったら、家族じゃなくなるって。せっかく増えた家族をいきなり好きになるって、バカみたいでしょ? でも、椿は、可愛いからさ……好きになり始めてて」

「……本当?」


 椿の顔に、少しだけ笑顔が戻る。


「うん、だから……だからね、椿が男の子で、よかったー、って……」


 わたしは、苦笑いを浮かべながら、思ってもない事を言った。


「有里……どうして泣いてるの?」


 え。


 わたし……泣いてるの?

 顔を撫でる。そして、顔を横に振る。


「な、泣いてなんか……っ」


 その言葉を"吐いた"瞬間、涙が、自分の頬を伝っているのが分かった。


「違っ……」


 わたしは否定した。否定しながら、家を飛び出していた。

 涙なんか見られたくない。同情とか、居心地の悪さとか、感じてほしくないから。


 だから、家を出た。

 でも、それに意味なんてあるの? わたしが泣いた事実は変わらないし。その足が向かう先なんてどこにもない。

 家に帰らないといけないのに。わたしはできるだけ家を離れて、駅から遠い、山側に向けて走っていった。


 どんどんか細くなっていくあぜ道を、わたしは走っていく。転けそうになっても、走れるだけ。

 息を切らせながら、汗をにじませながら、わたしは……

 わたしは……

 何のため、走っているの?


◆◆◆◆◆


 気づくとわたしは街のはずれ、丘の上にある小さな神社の拝殿に腰掛けていた。

 ここには神主が常駐しておらず、夜をこっそり過ごすには最適な場所だ。


 わたしはここにたどり着くと、すぐに涙を流し始めた。

 自分でも、どうして泣いているか分からない。

 ――でも、泣きたかった。


◆◆◆◆◆


 どうして私は泣いているんだろう。


 椿が男の子だったから?

 わたしが、椿を傷つけてしまったから?

 嘘をついたから?


 頭がグルグルする。

 明確に答えがでない。

 全部正解で、全部間違いな気がする。

 曖昧な自分が、どうしようもなく気持ち悪かった。


 ――ーずっと泣いて、泣き疲れて、いつの間にか、わたしは夜の境内で眠ってしまっていた。


◆◆◆◆◆


 今日もわたしは夢を見る。

 夢の中の椿は肩の露出した不思議な着物を羽織っていて、髪も綺麗な長髪のままだった。


 ナイフを逆手に持ち、巨人のような怪物と戦う椿。

 自分自身の体よりも大きな腕を持つ怪物を、小柄な体格だからこそのスピードで翻弄する。


 跳躍し、巨人に馬乗りする椿。

 ナイフを振り、巨人の目を真っ二つにする。

 巨人は絶叫し、己の目を押さえる。

 

 いよいよ劣勢となった巨人は、かなりの重量があるはずの柱を叩き壊し、苦し紛れに鳥居を担ぎ上げる。

 そして鳥居を後ろに構えると、反動を用いて前方に勢いよく投げつけた。


 椿の身のこなしであれば、あれくらいを避けるのは簡単だったはずだ。でもその投げつけた鳥居の先にはわたしがいた。

 刹那、椿はわたしの方に駆け寄ると、わたしを抱きかかえる。


 椿が、わたしに微笑みかける。

 その笑顔は、夕方のことなど気にしていないというような笑顔で。

 わたしは、椿に微笑み返した。


 そのまま大地を蹴り、わたしと椿は宙に浮く。

 ふわふわと夜空を浮きながら、わたしは満月が綺麗だなと思った。


 そして落下の加速と共に、椿はナイフを巨人の首に突き刺す。

 そのままナイフを器用にスライドさせ、その頭部を胴体から切り離す。

 ――直後、巨人の首は月夜を舞った。


 グロテスクな夢だ。

 わたしは空に浮かぶ巨人の首を見ながら、そう思った。

 でも、不快じゃなかった。


 その時のわたしは、椿の胸に抱かれていたから。

 そして、夢の中のわたしは、椿に素直でいられたから――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る