第24話 垣間見えた絆
「・・・そう、セン君は精霊が見えるのね」
ふ、と息を吐き、テューヌ博士は驚きを落ち着かせるように胸元に手を置いた。
そしてそっと僕を見ると、ふわりと優しく微笑んだ。
「・・・精霊が見える人は、協会長と師匠以外では初めてだわ」
先ほどの僕と水精霊とのやりとり(皆には、僕が独りで海に向かって話し掛けているようにしか見えない)を見て、テューヌ博士は僕が
本当に精霊が見えるのだと信じてくれたらしい。
確かに、デュウが海から出てきてくれた時に水しぶきがあがったりしてたしね。
「うんうん、ぼくも驚いたよ!」
これまで黙って成り行きを見守っていたユピトルが、ほっとしたように口を挟む。
そのままテューヌの方を見て顔を覗き込んだ。
「ねぇテューヌ、今日は君もルエダに泊まってくんだよね?」
「ええ。
研究ばかりしていてはだめだと、師匠に叱られてしまったわ」
ふふ、と苦笑するテューヌ博士にユピトルも困ったように微笑む。
どうやらテューヌ博士は研究ばかりの日々を送っているらしい。
さすが魔法薬の権威!
と、感動したところで僕は先ほどテューヌ博士が口にした“師匠”という言葉に気づいた。
・・・テューヌ博士に、師匠がいるの?
あのテューヌ博士の師匠。
僕はその存在を知らなかった・・・どの文献にも、師匠のことなんて載っていない。でもテューヌ博士が師匠と呼ぶくらいの人だ、きっと凄い人に違いない!
しかも・・・さっき、“精霊が見える人”って言ってた。
思いがけない存在に、僕は戸惑いながらも好奇心を隠せない。
そこではたと思い出した。
そうだ・・・テューヌ博士も、ユピトルと同じように“杭の下に居た”んだ。
ということはつまり、目の前に立つテューヌ博士も・・・何年も前の人ということになる。
でも見た感じは全然そんな感じはしない。
淡い栗色の髪を風に揺らす、綺麗な女の人。
「今夜は久しぶりに皆で美味しいご飯でも食べよう。
あ!明日の朝はスシ屋に行こうと思うんだ。
セン君は生の魚を食べたことないんだって」
「あら、じゃあぜひ食べてみるといいわセン君。
美味しいわよ」
「!!
うん、楽しみ」
目の前のテューヌ博士と杭の事をのことを考えていた僕は、話を降られて現実に引き戻される。
それと同時に・・・全身ずぶ濡れだったことも、思い出した。
「へっくしゅん!!」
思わず盛大なくしゃみを漏らした僕に、テューヌ博士とユピトルは苦笑した。
「さぁ、そのまま潮風に当たっていては風邪をひいてしまうわ」
言うなりテューヌ博士は手にしていた細い杖・・・先端に、薄緑の魔石が付けられている杖を、そっと僕に向ける。
そしてその綺麗な声で、静かに呪文を唱えだした。
ああ、これは風の魔法。
ふわりふわりと僕の周りを風が舞い始め、次第に風は速さを増して僕の服に付いた水を吹き飛ばしていく。
瞬く間に乾いていく服に髪に肌・・・うっすらと目を明ければ、ちらりと視界に仲良しの風精霊シェリルの姿が映った。
シェリル・・・君が来てくれたんだ。
シェリルは呪文で呼び出されたことに不満そうだったけど、僕と目が合うと悪戯な様子でウインクしてくれた。
僕は思わず小さく苦笑する。
「ごめんね」と口の形だけで告げれば、シェリルは小さく肩をすくめてそのままきらりと姿を消した。
・・・うん、これは“お詫び”に後で風の魔石をプレゼントしよう。
「セン君?」
「!
な、なんでもないです・・・!」
すっかり全身が乾き、風が止むとテューヌ博士に綺麗な瞳で覗き込まれて、僕は思わずどぎまぎして答えた。
それから案内人のユピトルに連れられて、四人で夕食を食べに町の食堂へと入った。
テューヌ博士は、店に着いて食事を始めるとすぐ、その浅黄色の瞳で真っ直ぐに僕を見て口を開く。
「セン君は聞いているの?
