第14話 14、恵の婚約 

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 不思議なことに恵と千には暫(しばし)の静かな時が訪れた。

帝都のカーニバルで時の人となった二人の天女ではあったが、二人には学長からの感謝状が送られただけであった。

企業や政府組織からの面会の申し込みもなかった。

新聞記者や雑誌記者の取材要請はあったが全て拒否された。

二人は有名になることを拒否していた。

 「千、静かね。もっと周辺が騒がしくなると思っていたわ。」

恵は千の居室のソファーで言った。

「そのうちに慌(あわ)ただしくなるわよ。今は恵の論文を読んで一生懸命に追試験をしようとしている時よ。それで遮断物質が出来たなら別に恵に聞きに来ることもないでしょ。論文を出しておいてよかったわね。」

「皆はうまく作れるのかなあ。」

「作れるわ。千の講座の学生は恵がどのようにして包接化合物を作っていたのかを知っているでしょ。講座内で実験結果を報告していたわけだから。上手く行かなかったら講座の誰かに聞けばいいでしょ。その方がプライドが傷つかないわ。」

 「そう言えばそうね。実験工場はどうなってるの。」

「毎日、金の卵を一つずつ産んでいるわ。」

「一年で365個だからおよそ190㎝が一辺の板ができるわけね。経費が只って言うのがいいわね。」

「そうね、売らなければ税金もかからないわ。」

「宇宙に行けるのはいつになるんだろう。」

「少し時間がかかると思うわ。宇宙の環境は厳しいから。」

 「宇宙では宇宙遊泳ができるのかしら。」

「できないわ。弱くなっても重力はあるわけだし。ほんの少しだけ身軽に感じることがあるかもしれないけど地表と同じだと思う。人工衛星のように星の周りを高速で廻れば重力が減ったように感じることができるし、廻るスピードをもっと速めれば宇宙遊泳できるようになるわ。」

「そうね、フライパネルを使った人工衛星のなかでは床を歩くことができるのね。それにほとんど同じ位置に留まっていることもできるわ。」

「そう、だから恵が見つけたことは科学エポックなの。大飛躍なの。」

 「今日は千に知らせたいことがあって此処にきたの。」

「なあに。」

「もう、千ったら。わかっているくせに。」

「恵の言葉で聞きたいの。な、あ、に。」

「私、周先生と婚約したの。」

「そう、おめでとう。結婚式はいつなの。」

「まだ決まっていないわ。私が学位を取ってから結婚することにしたの。だから早くても一年後ね。」

 「少し先ね。」

「私、婚約期間っていうのをどうしても味わっておいてみたかったの。おそらく一生に一回だけでしょ。」

「きっと、いい思い出になるわ。周先生のご両親は健在なの。」

「周先生は私と同じようにご両親はだいぶ昔に亡くなられておられるの。親の遺産で大学を終えたのも私と同じね。」

「似合いのカップルになりそうね。」

「へへ、結婚式には出席してね。招待状をだすわ。」

「もちろん出席させてもらうわ。」

 「申し訳ないけど万様には招待状は出さないわ。万様のことは秘密だって千との約束があるしね。周先生はいまだに千を未婚の独身だと思っているわ。」

「私より恵を選んだ周先生は賢い選択をしたと思うわ。」

「私にも少しは魅力があったということね。」

「恵は魅力たっぷりよ。」

「ありがとう。」

 数日後、千の居室のドアをノックする音が聞こえた。

「千君、今いいかな。」

「あ、先生。どうぞお入り下さい。」

周先生は千の机に近づかず少し離れたところから言った。

「千君、少し頼みたいことがあるのですが。今いいですか。」

「もちろんです。」

 「実は私の大学の同級生が千君に面会したいと言って来たんだ。あのフライヤーのことで聞きたいらしい。彼は政府の職員なんだがよくわからない部門に所属しているらしい。聞いてもあんまり詳しくは言わないし、妙に恵さんや千君や実験工場のことを良く知っている様子だった。簡単に言えばうさんくさい人間だな。私や恵さんが応対しても簡単に手を捻られそうな気がする。どうだろう。千君が応対してくれないだろうか。」

