第一話:有里、叫ぶ。
朝の陽光が、カーテンの隙間から漏れ入ってくる。
……もう朝か。
起きて、学校に行かないと。
わたしは掛け布団を上げ、起き上がろうとする。
……おかしい。普段とは何かが違う。
具体的に言うと、ベッドが普段より狭い気がする。
眠り目を
「ぎゃ~~っ!!」
閑静な住宅街に、間抜けな叫び声が木霊する。
わたしの絶叫だ。
わたし――
わたしの真横で、どういうわけかパジャマ姿の眉目麗しき子がすやすやと寝息を立てているからだった。
「な、なな……」
「……ふえ?」
わたしの大声に応じ、その子もパチリと目を覚ます。
「ふわぁぁ……おはよう」
「だ、だだ、誰――」
「あ、ごめんね。キミの寝顔を見てたら、ボクも眠くなっちゃっんだ」
その子は「んーっ」と声をあげながら、両手を真上に伸ばす。
わたしの驚いた顔など、まったく意に介している様子もない。
きみは誰。名前は何て言うの。
どうしてわたしの部屋に勝手に入って、当たり前のように眠っているの。
質問と抗議を口に出そうとしたが、わたしは驚きのあまり、言葉をうまく発せずにいた。
「……ん、どうかした?」
その子はわたしの様子を見て、小さく首を傾げる。
しかも、今にもキスしそうな距離まで顔を寄せて。
「え! あ、あの、その」
おい、わたしよ、何を怯えているんだ。
考えを口にしないと、話は進まないじゃないか。
そう思いながらも、目の前に迫ってきた綺麗な顔をうっかり眺めてしまう。
……澄んだ瞳をしているな、と思った。
よく見れば鼻筋もスッと伸びているし、顔も私より小さい。肩に流れる黒髪はツヤツヤとして美しく、一毛の綻びもない。スラリとした華奢な手足も、素敵だ。
なにより。
その赤みがかった大きな瞳に、わたしは吸い込まれるようだった。獣に睨まれたように――などと言うと語弊があるが、この目で見つめられると、照れる以外の行動の選択肢が取れなくなってしまう。
本当に綺麗だ。
そして――本当に、私の好みだ。
わたしは、自分の頬が紅潮していることに気づいた。
……いけないいけない。顔が良いから何をしても良いという話ではない。
目の前の子がどんな顔立ちであろうと、勝手に部屋に入ってくるような子だ。
我に返ったわたしは、思い切って抗議の声を口にした。
「あ、あのね! きみが誰か知らないけど、人の部屋に勝手に入っちゃ、だ、駄目なんだよっ!」
「……あ、そうなんだ」
言葉を受けたその子は、突然中空を見上げながら何かを考え始めた。
「そうだよね。人に寝顔を見られたりするの、恥ずかしいって思う子もいるよね」
気の抜けるような反応だ。しかも、問題としているのはそこじゃない。
……いや、そこなのか?
混乱して頭がうまく回らない。なんなんだ、この状況。誰か助けて。
困惑のあまり目を白黒させていると、小さな顔が、今度はわたしの耳元に近づいてくる。
唇がわたしの耳の真横で動き、わたしの肌はざわめいた。
「――ごめんね、もう勝手に入らないよ」
そう言いながら顔を離すと、その子はこの上ない笑顔をわたしに向けてきた。
わたしは、先程の仕草と、その笑顔のダブルパンチで、顔から火が出そうなほどに顔を真っ赤にしてしまっていただろう。本当に反省をしているんだったらそんな謝り方はしないよね? と……そう言いたかったけど、わたしは口をモゴつかせながら、
「わ、分かったならいいけど…」
と言うのが精一杯だった。
「って、っていうかさ、キミ、だれよ」
「ボク? 椿。
桐本。
さっきも言ったが、わたしの名前は桐本有里だ。
わたしは桐本……きみも桐本?
「ぎゃあぁぁ~っ!!?」
どたどたと大きな音を立てながら、一階への階段を駆け降りていく。
「お母さん! お母さん!! お母さんッッ!」
お母さんは朝食をテーブルに並べていた。
「おはよう有里。どうしたの、そんなに息を荒くして」
わたしは椿の手を引っ張って、お母さんの前に立たせた。
「この子、誰!?」
「ああ! 椿、もう有里に挨拶したのね」
「うん、ママ」
……ママ?
この子、今わたしのお母さんをママと呼んだ?
「誰!? 姉妹!? 知らないよ、わたしこんな子! 認知してない!!」
そう言うと、お母さんはなぜか苦笑いの表情を浮かべて、
「今日から家で引き取ることになった、親戚の椿よ」
「し、親戚!? こんな可愛い子が、わたしの親戚!? 今まで見たことないよっ!!」
というか、ママって呼んでるけど、この子、義理の子供になったの? ってことはわたしの姉妹?
「有里……さっきからずっとテンション高いけど、2階で何かあったの?」
わたしの必死な質問は、なぜかガン無視されてしまった。
「こ、この子、わたしのベッドに勝手に入ってて、一緒に寝てたの!!」
「そうなの?」
お母さんと椿は、顔を見合わせる。
「だって、どこで寝ればいいか分からかったんだもん」
「あぁ~、それで有里のベッドで寝たのね」
眉をハの字にして、椿は申し訳なさそうにしている。
お母さんは少し頬に手を当てて考えるような仕草を浮かべると、
「椿はちょっと世間に慣れてないの。これから一緒に暮らすことになるけど、いろいろ大目に見てあげてね」
と言い、何故かわたしの肩をポンポンと叩いた。
わたしは呆気にとられ、思わず椿の顔を見やる。
「一緒に? わたしが? きみと?」
震える声でそう呟くわたしを見て、椿は目を細めて言った。
「うん。不束者ですが、これからよろしくお願いします……って、あれ? ママ、有里が固まっちゃった」
「ああ……きっと情報過多で処理しきれてないのね。大丈夫、またそのうち動き出すわ」
そう言いながら、何もなかったかのような様子で、お母さんはキッチンに戻って行った。
それから、わたしは何一つ事態を飲み込めぬまま、歯を磨き、朝ごはんを食べて、そろそろと家を出た。
あまりの情報過多で記憶も途切れ途切れだが、家を出る時、手を振ってくれた椿に手を振り返したことだけは覚えている。
そのまま夢見心地で通学路を歩いていると、不意にわたしはベッドでの出来事を思い出す。
横ですやすやと寝息を立て、そして起きるなりわたしをジッと見つめてきた、椿の顔を。
「……ッ!」
間違いない。
わたし、あの子に一目惚れしてしまった。
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