第10話 10、空飛ぶ筏
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実験工場は稼働を始めた。
外見は人の出入りも無かったし、音も漏れ出てはこなかった。
工場は連続運転していたのだが製品が出来上がるのは一日に一個の割合でしかなかった。
律速段階は海水からの炭素とリチウムの採取であった。
炭素とリチウムが外部から供給されれば生産量は増加するが恵も千もそれは望まなかった。
二人にとっては空飛ぶ筏が作れさえすればよかったらしい。
空飛ぶ筏をどのような構造にするかはまだ決まっていなかった。
仮に空飛ぶ筏が3m方形になるからといってフライパネルが900個必要というものではなかった。
下部全面をフライパネルで覆ってしまえば支えることができる重量は増加するが空飛ぶ筏の制御はむしろ難しくなるだろう。
空飛ぶ筏にとって最も重要なことは安全性であった。
風が吹こうと物がぶっつかろうと筏は動いてはならなかった。
筏の床面は不動の大地のようであらねばならなかった。
恵と千が乗るのである。
風にあおられて筏が動けば二人は筏から転げ落ちてしまう。
結局空飛ぶ筏は全ての方向に対して加速度を遮らねばならないと結論された。
「さて、立派な動かない筏はできそうけど安全を図るあまり箱の中の風船ね。箱入り筏。」
恵は千の居室で呟(つぶや)いた。
「そうね、動きたい方向のフライパネルを機械的に傾ければ動けるけれど原始的な方法ね。」
「進行方向のパネルを傾けてから帆かプロペラ船外機を付けようか。」
「天女姿の娘が乗るものではなくなるわ。」
「安心してクルコルを飲めるように自動的な制御方法を考えなければなりそうね。メドはあるんでしょ、千。」
「そうね、電磁石制御にしようか。」
「そうか。磁石で原子を同じ方向に並べたのだから磁力方向を逆にすれば電子の電子軌道は少し傾くわね。そうすれば加速度遮断は弱まるわ。」
「それだけじゃあないかもしれないわよ。」
「どういうこと。」
「リチウム包摂カーボンを作る時には磁石を使って方向を揃えたのだけど入ったリチウムが完全に同じ方向を向いて入っているとは限らないわ。リチウムは周りがカーボンで囲まれているだけだから動ける余裕を持っているはずよ。だからフライパネルに入っているリチウムは余裕を持って入っているはずよ。それでも実際には加速度に反発しているわけね。」
「わかった。磁力で完全にリチウムの方向を揃えたら何かが起るだろうと考えているのね。」
「そうよ。まだフライパネルを磁力線に曝したことはなかったわ。」
「実験してみようか。千、フライパネル持っている。」
「あるわ。後は鉄の板と磁石ね。」
千はデスクの引き出しからフライパネルを取り出して机の上に置き、部屋を出て実験室から薄い鉄板を持って来た。
フライパネルの下に鉄板をセロテープで固定してからパネルを空中に浮かべた。
「さてっと。どうなるか。」
千はファイルボックスの側面に付けてあったマグネットクリップから円形の磁石を外して鉄板に接着させてから手を静かに離した。
フライパネルはほとんど動かず空中に浮かんでいた。
「それでは磁石を逆にするとどうなるか。」
千は磁石の面を反対にして接着して手を離した。
フライパネルはまたもほとんど動かなかった。
「おかしいわねえ。少しは変化があってもいいはずなのに。」
「千、それ新しいマグネットクリップを使ったからかもしれないわ。今のマグネットクリップってどこでも付くようにNとSを互い違いになるように作られているの。昔のはそうじゃあなかったけれど。」
「そうか。ちょっと待ってね。」
千はファイルボックスの側面に付けてあった透明な円形のプラスチック容器を引っ張って引き離した。
容器には銀色の円盤状の磁石が入っていた。
「ネオジウム磁石よ。これなら強力よ。」
千は磁石の入った容器をフライパネルの底の鉄板に注意深く付けて手を離そうとしたがあわてて掴み直した。
「恵、重力遮断効果は無くなったわ。手を離したら落下する。ほら。」
千は手の平にフライパネルを載せて手を下に動かしたがフライパネルは手のひらに載ったままであった。
「それでは磁石を逆にするとどうなるか。慎重にしないとね。」
千は両手でフライパネルを上下に挟み、静かに両手を離した。
フライパネルは上側の手の平に接着していた。
「フライパネルは上に動こうとしているわ。結構強力な力よ。恵、注意して持ってみて。」
千はフライパネルを立てて恵に渡そうとしたが動きを止めた。
「恵、フライパネルを縦にしても加速度を感じるわ。フライパネルは横に動こうとしている。試してみて、恵。注意してね。」
「ほんと。フライパネルの上方向に動こうとしている。縦にしようと斜めにしようとパネルの上の方向に力を感じるわ。」
「大発見ね。磁石を外してパネルに変化がなければエネルギー保存法則が崩れることになるわ。なぜだと思う、恵。」
