第4話 4、千の家 

<< 4、千の家 >>

 「おはよう、千。元気。」

恵が講義室の机に固定された椅子を丁寧に跳ね上げながら千に近づいて来た。

千と恵は前から3番目の中央右に座席を一つ空けて並んで座る。

千は通路側で恵は内側に座る。

二人の前後の席は特等席なのだが紳士協定でもあるのか常に空席になっている。

「おはよう、恵。快調よ。恵は。」

「私も快調よ。千は数日講義に来なかったわね。どうかしたの。」

「少し時間が必要だったの。変わりはない」。

 「平穏よ。今日の一講目は量子力学だったわね。楽しみだわ。」

「そうね、私も楽しみだわ。」

「千が楽しみって言うと何となく皮肉に聞こえるわね。今日も何も持って来てないのね。」

「私、記憶力がいいからノートは必要ないの。」

「でも教科書は必要でしょ。」

「教科書は全部読んだわ。図も含めて全部覚えているの。」

「千を見ていると何となくめげるわね。」

「記憶だけよ。想像は不得手なの。科学の飛躍に重要なのは知識を結びつける想像力よ。知識の蓄積だけでは進展はできても飛躍はできないわ。」

「講義は知識があればできるわね。」

「自分の想像を話すことができる教授が居れば楽しいのにね。」

 「今日は一日居られるの。」

「居るわ。昼ご飯を一緒に食べましょうか。」

「今日はうまい具合にお弁当は持って来てなかったわ。学食で食べるのね。」

「私の家でご馳走するわ。準備してあるの。この前お赤飯をごちそうになったし。」

「千が自分で作ったの。『千は調理が苦手』って私の辞書には書いてあるけど。」

「チャーハンよ。手抜きの。」

「了解、ごちそうになるわ。講義が始まるみたいね。」

 昼休みになると千は恵を理学部の後ろの駐車場に連れて行き小型の自動車に案内した。

それは目立たない小型の古そうな自動車であったが相当重いのであろう、幅広の丈夫そうなタイヤを履いていた。

「これが千の自動車なの。丈夫そうね。」

「古い自動車だけれど好きなの。恵、助手席に乗って。鍵は掛かってないわ。」

「不用心でない。鍵を掛けないなんて。」

「少し改造してあるの。だれも中には入れないわ。」

 車は前も後ろもベンチシートでシートベルトは装着されていなかった。

「シートベルトは無いの、千。」

「着いていないわ。古い車だから無いの。でも大丈夫。心配しないで。」

「千を信じているわ。」

 千は車を駐車場から出して農場を横断する道路を走らせた。

帝都大学は帝都の真ん中付近に位置していたが広大な農場を隣接して持っていた。

農場の広さは2㎞方形で多くの作物や畜産のための牧草が植えられていた。

首都の中央に位置する広大な緑地は帝都に落着きを与えていた。

農場は管理のための道路が縦横に走っている。

 千の家は農場の端にあった。

農場の周囲を囲んでいる柵の内側に百m方形の芝地があり、その芝地の真ん中に小さな石造りの家が在った。

芝地は奇麗に刈り込まれており、雑草は生えていなかった。

「よく農場の中に家を建てさせてもらえたわね。」

「私の家は古いの。この大学ができる前からあった家だから大学ができた時に家を残してもらったの。」

「それなら千年以上も前から続いている家柄なの。」

「そうなるわね。」

 千は道のない芝生に車を乗り入れ小さな家の玄関前に車を止めた。

「恵、我が苫屋(とまや)にようこそ。お入りになって。」

「素敵な家ね。夜はだれにも気兼ねなく星空を見ることができるわ。」

「ほんとに。この星の夜空を見ると宇宙への想像がたくましくなるわね。」

「あれ、千は想像は苦手ではなかった。」

「それくらいはできるわ。夜空をみて感傷的になるのは科学よりも文学の方だと思うわ。」

「でも星空は半天よ。宇宙の構造に思いを馳せる方が自然だわ。」

「そうね、両方とも素敵ね。」

 千は重そうな扉を開けて恵と共に中に入った。

そこは古そうな板張りの床の吹き抜けがある広い部屋で中央に大きな堅い木製の食卓が置かれてあった。

食卓には4脚の彫刻が施された木の椅子が机の下に差し込まれていた。

入口の反対側には上に向かう階段と下に向かう階段があり、上に向かう階段は部屋の二階の部屋に通じる回廊に繋がっていた。

上に向かう階段のある側の壁の前には台所があり、ステンレスでできた大きなシンクが調理台の中央に埋め込まれていた。

配膳のための固定テーブルは無かったが代りにキャスタが着いた金属ワゴンがあった。

調理器具は古風なガスレンジが置かれ、電子レンジと給湯器は調理台の階段側に置かれてあった。

上に向かう階段の下には巨大な冷凍冷蔵庫が組み込まれていた。