杭の話のことは」
「ああ、杭の“秘密”ならもうぼくがセン君にしてるから大丈夫」
どこか心配そうな色がテューヌ博士の瞳にはあったけど、直ぐに隣のユピトルが言った言葉に、彼女はほっと安堵したように小さく息を吐いた。
「そう」
やっぱりテューヌ博士も・・・杭の下に居たんだ。
真っ先に僕に杭のことを聞いてきたその様子から・・・テューヌ博士にとって、そして恐らくアインスとユピトルにとっても、杭の存在はとても重要なものなのだと再確認する。
ううん、重要というより・・・どこか苦いものなのかもしれない。
ユピトルのあっけらかんとした様子からも、アインスの一律変わらず無言な様子からも、いまいちピンとはこないけど。
自分達が“杭の下”に居たなんて・・・しかも何百年も居たなんて、かなり深刻な話だ。
でもユピトルは全然深刻そうな感じじゃないし(そもそもユピトルの辞書に“深刻”なんて言葉があるのかな?無い気がする)、アインスに至っては僕にさっぱり杭の“秘密”を話してくれなかった(なんで!)。
だから僕は、こんな深刻な事情を抱えているにも関わらず一見平然としているアインスやユピトルに、戸惑いを隠せない。
「じゃあ話は早いわね。
私は今から200年前に杭を打たれたの。
・・・教会のシスターをしていたわ」
食堂の喧騒の中で、テューヌは僕達にしか聞こえない声で話してくれる。
「私もユピトルと同じように、突然杭を打たれた。
ある朝いつものように教会で祈りを捧げていたら、突然天から真っ黒な杭が私に向かって落ちてきたの。
それからはずっと杭の下に居続けて・・・アインスに、杭を抜いてもらって救われたのよ」
ちらりと僕が向かいのアインスを見ると、彼はいつものようにただ黙々とジョッキを傾けている。
“リバイバー”。
誰にも抜けない呪いの杭を抜き、その地を再生させる者として、アインスが挙げてきた偉大すぎる功績。
その裏には・・・こんな秘密があったんだ。
どくりと、心臓が鳴る。
それは好奇心なのか・・・僅かな恐怖なのか。
誰も知らない“秘密”。
そこに潜むものは・・・目の前のユピトルやテューヌ博士が抱えているものは、きっと僕には計り知れないほど大きく苦いものなのだろう。
ごくりと唾を飲み込んで、僕はそっと目の前のジョッキに手を伸ばす。
テューヌ博士は、ただ静かに微笑んでいた。
その姿に、僕はふと思い出す。
僕に杭の話をしてくれた時のユピトルと同じように、テューヌ博士も・・・自分が理不尽に杭を打たれたことに対して、何も言わないこと。
ただ総てを受け入れているかのように、微笑んでいること。
「アインスには感謝しているわ」
そっと告げられたその言葉に、僕は目を丸くした。
テューヌ博士がとても穏やかにそう呟いて・・・そしてちらりとアインスを見ると、こちらの話を聞いているのか居ないの分からないその様子に、ただくすりと微笑む。
テューヌ博士も、ユピトルと同じような言葉を口にした。
“アインスに感謝している”と。
「・・・・・・」
僕はテーブルのジョッキに手を掛けたまま、じっとテューヌ博士とユピトルを見つめる。
アインスと、テューヌとユピトル。
そしておそらくもう一人の“キュリウス”という人も。
彼等はどこか・・・深い絆で結ばれているような気がした。
こうしてアインスに優しく微笑みかけている、テューヌ博士とユピトルを見ていると。
だから、なんだかちょっと・・・寂しくなった。
「って、アインス!!」
ドンッ
不意に沸き起こった寂しさを誤魔化すかのように。
咄嗟に僕は手にしていた木製のジョッキを同じく木製のテーブルに勢いよく置きながら、その勢いで立ち上がり、ジョッキを傾けているアインスに大声で抗議していた。
とはいえ夕食時で人が多くがやがやしているこの食堂の中では、僕の声も大して目立たない。
けれども隣に座るユピトルは、突然何かを思い出したかのように立ち上がった僕に慌てて、間に割って入ろうと手を伸ばしてきた。
「セン君落ち着いて・・・!」
「落ち着いていられないよ!
