第12話 夜明け前の希望

アインス自身は、あの様子だと自分が“リバイバー”再生者と呼ばれていることも、“英雄”と思われていることも気に留めていない。

視界に入っていない感じだ。

でもこの歴史書に書かれているように、本人がどう思っていようと実際に彼は“杭”を抜いた“英雄”なのだ。


本当に、彼は掴めない人だと思う。

何を考えているのかも読めないし・・・何より無口だし会話すらほとんどしてくれないから、何も明かしてはくれない。


・・・僕は未だ、彼に全然信用されていないんだろうな。


それは当然か、と。はぁと何度目かのため息が漏れる。

正直今日は色んなことがありすぎて、なんだか眠る気にもなれないや。

このままシェリルと一緒に薬草でも探しに行こうかな、とぱたりと歴史書を閉じて椅子から立ち上がった。




外の空気は僅かにひんやりとしていたけど、心地よかった。

夜といっても月明かりが充分に明るいからこれ以上の光は必要ない。散歩にはもってこいだ。

でも薬草を探したいからと、まだ起きていた宿の店主から小さなランタンを借りてきた。

火の灯っていないランタンをそのまま月明かりにかざし、お願いする。


「・・・僕の名前はセン。

 光の精霊、このランタンに明かりを灯してほしいんだ」


月明かりの中から光の精霊は僕の言葉を聴いてくれ、ちょんと指先で光を灯すように、やがて空のランタンの中にぼんやりと光が浮かび上がった。

その光は段々と大きくなり、ランタンに収まりちょうどいい具合に足元を照らし出す。


「ありがとう」


優しく光るその灯火に微笑みかけ、僕は歩き出した。

光の精霊はとても繊細だ。

だから人前には滅多に姿を現さない。


だけどこうして、力を貸してくれるとても優しい存在。


先ほどから遠くで鳴いているウルラの声、足元の草むらから微かに響く虫達の音色。

足元で土と石を踏みしめる音、僅かに木々の葉を揺らしそよぐ風の音・・・あぁ、シェリルが傍に居てくれる。

足元では大地の精霊も親しげに出迎えてくれているのが解る。

精霊達の優しく穏やかな様子がとても心地よくて、嬉しくて・・・思わず微笑みながら深く息を吸い込んだ。


孤独を感じたことは無かった。

いつもこうして、精霊達が傍にいてくれるから。


「・・・・・・」


ふと足を止めて遠くを見やれば、月明かりも届かない場所・・・夜の闇よりも更に濃く深く、暗雲が立ち込めている空が微かに見えた。

それが視界に入った途端、思わず顔が曇る。


決して晴れることの無い暗雲。

生き物が暮らせない呪われた土地。


その下には、杭がある。


・・・アインスは、あそこに向かっているんだ。



次の杭を抜くために。



僕は杭の在る場所へ行ったことなど無かった。

だから少し、身震いする。


あの場所はいったいどうなっているのだろう。


命の枯れた場所、呪われた場所。

噂には聴いていたけれど、実際はどんな場所なのか解らない。

誰も、解らない。


そこへ・・・いつもアインスは立ち向かっているんだ。

独りで。



「でも今度は・・・僕も、一緒に行く」



僕はアインスの弟子だから。


その言葉を胸のうちでつぶやき、繰り返す。

繰り返すごとに・・・ため息は消え、やがて僕の意識ははっきりとしてきた。


先のことはさっぱり解らなかった。



ただ・・・わくわくしてきたんだ。



何が起きるか解らない。

でも、その先の見えない不安すら、今の僕にとっては・・・アインスと共に歩める喜びには勝らない。

なぜだろう、漠然と思ってる。


アインスとなら、何が起きても乗り越えられるって。


それは僕自身の中にある、何も知らないが故の自信か。ただアインスを信頼しているが故の確信か。

そのどちらも入り混じった状態で、僕はただ遠い暗雲を見据えて立っていた。

ため息はすっかり掻き消えていた。

胸の奥に沸き起こるのは、これから始まる“冒険”への期待。


「・・・やっと、始まるんだ」


この時をずっと待っていた。

ずっと。


そんな気がするんだ。


