第19話 まっさらな者
店員が持って来たカフィがことりとテーブルに置かれて、芳しい香りが目の前に広がる。
けれども置かれたカフィには見向きもせず、ウーラの眼差しは再び闇色の魔石に注がれていた。
「それにしてもイイよねぇこの魔石・・・」
うっとりと手の中の魔石を眺めながら、まるで息を吸うように闇の気配をその身に纏う。
常人なら怯え震える筈の世界を、ウーラは恐れない。
銀色の瞳で手の中の魔石を見つめながら、ゆっくりと口を開く。
「メイスとは気が合いそう。
ねぇアインス、後でボクも彼女を撫でたいなぁ。
毛並みが艶々していて可愛いよね」
「・・・ユピトルと同じ事を言うな」
「え?もしかしてユッピーも来てるの?」
ぱっと、ウーラが魔石から目を離した。途端に銀色の瞳が楽しげにアインスを映す。
その様子にアインスは肩を竦めて釘を刺した。
「お前が居ると分かったら、ユピトルはお前から逃げるぞ」
「ねぇ、心外だよねぇ?」
「自業自得だろう」
「だあってユッピーってからかうと面白いんだもん。
ボクはあの子を気に入ってるよ」
「・・・・・・」
「好きな子ほど苛めたくなるって言うだろ?」
戯言のような言葉を軽い調子で繰り返して、ウーラは再び視線を手の中に戻すとのんびりと魔石を眺める。
「この時代には・・・居ないみたいだね。
少なくともこの魔石は、お姫様とは“接点が無い”」
「・・・そうか」
「がっかりした?」
「誰がするか」
カツン、とウーラがテーブルに魔石を置く。
その漆黒の闇を見据えたまま、アインスは低く唸った。
「諦めるわけにはいかねぇんだよ」
覚悟を込めた声色。
僅かに眉根を寄せ魔石を睨むその顔を、テーブルに頬杖を着きウーラは見つめる。
「・・・・・・」
この眼差しを、見たことがある。
いや・・・彼はいつもこの目をしていた。
揺るぎない覚悟で、決して諦めるということをしない目。
その目が好きだった。
いつも揺るぐことのないその目が、他にどんな“感情”を見せてくれるのか知りたかった。
だからこそあの日、自分は“罪”と知りながら手を貸して。
燃え盛る炎の中、彼の行く末をただ眺めていた。
結果、自分は確かにこの目以外の“感情”が自分に向けられるのを目の当たりにした。
その時の・・・過去に類を見ない高揚感を思い出して。
でもそれは一瞬で、もう二度とその“感情”が自分に向けられないことにウーラは寂しさを覚え微笑んだ。
「・・・君は変わったよね」
白い陶器のコーヒーカップに指先で触れて。
手付かずの少し冷めた中身を見つめたままぽつりと呟く。
その声は小さすぎて、アインスには届かなかった。
賑やかな喫茶店で。
アインスの向かいでカフィの白いカップに手をかけながら、ウーラはのんびりと口を開いた。
「貴方はまだしばらくこの街に居るのかい?」
「・・・数日だな。
この街には用は無い、テューヌに会いに行く」
カップに口をつけ、ウーラはちらりとその銀色の瞳でアインスを見た。興味深げに。
対してアインスは再び本を開いていた。
さっきまでウーラが“調べて”机に置いたネックレスは、今はもうアインスの懐の中だ。
今頃メイスが大喜びでじゃれているに違いない。
ちょっとつまらなそうに目を細めて。
本に視線を落としたまま黙り込んでしまうアインスに、ウーラがカップをテーブルに置きずいっと身を乗り出す。
「で、次は誰を“抜きに行く”の?」
「・・・・・・」
「ああ・・・“サヨ”かな?」
さりげなく告げた名前に、本にかけられたアインスの指がピクリと揺れる。
その様ににやりと笑みをみせて。
ウーラはゆっくりと椅子から立ち上がった。
ちょっとした悪戯心。
見事アインスが“動じた”様に満足して・・・彼はその場を立ち去った。
ひらりと小さく手を振って。
「今度はメイスを撫でさせてよ?
それじゃ、またね」
道具屋を出て、購入したばかりの収納箱を僕は早速腰に下げる。
丈夫な厚手の革製で、まるで小さな小箱のよう。
それにとても軽い!