 「いいですわ。そうなるだろうことは想定内ですから。彼には私がOKしたので私に直接アポイントメントを取るように伝えて下さいませんか。そう、この内線電話がいいですね。」

「ありがとう。千君は意地悪ですね。交換を通るこの内線電話はいいですね。いつでも交換手は聞くことができますから。彼はいやがるでしょうがおもしろいですね。彼とは義理はありません。千君の思う通りに応対してください。重ねてありがとう。」

 数日後の昼前、件(くだん)の胡散臭い男から連絡があった。

「はい、千です。」

「私は周先生から連絡をいただいた平と申します。千さんでしょうか。」

「既に千と伝えましたが。」

「そうでした。面会のアポイントメントを取りたくお電話しました。よろしいでしょうか。」

「いいですよ。平さんはいつでもよろしいのですか。」

「はい、ご都合に合わせることができます。」

「そうですか。いつでもいいのでしたら今は午前十一時ですから午後二時にしましょうか。場所はそうですね、天気がいいので理学部横の思索の森にしましょう。私は白衣で出かけます。平さんはどのような服装ですか。」

 「あの、明日以後にすることができませんでしょうか。」

「今はどこにおられるのですか。遠くですか。」

「今は帝都の庁舎ビルにおります。」

「大学から20分ほどの場所ですね。ご都合が悪いのですか。」

「今はちょっと。」

「先ほどは都合に合わせるとおっしゃいましたが直近での変更はよくあるのですか。」

「はあ、今はちょっと。」

「そうですか。それなら後日にしましょう。私の方から都合を見つけてお電話します。連絡先の電話番号は何番ですか。」

「こちらからまたお電話しますが。」

 「でも平さんは簡単に前言を変更する方のようですから私の方から電話した方が確実だと思います。何番でしょう。」

「帝都庁舎内線の3838です。」

「ちょっと待って下さいね。メモします。内線の3838ですか。そうすると平さんの携帯電話の番号は009−8765−4321ですね。これはメモしなくても憶えられる番号です。こちらにかけるかもしれません。」

 「どうして携帯の番号まで分るのですか。」

「私は見たことは忘れないのです。どこかで名簿でも見て憶えていたのですね。平さんの生年月日や住所や家族構成や子供さん達の学校、平さんの昔の成績それにご両親の様子が自然と想い出してしまうのです。平さんの情報を聞きたいですか。」

「わかりました。万難を排して本日午後二時に理学部横の思索の森のベンチに行きます。私はグレイの背広と白いワイシャツと青のネクタイで参ります。」

「わかりました。後刻お会いしましょう。失礼致します。」

 千は午後の一時半に思索の森のベンチに行った。

ベンチを確保しておきたかったし、こぼれ日を見たかったし、平が歩いて来る姿を見たかった。

思索の森は昼休みが終わっていたので学生の数は少なくなっており、手頃なベンチに掛けることができた。

千は平らしい人物を2時5分前に見つけた。

距離はおよそ百m。

一分で50m進むとしたら到着まで2分。

間に合ったらしい。

 千はベンチから小さく手を振って知らせた。

「間に合ったようですね。平です。千さんでしょうか。」

「千です。どうぞ横にお掛け下さい。」

「ありがとうございます。」

「質問をどうぞ。」

 「身分とか所属を知りたくはないのですか。」

「何種類かの名刺をお持ちのようですが平さんの本業が記載されている名刺は無いようです。でもこのインタビューで使いたい所属と職籍をおっしゃりたいのならどうぞ。御所属と身分は何ですか。」

