第二話:惑いの朝夕。

 朝の通学路。

 だらだらと長い坂道を、わたしはゆっくりと登っていた。普段でさえ、この道は無駄に体力を奪ってきて好きじゃないのに、今日は特に足取りが重い。


「はぁ……」

「おはよう。ため息をつくと幸せが逃げるぞ」


 そう言いながら、一人の女子が早足でわたしの横に近寄ってきた。友達の黒須晶くろすあきら

 今日も彼女のメガネは輝いている。


「何かあったのか? 登校時間に気分が乗らないだけだと良いが」

「今朝目を覚ますと、見知らぬ美少女がわたしの横で眠っていた」

「なんだいそれは。有里が昨晩読んだラノベのタイトルか?」


 晶は眉間にシワを寄せ、怪訝そうな表情を浮かべる。


「違う! 今日私の身に降り掛かった話!」

「はっはっは。そんな世迷言を信じろと言ったって、土台無理があるよ有里くん」

「この話を一番信じられないのは、わたし自身だってば」


 神妙な表情を浮かべているであろうわたしの顔を見据え、晶も真顔になる。


「――本当の話、なのか?」


◆◆◆◆◆


 教室の自席に座る。晶はわたしの手前の席に座り、こちらに振り向く。


「なるほどな。得体も素性も知れない、だけれどこの上なく美しい家族が突如として有里の前に現れた、と」

「うん。わたしの親戚って言ってたけど、あんなに可愛くて綺麗な子……多分、嘘だよ」

「そうか……現実を受け入れられず、一人の子羊は迷子となってしまったという訳だな。おお、可哀想に」


 そう呟く晶の表情は、大方わたしを憐れむようなものではなかった。

 まるで遊園地に連れてこられた子供のような、屈託のない期待の眼差しをこちらに向けている。


「それで、その子は今どこに? 有里と同い年なら、学校に通ってるんじゃないのか」


 登校途中に思い出したのだが、朝、椿はわたしと誕生日が殆ど変わらないと言っていた。

 わたしは16歳、椿も16歳。同い年と聞いて、なぜか心がもっとモヤモヤしはじめる。同い年というのが、これまたわたしの心を掻き乱すポイントの一つだった。


「転校の手続きが終わってないから、今日は家にいるって。でも数日ぐらいしたら、この学校に転入するんだってさ」

「ほう! 美少女転校生登場イベントが待ってる訳か。こりゃあ、学校中の話題になるな」


 晶は実に楽しそうだ。人の気も知らないで……。


「そうだろうね。椿、顔すごく可愛いもん」

「ふむ。それなら、誰かに取られちゃうかも知れないぞ」

「取られる、って!」


 ……不意に、わたしは声を荒げてしまった。その様子を見た晶は、驚いている様子もなく、「やはりそうなのか」と言いたげな表情を浮かべている。

 そのまま二の句を告げずにいると、別の女の子がわたしの前に現れた。


「おっはー」


 猪瀬いのせちほだ。ちほは鋭い半目で、わたしを見つめてくる。


「どったん有里。なんか浮かない顔してんじゃん」

「聞いてくれ、ちほ。有里の家に美少女が住み着いたんだってさ」

「えっ、なにそれ。妄想?」


 ちほは先程の晶同様、訝しげな表情を浮かべた。


◆◆◆◆◆


 昼休みになった。

 わたしたち三人は中庭のベンチで、並んで弁当を食べている。


「へぇー」


 改めて事の経緯を聞いたちほは、驚いているようにも、喜んでいるようにも見える。


「いいじゃん、綺麗な女の子好きでしょ有里。どうしてそんな顔してるの」

「それは……なんというか? 心の準備ができないというか、その――」

「有里は奥手なんだ。普段から女の子が好きだと言っているが、目の前にすると手を出せない、ヘタレなのさ」


 晶は苦笑しながら、腐すように言った。


「あぁー! そういうことかぁ」


 ちほは納得の表情を浮かべた。

 わたしは抗議するように晶を見た。が、その晶自身はわたしの顔をじっと見ている。

 その視線に気付いた晶は、なぜか私に微笑んできた。


◆◆◆◆◆


 放課後になり、辺りも日が暮れてきた頃。


「私は部活にいくねー」


 そう言いながら、ちほは足早にクラスを出て行く。

 彼女は陸上部の所属だ。割と練習も多いらしく、テスト前のこの時期だというのに、彼女は部活に行ってしまった。


「では、帰宅部同士さっさと家に帰るとしよう」


 晶はわたしにそう言う。


「あのさ、晶……」

「ん」

「帰る前にさ。ちょっと、いい?」


 晶はわたしの顔を見ると、小さく頷いてくれた。

 それからわたしは晶は帰り支度をして、一度中庭に来てもらった。


「晶、帰る前に呼び立ててごめん。実はさ」

「もしかしてだが、家に帰るのが怖いのか?」


 急に、晶は思い掛けない内容で切り込んできた。わたしは、その言葉に少し戸惑う。


「なんて言うかさ。晶って、わたしの話をどういう風に思ってるの?」

「そうだな、『新しい家族が怖い』――有里はきっとそう思ってる」

「……うん、正解」


 晶はわたしの頭を小突く。


「何年一緒にいるといると思っているんだ。試す真似はよせ」

「でも、どうしてそう思ったの」

「ははは。全部、顔に書いてあるからな」


 わたしは、自分の頬を撫でた。わたし、そんな表情をしてる?

 そんなわたしを、晶はどう見ているの? わたしは、晶の顔をじっと見つめる。

 晶は――彼女は、朝のような悪意のある表情は少しも浮かべず、わたしの方を見ていた。


「ま、誰だって新しい家族が突然増えたら戸惑うものさ。加えて、その子に惚れたんだろ? 尚更どう接して良いか分からないはずだ」

「ほ、惚れたって……」

「だから、顔に書いてあると言っただろ。美人さんという話だったし、無理もない」


 完全に思考を読まれている。晶はわたしの事だったら、なんでもお見通しか。


「そうだな。有里の気持ちも分かるが、心の壁を作ると椿くんとやらも家に居づらくなるだろ。素性はどうあれ、せっかくできた新しい家族なんだ。今は積極的に迎え入れてあげたほうがいい」


 ……晶の言う通りだ。


 あの朝、椿と出会った瞬間――わたしは一目惚れをしてしまった。

 それと同時に、素性も知れない新しい家族を好きになってしまった自分に、漠然と嫌悪感を抱いていた。


 ――だから、帰るのが怖かった。


 だが、晶に言い当てられた今、わたしのモヤモヤは少し晴れた気がした。


「うん。今の言葉でわかったよ、晶……ありがと」


 そう告げると、晶は嬉しそうにしてくれた。


「それじゃ、不安も和らいだところで、そろそろお家に帰るといい」

「えっ、これから一緒に帰ってくれないの?」


 そう言うと、晶は首を横に振って奥の方に片手を向けた。私はそちらに視線を送る。

 その先にいたのは……


「おーい、有里ーっ」


 正門前から快活そうに手を振る、椿だった。


「有里の言う通りの美人さんだな。あれが誰か、すぐ分かったよ」


 晶は、笑いながら椿を見つめていた。

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