第3話 3、万の生活 

<< 3、万の生活 >>

 「万様、お目覚めですか。」

万はベッドから半身を起こし、周囲を一瞥し、差し出されていた温かな濡れタオルで顔を覆い温かな湿った空気を肺に満たした。

「千、おはよう。今はいつですか。」

「現在は帝紀1024年4月6日の正午でございます。」

 「そうですか、最初はコーヒー、いやここではクルコルでしたね。薄めのクルコルとタバコを用意して下さい。タバコはメントール入りがいいですね。トイレに行ってから含嗽(うがい)をしてきます。」

「了解しました、万様。」

 万はベッド際に揃えてあったごついスリッパを履いて洗面所に向い、戻ってデスクの前の椅子に深々とすわり、身を仰け反らして首を背もたれの上に載せて天井を眺めた。

視界の端に黒髪で小作りの美顔が万を見つめていた。

 デスクは2・5mほどの長さがあり、正面にはディスプレイが載っていた。

小さなキーボードとマウスがディスプレイの下に組み込まれていた。

二つの軽そうな薄型照明装置がディスプレイの裏側から張り出され左右から机を照らしていた。

デスクの上には他の物は何もなかった。

 万はクルコルを飲んでタバコを吸った。

まだ食欲は湧いて来なかった。

「この星の千年ほど眠ったのですね。この星はどうなっています。」

 「まだ穂無洲国の政治体勢を取っておりますが変ろうとしております。千年間の安定した世界が続きましたので多くの文化が開花し発展しました。人口は十億人ほどです。科学技術は発展しておりますが改良が重ねられている状況です。幾つかの分野では頂点を極めているものもあります。」

 「人々は幸せなのですね。」

「それはわかりません。十億人の人口ですから幸せな者もいれば搾取されている者もおります。」

「そうですね。人間社会はそういうものです。宇宙にはどこまで出ていますか。」

「多くの人工衛星を打ち上げている段階です。」

 「まだ化学ロケットの段階ですね。」

「左様でございます、万様。」

「この星は孤立してますから大宇宙には当分出れないですね。兵器はどうですか。」

「1000年間戦争がありませんでしたから大きな進歩はなされておりません。敵がおりませんでしたから。でも科学技術は進歩しましたから核兵器を製造できる知識技術は成熟しております。」

 「電力の供給はどうしてますか。」

「石炭火力と原子力が主力ですが太陽光、風力、波力、地熱なども利用しております。」

「石油は見つからなかったのですか。」

「見つかってはおりますが為政者はあまり開発に乗り気が無いようです。」

「どうしてですか。」

「開発の流れだと思います。穂無洲国はもともと石炭から石油を作っておりましたから、その技術は洗練されておりました。石炭の石油化には高熱の化学反応が必要でそれが石炭石油を高価なものにしておりました。でも原子炉が開発された後は高温を容易に得ることができるようになり石炭からの石油の生成は比較的安価なものになりました。」

 「原子炉ですか。もちろん核分裂ですね。灰はどうしていますか。」

「南極の氷の中に置いてあるようです。」

「灰は熱を出します。氷が溶けて海に落ちないのですか。」

「大きな建物に保管してあるようです。今のところ大丈夫のようです。」

「何とかしなければいけませんね。でも開発途上では汚染は付き物ですからね。」

 「灰を処理できる知識を与えるお考えでしょうか。」

「分子分解ができるようになれば処理できるようになるのでしょうが、まだ知識を与えるのは早いみたいですね。知識はホムスク人自身が積み重ね発見しなければなりません。なにか科学的なエポックはありましたか。」