「恐れ入りました。生活安全局の局次長の平です。お渡しする予定だった名刺の内容です。」

「質問をどうぞ。生活安全局の局次長の平さん。」

 「ありがとうございます。政府は帝都カーニバルでの天女の御車に興味を持ちました。重力を遮断して浮遊することには大きな驚きでしたがそれは恵先生の論文を読んで原理は分りませんでしたが一応納得しました。それであの日の御車の行動を詳細に追跡調査し、御車が山の頂上に行ったことを確認しました。ところが空軍のレーダーには記録がありませんでした。帝都の上空は重要な空域です。何カ所ものレーダーで空域の物体を常に観測しております。50mよりも高い空域での物体は全て観測できるはずです。高いビルは常に観測されております。ですからあの御車の大きさでは観測できないはずはないのですが記録にはありませんでした。その理由を推測で結構ですからお教えできませんか。」

 「いいですよ。レーダーにかからなかったのはレーダー波がアンテナのある方向に反射されなかったからです。レーダーで使う電磁波が物体で四方に反射されるのはなんでだと思いますか。我々が物体を観ることができるのは光が物体で反射されて瞳にはいるからです。なぜ光は物体で色々な方向に反射されるのでしょうか。物の形状も一因ですが物体を構成している分子が色々な方向に配置されているからです。天女の御車の外壁は分子が一方向に配列された合金でできております。分子の方向が一方向に揃っているのでレーダー波は一方向に反射されるのです。その方向にたまたま受信アンテナがなかったから検出されなかったのだと思います。地上のどこかでは強烈な反射波が届いていたはずです。もっとも、電波は早いですから地上の物質で四方に反射されたレーダー波の一部は御車の同じ位置に戻って来て電波の発信場所に戻るでしょうからレーダーの感度を十分に上げれば観測できるかもしれません。でもその場合の信号強度は空気中の塵のレベルになるかもしれませんね。」

 「分りました。原因が理解できた気がします。御車に使われている外壁の金属と言うのはどんなものでしょうか。」

「今のところ秘密です。帝都大学の重力遮断実験工場では重力遮断パネル、フライパネルと名付けましたが、それを昼夜作っております。生産能力が限られておりますから、それを売り出せるだけの数に達する時には他のところで同じものが出来ているかもしれません。重力遮断物質は脆弱な物質なのでそれらは格子で仕切られた容器に入れられております。その容器が件(くだん)の合金でできております。フライパネルを売り出すようになったらフライパネルを購入し、容器を調べたらいいと思います。」

「分りました。フライパネルの売り出しを心待ちにしようと思います。本日は質問に詳細にお答えいただき、本当にありがとうございました。」

「どういたしまして、生活安全局の局次長の平さん。」

 「ところで、千さんは何者ですか。職業柄、調べるのは得意なのですが千さんを調べると途中で止まってしまうのです。千さんのご自宅には近づくことさえできず、お作りになった実験工場には侵入できません。一応その道のプロなんですがね。経歴を調べて行くとどこまで行っても終わりがないのです。そんなことはあり得ないことなのにそうなるのです。どこまで調べたらよいのでしょうか。ヒントだけでも教えていただけないでしょうか。」

「秘密にできますか。」

「決して口外致しません。」

「そう思っているようですね。記録に残してはいけません。約束できますか。」

「約束します。」

 「分りました。調査の範囲を始皇帝時代より少し前まで、周平様が二十歳代の若かった時まで、一歳下の家臣の金平様と野山を駆け回っていた時にまで広げれば分ると思います。」

「ありがとうございます。調査できなかった理由が解ったような気がします。とても私ごときが理解できる方では無いようです。この世界で千さんをご存知の方はおられるのですか。」

 「それは質問ですか。」

「いいえ。個人的な興味です。」

「いいでしょう。一人だけおります。皇帝です。でも皇帝は決して口外しないでしょう。質問すれば貴方はいなくなるかもしれません。」

「千さんはほんとに天女なのですね。」

「私は帝都大学の学生です。」

「そうでした。」

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