第23話 癒しの薬草師



「ちょ、セン君!?」



耳に響くユピトルの絶叫と、


ザパアン!!


自身が水に落ちる盛大な音。

息が止まる。

直後、全身を襲う冷たさと視界の青さに海の中に落ちたのだと実感する。


「ぶはっ!」


咄嗟に水面の明かりに向かって手を伸ばし、なんとか水の中から顔を出す。

一瞬見えた視界の先でこちらを見下ろしている漆黒の姿、アインスとその横でなにやらわーわー叫んでいるユピトル。

でも正直それどころじゃない。


「ぶっ」


追い討ちをかけるかのような波に頭上から再び水をかぶり沈む。

海の底は深くて全然足が付かない。どこまでも沈む。

ごぼ、と口から盛大に空気が漏れた。

まずい。


息ができない。


「・・・っ」


僕は咄嗟に胸元のアミュレットを掴んだ。

そしてぐっと息を止めると、うまく開かない目も閉じる。

息を吸い込む代わりに、再びぐっとアミュレットを握り締めた。


・・・水の精霊、助けて!!


数日前知り合った、町で火を消しアインスの火傷を治してくれた水精霊を思い浮かべた。

信じていた。


あの子はきっと・・・来てくれる。



ザパアン!!



直後、僕の身体は物凄い勢いで水中から押し上げられていた。

そしてそのまま気がづくと硬い地面の上にいた・・・さっきまでユピトルと立っていた場所に。

げほごと、起き上がり息を吸おうとした途端に盛大にむせる。

喉の奥も目も鼻も物凄く痛かった・・・それが海の塩によるものだとは、後でユピトルから聴いて知った。


「・・・手を出すまでもなかっただろ、テューヌ」


「・・・・・・そうね」


不意に頭上から降ってきた声に、僕はむせながらハッと目を見開く。

一人はアインスで、もう一人は・・・女性?

そのまま振り仰ぐけど、陽の光が眩しくてうまく目が開かない。

けれども薄い視界に確かに二人の人影が、こちらを見下ろしていた。


「げほっ、・・・ア、インス・・・?」

「今のは水精霊に頼んだのか。

 やはりお前の魔法は信頼できるな」


どこか満足げに降ってくる、アインスのしれっとした声。

その声が耳に届くなり、僕は未だくらくらする視界のままむっとして立ち上がった。

水でぐしょ濡れで体が重い。

思わずよろめくが、それに負けずにぐっと手を伸ばしアインスの肩口のローブを掴む。

その後ろでユピトルがぎょっとした顔をした。


「・・・アインス!

 いきなり押すなんて酷いよ!!」


怒りに任せて思いっきり引っ張って、ぎっとアインスを睨む。

目があった彼は変わらず真顔で。


「悪かった」

「う・・・!」


予想外にあっさり謝られて、僕は言葉を詰まらせる。


だって・・・まさかあのアインスがこんなあっさり謝るなんて!!


