第21話 知る由もないこと


夜、宿屋の客がほぼ寝静まったころ。

1階の食堂の片隅に、ひっそりと明かりが灯っていた。微かに漂うカフィの、心を落ち着かせるような深い香り。

静まり返った空間、独り分厚い古書を読みながらカフィを飲んでいるアインスにゆっくりと近づく影があった。

それは明るい茶色の髪を僅かに光にきらめかせた、ユピトル。


「・・・セン君に、ぼくが杭の下に居たことを話したよ」


アインスの向かいに静かに座りながら、少し声を落としてユピトルが囁くように伝える。


「・・・・・・」


その言葉に、古書を読んでいたアインスの指が一瞬止まる。

しかし直ぐに何でもないかのようにそのままページを捲ると、彼は再びカフィの入ったカップに手を伸ばし口を付けた。

カフィの香ばしい香りが漂う。


アインスの前には、今日彼が道具屋で購入した黒い魔石の錆びたネックレスがあった。

それを調べていたのだろう、アインスが無言で読んでいる古書の中身は古い魔術書らしい。

向かいに座ったユピトルの側からは逆さに見える紙面には、なにやら難しい文字が書き連ねられている。逆さまであることを差し引いてもユピトルにはさっぱり読めない。

それは知識豊富なキュリウスでも読むのは容易くはなさそうな文字だった。

おそらく現代の文字では無いのだろう。


目が回りそうな文字達からそっと視線を外し、ユピトルはアインスの前に置かれたネックレスを見る。


「それ、調べてるの?」

「・・・太古の闇の魔法に使われた魔石だからな。

 あいつに調べさせようと思ったがうぜぇからやめた」


チッと、苦々しげに舌打ちするアインスにユピトルが苦笑する。


「ウーラは自由だからねぇ」

「会いたくねぇのに纏わりついてきやがって、使えねぇ野郎だ」


すげなくぼやきながら、面倒くさそうにアインスは魔術書を睨む。


研究熱心なところがあるアインスは、気になることがあるとなんだかんだ言いながらも自分で書物を引っ張り出してきてしてしまうのだ。

そうして大概は夜な夜なこうして魔法アイテムについて調べたり、杭を抜く旅に必要な情報を集めたりしているのをユピトルは知っている。

研究熱心というか・・・勉強熱心というか。

さっきまでぼやいていた口を閉ざし、また黙々と魔術書を読みふけり出したアインスを、ユピトルはどこか微笑ましげに眺める。



「・・・センに、何処まで話した」



不意に、魔術書から顔を上げずにアインスが再び口を開いた。

問われたユピトルは目を丸くする。

そして暫し思い返すように視線を外し、答えた。


「ぼくとキュリウスとテューヌとウーラが杭の下に居て、アインスから杭を抜いてもらった話までかな。

 あ!ぼくが300年前の人間だって話はしたよ」

「・・・そうか」


ユピトルの答えにアインスはただそれだけ返し、再び“研究”を再開する。

その姿を横目に、ユピトルは小さく笑った。


「セン君びっくりしてた。

 それはそうだよね、・・・こんな話、“当事者”のぼく達しか知らないし」


ため息混じりに苦笑して、ユピトルはゆっくりと椅子に背をもたせかける。

そっと天井を仰げば、火の魔法で灯された暖かな明かりが視界を照らす。


“杭”の実態は、自分達以外には“知られていない”。


何故ならアインスが誰にも話していないからだ。


杭を抜いたことは魔法師協会に報告はしているが、その下に居たユピトル達のことは、彼は誰にも話していない。

「面倒くせぇ」と言って。

そんな、話したくないことはてこでも話さないアインスの性格を知っているのか・・・はたまた機嫌を損ねて杭を抜くのを止められたら困ると思っているのか、魔法師協会はアインスには随分と甘く、アインスが自分から話す以上の追求は無い。

そのおかげでユピトル達も、周囲から好奇の目を向けられたり後ろ指を刺されることなく“現代の人間”として馴染み、こうして平穏に暮らすことができている。


それも実はアインスがわざとやってくれている彼の思惑なのではとユピトルは密かに想っているが・・・それを本人に言うと絶対に否定されるだろうから、ユピトルは黙っていた。


なのでこの“杭の真実”を当事者以外で初めて知ったのがセンだったのだが・・・その反応がユピトルにとって思いがけないくらい“普通”だったから、彼はさっきからなんだか可笑しいような、嬉しいような、複雑な心境なのだった。

天井を見上げたまま、どこか不思議そうに口を開く。


「なんでかなぁ・・・セン君って、そのまま受け入れるんだね。

 ぼくの話を否定もせず、疑いもせず・・・驚きはしたけど、でもそれだけ。

 なんだかこっちがびっくりしちゃったよ」


だって300年前だよ?

