くノ一(♂)は転移者を喰らう

ジャバの進

 序  :「その子」は、屍の上に立っていた。

 とあるテナントビルの屋上。

 夜空に輝く満月が、屋上に座り込む、うら若き子の肢体を浮かび上げている。

 どういう訳かその子は、素肌を夜風に晒していた。

 身軽に動けるよう、布面積を小さくした着物を羽織っているが故に、あらわとなっている撫で肩。その上を、闇のように沈む黒髪が流れている。

 美しく、儚い長髪だ。


 年不相応なまでに、その姿は艶めかしく美しい。

 ほんのりとされた化粧が、その愛らしい顔立ちを、より際立たせていた。


 その視線は、眼下に"転がる"半裸の男を見下ろしていた。

 肥えた男の体は、首筋から赤黒い液体を垂れ流し続けている。

 常人であれば目を背けるような凄惨な現場のはずだ。

 しかしその子供は眼下の屍を、臆するでもなく、怯えるでもなく、ただぼんやりと見つめていた。


「頭領……ごめんなさい」


◆◆◆◆◆


 新宿三丁目、午前3時。

 "私"と克郎は、なんら平凡な、年季を帯びた某ビルを見上げていた。


「このビルがその、血迫党けっぱくとうだかってのが所有している忍者屋敷だっていうのか?」

「ええ。にわかに信じ難いけれど」


 かつて「忍びの里」などと呼ばれた忍者組織の本拠地が、今はこうしてビル街の一角にある。決して外人向けの観光地ビジネスの話ではない。日本に古来から存在する、由緒正しい隠密の話だ。

 そして、これは"血迫党"に限ったことではなく、都内にはこのように忍者組織の隠れ蓑となっている拠点が、両手で収まらないほどあるという。


「ハハッ。警察の公安部さながらだな」


 克郎は冗談めかしてそう言った。私と同じく、彼も現代日本に忍者が跋扈しているという現状を馬鹿馬鹿しく思っているようだ。


 しかし、実際にビルに突入した時には、私もそれを受け入れざるを得なかった。

 壁や天井に巧妙に配置された隠し扉。武器庫と思しき部屋飾られる大量の暗器。何時の時代のものか分からない和装本の棚。

 一方で銃の射撃場が備え付けてあったり、パソコンルームがあったりもする。そうした新旧併せ持ついびつな装いが、令和の忍者屋敷などという不可解な存在にリアリティを与えていた。