さっきは色々あって言いそびれちゃったけど、急に背中を押して海に突き落とすなんて酷い!」
それに危ない!
エプルという赤い果実を絞った甘い金色の飲み物。それが満たされたジョッキをぐっと握り締める。
最初は寂しさを誤魔化すためにアインスに食って掛かってみたけど、思い出したらだんだん腹が立ってきた。
そう、さっきはうやむやになってしまったけど・・・不意打ちで海に突き飛ばされて、黙っていられるはずがない!
だってすごくびっくりした。
息止まるかと思った。
恨みがましい目でじとっと睨んでいる僕を尻目に、アインスは無言のままテーブルの上に並ぶ料理に手を伸ばしている。
「謝っただろうが」
ほかほかと湯気を立てている美味しそうな煮魚をフォークで刺しながら、アインスがようやく口を開いた。
が、こちらを見もせずに短く言い放つ。
完全に適当な返しだ。
僕のジョッキを掴む手に益々力がこもる。
“謝った”って・・・あんな真顔で口から出任せみたいに言った言葉が!?
「・・・あんなの謝罪のうちに入らない」
「お前の実力を確かめるためだ、文句言うな」
「む・・・っ」
ああ言えばこう言う。しかも悔しいことに、至極全うなことを言うのだこの男は。
屁理屈大魔王と化したアインスに、僕は悔しさに言葉を詰まらせる。
前から薄々思ってたけど・・・口でアインスには絶対に適わない気がする。
と、僕が忌々しさに憤りながら唇を噛んでいると。
不意に、アインスの隣に座るテューヌ博士が可笑しそうに小さく噴出した。
「相変わらずね、アインスは」
くすくすと楽しそうに笑って、テューヌ博士は傍らのアインスを見やる。
そしてその淡い水色の瞳を優しげに細めた。
さっきとはどこか違う眼差し。
そうまるで・・・愛おしいものを、見るように。
「・・・!」
「セン君これ食べてみたら?」
「えっ!?」
思わず手を止めてその目を見つめてしまっていた僕は、ユピトルの言葉に慌てて我に返った。
だけど僕の意識はさっきの光景に向けられていて。
アインスを見つめるテューヌ博士の眼差しが、頭から離れない。
あれって・・・?
「これはね、プルプって海の生き物を茹でてあるんだけど、弾力があって美味しいんだよ」
「っ、プルプ?」
ぼうっとしてしまった僕は、説明を始めたユピトルの言葉に意識を急いで引き戻す。
プルプ・・・聴いたことのない生き物の名前。
ルエダはさすが港町なだけあって、美味しい料理はみんな新鮮な海の生き物を使った料理だ。
さっきから食べてる魚料理もどれもとっても美味しい。
だからこれもきっと美味しいんだろう・・・と、ユピトルに差し出されたお皿に乗る、赤と白の不思議な切り身を見つめる。
茹でてあるそれはなんだかぷるぷるして・・・不思議な丸い模様みたいなものが付いていた。
なんだろうこれ・・・立体的だし、変な模様。
思わずフォークの先でつついてみる。
と、ユピトルが何かを目ざとく見つけてパッと席を立った。
「あ!ちょうど実物が居るよ!
見てみる?」
「え?」
言われて僕もまた顔を上げる。実物、気になる。
早速軽い足取りで厨房へと歩いていくユピトルに、僕も慌てて後を追った。
すると厨房のカウンター越しに、ちょうど赤い何かが樽から引き上げられているのが見えた。
「・・・!!」
そのうねうねとした足が八本もある赤く巨大な生き物を見て。
僕は思わず、固まったのだった。
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