第26話 古の料理
翌朝はユピトルが、昨日話してくれた“魚を生で食べられる店”に連れて行ってくれた。
“スシ”っていう名前の料理みたいだけど・・・不思議な響きの名前だなぁ。
なんて、全く想像もつかない料理とこれから行く店に僕は自然と足取りが軽くなる。
港町の朝は独特の海の匂いがする爽やかな風が吹いてきて、遠くでは海に暮らす白い鳥のラロスが複数鳴いていて賑やかだ。
そんな景色を眺めながら物珍しさにきょろきょろしている僕を横目にユピトルも微笑んでいるし、隣を歩くテューヌ博士も微笑ましげ。
ただ・・・アインスだけは、相変わらず仏頂面で少し後ろを歩いている。
・・・ほんと朝から安定の機嫌の悪さだ。
「お前らで行け」
なんて、朝いざユピトルの家を出てスシ屋に行くぞ!ってなった時もアインスだけはリビングの椅子に座ったまま動かなかったっけ。
アインスはよっぽど単独行動が好きらしい。
でも結局、テューヌ博士がアインスを説得して(なんでも、アインスが使った魔法薬の補充をテューヌ博士に頼んでいたようで、他にも必要な魔法薬があればスシ屋でその打ち合わせをしておきたいって話してた)、アインスはしぶしぶ着いてきたのだった。
流石テューヌ博士!説得が凄く上手。
スシなんて珍しいのに、アインスってば興味ないのかなぁ?
って僕がぼやいたら、アインスは一言。
「食ったことぐらいある」
・・・だって。
確かに、杭を抜くために世界中をあちこち旅してきたアインスだ。
ルエダだって初めて来たわけじゃないだろうし、スシだって食べたことがあるんだろう。
アインスは色んなことを知ってるんだ・・・僕と違って。
ちくり、そう思うとなんだか置いていかれたような気分になって僕は小さく顔を顰める。
メイスは今はまたアインスのローブの中。
やっぱりアインスのローブは一種の収納箱みたいになっていて、どれだけ物が入っているのか、中がどうなっているのかはユピトルにも分からないそう。
テーブルからソファーの上へと移動して一晩中ぐっすり眠っていたメイスは、今朝は飼い主とは真逆で上機嫌だった。
毛繕いをしているところを改めて挨拶して、「触ってもいいかな・・・?」と訊いた僕に、メイスはパタリと尻尾を振って答えてくれて。
僕がゆっくりと頭に手を伸ばして撫でると、メイスは自分から頭をすり寄せて気持ちよさそうに目を細めていた。
「あらメイス・・・セン君のこと、気に入ったみたいね」
なんて、その様子を目撃したテューヌ博士がちょっと驚いたように呟いていた。
暖かいメイスの頭はやっぱりすべすべで、でもふわりとしていて。頭を擦り寄せられた時の可愛さといったら堪らなかったなぁ。
「ああセン君もメイスに堕ちたね・・・」
なんて、ユピトルがしみじみと頷いていたのにも納得だった。
あの可愛さに堕ちないなんて・・・考えられない。
クロネコって生き物は凄い。
「着いたよセン君!」
そうして今朝のことを思い出している間に、目的の店に辿り着いていた。
そこはルエダのちょっと街外れの場所で、海に居るラロス達の鳴き声も遠い静かな場所だった。
見たことの無い背が高くて細い緑の植物がぐるりと店の周りを囲み、静かに風に揺れていて。そのあまりの丈の長さに、僕は一瞬息をするのも忘れて見上げる。
なんだかここだけ別世界だ。
店自体も、僕が今まで見たことの無い外観をしていた。
壁は木の板を縦に並べたものだと解ったけど、屋根に敷かれているのは・・・レンガ?見慣れない形の黒くて薄い板がきっちりと等間隔で重ねられている。
なんだかそういう芸術品のよう。
整然と並ぶ黒い板の綺麗さに思わず口を開けて見惚れていると、ユピトルがそんな僕に可笑しそうに笑って、入り口にかけられている布を掻き分けその先のドアをガラガラと音を立てて横に引いていた。
って、横に開くドアなんて・・・初めて見た。
ちりんちりん、ふと鳴った澄んだ音に目を向ければ、入り口の上のほうにさり気なく下げられた透明な丸いガラスが風に揺れて、その先に吊るされた縦長の紙をそよがせている。
紙が風に揺れるたびに、またちりんちりん、と澄んだ音が丸いガラスから小さく響く。
凄く綺麗な音・・・。
何もかもが見たことの無いものばかりだ。
「ふふ、珍しい外装の建物よね?