 台所の反対側の壁際には両袖の大きなスチールデスクが壁から少し離して置かれており、スチールデスクの両横にはデスクと同じ高さを持つスチールキャビネットが並んでおり、

スチールデスクの前には5脚の座り心地の良さそうな背の高い椅子が内側を向いて置かれてあった。

スチールデスクには大きなディスプレイとディスプレイの下側に置かれたキーボードとマウスがあった。

スチールデスクの天板はディスプレイの前だけが使い込まれた光沢を持っており、天板の両側は本来のつや消しになっていた。

 「恵、我家の印象はどう。」

「素敵ね。でも不思議な家のような気がするわ。」

「どこが不思議なの。」

「どこって、どこか分らないから不思議なの。ちょっと待って。んー、その一。埃がないわ。農場にあるのにどこも奇麗でピカピカなの。その二。ゴミ箱がないわ。ここで生活しているのならゴミは出るでしょ。その三。デスクの上のディスプレイは見たことがないわ。どこの製品かわからないの。たいていのディスプレイは知っているのだけれど記憶に無いわ。それから、この部屋は明るいのだけれど、それらしい照明器具が無いわ。埃があればどんな間接照明になっているのか分るんだけど埃が無いの。」

 「大した観察眼ね、恵。この部屋は外部と接触するためだけの客間なの。普段は使っていないわ。生活の本体は地下にあるの。」

「農場の中の石造りの秘密の家ね。うらやましいわ。」

「食事にしましょうか。食卓に座って、恵。千特製のチャーハンとコンソメスープよ。グリーンピースが入っていて目玉焼きを載せるから。」

千は台所に行って電子レンジらしい機器の扉を開け、湯気を上げているチャーハンが盛られた舟形の食器を取り出して金属ワゴンに載せた。

そしてもう一度機器の中に手を入れてカップに入ったコンソメスープを取り出した。

 「千、おもしろい電子レンジね。スイッチを入れなかったわ。しかもチャーハン二皿とコンソメスープ2カップを同時に暖めたわ。」

「特別製の電子レンジなの。冷蔵庫に直結していて全自動なの。扉を開ける前に瞬時で暖めることができるし、中に入っている物を特定して個別に暖めることができるの。だから食器はそれほど暖まらないの。」

「凄いわね。そんな機能は聞いたこともないわ。千が設計したの。」

「だいぶ昔に作ったの。さあ、食べましょう。同じものを万様は昨日の昼に食べられたわ。」

 「いただきます。千のご主人はチャーハンがお好きなの。」

「大好きよ。カレーライスと同じくらい。」

「ご主人様は食べやすい料理がお好きなようね。」

「できれば食事もしないですめばいいと思っておられるわ。」

「千が食事を作るのでしょう。大変ね。バランスの良い献立でしかも容易に食べ易くするなんて難しいわ。」

「そうなの。細かく刻んで判らないようにして差し上げているわ。」

「ご主人は判らないの。」

「判らないみたい。でも時々『これうまいな。』って言われると嬉しくて天国に行ったような気になるの。」

「『まずい』とは言わないの。」

「ほとんどおっしゃられないわ。でも『まずい』とは言われないけど嫌いな食材はお食べにならないわ。」

 「それで千の殿様は今はどこにおられるの。」

「この家の地下のどこかでお休みになっておられるわ。」

「昼間なのに眠っていらっしゃるの。」

「地下室は昼と夜の区別はないから。」

「ドラキュラみたいね。千は殿様が起きている時にお世話するの。」

「そうよ。最近お目覚めになられたのでこれからは大学にはあまり行けないわ。」

 「不思議な言い方ね。ますますお会いしたくなったわ。この前に千に頼んだ重力遮断の件は聞いてもらった。」

「お会いなさるとおっしゃったわ。恵の好きな時に面会の予約をしてもいいわ。」

「まあ、ありがとう、千。私、あれからずっと考えていたの。磁場での反磁性体の動きのようにも見えるし、レンツの法則も頭の中に浮かんだわ。でも重力場は磁場ではないわ。だめだった。手がかりも掴めなかったわ。全くの暗闇よ。火縄の火でもいいから灯りがほしいわ。」

「万様は恵の頭の中に火縄ではなく蝋燭(ろうそく)の明るさくらいは灯してくれると思うわ。いつがいい。」

 「なるべく早くお会いしたいわ。今はお休みになっているのね。お目覚めになるのはいつ頃かしら。」

「夕方前にはお目覚めになるわ。」

「それなら今日の最終講義はサボるわ。夕方でどうかしら。千はどうする。」

「わたしは万様がお目覚めになる時はお側に居なければならないから最後の二講は欠席するわ。恵はサボらないで最終講義を聞いてから理学部の裏の駐車場に来て。私が車で迎えに行くわ。」

「了解。駐車場で待ってる。午後の講義は上の空ね。」

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