早速その収納箱の蓋を開けて、ずっしりと重い金貨が入った袋を中にしまった。それでも重さが変わらない収納箱に感激する。
うん、まだまだ十分物も入る。
宿に戻ったらこれまで持ち歩いていた荷物を全部入れて・・・それでも余るスペースには、古書や薬草も沢山入りそう。
初めて手にした収納箱の性能のよさに驚きながら、箱の蓋をパタリと閉じた。
中に入れた物の重さも全く感じない・・・なんて便利なんだろう。
「アインスはどこかな」
「用がある」と先に道具屋を出て行ったきり、アインスは何処かに行ってしまった。
アインスのことだから独りでふらふらしても大丈夫だとは思うけど・・・護衛を任された以上、こうもしょっちゅう置いていかれると流石に途方に暮れてしまう。
とりあえず宿に戻ることにして、とぼとぼ落ち込む僕の横を歩きながらユピトルが困ったように笑った。
「気にしないでいいよ、セン君。
アインスは単独行動暦が長いから」
「・・・でも護衛なのに」
その前に・・・弟子だけど。
なんて、自分で思ってますます悲しくなる。
アインスから護衛の仕事を引き受けてからこのかた、実はさっぱり護衛らしいことをしていない。
その事実にまたも深いため息が漏れる。
隣ではユピトルも何故か不思議そうに小首をかしげていた。
「っていうかアインスってば、護衛だなんて・・・一体どういう風の吹き回しなんだろう」
「え?」
「だってアインスはずっと独りで動いてきたんだ。
今更護衛なんて必要ないはず・・・なんていうか、彼は大概、一人で何でも乗り切れる」
「じゃなきゃ今頃死んでるよ」と、ユピトルは僕を見下ろしもっともらしいことを言う。
確かに・・・アインスは“金目当ての馬鹿共”や“魔法師の馬鹿共”と称していた連中に、随分と執拗に追われているみたい。
通りを歩きながら、汽車の中で治したアインスの腕の火傷を思い出す。
あれは随分酷い火傷だった・・・追ってきた魔法師達に、かなり強力な火の魔法を使われたに違いない。
火耐性の防具を付けていたからあの程度で済んだということは、何も身に付けていなければ・・・死んでいた可能性もある。
・・・そんな危険と隣り合わせな状況の中でも、アインスは独りで旅を続けてきたんだ。
「まぁだからこそ、セン君に護衛を頼んだのはいいけど、アインス自身が一番ピンと来てないのかもね」
またも困ったようにユピトルは僕を見下ろして笑った。なるほど、と僕も納得する。
それに・・・その顔がまるで「許してあげて」と言っているようで。ユピトルの人の良さに僕は肩を竦めて小さく頷いた。
薄々解っていた。
アインスが、自分に護衛を頼んでいながらも・・・別に必要としていないこと。
・・・だったらどうして、アインスは僕に「護衛になれ」なんて言ったんだろう。
よくわからない。
アインスの考えていることが。
でもそれもそうだろう・・・アインス自身が、僕に自分の考えを明かしていないし明かす気もないのだから。
「・・・僕が聞くしかないか」
前を向いたままぽつりと呟く。
少なくとも、アインスはこちらの質問には何かしら返事を返してくれる。
全てに答えているわけではないかもしれないけど・・・それでも少しは情報が手に入る。
僕はきゅっと拳を握り締めた。
アインスが明かしてくれないなら、こちらから聞いていくしかない。
アインスが話してくれないなら、こちらから話しかけていくしかない。
アインスの弟子になると、護衛になると、決めたのは僕だ。
「セン君って・・・シンプルだねぇ」
シンプル?
アインスの弟子としての決意を新たにしていた僕の隣で、いつから見ていたのだろう、ユピトルが感心したようにこぼしていた。
驚いて振り仰げば、どこか優しい眼差し。
ほっとしたような嬉しそうな眼差しのユピトルと目が合う。
「・・・アインスの考えていることは、ぼくらには解らない。
彼は何も話してはくれないから。
・・・いや、彼の想いは、ぼくらには・・・計り知れないものなのかもしれない」
「・・・ぼくら?」
「え?」
ふと足を止め、ユピトルがまた小首をかしげる。
少し驚いたように目を丸くして。
「アインス・・・それも話してないの?
