第3話 幽体離脱しちゃった!
これは、まだ私達夫婦の3人の子供達が、小学校に通っていた時の事です。
私と3人娘は、2階に4部屋ある6畳間(南側に2部屋・その北側に2部屋 田の字の部屋割りで全部襖やガラス戸で仕切られていました。)の北側の西部屋で2段ベッドを南を頭、北を足という置き方で部屋の東に寄せてに1台、西に寄せて1台置いて東のベッドの上に次女、下に私・西のベッドの上に長女、下に三女という風に寝ていました。主人は南側の東部屋にテレビやら置いて一人で寝ていました。
北側の部屋の北側に廊下が有って、廊下を東に歩いて踊り場が有って、南向きに、けっこう急な1階に降りる階段が有ります。階段を下りて1階に着くと玄関で、階段を下りた直ぐ東にリビング・ダイニング・キッチンが一緒になった結構大きな部屋が有り、その部屋の2階は、物置になっています(2階の階段の東側が物置です。)。
その頃は、義父も生きていました。
この、義父は糖尿病を患ており、私が嫁いで来た頃には大変痩せていましたが、昔の写真を見ると、背丈は大きくは有りませんが、筋肉質でがっちりとした感じでした。
しかし、アルコール中毒で糖尿病が酷くなりガリガリに痩せてしまいました。嫁いで暫くすると、少し足を引きずって歩く様になって来ましたので、かなり重症化して来ていたのだと思います。
義母に隠れて朝からでもお酒を飲んで、私が5時頃に起きて行くと、お酒の匂いをプンプンさせて、リビングの義父専用の椅子でグーグー寝ている事も、何時もの事でした。酷い時は、冬に灯油ストーブを点けているのは良いのですが、酔っぱらって足のくるぶし辺りがストーブの金属の格子に着いていて、火傷をしていてもそのまま寝ていたものですから、私が起きて来て、気が付いて足をどけましたが、酷い火傷になってしまい、また、糖尿病の人は怪我などが治りにくい様で相当長い間、治りませんでした。
そんなこんなで、義父の事が気になってはいましたので、こんな気持ちになったのでしょうか。ある日の早朝、目が覚めてんんとなく、
「今なら、幽体離脱をして魂だけ身体から抜け出せるぞ!」
「さあ、今だ...」
自分の身体ごと飛ぶのでは無くて、身体はベッドに存在して、ベッドから自分の意識だけが歩くのではなく浮かんで動いている感じで、目で見ているのか分からないけれど、周囲は見る事が出来て、ガラス戸が開いていたかは覚えていませんが、廊下に出て、東に行って階段のところまで来て、浮いたまま階段から一定の高さを保って下りて行ったら、丁度、義父が義母と寝ていた1階の西北の部屋から、義母に気が付かれない様にそ~っと出て来たのですが、義父は私に全然気が付きません。
そのまま家の外に出て行きました。自販機にお酒を買いに行ったのか、外の何処かにお酒を隠してあるのかは分かりませんが、出て行くのを取り敢えず見送って、LDKに浮かんだまま入ってキッチンに行って、蛇口を見て、直ぐに引き返してLDKの出入り口に行って階段を浮かんだまま階段から一定の高さを保って2階に上がって行って廊下を西に行き、子供達と寝室に入り、魂なのか意識なのか分かりませんが、「私」は、身体に戻りました。
何時もの様に、私は寝室から歩いて出て、廊下を東に歩き、階段を下りて東の扉から
LDKに入って朝ごはんの支度をはじめました。6時頃には義父はとっくに外から戻り、何時もの椅子に掛けてほろ酔い気分。義母も起きて来て義父を叱りながらご飯を食べる。子供達も6時30分頃に起こしに行って徐々に起きて来て、着替えやら食事やら、学校へ行く準備をし、たしか、7時40分か45分に集合し集団登校をしていきました。
何時もの1日の始まりに、何故か、魂なのか、単なる意識だけが離れたのか分かりませんが、その朝は、身体から離脱して一人歩き(1人飛び)出来る!!!っと感じて、実際飛んで2階から1階に行って途中義父に遭ったけれど気が付かれずキッチンに行き引き返して2階の部屋に戻り、身体にも戻りました。
ちゃんと、現実に起きた事で有ると実感するのです。
記憶が曖昧なのは、ガラス戸が開いていたのか、すり抜けて行ったのかがはっきりしない事ぐらいでしょうか。今から25年くらい前の事です。
義父は、それから1年半後くらいに食道癌で亡くなります。
糖尿病の病状が進んで、喉が痞えて飲み込みにくくなり、足は痛くて動きにくいし、目が見にくくなって、眼科医に診て頂いたのですが、
「糖尿病の治療をしっかりしないと良くならないから、ここは眼医者ですから、提携している総合病院で入院ししっかり治しましょう。」
という事になり、大都会の提携先の大きな病院に入院し、色々と検査して頂いて、
「かなり進行した食道癌で、余命半年」
との事でした。
本人には告げませんでした。そかし、何となく気が付いていた様ですが。
喉を広げる金属のアミアミの器具を入れる手術を受けて少し食事が摂れるようになったので、一旦退院して家で養生して数カ月後、喉に入れた広げる金具のアミアミからがん細胞が金具の内側まで侵入してきて、直に食事が摂れなくなり、また入院し点滴で栄養を摂るという感じになって行きました。
一時的に、家で養生している時に、義母が義父にお酒を飲ましてやろうか?と冗談交じりに行った時に。
「酒はもう飲まん!」
と、強く拒むのを聞いて、自分が癌である事を認識していたのではないかと思います。
義父は動くのも難しくなり、交代で義母と私とで義父の看病に行っていましたが、義母も心労からか軽度の脳梗塞を患って、地元の掛かりつけ病院に入院した事も有り、看病も遠いので大変になりましたので、その、大都会の病院から地元の掛かりつけの病院に転院しようという事になり、義母の考えで2人とも同じ部屋で入院する事となりました。大病院から救急車で掛かりつけの地元の入院設備の有る病院に移りました。
転院して、3日目に私が着替えを持って病室に行った所、様態が急変し亡くなりました。
転院させたことが良かったのか、悪かったのか分かりませんが、地元なのでもうダメかもと言う時に、義父の兄弟等に連絡をしたら直ぐに来てくれたりして、最期を看取ってくれました。余命半年と言っていましたが、約1年は生きておられました。
考えてみると、義母の妹のご主人様の命の波動も、義父の癌で亡くなる時も、何だか私は感じたり、そこに居たりする人なのか。
幽体離脱も、何か癌の出来初めか、悪くなってるよのお知らせだったのかしらね。
よく分かりませんが...。
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