また深く息を吸い込んで。

僕は嬉しさに満面の笑みを漏らすと、再び薬草を探しに歩き出す。微かに鼻歌を歌いながら。

夜の地面を照らすカンテラの明かりが、まるで希望の灯火のように僕には見えた。





それからこの町には数日滞在していた。

いつ旅立つのかはアインス次第だし、僕もそれでいいと思っているから特に訊いたりはしない。

僕はアインスの弟子なのだ。だからアインスが動きたい時に動けばいいし、僕はそれについて行くまで。


それに・・・「いつ出発するの?」なんて、たとえ訊いても教えてくれなさそう。


でもこの数日、特に何をするでもなく宿屋で過ごしているアインスは、なんだか誰かを待っているようにも思えた。


僕はアインスの向かいで黙々と朝ごはんを頬張る。湯気を漂わせている薬草茶、レリアンのお茶。これは先日の夜に僕が散歩がてら採ってきたもの。

独特の甘い花の香りに近くを探したら、道の脇にたくさん咲いていた。比較的見つけやすい薬草。

それを摘み持ち帰ってお茶にしてほしいと宿屋の主人に頼むと、主人はとても親切でニコニコ笑顔で快く引き受けてくれた。

レリアンのお茶は鎮静作用、リラックス作用と安眠効果。落ち着きたい時には最適。

あまった薬草は、そのまま此処で使ってもらおう。


と、のんびりまったりしながら僕はゆっくりとお茶をすする。

ちらりと向かいのアインスを見れば、アインスは何かの本を読みながら真っ黒なカフィを飲んでいた。

カフィは木の実を炒って抽出した飲み物で、香りはとても良い・・・でも僕は苦いから嫌い。

飲むならいっそ甘いツッカとメルクをどばどば入れたいくらいだけど、僕が見てきたカフィ好きは大抵それを好まない。なんで。

だから恐らくカフィ好きであろうアインスの目の前でそれをするのは危険だ。


絶対に外道を見るかのように嫌そうに顔を顰められる。


ちなみにアインスとの会話は、無い。

せいぜい朝に僕が「おはよう」と挨拶したくらい。

アインスは元々無口な人なのかな。うんそうに違いない。

本人は会話が無いことがあまり、というか全く気にならないみたいだけど・・・。

僕としてはまさか彼がこんなに無口だと思わなかったし、もっと色々話ができることを期待してたから、この会話の無さに未だ慣れない。


しかも相変わらず目が合った時の眼差しなんかは射抜くように真っ直ぐで、・・・なんだか緊張してしまう。

なので僕は、鎮静作用とリラックス効果のあるレリアンのお茶をさっきからひたすら飲んでいたのだった。


とはいえこの数日で、最初は弟子であることはおろか護衛としてもサッパリやることもなく若干打ちひしがれていた僕自身は、今では前向きな気持ちになれていた。

だって今の僕は、あの憧れのアインスの弟子なわけだし!

今はただその喜びに浸っていよう・・・と、僕はまたこくりとお茶を一口飲んで微笑んだ。


「アインス!!」


と、その時。

宿屋の入り口から、大きな声でアインスを呼ぶ者が現れた。


え?アインス?


耳に飛び込んできた思いがけない台詞に驚いて、僕が振り返り宿屋の入り口を見れば、そこにいたのは・・・大きなリュックを背負った青年。

旅人?

と思ってしまうくらいしっかりしていて大きなリュックだ。

僕は思わず目を丸くしてまじまじとその青年を見る。


金色まではいかないけどキラキラ輝く明るい茶色の髪、人の良さそうな穏やかな明るい緑の瞳。

目が丸く大きいからか、大人なんだろうけどどこかあどけなさを感じさせる顔立ちだ。

僕がまじまじと見つめていることにも気づかず、青年はぐったりとした様子ではぁ~と深く盛大なため息を漏らし、くたびれた様子でやれやれとばかりにこちらのテーブルに歩み寄ってくる。


「・・・ユピトル、遅かったな」


よろよろと近づいてくる青年の方を見向きもせず、アインスは本に目を落としたままぽつりと言う。

その言葉に僕は驚いてアインスを見た。


その時、彼の口元が僅かに笑っていることに気づいた。

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