「待って、分った。目には見えないけどパネルには変化があったのだと思うわ。万様がおっしゃっていたでしょ。重力遮断するとリチウムの電子の時間が早まって寿命が短くなるって。今の場合、生じた加速度はリチウムの電子の時間進行速度の加速で補償されているのにちがいないわ。」
「そうね。時間速度と加速度との結びつきができたわね。でもこの現象を見た人はエネルギー保存則に反しているって驚くでしょうね。今のエネルギー保存則は時間の因子を除いてあるから。」
「ありがとう、千。千はこうなるって知っていたのね。でも時間とエネルギーの関係を実感できた。ほんとに感謝。」
「恵がそれを見つけたのよ。」
「見つけたのは私たちよ。それはそうとこれで船外機も帆も必要なくなったわね。電磁石をパネルの底に付けて磁力を制御すれば筏を上下左右に自由に動かすことができるはずね。でも難しそう。例えば真上に進むためには周囲はそのままか均等に引っ張るようにして下側もそのままにして重力を止めて上面を逆の磁力にすればいいわけだから比較的簡単ね。でも斜め上に進もうとする時には、上と前のパネルに逆方向の磁力をかけるわけよね。そんな時にも筏は水平を保っているかしら。」
「それは分らないわ。でもそんな技術は既にできているでしょ。今さかんに宣伝しているドローンで使われている技術よ。高さも水面からではなく地表からの高さで制御できるし、機体も水平に保てるし、現在位置も分るから風に流されることもないわ。」
「そういえばそうね。宣伝の画像を見る限り安定して飛んでいるわ。」
「ドローンと違いがあるとすれば人が乗って操縦することが出来て給油無しで長時間飛行できることね。」
「電磁石や制御装置の電力には何を使うの。」
「そうね、みんなが驚く空飛ぶ筏なんだから電池は小型の原子電池を使うわ。お弁当箱くらいの大きさだけど空飛ぶ筏だけなら数万年使ってもだいじょうぶよ。」
「だけならって、他に何か付ける予定なの。」
「風防よ。あるいはドーム。だって天女の姿をしている時に雨が降り出したら傘を開くわけにはいかないでしょう。それにさっきの実験でパネルの力は結構強かったわ。あの加速度なら相当なスピードを出すことができるわ。そんな時は全体を覆うドームが必要でしょ。寒い時には暖房、暑い時には冷房がいるわ。だから非常時にはドームが出るようにしたいわ。上手く側面にしまえるように引き込み式にするわね。」
「何か昔絵本で見た空飛ぶ円盤になっていくみたいね。透明なドームがあって円盤形で下部に強い磁力を持っていて飛行はトンボみたいに自在にできる。空飛ぶ円盤そっくりでしょ。」
「それに円盤ドームの中に入っている人間の形をした宇宙人は美しい色の変な衣装を纏(まと)っているしね。」
「その二人の宇宙人はホムスク語を話しました。へへ、楽しいわね。」
「少し心配になってきたわね。分らないように最低限の武器を取付けておくわ。」
「武器って。」
「分子分解装置よ。小型にして砲の形で組み込んでおくわ。原子電池を積んであるから電力は十分よ。」
「千は何を心配しているの。」
「普通の人や政府や軍隊がこの空飛ぶ円盤を見たら欲しくなるでしょ。公権力が欲しいと思って悪いことをしたとしても警察は動かないわ。その意味で一般人は弱いものよ。税金を出して警察を作って安全を図っているのにね。この円盤は爆発力に対しては丈夫よ。爆発の圧力による加速度は遮ることができるから。鉄砲の弾とか小型の大砲ではフライパネルを包んでいる金属を破壊できないわ。そうなるとこの円盤を奪うためには網を使うことになるの。丈夫な網を円盤の上から広げて投げ落とせばいいの。あるいは霞み網みたいに目の粗い網に引っ掛けて落とせばいいわ。円盤の中に入ることはできなくても円盤を捉えておくことはできるわ。そんな状態では外側に枠を作ってコンクリートを流すこともできる。そんな場合には網を破ることが必要でしょ。だから分子分解砲が必要なの。」
「そんな時は私たちは重要犯罪人になるのかしら。」
「ならないわ。無法に円盤を奪おうとする人は悪いことをしていることは認識しているの。うまく奪えたらうやむやにできるけど、失敗して損害が生じたとしても公にすることはできないの。ましてや対象が帝都大学の二人のかよわい女性研究者よ。重力遮断の論文を出し、その実験工場を大学が認可し、円盤はその成果なの。悔しがるけどなにもできないわ。それでも何かしようとしたら私が守ってあげる。計画した部署の場所と人を全部消してあげるわ。証拠無しで文字通りにね。瓦礫も死体もないし5分もかからないわ。その部署が建物の中ほどにあったらその部署の上下の階の人は残念だけど一緒に消えるわね。コラテラルダメージよ。そんな部署がある建物にいるのは同じ穴の狢(むじな)だから。もしその部署に命令した人物がいたとしたならその人も消してあげる。遺体がある殺人ではなくてただ分解されて消えるの。たとえ皇帝でもね。そんな人がいたとしたら察相の術ですぐわかるわ。私、間接的にだけど数カ国を壊滅させ何億人も殺しているから。」
「そうだったわね。千は歴戦の勇士だったものね。」
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