と、ユピトルは可笑しそうに微笑む。


こんなとても信じがたい話。

在り得ないと笑われるとか、いっそ嘘つきだと引かれてしまうか・・・内心覚悟していたユピトルは、拍子抜けしていた。


センがあっさり“受け入れた”ことに。


活字に視線を走らせながら、アインスが静かに口を開く。


「・・・あいつは無知だ。

 まだ何も知らない」

「それはそうだよ。

 だって、まだ世界に出たばかりだ」


でもきっと、こうしてあっさり“受け入れた”のは・・・センが無知だからという理由だけではないのだろう。

ユピトルはそう感じていたし、アインスの返答からも、センに対して呆れるような様子はあれどどこか彼のことを理解しているような様子も伺えて。

なおさら嬉しさを感じ、ユピトルが目を細める。

なんだかんだ、アインスもセンを見守る気では居るのだろう。

自分と同じように。


そしてゆっくりと身を起こすと、変わらず本に目を落としているアインスをじっと見やる。


「・・・ねぇアインス、どうして“セン君”を護衛にしたの?」

「・・・・・・」


ユピトルの静かな問いかけに、アインスはゆっくりと目を上げ、ようやくユピトルと視線を合わせる。


「・・・!」


何処までも真っ直ぐな、青い瞳。

その眼差しにユピトルは僅かに緊張する。


アインスの目に嘘は無い。

その言葉にも決して嘘は無い。


それはつまり・・・其処には常に“真実”しかない。


時にはそれが容赦も無い厳しさを叩きつける事を、ユピトルは知っていた。


「・・・あいつが俺を追ってくることは解っていた。

 魔法師学校で一度きりしか会っていねぇが・・・あいつは真っ直ぐに、俺を見ていた」


僅かに目を細め、アインスは呟く。



「・・・セン」



なんでもない、少年。

ただ、その名だけが引っかかる。


“和名”


「何か・・・意味があるのか」


ユピトルから目を逸らし。

ぽつりぽつりと紡がれる言葉を、ユピトルはただじっと聴いている。


アインス自身も解らず・・・迷っている。

いや、戸惑っている。


必要最低限の言葉しか発しないアインスの口から漏れる、彼にしては珍しい覚束ない様子。

あるがままに伝えられるその言葉に、知る。


アインスも未だ、手探りであるということ。


「それに・・・」


言いかけて、アインスが僅かに顔を顰めた。

酷く嫌なものを見るような、苦しいことを思い出すような、苦々しげな表情。

その様子に驚いて、ユピトルは思わず目を見張る。


「それに?何?」

「いや・・・何でもねぇ」


それきりアインスは口を噤み、再び書物に視線を落とす。ただ黙々と、ネックレスを調べることに集中する。

二人の間には瞬く間に沈黙が訪れた。


「・・・・・・」


これ以上はきっと何も話してはくれないだろう。

一度口を閉ざすといくら訊いても答えてはくれないアインスに、ユピトルは少し寂しさを覚える。


『・・・僕が聞くしかないか』


だからこそ、センがただ呟いたその言葉を思い出す。

驚いた。

なんてシンプルな選択なのだろうと想った。

アインスの性格を知らないからこそ思いつく行動なのか・・・知っていても尚、挑む気なのか。

おそらく後者だろうと想って、ユピトルは思わず頬を緩める。


アインスはセンのことを無知だと言い、確かに事実そうだと想うが、“無知の持つ力”も案外侮れないものなのかもしれないとユピトルは想っていた。


「じゃあ・・・おやすみ、アインス」

「・・・ああ」


それ以上は追及しないほうが良いことを悟り、ユピトルは邪魔をしないようにと、そっと席を立ち二階の部屋へと戻っていった。


ユピトルが居なくなって暫く。

独りそのまま魔道書を読んでいたアインスが、ふと小さく息を吐く。

ゆっくりと椅子に背をもたせかけ、机上に置かれたランプの揺れる炎を眺めていた。


青い瞳が思案するように炎を見つめながら細められる。


自分を追ってくると直感的に解った、不可解な少年。

まっさらで、無知で・・・それゆえに読めない、少年。

けれども後を追うことを許した。

護衛にまでしてこの旅路に付き合わせたことにも理由がある。


センの名前が・・・この世では今はもう珍しい、『和名』だったから。

そしてあの、“外見”も。


「・・・・・・」


彼が現れたことには何か意味があるのだろう、そう想った。

だけど。


アインスには・・・何も、心当たりが無かった。



「・・・セン。


 俺は・・・お前を知らない」



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