中も珍しいわよ、行きましょう」
「あ、はいっ」
ちりんちりんと鳴る丸いガラスとその澄んだ音の綺麗さに目が離せずにいた僕は、慌ててテューヌ博士の後を追って布を避けながら店の中へと入っていった。
「・・・・・・」
その後ろで、アインスが風に揺れる丸いガラスを・・・眉間に皺を寄せて見上げていたことにも気づかずに。
布を潜るようにして入った店内もまた、僕が見たことの無いものばかりだった。
「いらっしゃい!」
店内に足を踏み入れるなり威勢のいい声が飛んできて目を向ければ、横長のテーブルの向こうの調理場からこちらに笑顔を向けている男性。
声をかけてくれたその男性は、やっぱり見たことの無い白い服を着て・・・頭にも白い布を細くよじったようなものをぐるりと巻いている。
そのよじった布を凝視していると、ぐっと背中を押された。
「早く入れ、セン」
「あ!ごめんっ」
後ろからアインスに有無を言わさぬ勢いで押されて我に返る。
慌てて目を上げた先では、テーブルの前にずらりと四角い木製の椅子が並んでいて。ユピトルがその一つに座りながら僕を手招きしていた。
その隣ではテューヌ博士も僕達を待っていてくれた。
慌てて二人の元へ行き、周囲の見慣れない光景に戸惑いながらも促されるまま席に着く。
横長のテーブルの向こうには、木でできた箱に氷が敷き詰められ、その上に・・・色とりどりの魚の切り身が綺麗に並べられていた。
つやつやしていて透き通っているものもあって、とても綺麗だ。
食い入るように見つめていると、隣に座るユピトルが、魚達の向こうに立っている店主に親しげに声をかける。
「久しぶりタイショウ!
元気そうで安心したよ」
「ああ、ユピトルも相変わらず元気で安心したぜ。
テューヌさんも久しぶりだなぁ。
前にユピトルと来てくれて以来だな」
「お久しぶりですタイショウさん」
ユピトルはこの町に暮らしているから、町の人と顔見知りなのは納得。でもテューヌ博士まで店主に親しげに微笑みかけているのにはびっくりした。
テューヌ博士も前にこの店に来たことあるんだ!
前に話に聞いたように、ユピトル達は互いに交流し合ってるらしい。
店主はテーブルに座った僕達をぐるりと見渡して、目じりに皺のある人のよさそうな顔でにかっと豪快に笑う。
「今日は見慣れない客が多いが、ユピトルの友達か?」
「そう!特に彼は生の魚を食べたこと無いって言うから、ぜひタイショウのスシを食べさせてあげたくて」
こちらを向いてユピトルが笑みを浮かべる。
店主と屈託なく話すユピトルは、いつもより楽しそう。
ユピトルが“タイショウ”と呼ぶこの店主とは、やっぱり顔なじみなんだろう。
そんなユピトルを見る店主の目も暖かい。
「で、この子はセン君。
隣の彼はアインス」
「セン・・・?」
ユピトルが僕と隣のアインスをタイショウに紹介するなり、タイショウがちょっと驚いたように目を丸くして僕を見た。
「おめぇの名前、センって言うのか!
珍しい名前だな。
俺の先祖の“ワメイ”みてぇだ」
先祖!?
