第17話 17、ゴラン州の診療所 

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 「そんなことがあったのですか。恵さんも災難でしたね。でも予想されたことです。」

万はデスクの前に座って淹れたばかりのクルコルの湯気を楽しみながらディスプレイを眺めながら千に言った。

「申し訳ありません、万様。不注意でした。」

「防ぐことは難しい事件です。しかたがありません。それで賊に命令した者は誰だったのですか。」

「ゴラン州の役人のようです。もちろん名前は分りませんでしたが賊のリーダーの記憶に残る人相では秘書室の中堅役人のようです。もちろん本人に会わなければ確定できません。」

 「ゴラン州ですか。問題がある州みたいですね。この事件とは別に何らかの干渉をしなければならないと思っていた州です。」

「良くないことが起ろうとしているのですか。」

「州知事の行動が州民に反発を引き起こしているようですね。」

「万様、ゴラン洲は赤道近くにできた州です。荒波様と水光様が言語の統一のために遠征した時にはこの地帯は手を付けませんでした。当時は住民も少なく国もありませんでした。言語が統一されてから次第に人が入って州として認められるようになりました。州としての歴史が浅く、そこに住んでいる人々は弱肉強食の戦いの末に残っている人々です。」

 「そうでしたね。ホムスク帝国では各地の国王がそこの州知事になって役職は世襲です。州知事の権限は大きいですが、住民は安定した豊かな生活ができさえすれば大きな反発はしなかったのでしょうにね。」

「万様が干渉しようと思われたのはインターネットが原因でしょうか。」

「そうです。ゴラン州は際立った場合なのでしょうが他の州でも同じ状況になっているかもしれません。ゴラン州で発火して争乱が生じたらその火は世界中に広がるでしょうね。世界中がインターネットで繋がっておりますから、その広がりかたは周囲に広がってゆく野火のようにではなく『加熱された平鍋の対流』のように各地でランダムに起る蓋然性が高いと思います。どこも程度の差はあっても同じ状況にあるでしょうから。そんな場合の帰結は予測できません。不特定の仮のリーダーが次々と全体のリーダーとなる鳥の群れの動きになるからです。」

 「どうすればよろしいのでしょう。」

「仮のリーダーではなく本物のリーダーがいたらいいですね。圧倒的に強い絶対的なリーダーの存在がホムスク文明を壊滅させない方向に導くために必要です。ホムスク文明の継続は私の使命であって父からの示唆ですから。」

 「ロボットを作るお考えですか。」

「それは少し考えものです。国が統一されてまだ千年です。ホムスク星が大宇宙に出るにはロボットが不可欠ですが優秀なロボットの存在は人間を怠惰に向かわせる可能性があります。人の思考を内側に向かわせる可能性があります。昔、父は政治に関与した時に影武者ロボットを作ったことがあったそうです。でもそれではロボットの自意識を抑えることになります。当分はロボットには自意識は芽生えませんが可能性はあります。それではロボットがかわいそうです。なんといっても私は自意識を持ったロボット人に育てられましたからね。」

「新しい型のロボットですか。」

「それも躊躇しますね。」

 「エタロン板を作られたらどうでしょうか。」

「そうです。千は上手い例(たと)えを言いましたね。その通りです。レーザーのエタロン板が必要なのです。」

「万様から褒めていただいて光栄です。各地で勃発する騒動がレーザー管の中で励起される分子原子に見えたので、後はエタロン板で定められる電場ベクトル面を持ったものだけを誘導放出をさせるようにすれば良いと思いました。それなら強いリーダーは必要ありません。」

 「いいですね。そうしましょう。この世界の科学力は核爆弾を作ることができる状況にあります。放っておいたら文明の破壊が起こり文明の断絶が起るかもしれません。」

「万様自身が行動なされるのでしょうか。」

「そうしようと思います。」

「万様が現場にお出になるのは危険だと思います。暴動や反乱や革命では予測できない事態が起る場合があります。愚かなリーダーに万様が居られる町に戦術核を使われたら防ぎようがありません。」

「そうですね、千。生命保険に入っておきましょうか。私をコピーして時間停止で保存しておきます。」

「安心できます、万様。」

 「千、革命のエタロン板を作ります。ゴラン州の州都の郊外に小さな診療所を作って下さい。そこを当分の住まいにします。医師免許が必要でしょうから医師は千で私は夫のお手伝いですね。」