けれども言葉とは裏腹に、アインスは無表情だ。

全然申し訳なさそうじゃない。


絶句する僕に、アインスは掴まれていた肩口をパッと払う。

途端に僕は我に返ってまた口を開きかけるが、アインスが向いた方向を見てそのまま言葉を失った。


そこには・・・綺麗な女の人が、立っていたから。


「テューヌ。

 こいつが話していた護衛のセンだ」

「・・・・・・」


アインスの隣に立っていたのは・・・白い特殊な服を着た、女性。

その服は白衣と呼ばれる服で、薬草研究所の制服なのだとは後で知った。

真っ白な服に、ゆるくウェーブがかかった栗色の髪。

先ほど僕が落ち・・・アインスに落とされた海のように澄んだ薄い水色の瞳は、どこまでも優しく美しかった。


思わず呆けた顔で見惚れていると、その優しい目でじっと僕を見つめていたテューヌ博士はふっと柔らかく微笑んだ。


「初めまして、セン君。

 アインスとユピトルから話は聞いているわ」


言いながら差し出された右手を、僕は慌てて握り返す。


「あ!え、と・・・わ!ごめんなさいっ」


とそこで自分の手が海の水でびしゃびしゃなのに気付いて咄嗟に手を離した。

慌てて手を拭おうとするも何処もかしこもびしょぬれ。

気付いたユピトルが急いで乾いた布を差し出してくれて、僕はお礼を言いながら受け取り手を拭う。

その間も脳裏に浮かぶのは、テューヌ博士のほっそりとした手・・・白く、陶器のように美しい手だった。


憧れの、テューヌ博士。


そう思うと同時にぼっと顔が熱くなる。

イメージしていた人とは・・・大分違った。

魔法薬の権威と呼ばれるテューヌ博士は、もっと淡々として理知的な人だと思っていた。


ちらり、ぎこちなくテューヌ博士の瞳を見上げる。


「えっと・・・セン、です」


憧れの人と出逢えたことに半ば頭が真っ白になりながら、僕は蚊の鳴くような声で名を告げて改めて手を差し出した。

するとこちらを見ていたテューヌ博士は、僕の手を握り返してくれて。目が合うなり優しく微笑んだ。

途端にふわりと、僕は暖かさに包まれる。


なんて優しそうな人だろうと、思った。


「・・・いつまで手を握っている気だ、セン」


呆れたような声が降ってきて、僕はハッと我に返る。

慌てて手を離すと、テューヌ博士は気にしてない様子でにこりと笑ってくれた。


手を離すの・・・名残惜しいな。


テューヌ博士から感じた優しさはとても暖かくて。

それが心地よくて、嬉しくて・・・包まれる安心感に、心から安らげる感覚になる。

しぶしぶ手を離した僕に気付いて、テューヌ博士はアインスに僅かに咎めるようにその優しい目を向ける。


「もう・・・そんなに脅かさないの、アインス」

「・・・・・・」


思わずしょんぼりと俯く僕に、テューヌ博士が困ったように微笑んだ。

アインスはどこか不機嫌そうに眉根を寄せてこちらを見下ろしていた。

が、すぐにその目を逸らす。

いつになく仏頂面なその顔を、そっと顔を上げた僕は驚きながら見つめた。


「ねぇセン君」

「・・・!

 はい!」


テューヌ博士に話しかけられて、僕は思わず背筋を正す。

なんだろう、テューヌ博士は憧れの魔法薬の権威だからか、なんだかきちんとしないといけない感じがした。

・・・アインスも憧れの人なんだけど、テューヌ博士とは何かが違う。

と、ぼやいている僕の脳内を察知したのか、テューヌ博士の隣でアインスの眉間の皺がますます深くなった気がして、僕は慌てて思考を振り払った。


「・・・水中では呪文は使えないはずよ、それなのになぜ魔法を発動できたの?」

「センは呪文は使わない」


僕が答えるより早く。

アインスが、テューヌ博士の問いかけに答えていた。


「センには精霊が見える。

 だから呪文を使わずに精霊を呼び出し、魔法を使える」

「・・・!!」


テューヌ博士の目が驚きと同時に確信を深めたかのように、一瞬丸くなる。

同時にアインスがどこか楽しげに笑んだ。


「センには海の中だろうが口を塞がれていようが関係ない。

 こいつはいつでも何処でも魔法が使える。しかも魔力も高い。

 護衛にはうってつけだろう」

「・・・・・・」


テューヌ博士が僕を見る。

真意を確かめたいと告げるその視線に押されて、僕は戸惑いながらも小さく頷いた。


「うん・・・呪文は、要らない

 ・・・って、あ!!」


言うなり僕はバッと海を振り返った。

後ろでテューヌ博士達が驚いたように息を呑む。

けど僕はそれどころじゃなかった。急いで海に近づき地面に膝をつくと、じっと海中に目を凝らす。


さっきの水精霊・・・居た!!

その姿を見つけてほっと安堵する。


まだ、お礼を言っていない。


「助けてくれてありがとう!

 本当に・・・」


波の合間で寂しげにこちらを見つめていた水精霊に、必死で声をかける。

やっぱり!アインスの火傷を治してくれた時に来てくれた子だ。

そのことに気づくと一層募る、焦り。


ぐっと、僕は海に身を乗り出す。



「ごめんね!

 助けてくれたのに、お礼!遅くなってしまって・・・!」



出来うる限り海に身を乗り出しながら懸命に伝える僕の様子を、じっと見ている水精霊。


ああ、きっと優しい子なのに・・・傷つけてしまったかもしれない。


沸き起こる不安と共にぐっと言葉を呑み込む。

もっと近くで話すために、いっそ海に飛び込もうか。

そう、僕が決意したその時。


・・・ぱちゃん!


海の中に居た水精霊が、不意に水中から飛び出してきて。

そのまま僕の目の前に現れ、にこりと嬉しそうに微笑んでくれた。


「・・・!」


その姿にほっとして、嬉しくて。

僕は水精霊を見つめたまま小さく息を吐く。


良かった・・・悲しませないで。


きっと優しくて繊細だろうこの水精霊が嬉しそうに微笑んでくれている様子に、僕も嬉しくなって微笑む。

思わず手を伸ばしかけるが、大人しそうな様子の水精霊に、驚かせてしまうかもと慌ててその手を引っ込めた。


そうだ!


「あの・・・君に名前、付けてもいいかな?」


驚かせないようにそっと僕が聴くと、水精霊は一瞬目を丸くして。

でもすぐにぽっと頬を染めるなりこくりと頷いてくれた。

さっきよりもっと、嬉しそうな笑顔で。


うーん、やっぱりいい子!!


「ありがとう!

 えーっとじゃあ・・・・・・デュウ、はどう?」


嬉しさに身を乗り出さんばかりに告げれば、水精霊はちょっと気恥ずかしそうにしていたけど、またこくりと頷いてくれた。


かわいい・・・!!


愛らしいその姿に思わず抱きしめたくなる。

っていっても多分それは無理だしびっくりさせちゃうだろうから、衝動だけに留めておくけど。


かくして水精霊デュウとの仲を無事に深めた僕は、そのまま海の中へと帰っていくデュウを満面の笑みで見送った。


うん、大満足。

相変わらず全身ずぶぬれだけどもういいや。


って・・・あれ?なんで僕全身ずぶぬれ・・・


「・・・あ!!」


そして僕は今の自分の現状をようやく思い出した。咄嗟にバッと振り返って。

さっきから一部始終をずっと見ていたテューヌ博士達と、目が合ったのだった。

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