第四話:世界で、何かが起こってる。

「ボクが有里の学校に転入するまで、あと1週間くらいかかるって」


 椿は朝食の折、わたしにそう言った。

 残念そうにしている椿とは対象的に、わたしは少しホッとしていた。これで誰にも取られなくて済む……的な安堵だということは、もう自分でも自覚していた。

 そんな感情を顔には出さず、トーストを飲み込みながら「そうなんだ」と適当な相槌を打った。……もしかすると、もっと悲しげに反応した方がいいのかもしれないが、あまり露骨すぎるのも好意を悟られそうで嫌だし。


 日中は1人か。

 そう思うと、やはり寂しくはあった。

 だけど直接顔を合わせないほうが、椿に対する感情を整理できるかもしれない。今のわたしにとっては、一緒にいない時間も大切に過ごさないといけないだろう。


◆◆◆◆◆


「ってわたし、椿のことを意識しすぎじゃん!」

「今更だな」


 一緒に登校していた晶が、冷静にツッコミを入れてきた。


「当たり前でしょ!? 急に増えた、新しい家族なんだし!! 恋愛感情とか抜きに、意識しちゃうよ!!」

「ああ、至極真っ当な話だ。別に私は何もおかしいと思っていないぞ」


 むしろ関心を失っていてなくてよかった、と晶は腕を組みながら感慨深げに言った。


「ところで有里、昨日の動画は見てくれたかい?」

「ああ……映画の切り抜きでしょ、あれ。晶だって分かってるくせに」


 そう言うと、晶は足を止めた。不意の出来事に、わたしは遅れて振り向く。すると晶は、何もなかったかのように、再び歩み始めた。


「……怒っちゃった?」

「別に怒ってないさ」


 そう嘯く晶は、珍しく無表情だった。やっぱり怒っているのだろうか。


 すると、今度は晶はスマホを取り出し、私宛にアドレスを送った。どこかヨーロッパの言葉で書かれていたためわたしには読めなかったが、何かしらのニュース記事であることだけは分かった。


「……ナポリで暴動。警備出動した兵士が多数負傷、建物もその余波で多数損壊。犯人グループは未だ逃走中、手がかりなしとのことだ」


 ナポリって、イタリアだっけ。わたしはその程度にぼんやり聞いていた。


「最近こういう、犯人不明の事件や事故が世界中で多発している。こないだ東京の方でもあっただろ」

「それが、"転移者"ってやつの仕業……ってこと?」

「さて、どうだろうな。そうかもしれないし、まったくの無関係かもしれない。だけど、どうも引っかかるんだ。この世界で、何かが起こっているような気がして」


 晶の言っていることが、わたしには理解できなかった。どころか、彼女には悪いが、"中二病"とか呼ばれるような、痛々しい発言をしている気すらしてしまった。

 わたしから見えているこの世界の風景は、至って変わらない。わたしが16年生きてきたままの、悪く言えば代わり映えしない、良く言えば安心できる場所。それが今、わたし達のいる場所だ。

 突然、晶は空を見上げた。


「!」


 世界が一瞬、暗転したように見えた。何か巨きな生物が空を横切ったような……そんな風に見えた。

 どういうことなの? 眼前で起きた出来事が、わたしにはまったく理解できなかった。


「見たよね、今の」


 晶の問いかけに、わたしは頷く。


「やっぱり、何かが普通じゃないんだ。私がそう思った理由、有里も何となく分かっただろ?」


 見間違いかもしれない。わたしが知らない現象が起こっただけかもしれない。でも、彼女の言葉を信用するきっかけにはなった。

 ……確かに、この世界で何か"異変"が起こっているのかもしれない。


◆◆◆◆◆


 晶が転移者の話をしたのは、桐本椿なる闖入者が、わたし達の前に突然現れたからだと言った。そして、椿が何者なのか、ちゃんと聞いたほうがいいと言っていた。

 ということは、つまり。

 晶は、椿を転移者の一人だと疑っているのだろう。

 だが、それこそ突拍子もない話だし、何より……

 家族が全員死んだという人に、おいそれと素性を聞けるはずもない。


 確かにわたしも、椿が親戚だとは信じていない。

 微妙に浮世離れしているその雰囲気も、異世界から来た人間だとすれば説明がつく。

 でも、やっぱり……そんな話、"ありえない"と思ってしまう。


「ただいま」


 夕方になり、わたしは帰宅する。返事を期待して挨拶を口にしてみたが、椿からの反応はない。


「椿?」


 名前を呼んでみるが、返事がない。

 わたしは玄関横の階段をのぼり、2階へと向かった。


 今朝、椿は「部屋を作る」と言っていた。

 この家には今椿が済むための空き部屋がない。だから、物置として使っていた2階の一室を空にして、椿の部屋にすることにしたんだけど。


 2階に登ると、狭い廊下にはダンボールやら古いアルバムが積まれていた。物置から一時的に出したものだろう。


 「椿、いないの?」


 廊下で少し声を張ってそう言ったが、その言葉への返事はない。

 かつて物置だった部屋の扉は閉まっている。耳をそばだててみたが、作業をしている音も、中からは聞こえなかった。


 いないのかな? でも入り口には椿が履いていた塗下駄があったっけ。

 となると、家のどこかには居るのだろうが。

 わたしは部屋をノックしてみる。

 やはり、反応はない。だったら、お風呂かトイレか。わたしは、1階を探そうと思った。


 けれどその時、不意に魔が差した。

 わたしは不意に、物置の扉を開ける。

 悪いとは思ったが、家族だったら少しだけ覗いてもいいよねと、わたしは部屋を覗いてしまったのだ。なにか可愛い人形とかないの? と、それぐらいの気持ちで。


「――有里?」


 わたしは、椿と目が合った。椿は、扉のすぐ前に立っていた。

わたしはびっくりして、後ろに飛び跳ねた。


 それから、冷静に椿の顔を見た。


「えっ?」


 わたしは動揺する。

 椿の髪は、黒髪のショートヘアになっていた。

 そして、どうやら制服を試着していたようだったのだが、その制服は、男物だった。

 なぜか、椿は男のふりをしている。


 ……

 …………

 ……………いや。


 わたしは、突然一つの考えに思い当たった。


 目の前の椿は、


 その考えを口にする前に、先に椿が言葉を発した。


「……あのさ、有里」


 その言葉の続きを聞くのが、わたしは無性に怖くなっていた。

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