第16話 16、鬼子母神の千
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千は二人を理学部の駐車場に降ろしてから誘拐犯の車の上空に戻った。
状況は変っていなかった。
道路を通る車はタイヤの交換をしている商用車を見ても気に掛けなかったようだ。
「さて、どうしようかな。とりあえず私人逮捕と誘拐をしますか。」
千は道路を通行する車の流れが途切れたのを見計らってフライヤーを降下させ、車の屋根に接触させてから底部の磁力を高めて車を固定し、数mだけ上昇してから道路から百mほど離れた木立の中の草むらに着陸した。
そこから道路は見えなかった。
千はフライヤーから車を離し、車の横の草むらにフライヤーを着陸させた。
「だれに聞こうかな。」
千は車の後部横扉を開けてから言った。
目を見開いたまま動きを止めている賊の顔を順に眺め、助手席に座っていて見張りをしていた男を選び首下に刺さっていた弾丸を引き抜いて数歩後退した。
弾丸には弾頭位置に小さな二本の針が飛び出していた。
重量の軽い中空のプラスチックでできたスタンバレットで、中に昇圧チップが入っているらしい。
男は急に活動的になり、被さっていた仲間を横にどけて千を見つけると睨みつけた。
「このアマ。貴様はだれだ。」
「正義の味方よ。あなた方が誘拐した女性の友人。私にはあなた方に復讐する権利があるの。だれが誘拐を命じたの、リーダーさん。話してくれたら命は取らないわ。ひょっとして貴方を解放して警察に渡して上げてもいいわよ。私より警察の方がずっと優しいから。」
「貴様、おれをなめるなよ。」
「わかったわ。紳士的な、ではなかった、淑女的な対応は止めるわ。なめたら申し訳ないないものね。」
千は銃を構えたまま後部席に仰向けになっていた男の手を引いて車外に引きずり出し、
腕を引いてスゥイングしてそのまま空中に放り上げた。
男が地上に落下を始めると千は左腰に下げた銃を抜きざま男に向かって引き金を引いた。
男の体は空中で分解するように消えた。
「一人目。死体が無いから殺人ではないわね。」
千はリーダー格の男を反対側に移動させ、座席の床に横たわっている男の足首を掴んで車外に引き出し、脚を捻って空中に放り上げてから消した。
「二人目。これも死体が無いので殺人ではないわね。もう一人をこちらに押してくれない、リーダーさん。」
リーダーの男は反対側のドアに背をつけて座席の男を脚を使って千の方に押した。
「仲間意識は無いようね。」
千は押し出された男の手首を掴んで車外に引きずり出し首を掴み直して空中に放りなげてから消した。
「これで三人がいなくなったわね。この銃は分子分解銃なの。物体を原子や分子に分解してしまうの。経験したことは無いので分らないけど痛みは感じないはずだわ。後は運転手ね。運転手さんは貴方に手伝ってもらわなくてもいいわ。貴方は暫く寝ていなさい。」
千は右手の銃をリーダーに向けた。
「待ってくれ。話す。運転手は俺の弟なんだ。消さないでくれ。警察に渡してくれ。」
「最後の願いはダメよ。公になるでしょ。でも正直に話してくれたら、死ぬかもしれないけれど今は消さないことにするわ。」
「分った。それでいい。」
「誘拐の計画とそれを命じた者はだれかを話して。命じた者は組織も含めて消すわ。」
リーダーは知る限りの詳細を話しだした。
「知っている限りのことを話したようね。約束通りあなた方は消さないわ。これからあなた方を人目の付かない場所に運んで解放します。運が良ければ生き残ることができると思うわ。車のタイヤは付いているわね。レンチは座席の所よ。タイヤのボルトをしっかり締めて。これから行く所はこの車が命そのものになるから。」
千は車輪のボルトを締め終わったリーダーを車に入れてロックさせた。
弟の回復法も伝えた。
フライヤーを呼びよせてから乗り込んでフライヤーをワンボックス車の屋根に固定させ30mまで上昇してから南東の方向に暫く進んだ。
高度を3000mに上げ南に向かって速度を上げた。
速度が上がるとフライヤーを縦にしてドームを先端にしてさらに加速した。
千はフライヤーに一Gの加速をかけ続けたがそのうちにフライヤーの速度は一定になった。
フライヤーの通過した後には空気が流れ込んだが後ろに付けたワンボックスには物理的な障害は生じなかった。
もっとも、そこの気圧は極端に低下し、誘拐犯は気を失った。
1時間半の飛行を終え、千はフライヤーを氷上に着氷させてからワンボックス自動車との接続を切った。
千はフライヤーを降りて自動車に近づいて中を覗いた。
誘拐犯達は気絶していた。
千は自動車のエンジンをかけ暖房を最大にしてから自動車のクランクションを数回鳴らした。
誘拐犯達は気がつき周囲の状況を見て驚いた。
辺り一面が氷の平原で車の近くには何本かの旗竿が立っていた。
「二人とも気がついたようね。ここであなた方を解放するわ。見て分らないかもしれないけど此処は南極点なの。今は南極は夏だから太陽はずっと出ていて暖かいわ。どちらを向いても北だけど、どちらに向かっても氷の海に出るからここにいた方が安全よ。夏の南極点は南極ツアーの目的地なの。ツアーにはヘリコプターが使われるの。運があればツアーに出会って助かるわ。辺りに旗が立っているでしょ。旗の辺りを捜せば食料と飲料が埋まっていると思うから暫くは生きていけると思う。夜は明るいけど寒くなるから車の暖房を時々かけるといいわ。燃料を大切にね。運があれば燃料の軽油も埋まっているかもしれないわ。ここから300㎞離れた所に核廃棄物の集積所があるわ。核ゴミの移送の回数は一年に一回だけだけどゴミは飛行機で輸送されるの。飛行機が来れば黒い自動車は目立つから発見されるわ。幸運を掴めるといいわね。重要なことは車を氷で覆われないようにすること。空から目立つことが重要よ。」