ぼくらのことも、“
「杭のこと・・・?」
頭の中に疑問符を次々と浮かべている僕の様子を見て察したのか、ユピトルが口を噤む。
そして少し躊躇うように一瞬視線をそらすと、もう一度僕に視線を戻した。
真剣な顔で。
「・・・!」
僕の顔にも知らず緊張が走る。
なんだろう、不意に空気が変わったのを感じた。
ユピトルが纏っているゆったりとした空気が・・・一瞬、深刻な色を帯びた気配。
「・・・ユピトル?」
「・・・・・・ごめんね、セン君。
ぼくは君にどこまで話せば良いか分からない」
戸惑いに揺れる僕の瞳を見つめたまま、ユピトルは囁くように告げる。
どこか・・・悲しそうに。
「ただ・・・これだけは伝えておかないといけない。
君はアインスの護衛で・・・弟子だから」
“アインスの弟子”
その言葉に思わず目を丸くする僕と裏腹に、困ったようにユピトルは苦笑する。
「アインスのことだから・・・きっと何も言わずに、君を連れて“次の杭”の場所に行ってしまうだろうし」
「・・・!」
ユピトルは僅かに目を落とし、微笑む。
戸惑う僕を安心させるかのように。
そんなユピトルの気配から・・・ふと思った。
聞いてはいけないことなのではないかと。
ユピトルが話すことを聴いたら・・・もう、戻れないのではないかと。
何かの渦に巻き込まれる、そんな気がした。
でも。
「・・・教えて、ユピトル。
僕はもう・・・」
伝わってくる緊迫した空気に、僕は深く息を吸う。
「僕はもう、決めたんだ。
ううん・・・もう、動き出しているんだ」
確信していた。
振り返れば、アインスと再会してから、明らかに何かが“変わっていった”こと。
アインスと再会する前の自分と、後の自分では、確かに何かが変わっていた。
振り返れば分かる・・・アインスと再会した一瞬、その前までの自分の日々が、はるか遠い昔のことのように感じた。
まるで目覚める前だったかのように。
協会長に拾われ物心ついた時からずっと過ごしていた魔法師学校での日々も、そこを出てアインスを探し旅していた日々も。
今では遥か昔のことのよう。
そしてそれは“必然”なんだと・・・僕は感じていた。
全てはきっと、アインスと再会してから始まった。
僕は望んで、自分の世界を動かした。
だからもう・・・戻るということは、在り得ない。
有り得ないんだ。
「僕はもう、戻る気は無いんだ。
前へ進みたい。
やっとアインスに追いついたんだ、僕にはその背中がいつだって・・・」
ふと、言葉を切る。
そうだ。
アインスの背中が、いつだって僕の“最前線”なんだ。
「・・・僕はいつも、僕の“一番先”を進んでいたい。
もっともっと先へ進みたい。
其処にいるのが、アインスなんだ」
ぎゅっと、僕は自分の胸元のペンダントを握り締める。
僕にとっての憧れ、道しるべ。
アインスは、これまでもずっとそうだった。
アインスに憧れて、彼の弟子になりたくて、追いつきたくて、魔法師学校での残りの日々を過ごした。
それまでは何も目的がなくて・・・仲の良い精霊達と、ただ日々を過ごしていたけど。
アインスが目の前に現れてから、僕には“目的”が出来た。
そして今、確信しているんだ。
アインスはこれからもずっと僕の道しるべであり・・・僕の“最前線”なのだと。
「だから教えて欲しい、ユピトル。
僕は・・・アインスに追いついていたいんだ」
もう、ただ指をくわえてその背を眺めているだけの子供じゃない。
自分で走り出し、掴み、追いつける。
握り締める手の中で、ペンダントの赤い輝石がじわりと熱を帯びる。
僕が新しい場所に立っていることに気づき、・・・わくわくしている想いに応えるように。
「・・・!」
決意に満ちた僕の眼差しを受けて、ユピトルは僅かに驚いたように目を見張ると、ふっと微笑んだ。
その手がそっと僕に伸び、優しく頭を撫でる。
ユピトルの指先でさらりと流れる僕の銀色の前髪が、陽の傾きかけた橙の光にきらめいた。
「・・・正直、なぜ君がアインスに・・・“ぼくら”に関わることになったのか、よく分からない」
その向こうで、ユピトルの鮮やかな緑の瞳はじっと僕を見つめていた。
また“ぼくら”と、ユピトルは言う。
その言葉がやけに耳に残る。
「君は・・・まっさらだ。
何もない。
でもきっと、君にも・・・“ぼくら”と関わる意味があるんだろうね」
そっと僕の頭を撫でる手を離して。
ユピトルは小さく頷いた。
「・・・ぼくはずっと、
囁くようなユピトルの言葉が。
僅かに日が傾きだした、静かな通りを・・・抜けていった。
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