 「最近、私の学友が重力遮断の事象を偶然に発見しました。」

「千はどこの大学に通(かよ)っているのですか。」

「帝都大学の理学部の化学科に通っております。」

「帝都大学と言うのは一流の大学なのですか。」

 「始皇帝の周平様が言語を統一された時代から続いているこの星での最難関の大学です。」

「千には入学は容易だったでしょう。私なら絶対に落ちますね。」

「万様は大学に入る必要がない方ですから。私は万様が眠っておられる間にこの大学に六回入学し六つの学位を得ました。この大学の理学部は2回目です。」

 「ありがたいですね。ずっと世の中を見ていてくれたのですね、千。それで私を目覚めさせたのは級友が発見した科学エポックのためですか。」

「左様でございます。万様の寝室の時間を早めてこの世界の時間速度に合わせました。万様は万様の時間で12時間お眠りになっております。」

 「しばらくこの時代で生活してみますか。おもしろくなりそうです。」

「私も万様のお言葉を聞ける生活が再び始まると思うとうれしく思います。」

「そうですか。千、いま私が望んでいるのは何ですか。」

「目玉焼きが載ったグリーンピースの入ったチャーハンでございます。それとカップ一杯のコンソメスープです。5分お待ち下さい、万様。」

 万はデスクの上に載った湯気の出ているチャーハンをかき込みカップに入ったコンソメスープを飲んだ。

そしてデスクの正面にあるディスプレイの横隅のボタンを押した。

ディスプレイは直ぐさま明るくなりデスクトップが現れた。

 デスクトップの画像はこの星の夜の写真であり、天空には画面の左上から右下にかけての輝く星空が画面の下側の地平線にまでずっと続く明るい町並みの向こうに映し出されていた。

星空の境界はくっきりしており、星々が輝く反対側の領域は暗黒の闇であった。

「50億光年でしたね。あそこの星々に到達できるようになるにはあと数千万年待たねばならないのですね。気の長い話しです。」

「万様はそうなることをご存知ですから。」

 「このディスプレイは千年前の物ですがネットには繋がっているのですか。この星でのインターネットはもう始まっているのですか。」

「数十年前に世界ネットは完成しております。このディスプレイは空中配線を介してネットに繋がってはおりますが装置の特定はできないようにしております。」

 「そうですか。皆が広い情報を持てるようになる世界ネットは既存の体制を変えます。穂無洲国(ホムスク)帝国は変るのでしょうね。」

「周平様がお作りになった帝国は無くなるのでしょうか。」

「そうかも知れません。千年は澱(よど)みが溜まるのには十分な時間です。」

 「万様、科学エポックの件はいかがしましょうか。」

「千の学友と言う人はどんな方ですか。千と友達になれる人はめったにいないと思っておりましたが。」

「化学科の同級生で恵という名前です。理学部の化学科は35名の学生で構成されておりますが女性は恵と私の二人だけです。会話する機会が多く、自然と友達になりました。」

「女の子ですか。優秀みたいですね。」

 「左様です。化学科の中ではトップクラスです。確か入学式の時にも入学生代表で挨拶をしておりました。」

「それは驚きですね。千よりも入試の成績が良かったわけですか。」

「私の場合は目立たないようにするため入学試験では幾つかの問題の答えを書きませんから。」

 「おやおや。それでどんな科学エポックなのですか。」

「トルマリンによる重力遮断を発見しました。」

「その名前は知りません。千年前にはトルマリンと言う言葉はこの世界にはなかったはずです。」

「電気石のことです、万様。」

「うろ覚えでよく知りませんが複雑な組成で原子が違うと色が違って歪みを与えると表面が荷電される結晶でしたか。」

「左様でございます。」

 「それでどんな時に重力遮断が起るのですか。」

「柱状結晶を一方向に立てた時に重量が軽減されました。」

「千はそれを確認したのですか。」

「恵と一緒に確認しました。」

 「そうですか。千のことですから磁場の影響も調べてみたのですか。」

「はい、万様。磁場存在下では重力遮断は強まりました。」

「恵さんは磁場に関してどんな反応をしました。」

「最初は磁場が重力遮断に関与していると考えたようですが懐疑の種を植えておきました。」

「重力加速度と時間の関係は離れ過ぎていますからね。仕方が無いですね。理解できるようになるのはずっと後でしょうね。」

 「恵は万様にお会いしたいと申しておりました。」

「私のことを話してしまったのですか。」

「申し訳ありません、万様。つい口が滑って万様が私の夫であると自慢してしまいました。」

「千は私の妻です。いいですよ。恵さんに会ってみましょう。千以外の女性に会うのは千年ぶりですね。村の村長さんの娘さん達以来です。楽しみですね。」

「ありがとうございます、万様。そのように取り図らいます。」

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