「あんたはだれだい。あんたのことは聞いていなかった。」
「最初に言ったでしょ。恵の親友よ。ここから携帯電話は繋がるとは思わないけど、もし車に通信機があってもあなた方への依頼者には連絡しない方がいいわね。依頼者は秘密を守るためにあなた方を消そうとするから。」
「分った。そうする。」
「それじゃあ幸運を。誘拐犯さん。」
千はフライヤーに乗ってドームを閉じて北の一つの方向に飛び去った。
帝都に戻った後、千は帝都庁舎の上空に行き、平の携帯電話に固定電話の回線を通して電話した。
平は千の携帯電話の番号を知っているのに違いなかったが、千は公に携帯電話の番号を知られたくはなかった。
「平です。」
「先日お会いした帝都大学の千です。数分お会いすることができますか。確かめたいことがあります。」
「丁度よかった。私もお会いしたいと思っておりました。どこでお会いしましょうか。」
「私は現在、帝都庁舎の地上駐車場におりますが、この辺りは傍聴網が廻らされているようですね。平さんは私と会ったことを明らかにしているのですか。」
「はい、私が千さんと会ったのは公の事柄です。」
「それなら庁舎の屋上駐機場に来て下さい。そこで平さんを拾います。今から5分後でいいですか。」
「今から早足で駐機場に向かいます。」
「了解。」
千が屋上駐機場にフライヤーを移動させると既に平が駐機場の通路に立っていた。
千は平の前にフライヤーを降ろし、平をフライヤーに招きドームを閉じた。
「これが天女の御車ですか。」
「フライヤーと名付けております。上空500mがいいですね。レーダーには見えなくても目で見えますから。」
「それで、何でしょうか。」
「今朝ほど恵が賊に誘拐されました。ご存知でしたか。」
「知りませんでした。そうでしたか、それで慌ただしい動きをなされたのですね。恵先生はご無事でしたか。」
「はい。現在は研究室にいると思います。平さんと面会したのは平さんがこれを知っていたのかどうかを確かめる為でした。ご存じなかったようですね。安心しました。5名の賊は捉え詳細を白状させました。賊達に指示したのはここから離れた所に住む政府関係者でした。いずれその者から情報を得る予定です。その方はいなくなるのではないかと思います。その方に自身の意向を伝えた者もひょっとして消えるかもしれません。従いましてホムスク帝国から役人が数名、そしておそらく民間人が数名いなくなる可能性があります。平さんが警察活動に干渉する必要はありません。むしろ叱咤激励して下さい。死体も何も無く失踪する理由もありませんから警察は困惑すると思いますね。」
「千さんは恐ろしい方なのですね。私が誘拐を知っていたら消されたのですか。」
「そうなったかもしれません。でも庁舎の一部が屋上から地下の岩盤まで半径1mの円形で突然無くなって、その穴の中心線に平さんがたまたま含まれていたというだけです。」
「そんなこともできるのですか。」
「優(やさ)しい天女ではなく怒った鬼子母神かもしれませんね。私はホムスク帝国を作るために数カ国を壊滅させ数億人を殺してきました。でも数億人殺すと犯罪人ではなく英雄になるのですよ。不思議ですね。」
「そんなものだと思います。」
「それで、平さんが聞きたいのは何ですか。」
「今では理由が分ったように思います。当然ですが千さんの行動は監視されております。我々の精一杯のあがきですがね。今朝の千さんの行動で分らなかったことがあったのでお会いしたいと思っておりました。千さんのフライヤーはここから15㎞ほど離れた国道脇で見かけられております。その国道では黒のワンボックスがタイヤを交換しておりました。それが誘拐犯の車だったのですね。ロードサービスが現場に着くと車はなくジャキと切り裂かれたタイヤが残っているだけでした。暫くすると遠くでフライヤーがワンボックスを下に付けて南東に飛んで行ったそうです。飛び上がった辺りの草は潰れておりました。後は空軍と海軍のレーダーが捉えております。自動車を付けたフライヤーはものすごい速度で南に向かったそうです。考えられない速度だと報告を受けました。南極に行かれたのですか。」
「早いですね、平さん。大した情報網です。南極点に行きワンボックスを降ろしました。誘拐犯の二人の兄弟はまだそこに居ると思います。残りの三人は空中で消しました。南極点ツアーが近々にあるならツアースタッフに二人を救うように伝えて下されば両名は生きていることを実感すると思います。」
「分りました。そう指示します。それにしても今は午後二時前です。誘拐は午前8時頃ですからまだ5時間しか経っておりません。こんな短時間で賊を捉えて白状させ極点まで往復したことになります。千さんは本当に天女様ですね。」
「親友を大切にする女友達です。時には鬼子母神ですかね」
千はフライヤーを降下させて平を降ろし、実験工場に向かった。
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