 そして。

 ビルの通路で絶命している死体は、私たちが忍者と聞いて思い浮かべるような黒装束に身を固めていた。

 彼らが忍者でなければなんだというのだ。

 こんな連中を見てしまっては、ここが忍者屋敷だと納得するしかない。


「誰が殺ったのかしらね」

「……俺が知るかよ」


 横の筋骨隆々とした大男──克郎は、死体を目にして柄になく動揺していた。

 それらはどれも、首を鋭利な刃物で刺され、苦しんだ様子もなく倒れ込んでいる。相手を問わず、同じ急所を突いて殺すなど常人の芸当ではない。

 その手口の鮮やかさは、美しくすらある。


 克郎はそんな手練れを相手にする恐怖を、本能的に感じ取っていた。

 無理もない。

 私自身も、この先に居るだろう稀代の暗殺者に緊張を催さずにはいられなかった。

 まして私よりも経験の劣る克郎には、感情を制御することなど難しいだろう。

 決して彼が木偶の坊ということが直接の原因ではない。


 ともあれ、私たちは死体の転がっている位置を頼りに、ビルの階段を登っていくことにした。

 相手が相手だ、慎重に1歩1歩を進めてゆく。


「恐らく、犯人はこの上にいるでしょうね。覚悟はできてる?」

「ああ」


 克郎の言葉は微かに震えていたが、だからと言って彼の緊張がほぐれるのを待つ余裕はない。


「克郎、私が先行するから、貴方はバックアップに回って。もし私がやられたら直ちに逃げること。良いわね?」

「そりゃあれか、気休めか?」

「ええ、上司として貴方にやってあげれるのはこれぐらいよ。それじゃ、1、2の3で突入する」

「……了解」


 2人は突入前に息を呑む。そして──


 ──いち、にの、さん。


 私と克郎は"3"を数えると同時に、ライフルを構え、屋上へ繋がるドアを足で乱暴に蹴り開ける。


 満月だ。

 この緊迫した状況下で、何故月に見とれたのだろう。


 ──! そうか。

 それは間違いなく、月下に佇む子供が、赤と黒の着物を纏い……その姿と月との対比が、この上なく艶やかであったからだ。

 いや、待て。眼前に居る人間は――


「子供──!?」


 一瞬の隙を、その子供は見逃さなかった。

 次の瞬間、ナイフが私の首に突きつけられていた。後ろだ。私の真後ろにあの子供が立っている。


 いつの間に。

 理解が及ばないながらも、私は銃を捨て、ゆっくりと両手を上げた。


「これも、忍術の一種?」


 ナイフの主からはなんの返答もない。


「なるほど。見立て通りの手練ということね、忍者さん」


 ナイフが首筋に食い込む。首から僅かに血が滲んでいるのが分かった。

 それと同時に、前方には中年男性らしき死体が転がっていることに気づく。その男も他の者同様首から血を流し、絶命していた。

 ──刹那、私は自分の首が掻き切られる様を思い浮かべる。


「抵抗はしないほうがいい。さもなくば……こうなる」


 子供がそう口にした瞬間、克郎の手に構えられたライフルが、瞬時に細切りにされた。

 しかもその子供が動いた様子は微塵もなかった。現に、ナイフは私の首元に依然として据えられている。


 馬鹿な。

 ナイフでライフルを斬り刻んだと言うのか? 私も克郎も状況を飲み込めずにいたが、しかし数秒前までライフルだった鉄屑を目の当たりにし、受け入れざるを得なかった。

 武器を失った克郎は、やむを得ず両手を上にあげる。


「それで、どういうつもり?」


 私は平静を装い、腹の内を探る。

 まだ命乞いをするには早い。この時点で首を掻き切っていないということは、何かしらの狙いがあるはずだ。安易にイニシアチブを相手に渡すべきではないだろう。

 克郎は、後方でライフルを構えている。声を殺し、状況を淡々と窺っているらしい。ベストな選択だ。


「怖がらなくていい。ボクは、アナタ方に投降する」

「投降ね、分かったわ」


 内心、安堵した。

 私は既に死を予期していたからだ。しかし投降とは、一体どういう腹積もりだ。


「その代わり……ボクの"要求"に応じて欲しいんだ」

「要求を飲めと。それは、内容次第ね」


 なるほど、投降とは言うが、その実私達の命を助ける代わりに要求を飲めという事か。

 それであれば、理解は難くない。


「ボク? なんだお前、ボクっ娘か?」


 向こうに戦意がないことに安堵したのか、克郎はこのタイミングで気の抜けた言葉を発する。呆れた男だ。


「あのね。この子、男よ」

「ッ……マジかよ」


 そう──この美しい子供は、女の着物こそ纏っているが、男だ。

 一瞬見ただけだったが、"彼"が男であるということは間違いない。

 ただ、この少年は美しかった。今、彼を凝視している克郎が見間違えるのも、無理がないほどに。


「ねぇ、お姉さん達」

「なに?」

「一人称が『ボク』な女の子がいても、別におかしくはないよね?」


 そんな克郎に呼応してか、"少年"まで素っ頓狂なことを言い出してきた。


「ええ、そう思うけど」

「! やっぱり、そうだよね!」


 彼は安堵と歓喜が混じったような声を上げた。

 意味が分からない。この状況下において、どうしてそんな質問を投げかけてきたのだ。

 だが――少なくとも、少年からは最早もはや殺意を感じられない。

 "ボクは敵じゃない"という意思表示。いわゆるアイスブレイクという奴か。


 しかし、状況は予想に反して急変する。

 私達のいるビルの下から爆発音と共に黒煙があがった。炎上を始めたのだ。


「この炎……貴方が着火したの?」

「うん。ボクたちの家族ごと、この屋敷には燃え尽きてもらおうと思って」


 と、なれば我々はこの場から早々に撤退しなければならない。

 事実、炎は早くも屋上まで燃え広がっている。


「そろそろ、貴方の要求を聞かせて。お互い、ここで焼け死にたくはないでしょう?」


 私は彼に背を向けたまま、そう尋ねた。


 それを聞いた彼は突如、私の背中に腕を回し――抱きつく。


「……!」


 そして、耳元でこう囁いたのだ。


「ボクの名前は、椿。――ボクを、お姉さんの家族にして」


 私は、自分の耳を疑った。

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