と、思いがけないタイショウの言葉に僕は想わず目を輝かせる。
それと同時にタイショウはへぇ、と顎に手を当てて、なにやら感慨深そうに記憶を辿っていた。
「俺の先祖はヤマトノクニ出身だったそうだ。
もうずっとずっと前・・・何せ今から1000年も前の話だけどな。
っと・・・ヤマトノクニっていうのは今は無い昔の国なんだが・・・知ってるか?」
「もちろん!」
問われて僕は間髪入れずに答えていた。
実際、古の国のヤマトノクニの存在は結構有名だ。
もちろんその君主スバルの話も。
それにヤマトノクニは、古の歴史が記されている歴史書の中で今僕が一番はまっている国だ。
そんなヤマトノクニの話が聴けるなんて思い掛けなくて、かなり嬉しい。
だからまさかのタイショウの言葉に僕は一気に目を輝かせていた。
「・・・・・・」
心なしか前のめりになりつつある僕を、隣でアインスが呆れたように見るのがなんとなく分かったけど無視だ。無視!
そんな僕の興味津々な心境を察してくれたのか、タイショウはコホンと一つ咳払いをすると、どこか得意げに説明を始めてくれる。
「実はこのスシっていうのは、ヤマトノクニ発祥の料理でな。
当時、杭が打たれて死の国となったヤマトノクニから先祖が逃げ出して、命からがらこの港町に辿り着いたってわけだ。
そしてスシとサシミの店を始めて、今に続いている。
なかなか歴史のある店ってわけさ」
言いながら、ちらりと悪戯な様子で僕を見て口元に笑みを浮かべる。
「因みにユピトル達が俺を“タイショウ”って呼ぶのは当時のスシ屋の文化の名残でな、俺の名前ってわけじゃねぇ」
言われてみれば“タイショウ”という言葉の響きも“ワメイ”だ。
ふんふんと目を輝かせて話に聞き入る僕に気付いて、タイショウはどこか得意げに微笑んだ。
「先祖はヤマトノクニで王家御用達のスシ職人でな。
あの君主スバル様にもスシを握ったそうだ」
どこか誇らしげに胸を張るタイショウ。
王室御用達のスシ職人だったなんて、なんだか凄そう。
きっとかなりの腕前だったに違いない。
「君主スバル・・・」
隣でユピトルがぽつりと呟く。
ああユピトルは、君主スバルの話は知らないのかな?
僕はユピトルに君主スバルについて説明するために、歴史書の中に記されていた印象的な一文を思い出す。
「ええと確か・・・“この世で最も愚かな君主”?」
「・・・歴史においてはそう言われているな。
実際、先祖もスバル様のことは殆ど語らなかったそうだ。
どうも古文書に残されている通り、あまりご立派な方じゃなかったらしい。
后も取らずに居たらしいな」
「タイショウ」
不意に隣のアインスの声が飛んできた。
ハッとして目を向ければ、アインスが頬杖を着いてタイショウを見ている。
「腹が減った」
ああもうこのふてぶてしい態度!
と、想わず心の中で叫んでしまいたくなるくらい素っ気無く言い放ったアインスに、ユピトルもテューヌ博士も苦笑い。
本当に、この男はいつでも何処でも我が物顔だ。
けどタイショウは特に気を悪くした様子も無く、変わらず豪快な笑顔を見せた。
「悪かったな兄ちゃん。
つい話が長くなっちまった。
よし!じゃあ今すぐ握ってやるからな」
そうしてタイショウが握ってくれたスシは、とにかくもう美味しかった。
初めて食べる食感と脂の乗った生の魚の身。
口の中で溶けるその味に、僕は想わず感嘆の声を洩らした。
生の魚って、美味しいんだ・・・。
魚の身と共に握られた白い米はスシメシというそうで、生の魚に凄く合う。
他のスシを食べた事がないから解らないけど、タイショウが握ってくれているからか、一層美味しく感じられた。
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