「了解しました、万様。診療科目はどういたしましょうか。」

「千に任せます。大部分の怪我や病気は診断機があれば対処できるし、重大な障害には医療ボックスがあれば対処できるでしょう。」

「産科も加えてよろしいでしょうか。」

「千に任せます。保育機は使ってもいいですが人工子宮機はこの世界にはまだ早いと思います。私が学んだホムスク星の歴史でも人工子宮機が出来たのはホムスク帝国が出来て数万年後だったと思います。」

「了解いたしました。そのように致します。」

 半年後にゴラン洲の州都の郊外に小さな診療所が建てられた。

総二階建てで一階が診療室となっており二階が居住空間になっているように見えた。

建物の面積は小さかったが敷地は広かった。

敷地の境界は柵で区切られ、内側が診療所の敷地であることはそこが一面の芝生であることから推測できた。

敷地の周囲は荒地で人家は無かった。

敷地は幹線道路から少し奥まった場所にあり、簡易舗装された小道が幹線道路と敷地をむすんでいた。

 診療所の建っている場所はおよそ庶民の生活ができる場所ではなかった。

直近の幹線道路には電柱が無かったし、上水道は通っていなかった。

診療所は自家発電し、井戸を掘ってあるのに違いなかった。

診療所周囲の芝生は青々と短く刈り取られ、地表にはスプリンクラーの放水口が埋められていた。

診療所自体は小さな建物ではあったがこの診療所が十分な資金の下に建築されたものであろうことは容易に想像できた。

 幹線道路への小道の横には大きな横看板が立っており、そこには『七面診療所』と大書されていた。

その下には少し小さな文字で次のように書かれていた。

1、特殊外科・重大創傷の治療。

2、一般外科・軽度創傷の治療。

3、一般内科・内科全般の診断。

4、産婦人科・女性傷病の診断治療

医師:千(医師免許:帝大)

 七面診療所の最初の患者は幹線道路を通るトラックの運転手であった。

大型トラックは看板を行き過ぎてから停車し、道路を少し逆走してから診療所の敷地内に入って来た。

診療所には駐車場がなかったので運転手は診療所正面の芝生の中に駐車した。

芝生の下は堅いらしく、トラックのタイヤが轍を作ることはなかった。

 診療所の入口はガラスで出来た自動ドアで運転手が近づくと開いた。

入って左手に受付と書かれたカウンターがあった。

カウンターには案内書がぶら下がっていた。

案内書には次の文字が書かれていた。

「診療案内書」

1、最初に名前と住所をカウンターの受付簿に書いて下さい。

  文字を書くことができない状態の方は記載不要です。

2、料金は症状に拘(かか)わらず一分間当り百円です。

左記に同意いただける方は右横の診療室にお入り下さい。

 運転手は名前と住所を記載し診療室に入った。

小さな机の前には白衣を着た美形の女医が肘掛けのある小さな椅子に掛けていた。

運転手は女医のような美人はこれまで見たこともなかった。

女医は丸椅子を運転手の前に押し出してから言った。

「どうぞお掛け下さい。どうされました。」

 「トラックのドアで左手の指を挟んでしまったんで。骨が潰れたみたいで、指が膨れて痛くてたまりません。くそ。」

「分りました。治療するのに十分ほどかかりますがよろしいですか。」

「たった十分で痛みが今より少なくなるならそうして下さい。」

「分りました。暫くお待ち下さい。」

女医は椅子を立って部屋の隅にあるロッカーから小さな方形の箱を持って来て机の上に置いた。

箱は上下に開くようになっており手首を入れるための穴が開いていた。

「この箱の中に十分間ほど手首を入れておいて下さい。その間は手首を動かそうとしてはいけません。よろしいですか。」

「分りました。絶対に動かしません。」

運転手は女医に声をかけたかったが女医が美しすぎて声をかけることができなかった。

 十分後、女医は丁寧に箱のロックを外し箱を開いた。

「治療は終わりました。指の粉砕骨折は治癒されております。確認して下さい。」

運転手は箱から腕を持ち上げ指を見た。

「元通りになっています。しかも前より少し奇麗な指になってます。触っても痛くもないし骨も爪も元の通りになってます。ありがとうございます、先生。信じ難いんですが治ってます。」

 「治って良かったですね。診療時間は12分ですから1200円をお支払下さい。一応規則ですから。お金は受付の横にある箱の中に入れておいて下さい。お金が足りなければあるだけで結構です。」

「ほんとに1200円だけでいいんでしょうか。指の骨が潰れてそれが十分間でなおったんですぜ。」

「簡単な治療でしたから短時間で治りました。説明書に書いてある通り1200円で結構です。」

運転手は2000円を受付横の赤い箱に入れて帰っていった。

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